白熊皇帝と伝説の妃

沖田弥子

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懐妊 1

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 おめでとうございます、と口先で練習を重ねていた結羽は、訪れた診療所でその言葉を自分がかけられることになってしまった。

「ご懐妊ですよ」

 白衣を纏った老齢の医師は朗らかな笑みでそう告げた。医師の台詞の意味が理解できず、結羽は何度も瞬きを繰り返す。

「あの……先生。僕は男なのですが……」

 ご懐妊とはつまり、妊娠しているということではないだろうか。
 男の自分が妊娠するはずもない。今日は食欲不振や吐き気という体調不良の原因を調べてもらうべく診察に訪れたのだが、村の医師は冗談を言っているようには見えなかった。
 彼はカルテに図を描きながら、平淡に説明した。

「男性でも妊娠できます。この部分に子宮と同じ役目を果たす袋ができています。そこに子がいます。男性子宮は通常は退化したまま使われないのですが、神獣の精が注がれますと、機能が活性化して子を孕めるのです」
「神獣の精……?」

 唖然として医師の言葉を拾う。白熊一族は神獣の血を引いているという。まさか、という思いが脳裏を掠めた。
 医師はことり、とペンを置いて椅子を回転させ、青ざめている結羽に向き合う。

「私の父が宮廷医師を務めていた先々代の皇帝のときには、お手つきとなって子を孕む側近の男性がたくさんおりました。しかし神獣の力が強すぎるためか、母胎が耐えきれず子が流れてしまったり、母胎ごと死亡する事例が多く見られました。それが、白熊一族が衰退する要因になったともいえます。この妊娠は大変なリスクを伴います。あなたの健康にも多大な影響を与えかねません。……どうしますか?」

 どうするか、というのは、産むか、堕ろすかと聞いているのだ。
 突然のことで、頭の中が真っ白になる。
 このお腹の中には、白熊一族の血を引く子が宿っている。レオニートに抱かれた一夜で、神獣の精を注がれ孕んでしまったのだ。
 呆然とした結羽は、「考えます」とだけ返事をした。

「お相手の方とも、よく話し合ってくださいね」
「はい……。ありがとうございました」

 医師は相手が皇帝だと認知している。そして、人間の結羽の身体が妊娠に耐えられないであろうということも。
 診療所を出た結羽は轍の残された路を俯きながら歩いた。
 ――産めるわけがない。
 レオニートはアナスタシヤとこれから結婚式を挙げるというのに、愛人が孕んだなどと発覚すれば大変なことになる。
 それに強大すぎる神獣の力ゆえに、流産や母胎の死亡という結果を迎えることも考えられるのだ。医師は過去の事例を鑑みて暗に堕胎を勧めていたが、そうすることがアスカロノヴァ皇国のためにも、結羽自身の身体のためにも一番良い選択だろう。
 
 でも、この子は……?
 結羽はそっと下腹に手を宛てた。
 この子を、自らの手で殺してしまうのか。子は生きたいかもしれない。
 否、始めから死を望む子なんて、いない。
 たとえ誰にも望まれない子でも、結羽だけはこの子を守りたかった。
 レオニートに、愛された証だから。
 結羽は下腹を両手で守るように支えながら、唇を噛み締めた。



 妊娠したことをレオニートに相談できるわけもなく、結羽は事実を隠し通した。食欲不振と吐き気は妊娠初期に見られる症状だそうだが、周りには体調不良と偽っている。
 だが、部屋に籠もり続ける結羽をレオニートが見舞いに訪れた。
 ベッドに伏していた結羽は驚いて身を起こした。

「ああ、起きずとも良い。具合はどうだ?」

 優しい笑顔と穏やかな声音に、胸の裡から熱いものが込み上げる。
 ぐっと堪えた結羽は、自然な笑顔を装った。声が震えないよう、平静な呼吸を意識する。

「平気です。お医者様は休んでいればじきに治ると仰っていました」

 そうか、と答えたレオニートは椅子を引き寄せて、ベッドの傍らに腰を下ろす。
 長居するのだろうか。病状を告げれば、すぐに帰ってくれると思っていたのに。
 本音を言えば傍にいてほしいけれど、そうするほどに自分の想いと秘密を抑えきれず、いつ蓋が開いてしまうかと気が気ではない。 
 結羽は心許なく視線を彷徨わせた。
 そんな結羽をじっと見つめていたレオニートは、大きな手のひらを伸ばした。額に温かな手が置かれる。

「熱はないようだ。だが顔色が優れないな。セルゲイは滋養のあるものを作ると張り切っていたぞ」
「すみません……。ただの疲れですから」
「身体が受け付けないのなら仕方ないが、少しでも食べてほしい。飲みやすい野菜スープはどうだ?」
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