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初恋の真実 2
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金の刻印が彫られた鉤針には、『Kira』と名が入っていた。
刻印に眼差しを注いだアレクは、低い声音で訊いた。
「この棒は、私がキラ・ハルアに贈ったものだ。なぜ貴女が持っている」
名が刻まれているので、偶然同じ種類の鉤針だという言い訳はできない。ごくりと唾を飲み込んだ煌は、震える声を絞り出した。
「キラ殿にお借りしたのです。私の鉤針が壊れかけていたものですから、無理を言ってお借りしたのです」
不自然な点はないはず。キラ・ハルアも瑠璃国出身なので同郷なのだ。紗綾姫とキラが並ぶ機会はないわけだが、志音は両者と顔見知りである。
アレクは鉤針から視線を離さず、掌で転がしていた。
「貸し借りするほど仲が良いのか。キラが紅宮殿を訪れているとは知らなかったな」
「ええ。同郷ですから。お友だちなのです」
「友だちか。そういえばキラは宮廷付きの編み物師で、紗綾に指南したそうだな」
「ええ、そうでしたね」
咄嗟に繕うので辻褄が合わなくなる。不審を抱いたらしいアレクはこちらを見ようとせず、テーブルに鉤針を戻す。
「この品は、キラに贈ったものだ。必ず返してくれ」
「はい、もちろんです。すぐにお返しいたします」
「ユーリイ。宮廷へ戻るぞ。来なさい」
不満を漏らすユーリイを促して、アレクは紅宮殿を去る。一度も紗綾姫を振り返らなかった。
ふたりが帰ったことを確認した志音は新しい紅茶を淹れ直した。
「危なかったですね。この嘘、いつまで吐き続ければいいのかな。心臓がもちませんよ。ねえ、煌さま」
朗らかに呟いた志音は笑顔で紅茶のポットを傾ける。深い薫りをした茶葉の芳香が立ち上った。
嘘の期限はいつまでか。
いつまで、紗綾姫の身代わりをしているつもりだったのか。
煌はこの生活に限りがあるということを、今更ながら悟った。
このまま嘘を吐き続けて、素知らぬ顔で妃になんてなれるわけがない。結婚すればベールは外すことになっているのだ。順当に結婚すれば紗綾姫とキラ・ハルアが同一人物と判明するのは時間の問題だ。
アレクとは、結婚できない。
始めから分かりきっていたことなのに、なぜか胸が苦しい。
「そうだな……。心臓がもたないな」
ユーリイは素直に受け入れてくれたが、それは紗綾姫への先入観が悪いものだったからだ。アレクは違う。彼は初恋の人である紗綾を大切に思っている。実はそれが男で、しかも侍従のキラだと知れば、思い出まで汚されたという不快感に満たされることは想像に難くない。
アレクの初恋を壊さないためには、最後まで嘘を貫き通さなければならない。そのためには真実を告げずに、ロマンシアを去るしか選択肢はなかった。
「志音。近いうちに、瑠璃国へ帰ろう」
重苦しく呟く煌に、志音はふと顔を上げる。
「え。それって里帰り……じゃないですよね?」
「折を見て、婚約を破棄しよう。そうすればすべて丸く収まる」
故郷へ帰れることは喜ばしいはずなのに、志音は肩を落としてポットを置いた。
「でも……特別侍従のお仕事はどうするんです? キラ・ハルアもロマンシアからいなくなってしまったら、ユーリイさまが哀しみますよ」
紗綾姫は国へ帰ったことにして、キラ・ハルアだけはロマンシアに残れるだろうか。けれどアレクを騙したまま、素知らぬ顔をして特別侍従として居座るなんて図々しい所業に思えた。
紗綾姫が去れば、キラ・ハルアもロマンシアにはいられないだろう。
そうすればアレクの初恋は永遠に壊さなくて済む。けれど、成就させることもまたできないのだった。
結果としてアレクに哀しい恋の結末を押しつけてしまい、ユーリイには寂しい思いをさせてしまうことになる。
「僕は、アレクやユーリイを哀しませるためにロマンシアへ来たのか……」
紗綾のためと思えばこその身代わり花嫁だった。
それなのに、知らず自分は周りの人々を傷つけているのだ。
もし身代わりが最悪の形で破綻したときは、すべてこの身に罪を被ろう。志音や紗綾、瑠璃国に累が及ぶことがあってはならない。それが三十番目の王子として生れた自分の役目なのだ。
窓の外へ目をむければ、真紅の薔薇が咲き誇っている。それはルビーの深みのある色合いと変わらないはずなのに、アレクは真紅から薔薇ではなく、鳳凰木を思い出すという。
煌は紅茶が冷えるまでカップを持ったまま、薔薇を見つめていた。
刻印に眼差しを注いだアレクは、低い声音で訊いた。
「この棒は、私がキラ・ハルアに贈ったものだ。なぜ貴女が持っている」
名が刻まれているので、偶然同じ種類の鉤針だという言い訳はできない。ごくりと唾を飲み込んだ煌は、震える声を絞り出した。
「キラ殿にお借りしたのです。私の鉤針が壊れかけていたものですから、無理を言ってお借りしたのです」
不自然な点はないはず。キラ・ハルアも瑠璃国出身なので同郷なのだ。紗綾姫とキラが並ぶ機会はないわけだが、志音は両者と顔見知りである。
アレクは鉤針から視線を離さず、掌で転がしていた。
「貸し借りするほど仲が良いのか。キラが紅宮殿を訪れているとは知らなかったな」
「ええ。同郷ですから。お友だちなのです」
「友だちか。そういえばキラは宮廷付きの編み物師で、紗綾に指南したそうだな」
「ええ、そうでしたね」
咄嗟に繕うので辻褄が合わなくなる。不審を抱いたらしいアレクはこちらを見ようとせず、テーブルに鉤針を戻す。
「この品は、キラに贈ったものだ。必ず返してくれ」
「はい、もちろんです。すぐにお返しいたします」
「ユーリイ。宮廷へ戻るぞ。来なさい」
不満を漏らすユーリイを促して、アレクは紅宮殿を去る。一度も紗綾姫を振り返らなかった。
ふたりが帰ったことを確認した志音は新しい紅茶を淹れ直した。
「危なかったですね。この嘘、いつまで吐き続ければいいのかな。心臓がもちませんよ。ねえ、煌さま」
朗らかに呟いた志音は笑顔で紅茶のポットを傾ける。深い薫りをした茶葉の芳香が立ち上った。
嘘の期限はいつまでか。
いつまで、紗綾姫の身代わりをしているつもりだったのか。
煌はこの生活に限りがあるということを、今更ながら悟った。
このまま嘘を吐き続けて、素知らぬ顔で妃になんてなれるわけがない。結婚すればベールは外すことになっているのだ。順当に結婚すれば紗綾姫とキラ・ハルアが同一人物と判明するのは時間の問題だ。
アレクとは、結婚できない。
始めから分かりきっていたことなのに、なぜか胸が苦しい。
「そうだな……。心臓がもたないな」
ユーリイは素直に受け入れてくれたが、それは紗綾姫への先入観が悪いものだったからだ。アレクは違う。彼は初恋の人である紗綾を大切に思っている。実はそれが男で、しかも侍従のキラだと知れば、思い出まで汚されたという不快感に満たされることは想像に難くない。
アレクの初恋を壊さないためには、最後まで嘘を貫き通さなければならない。そのためには真実を告げずに、ロマンシアを去るしか選択肢はなかった。
「志音。近いうちに、瑠璃国へ帰ろう」
重苦しく呟く煌に、志音はふと顔を上げる。
「え。それって里帰り……じゃないですよね?」
「折を見て、婚約を破棄しよう。そうすればすべて丸く収まる」
故郷へ帰れることは喜ばしいはずなのに、志音は肩を落としてポットを置いた。
「でも……特別侍従のお仕事はどうするんです? キラ・ハルアもロマンシアからいなくなってしまったら、ユーリイさまが哀しみますよ」
紗綾姫は国へ帰ったことにして、キラ・ハルアだけはロマンシアに残れるだろうか。けれどアレクを騙したまま、素知らぬ顔をして特別侍従として居座るなんて図々しい所業に思えた。
紗綾姫が去れば、キラ・ハルアもロマンシアにはいられないだろう。
そうすればアレクの初恋は永遠に壊さなくて済む。けれど、成就させることもまたできないのだった。
結果としてアレクに哀しい恋の結末を押しつけてしまい、ユーリイには寂しい思いをさせてしまうことになる。
「僕は、アレクやユーリイを哀しませるためにロマンシアへ来たのか……」
紗綾のためと思えばこその身代わり花嫁だった。
それなのに、知らず自分は周りの人々を傷つけているのだ。
もし身代わりが最悪の形で破綻したときは、すべてこの身に罪を被ろう。志音や紗綾、瑠璃国に累が及ぶことがあってはならない。それが三十番目の王子として生れた自分の役目なのだ。
窓の外へ目をむければ、真紅の薔薇が咲き誇っている。それはルビーの深みのある色合いと変わらないはずなのに、アレクは真紅から薔薇ではなく、鳳凰木を思い出すという。
煌は紅茶が冷えるまでカップを持ったまま、薔薇を見つめていた。
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