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第四章
源氏の剣士 1
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飛島は海底から隆起した陸地が波によって削られ、ほぼ扁平な海食台地が形成されている。
その飛島でもっとも高地なのが、標高六十九メートルの高森山だ。
それは悠々とそびえたつ鳥海山から見下ろせば、丘程度の高さだろう。
しかし、島の北側に位置する酒田市立飛島小中学校から湾曲する道路は急勾配で、自転車で登ろうとすれば息を切らしてしまう。
高森山の山頂付近にある高森神社のすぐ隣に、その史跡はあった。
飛島に残る伝説のひとつ、『源氏盛・平家盛』だ。
雑木林の中、ゆうに跨げるほど低いブロック塀で囲われた塚の傍らに、史跡を説明する看板が立てられている。
それによれば、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武者たちは、舟に乗って北へと押し流され、飛島に漂着した。追っ手を逃れるため、弓矢や具足を捨てて土着し、彼らは漁の道に入る。この塚は落ちのびる船中で最期をとげた武者たちを葬り、また、漁具に持ち替えた刀剣、甲冑を埋めたものと伝えられる。
まさかその落ち武者が実は、平清盛の九男である平清光で、壇ノ浦で行方知れずになった天叢雲剣を携えていたなんて、誰が想像するだろうか。
僕は静かな高森山の中で、改めて史跡を前にしていた。
看板を眺めていて、ふと気づいたことがあり、首を捻る。
「平家だけじゃなくて……源氏盛でもあるんだな。ということは、源氏の武将もいたってこと?」
追っ手を逃れるため、とあるが、飛島まで追いかけてきた源氏もいたのだろうか。
現在は山口県下関市である場所から、山形県の飛島まで、エンジンもない船で日本海を渡ってきたのだから、とてつもない苦難を伴う行程だろう。ここまで追ってきたとしても、支配する豪族も異なるだろうし、西の方まで戻れるとはとても思えない。気の毒に思った島民が敗走してきた武者たちを迎え入れる光景が目に浮かぶようだ。
ということは、悠真やみのりさんたち飛島の島民は、平家もしくは源氏一門の子孫なのだ。清光の姿が見える人たちが多いのも、そのせいなのかもしれない。
僕はどうして見えるのか、わからないけど……
そのとき、背筋にぞくりと悪寒が走った。
ふと目の端に黒いものが映り、息を呑んでそちらを向く。
「あ……こんにちは」
なんだ、と安堵の息を吐いて挨拶する。
道の向こうから、黒い服を着た男の人が訝しげな双眸をして僕を見ていたからだ。
よく見ればそれは漆黒の和装だった。黒の着流しに、紋のない黒の羽織を纏っている。後ろに流した長めの髪の一房が、額に落ちかかっていた。眦が切れ上がり、鼻梁の通った美丈夫だが、目つきが鋭いためか奇妙な威圧感を覚える。
和装だなんて珍しい。見覚えのない人だが、観光客だろうか。
青白い顔の男は、僕を睨みつけながら薄い唇を開いた。
「おまえは、清光のところにいる男だな」
地を這うような低い声音に、ぞっとした。
とうに安堵は打ち消されていた。
彼の腰に垣間見える黒い棒のようなものに、目が吸い寄せられる。
刀剣の柄だ。羽織に隠れてよく見えなかったが、帯に刀を差しているのだ。
清光と同じ……? どうして……
驚いていると、男の肩が盛り上がり、黒いものがごそりと動いた。
ばさっと翼を広げたのは、黒いカラスだ。漆黒の衣装で見えなかったが、肩にカラスが止まっていたのだ。
「氷室様、こやつは平清光の下男です。なんの力もない人間ですが、あやかしの姿が見えているので厄介でございます」
「あっ、おまえは……あのときの八咫烏じゃないか!」
氷室と呼ばれた男の肩で憎々しげに喋ったのは、酒田の街で遭遇した八咫烏だった。いや、八咫烏と見せかけたカラスだ。今も足は二本である。
姿形はふつうのカラスと変わらないが、傲慢そうな声や口調に特徴がある。あのときのカラスに間違いない。
つい一週間ほど前のことだから記憶は鮮明だ。僕たちに悪霊を退治してほしいと依頼して、妖狐の小太郎を斬らせようと画策し、実は自分自身が悪霊だったという図々しいやつだ。
「どういうつもりだよ! 神使の八咫烏だなんて、嘘だったんだな。ただのカラスのあやかしじゃないか!」
「フン。わらわは八咫烏などと、ひとことも言うておらぬわ。うぬらの思い込みであろう」
兜丸が指摘したとおり、このカラスは自分から八咫烏だと名乗ったわけではなかった。
けれど足を三本に増やして偽装したのだから、真相が発覚しても僕たちに責任を押しつけるつもりだったのは明白だ。なんて狡いやつなんだ。
「人間ごときに、ただのカラスなどと呼ばれるのも癪よな。わらわの名は、玉藻じゃ。冥土の土産にせよ」
玉藻といえば伝承に残る妃の名前だが、その正体は九尾の狐だとされている。こいつはカラスのあやかしなのだから、どうせまた偽名だろう。
「氷室様、この脆弱な人間をどうぞ斬り捨ててくださいませ」
僕に話しかけた傲慢な物言いとは打って変わり、玉藻は媚びるような声音で氷室に頼んだ。僕を襲わせるために、今度は氷室に依頼するつもりなのだ。
氷室は漆黒の双眸を眇めると、僕の胴の辺りに目をやった。
武器を携帯していないことを確認したのかもしれない。僕自身は当然丸腰だ。
臆した僕は一歩下がる。
この男は……何者なんだ?
帯刀しているということは、彼も清光のような存在なのだろうか。もしくは、悪霊の仲間か。
フッと鼻で嗤った氷室は、まるで虫けらを見るような目で、手ぶらの僕を睥睨した。
「俺は指図は受けない」
その言葉に玉藻は羽根を閉じ、頭を垂れる。
「……承知いたしました」
悔しさの滲む響きだった。
踵を返した氷室は、雑木林に囲まれた道を下っていった。
僕はしばらくの間、茫然としてその場に佇んでいた。
やがて木立から鳥のさえずりが耳に届くと、思い立ったように走り出す。神社の前を通り抜けて、置いていた自転車に跨がった。
その飛島でもっとも高地なのが、標高六十九メートルの高森山だ。
それは悠々とそびえたつ鳥海山から見下ろせば、丘程度の高さだろう。
しかし、島の北側に位置する酒田市立飛島小中学校から湾曲する道路は急勾配で、自転車で登ろうとすれば息を切らしてしまう。
高森山の山頂付近にある高森神社のすぐ隣に、その史跡はあった。
飛島に残る伝説のひとつ、『源氏盛・平家盛』だ。
雑木林の中、ゆうに跨げるほど低いブロック塀で囲われた塚の傍らに、史跡を説明する看板が立てられている。
それによれば、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武者たちは、舟に乗って北へと押し流され、飛島に漂着した。追っ手を逃れるため、弓矢や具足を捨てて土着し、彼らは漁の道に入る。この塚は落ちのびる船中で最期をとげた武者たちを葬り、また、漁具に持ち替えた刀剣、甲冑を埋めたものと伝えられる。
まさかその落ち武者が実は、平清盛の九男である平清光で、壇ノ浦で行方知れずになった天叢雲剣を携えていたなんて、誰が想像するだろうか。
僕は静かな高森山の中で、改めて史跡を前にしていた。
看板を眺めていて、ふと気づいたことがあり、首を捻る。
「平家だけじゃなくて……源氏盛でもあるんだな。ということは、源氏の武将もいたってこと?」
追っ手を逃れるため、とあるが、飛島まで追いかけてきた源氏もいたのだろうか。
現在は山口県下関市である場所から、山形県の飛島まで、エンジンもない船で日本海を渡ってきたのだから、とてつもない苦難を伴う行程だろう。ここまで追ってきたとしても、支配する豪族も異なるだろうし、西の方まで戻れるとはとても思えない。気の毒に思った島民が敗走してきた武者たちを迎え入れる光景が目に浮かぶようだ。
ということは、悠真やみのりさんたち飛島の島民は、平家もしくは源氏一門の子孫なのだ。清光の姿が見える人たちが多いのも、そのせいなのかもしれない。
僕はどうして見えるのか、わからないけど……
そのとき、背筋にぞくりと悪寒が走った。
ふと目の端に黒いものが映り、息を呑んでそちらを向く。
「あ……こんにちは」
なんだ、と安堵の息を吐いて挨拶する。
道の向こうから、黒い服を着た男の人が訝しげな双眸をして僕を見ていたからだ。
よく見ればそれは漆黒の和装だった。黒の着流しに、紋のない黒の羽織を纏っている。後ろに流した長めの髪の一房が、額に落ちかかっていた。眦が切れ上がり、鼻梁の通った美丈夫だが、目つきが鋭いためか奇妙な威圧感を覚える。
和装だなんて珍しい。見覚えのない人だが、観光客だろうか。
青白い顔の男は、僕を睨みつけながら薄い唇を開いた。
「おまえは、清光のところにいる男だな」
地を這うような低い声音に、ぞっとした。
とうに安堵は打ち消されていた。
彼の腰に垣間見える黒い棒のようなものに、目が吸い寄せられる。
刀剣の柄だ。羽織に隠れてよく見えなかったが、帯に刀を差しているのだ。
清光と同じ……? どうして……
驚いていると、男の肩が盛り上がり、黒いものがごそりと動いた。
ばさっと翼を広げたのは、黒いカラスだ。漆黒の衣装で見えなかったが、肩にカラスが止まっていたのだ。
「氷室様、こやつは平清光の下男です。なんの力もない人間ですが、あやかしの姿が見えているので厄介でございます」
「あっ、おまえは……あのときの八咫烏じゃないか!」
氷室と呼ばれた男の肩で憎々しげに喋ったのは、酒田の街で遭遇した八咫烏だった。いや、八咫烏と見せかけたカラスだ。今も足は二本である。
姿形はふつうのカラスと変わらないが、傲慢そうな声や口調に特徴がある。あのときのカラスに間違いない。
つい一週間ほど前のことだから記憶は鮮明だ。僕たちに悪霊を退治してほしいと依頼して、妖狐の小太郎を斬らせようと画策し、実は自分自身が悪霊だったという図々しいやつだ。
「どういうつもりだよ! 神使の八咫烏だなんて、嘘だったんだな。ただのカラスのあやかしじゃないか!」
「フン。わらわは八咫烏などと、ひとことも言うておらぬわ。うぬらの思い込みであろう」
兜丸が指摘したとおり、このカラスは自分から八咫烏だと名乗ったわけではなかった。
けれど足を三本に増やして偽装したのだから、真相が発覚しても僕たちに責任を押しつけるつもりだったのは明白だ。なんて狡いやつなんだ。
「人間ごときに、ただのカラスなどと呼ばれるのも癪よな。わらわの名は、玉藻じゃ。冥土の土産にせよ」
玉藻といえば伝承に残る妃の名前だが、その正体は九尾の狐だとされている。こいつはカラスのあやかしなのだから、どうせまた偽名だろう。
「氷室様、この脆弱な人間をどうぞ斬り捨ててくださいませ」
僕に話しかけた傲慢な物言いとは打って変わり、玉藻は媚びるような声音で氷室に頼んだ。僕を襲わせるために、今度は氷室に依頼するつもりなのだ。
氷室は漆黒の双眸を眇めると、僕の胴の辺りに目をやった。
武器を携帯していないことを確認したのかもしれない。僕自身は当然丸腰だ。
臆した僕は一歩下がる。
この男は……何者なんだ?
帯刀しているということは、彼も清光のような存在なのだろうか。もしくは、悪霊の仲間か。
フッと鼻で嗤った氷室は、まるで虫けらを見るような目で、手ぶらの僕を睥睨した。
「俺は指図は受けない」
その言葉に玉藻は羽根を閉じ、頭を垂れる。
「……承知いたしました」
悔しさの滲む響きだった。
踵を返した氷室は、雑木林に囲まれた道を下っていった。
僕はしばらくの間、茫然としてその場に佇んでいた。
やがて木立から鳥のさえずりが耳に届くと、思い立ったように走り出す。神社の前を通り抜けて、置いていた自転車に跨がった。
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