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第四章

嵐の前 3

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 先程はみのりさんと話すのに緊張していた小太郎だけれど、もう打ち解けていた。なぜか、ばあちゃんに飛島で滞在する許可を取っている。
 小さい子どもとばあちゃんは、他人という垣根をいとも容易く超えるものなのだな……と、僕は微笑ましく思う。

「小太郎、カフェに戻ろう。悠真との話は済んだよ」

 反動を付けた小太郎は、上り框からぴょんと飛び降りた。
 みのりさんが、僕に呼びかける。

「ちょっと待って、蓮君。私とおばあちゃんも清光様のカフェに行くわ。ね、おばあちゃん」
「そうだねえ。清光様にお願いしようかの」

 ばあちゃんは清光に用があるようだ。
 お願いがあるということは、喫茶の利用ではない。珈琲を注文して金百両を要求されるような流れにはならないだろう。
 奥へ行ったみのりさんは手提げ袋を携えて、すぐに戻ってきた。僕たちは宿の傘を借りて広げると、連れ立って玄関を出る。悠真は船の調整のためか、黙って港へ向かっていった。
 小太郎は、ばあちゃんの傘を差してあげつつ一緒に入っている。小太郎の背が小さいので、ばあちゃんは腰の曲がった背をさらに屈めていた。

「ばあちゃん、濡れてないか?」
「小太郎ちゃんは傘を差すのが上手だから、ばあちゃんは濡れてないよ」
「おいら、初めて傘を持ったぞ。はっぱしか頭に乗せたことなかった」
「そうなのかい。これからもっとたくさんの初めてがあるといいねえ」
「うん!」

 楽しげに話す小太郎とばあちゃんの会話を聞いていると、瞬く間にカフェへ辿り着いた。木彫りのコーヒーカップが雨粒に濡れている。
 把手を掴んで扉を引くと、珈琲の香りに混じり、雨の匂いがふわりと漂った。

「おかえり。……おや、婆様か」
「ご機嫌いかがでしょうか、清光様」

 ばあちゃんは清光に深々と頭を下げた。
 清光は、ばあちゃんを一瞥すると眉をひそめる。

「……ふむ。婆様よ、悪いものを付けているな」 

 双眸を眇めた清光はカウンターから出てきた。彼は剣柄に手をかけている。

「清光様には、おわかりでございますか」
「動くなよ」

 すらりと刀身を曝した清光に度肝を抜かれる。
 まさか、ばあちゃんを斬ろうというのか。
 僕は慌てて、ばあちゃんとみのりさんの前に立ち塞がった。

「ちょ、ちょっと、清光! 何するんだよ!」
「退け、蓮」

 彼女たちを守ろうとした僕を邪魔するつもりなのか、小太郎までが背に飛び乗ってきた。ふわふわとした耳毛で首を撫でられたのでは、たまらない。

「うわわ……小太郎、やめてよ!」
「蓮、邪魔するな。ばあちゃんには悪霊が憑いてるんだぞ」
「……えっ、悪霊⁉」

 小太郎のお尻を抱えておんぶしながら驚いて振り向く。
 その瞬間、一閃が走る。
 清光が居合い抜いた神剣は、空を薙いだ。
 ばあちゃんの足元を払っただけだ。もちろん、ばあちゃんの体はなんともない。
 だが太刀筋のあとに、黒い煙のようなものが立ち上る。

「これは……カナシキモノ?」

 微量だけれど、海上で遭遇した『カナシキモノ』と同じ黒い靄だった。それが、ばあちゃんの両膝からまるで燻されたかのように出現したのだ。
 靄はすぐに霧散して消えた。
 すると、ばあちゃんは軽く膝を曲げ伸ばしする。

「おお、治ったの。近頃は膝が痛くてかなわんかったのに、楽になりましたの」
「痛みは悪霊の仕業だ。また取り憑くかもしれないが、しばらくは大丈夫だろう。調子が優れなかったら、ここへ来るといい」

 清光は神剣を鞘に納めた。
 どうやら、膝に悪霊が憑いていたので痛みを覚えたばあちゃんは、清光にそれを斬ってもらうためカフェを訪れたようだ。海に現れた巨大なものばかりでなく、ごく小さな悪霊も存在するらしい。
 ばあちゃんが斬られてしまうと勘違いした僕は恥ずかしくなって俯いた。 

「いつもありがとうございます、清光様。島では中々医者にかかれんからの。この婆が丈夫でいられるのも、清光様のおかげです」
「なんの。私にはこれくらいしかできぬからな」

 手提げ袋から野菜を取り出したみのりさんは、カウンターに並べた。白菜や人参、大根など多くの種類がある。物資の少ない島暮らしでは、生野菜は貴重だ。
 お裾分けというか、悪霊を斬ってくれた礼らしい。

「これ、おばあちゃんが畑で作った野菜なの。食べてくださいね」
「うむ」
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