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街への視察 1
まるで本物の血で塗られたような、極上の朱だ。初夜の褥で、妃が血を散らすことを暗示しているような気がした。
「とても綺麗だね……。ありがとう、黎」
力なく告げると、王のお召しがないことに不安を抱いていると黎は思ったのか、帯は唐花鳳凰にしよう、髪飾りは黄金の歩揺にしようと、明るく励ましてくれた。
黎とルカスが懸命に選んでくれた着物だ。感謝して纏わなければ天罰が下る。
そして、この着物で王の夜伽を勤め上げなければならないのだ。それが寵妃となった天の役目なのだから。
いやだ。どうしよう。本当は、いやなのに。
理屈では分かっているのに、心がエドへ傾くのを押さえられない。自分の気持ちなのに制御できない。
猩猩緋の血の色をした着物を眺めながら、天は唇を噛みしめた。
憂鬱に苛まれて日々を過ごしていた天のもとに、ささやかな朗報が入った。
エドが、街への視察に天を同行させてくれるのだという。閉じこもってばかりでは気鬱になるというエドの計らいに、天は感謝して承諾した。
とある日の昼下がり、天は馥郁とした茶の香りを愉しみながらエドの訪いを待っていた。
夜伽の指南のため、いつもは夜にしか会えないので、昼間に一緒に街へ出かけられるなんて気分が浮き立ってしまう。鉄紺をした綸子地の羽織の袖を気もそぞろに弄っていると、扉が開く音が鳴り響く。傍に控えていた黎は即座に平伏した。
数名の衛士を伴って現れたエドは漆黒の外套を羽織っていた。微笑みながら、天へ掌を差し出す。
「待たせたな。街へ出かけるのは久しぶりだろう。さあ、参ろうか」
妃候補の舞手として王宮の門をくぐって以来、外へ出るのは数ヶ月ぶりになる。一度後宮へ参内すれば、許可なく外出することは許されない。遊びに行くなどもってのほかで、許可が下りるのは親族の葬式くらいだ。
「お伴いたします」
花が綻ぶような艶やかな笑みが零れる。天はエドの温かい掌に白い手を預けた。
連夜に及び夜伽の指南で悦楽を覚えさせられた天は、匂い立つ牡丹のごとき艶めいた美貌を纏わせている。
エドは眩しそうに琥珀色の双眸を細めて、可憐に変貌を遂げた寵妃を見つめた。
「視察とはいえ、堅苦しいことはない。天は私が守るゆえ、ゆったりと街の景色を眺めるといい」
「お邪魔にならないよう、気をつけます」
視察であるからには妃としての職務の内だ。遊びでないことを肝に銘じよう。
宮仕えの宮男は宮廷の外へは出られないので、黎に宮殿の門で見送られる。
天はエドと共に護衛の衛士たちを引き連れ、王宮の門前に待機した馬車に乗り込んだ。
格式高い馬車は扉に王家の紋章が刻印されている。狼の横顔を象り、その周囲に月桂樹が巡らされた意匠の紋章は、貴人が乗る王宮の馬車であることを示している。
車輪がゆっくり回り出すと、向かいの座席に腰掛けたエドは静かに語り出した。
「今日は孤児院の視察に赴く。経済の発展が著しいためか格差が生じ、親元で暮らせない子が急増しているのだ」
「親元で暮らせない子たちはそんなに多いのですか。可哀想ですね」
「そうだな。様々な事情があるが、子どもたちの将来のためには手厚い保護が必要だ。天も現場を見て、国の実態を知ってほしい」
「承知いたしました」
車窓に映る街並みは最後に見たときと変わらず穏やかな様相を見せていた。けれどカルドナ国内では様々な問題が紛糾しているのだ。後宮という閉ざされた世界では知る由もないけれど、こうして機会を与えていただいたからには少しでも国のことを知り、吸収して、国のために役立ちたい。
やがて馬車は街の一角に辿り着いた。煉瓦造りの建物に入ると、賑やかな声と軽い足音が鳴り響く。まるで楽しい音楽のようだ。
「あっ、エドさまだ!」
エドの姿を見つけた子どもの第一声で、大勢の子どもたちが駆けつけてくる。瞬く間にエドは小さな子どもたちに囲まれた。
「みんな元気だったか。背も少し伸びたな」
大樹に登るように子どもたちはエドにしがみついたり、腕にぶら下がっている。たくさんの子どもたちを抱えても、巨躯のエドはびくともしない。
「エドは、よくここへいらしてるんですね」
「ああ。この子たちは国の宝だからな。我が子も同然だ」
エドの溢れんばかりの無邪気な笑顔に、天の心はほっこりと温まる。
こんな顔もするんだ……。
高貴な身分であるアルファのエドが、子どもたちと屈託なく遊ぶ姿はとても微笑ましいものだった。いつのまにか天もその輪のなかに入り、一緒になって戯れていた。
両親に疎まれたことで命を投げ出すような真似をしたこともあったが、天には家族がいた。そして将来のために踊りを習得させてもらった。それはとても恵まれた環境だったのだと、今なら分かる。
「とても綺麗だね……。ありがとう、黎」
力なく告げると、王のお召しがないことに不安を抱いていると黎は思ったのか、帯は唐花鳳凰にしよう、髪飾りは黄金の歩揺にしようと、明るく励ましてくれた。
黎とルカスが懸命に選んでくれた着物だ。感謝して纏わなければ天罰が下る。
そして、この着物で王の夜伽を勤め上げなければならないのだ。それが寵妃となった天の役目なのだから。
いやだ。どうしよう。本当は、いやなのに。
理屈では分かっているのに、心がエドへ傾くのを押さえられない。自分の気持ちなのに制御できない。
猩猩緋の血の色をした着物を眺めながら、天は唇を噛みしめた。
憂鬱に苛まれて日々を過ごしていた天のもとに、ささやかな朗報が入った。
エドが、街への視察に天を同行させてくれるのだという。閉じこもってばかりでは気鬱になるというエドの計らいに、天は感謝して承諾した。
とある日の昼下がり、天は馥郁とした茶の香りを愉しみながらエドの訪いを待っていた。
夜伽の指南のため、いつもは夜にしか会えないので、昼間に一緒に街へ出かけられるなんて気分が浮き立ってしまう。鉄紺をした綸子地の羽織の袖を気もそぞろに弄っていると、扉が開く音が鳴り響く。傍に控えていた黎は即座に平伏した。
数名の衛士を伴って現れたエドは漆黒の外套を羽織っていた。微笑みながら、天へ掌を差し出す。
「待たせたな。街へ出かけるのは久しぶりだろう。さあ、参ろうか」
妃候補の舞手として王宮の門をくぐって以来、外へ出るのは数ヶ月ぶりになる。一度後宮へ参内すれば、許可なく外出することは許されない。遊びに行くなどもってのほかで、許可が下りるのは親族の葬式くらいだ。
「お伴いたします」
花が綻ぶような艶やかな笑みが零れる。天はエドの温かい掌に白い手を預けた。
連夜に及び夜伽の指南で悦楽を覚えさせられた天は、匂い立つ牡丹のごとき艶めいた美貌を纏わせている。
エドは眩しそうに琥珀色の双眸を細めて、可憐に変貌を遂げた寵妃を見つめた。
「視察とはいえ、堅苦しいことはない。天は私が守るゆえ、ゆったりと街の景色を眺めるといい」
「お邪魔にならないよう、気をつけます」
視察であるからには妃としての職務の内だ。遊びでないことを肝に銘じよう。
宮仕えの宮男は宮廷の外へは出られないので、黎に宮殿の門で見送られる。
天はエドと共に護衛の衛士たちを引き連れ、王宮の門前に待機した馬車に乗り込んだ。
格式高い馬車は扉に王家の紋章が刻印されている。狼の横顔を象り、その周囲に月桂樹が巡らされた意匠の紋章は、貴人が乗る王宮の馬車であることを示している。
車輪がゆっくり回り出すと、向かいの座席に腰掛けたエドは静かに語り出した。
「今日は孤児院の視察に赴く。経済の発展が著しいためか格差が生じ、親元で暮らせない子が急増しているのだ」
「親元で暮らせない子たちはそんなに多いのですか。可哀想ですね」
「そうだな。様々な事情があるが、子どもたちの将来のためには手厚い保護が必要だ。天も現場を見て、国の実態を知ってほしい」
「承知いたしました」
車窓に映る街並みは最後に見たときと変わらず穏やかな様相を見せていた。けれどカルドナ国内では様々な問題が紛糾しているのだ。後宮という閉ざされた世界では知る由もないけれど、こうして機会を与えていただいたからには少しでも国のことを知り、吸収して、国のために役立ちたい。
やがて馬車は街の一角に辿り着いた。煉瓦造りの建物に入ると、賑やかな声と軽い足音が鳴り響く。まるで楽しい音楽のようだ。
「あっ、エドさまだ!」
エドの姿を見つけた子どもの第一声で、大勢の子どもたちが駆けつけてくる。瞬く間にエドは小さな子どもたちに囲まれた。
「みんな元気だったか。背も少し伸びたな」
大樹に登るように子どもたちはエドにしがみついたり、腕にぶら下がっている。たくさんの子どもたちを抱えても、巨躯のエドはびくともしない。
「エドは、よくここへいらしてるんですね」
「ああ。この子たちは国の宝だからな。我が子も同然だ」
エドの溢れんばかりの無邪気な笑顔に、天の心はほっこりと温まる。
こんな顔もするんだ……。
高貴な身分であるアルファのエドが、子どもたちと屈託なく遊ぶ姿はとても微笑ましいものだった。いつのまにか天もその輪のなかに入り、一緒になって戯れていた。
両親に疎まれたことで命を投げ出すような真似をしたこともあったが、天には家族がいた。そして将来のために踊りを習得させてもらった。それはとても恵まれた環境だったのだと、今なら分かる。
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