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第二章

警鐘

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 口で説明したのでは日が暮れるから、『これを読んで現代について勉強してくださいの』と、雑誌や書籍を置いておけばよいということか。
 悠真のことだから、学校の教科書を捨てられず、道楽喫茶店の本棚に投げ込んでいるとも考えられる。

「そういえば、本棚があったね……。あとで見てみるよ」
「ぜひ、ご覧ください。わたくしも三種の神器と謳っている写真を拝見しましたが、そこには衝撃の事実が書き添えてありました」

 兜丸は調子をつけるかのように、どんどんと足踏みをする。
 僕は些か、げんなりしながら問い返した。

「その衝撃の事実ってなんだろうね。気になる」
「なんと! 写真の傍に小さく『イメージ図』と印字してあったのでございます!」

 沈黙した僕は、該当の写真を思い返した。
 兜丸の言うとおり、確かに『イメージ図』と記されていた気がする。
 当時は深く考えなかったけれど、イメージ図ということはつまり、本物を映した写真ではないというわけである。
 天皇すら実物を見てはいけないとされているのだから、写真に撮って資料に掲載するなんてもってのほかだろう。
 僕は中学生のときに目にした写真を、「三種の神器はこの形だ」と思い込んでいた。
 清光も、あの写真こそがまがいものであると知っていたのだ。
 だから彼は、実物を自分の目で確かめることの重要性を説いた。
 押し黙った僕を横目にした兜丸は勝ち誇ったように胸を反らした。

「写真だからといって事実そのものではないと、清光様は諭したかったのでございます。それなのに蓮殿ときたら、主君の心情を全く理解しておりません!」
「わかったわかった。悪かったよ。僕は新人スターフなんだからさ、大目に見てよね。清光もそう言ってたじゃない」

 もはや、『スターフ』という名称が僕の中でも定着してしまった。
 まだぶつぶつと文句を言っている兜丸を宥めつつ、徒歩三分の道のりで再び『たのし荘』へ辿り着く。
 まっすぐ宿泊棟の戸口前へ向かったが、そこに悠真の姿はなかった。網が片付けられているので、漁へ出たのだろうか。
 戸口から外へ出ると、すぐに漁港に面した道路がある。ここが飛島の主要道路だ。勝浦漁港から中野地区へ港沿いに伸び、雄大な鳥海山と海を臨める。センターラインだとか横断歩道などは皆無だ。飛島には駐車場というものがないので、各旅館のバンがそこかしこに路上駐車されている。
 僕は『たのし荘』と車体に書かれているバンを横目にして、防波堤の出入口を抜けた。
 漁港には数隻の漁船が停泊している。
 漁船の脇で屈んでいる悠真を見つけ、声をかけた。

「おーい、悠真」
「お、蓮……と、兜丸様。注文の品はあとで持っていくから、ちょっと待ってくれの」

 悠真が仕掛けていた籠を揚げると、蟹が数匹入っていた。輝いて見えるほど青い脚の蟹は、ガザミだ。小ぶりだけれど、サザエも入っている。

「さっきのは、ゆっくりでいいんだ。はい、これ。清光からの恋文だよ」

 やけになり、恋文と称した文を手渡す。
 首に巻いたタオルで手を拭いた悠真は笑いながら受け取り、文を広げた。

「あはは、読めないけどな。なんて書いてあるんだの?」
「えっと……黄昏の……なんだっけ?」

 僕と悠真の視線が、肩に止まっている兜丸に向けられる。
 彼は嘴を動かし、流暢に述べた。

「黄昏に、あはれなりもの磯濡れぬ、君をば船を、春に待つらむ……でございます」
「いつもの注文じゃないんだの。それって、百人一首かの?」

 雅な和歌は、一般人の僕たちには意味が通じない。
 たとえ事務連絡であろうとも、和歌にして伝えるのが貴族の嗜みというやつだろうか。 
 僕は悠真にわかりやすく伝えた。

「夕暮れになると黒い靄が出現して、それに取り込まれたあごが死んじゃうんだってさ。だから船を出して、その真相を確かめるらしいよ」
「へえ。悪霊退治かの?」

 悠真は臆するどころか、目を輝かせてきた。
 純粋な好奇心は、木彫りのコーヒーカップに惹かれて清光のカフェへ入ろうとしていた僕のものによく似ている。
 嫌な予感がした僕は、微妙な笑みを浮かべた。

「さあ……守護霊でも海上は歩けないみたいだね。船で様子を見るだけじゃないかな……?」
「夕方だの? 任せておけ! ついに俺も、じいちゃんみたいに悪霊退治のお伴ができるんだの!」

 俄然やる気を漲らせた悠真は船に乗り込み、調整を始めた。
 どうやら、海上での悪霊退治は悠真に代替わりしてからは初めてのことらしい。祖父の冒険譚を散々聞かせられた悠真は、悪霊退治への憧れを持っていたのだ。
 冒険に憧れる気持ちはよくわかるが、後々ろくなことにならないのでは……と、僕の脳内は警鐘を鳴らす。
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