白熊皇帝と伝説の妃

沖田弥子

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婚姻の報せ 2

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 控え室には主立った重臣や側近たちも待機している。話し合いの内容は結婚に関することに間違いなく、お互いの意思の確認と日取りの相談だと、皆は吉報への期待に話を弾ませていた。

「陛下がいらっしゃいましたら、すぐに国民への報告をいたしましょう。段取りはできております」
「純血の白熊種同士の婚姻は国を挙げての吉事ですからな。お子さまが生まれれば、絶滅の心配も吹き飛ぶでしょう」

 気が早い、そんなことはない、と笑いを交えての議論が巻き起こる。皆、とても楽しそうだ。皇国の人すべてが、レオニートとアナスタシヤの婚姻に期待を寄せている。
 結羽だけが、憂いに沈んでいた。
 婚姻、お子さま、という言葉のひとつひとつを耳にするたびに、身を切り刻まれる思いがする。 
 青ざめた結羽を、隣に座って脚をぶらつかせていたユリアンが覗き込んだ。

「結羽、どうしたの? 具合悪いの?」
「あ、いえ……なんでもないんです。最近、吐き気がして……ただの体調不良です」
「そうなの。ごはんもあまり食べないもんね。お医者さんに診てもらう?」

 結羽は曖昧に頷いた。体調が優れないのは事実だ。近頃やたらと睡魔に襲われたり、食欲不振なのに吐き気が起こる。おそらく心配事があるので身体に表れているのだろう。
 そのとき、会談が行われていた部屋の扉が開かれた。
 姿を現した皇帝と姫に、皆は一斉に駆け寄る。

「陛下、いかがでございますか! ご成婚のお日にちはお決まりですか!?」
「アナスタシヤ様、陛下の妃となるご決心はつきましたか?」

 レオニートは詰め寄る人々に手のひらを翳して、場に湧いた興奮を鎮めた。彼の表情は希望と喜びに満ち溢れていた。
 後方から窺っていた結羽の心臓が、すうと冷えていく。
 レオニートの隣に佇むアナスタシヤの精緻な顔にも、薄らと笑みが浮かんでいた。無表情しか見せたことのない彼女の初めての笑顔と皇帝の満足げな笑みに、人々はふたりの未来は明るいものだと確信した。
 固唾を呑んで吉報を待ち受ける人々へむけて、レオニートは明朗に告げる。

「アナスタシヤに私の気持ちは打ち明けた。彼女もまた同じ気持ちでいてくれたことに、私は感謝した。両国の絆は永久のものであり、我々はその歩みを止めないことを、ここに誓おう」

 おめでとうございます、と喝采が湧く。
 結羽の心を、絶望の色をした染みが、じわりと広がっていく。
 眼が霞んで、レオニートの姿がよく見えない。
 まだ話は終わっていないとばかりに、レオニートは手を掲げて拍手を止めた。

「ついては、まずルスラーン国王に報告するのが筋であるとアナスタシヤと合意した。王に報せてから、皆に詳細を明かそう」

 大臣のひとりが、にこやかな笑みを浮かべながらレオニートに訊ねた。

「陛下、この婚姻はルスラーン国王がお勧めになったわけですから、あえてお知らせしなくても良さそうなものですが。発表は一刻も早いほうが、国民も安堵できるのではありませんか」

 大臣の言い分はもっともだ。婚姻の発表は一旦おあずけされた形になる。とはいえ、ルスラーン国王に信書が届くまでの短い期間ではあるが。

「そういうわけにはいかない。これは私とアナスタシヤの間で取り決めたことだ。ルスラーン国王に報告の義務がある」
「御意にございます。陛下とアナスタシヤ様の御心のままに」

 レオニートの意向は崩れず、大臣は深く腰を折った。婚姻は決定事項であるので、皆は安堵の表情を浮かべていた。ほんの少し先延ばしにされただけのことだ。側近たちは皇帝の決定を伝達するべく、慌ただしく部屋を後にする。ルスラーン国王への信書を用意するべく、大臣たちも部下に指示を出していた。
 ヴァレンチンは微笑みを浮かべるアナスタシヤの傍に寄り添い、白い手を取った。

「アナスタシヤ、嬉しそうだな。婚姻の日取りは決まったのか?」

 彼女は幸せそうな笑みを兄にむけた。結羽の目には、それがベールを被った花嫁の笑顔に見えた。

「来るべきときまでふたりだけの秘密にするという、レオニート様とのお約束です。お兄様にも明かせませんわ」
「そうか。俺はおまえが幸せになってくれさえすれば、他にはなにも望まない。父に信書が届くのを楽しみに待つとしよう」

 疲れたので休ませてもらうとヴァレンチンがレオニートに断りを入れて、アナスタシヤは兄に手を引かれて退出した。
 ヴァレンチンは妹のアナスタシヤにだけは優しい態度を見せ、とても彼女を気遣っている。 レオニートとユリアンの兄弟と同様に、お互いを大切に思っているのだろう。絶滅が危惧されている白熊種で、ふたりだけの兄弟という側面も唯一無二の存在となっている。
 
 僕は、どうして、ただの人間なんだろう……。
 もしも自分が白熊種であったなら。
 そんな詮無いことが、衝撃で空っぽになった頭をぐるぐると巡る。レオニートが別荘の一夜についてアナスタシヤに話したかなんて憶測は、どうでもいいことのように思えてきた。
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