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懐妊 3
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「あの夜、私たちは身体を繫いだ。私は結羽の愛を確かに感じた。それなのに君は、自分だけの問題であり、ひとりで解決すると言う。あの行為はふたりで行ったものではないのか。私は、いい加減な気持ちで結羽に……」
「お願いです! もうやめてください!」
悲鳴のような声でレオニートの言葉を遮る。もし今の話がアナスタシヤの耳に入り、ルスラーン国王の知るところとなれば、婚姻は破綻してしまうかもしれない。そうなればレオニートが臣民の信頼を失ってしまう結果になる。
最悪の場合、退位を迫られるなどということになったら、結羽はこの手でレオニートのすべてを奪ってしまうことになるのだ。
そんなことはさせられない。レオニートは皇帝としてしか人々に望まれないことに孤独を抱えながら、自分を殺して平和な皇国を築き上げてきたのだ。その努力を、結羽が踏みにじるなんてことが、決してあってはならない。
「なにも、ありませんでした」
決然として告げた結羽の言葉に、レオニートは瞠目する。
恐れていたはずの言葉で、結羽は自らの心をねじ伏せた。
愛する人を守るためには、自分の戸惑いや悩みなんて、ちっぽけなものなのだ。レオニートのためならば、なにも恐れることなどないのだと軋む心に言い聞かせる。
「別荘に泊まった夜には、なにもなかったのです。レオニートは思い違いをしているんです。怪我をしてうなされているあなたを、僕は夜を徹して介抱しました。ですから、夢を見たのでしょう」
そうだ。一時の夢なのだ。
固く唇を引き結び、そう結論づけた結羽をレオニートはとても長い時間、凝視していた。
彼の唇は屈辱に耐えるかのように、戦慄いている。
結羽はあの夜のできごとを、すべて否定した。身体を繫いだことも、ふたりの愛情も、なにもかも。
そのことを自覚させられる時間はまるで地獄のような苦痛だった。
やがてレオニートは押し殺した声を絞り出す。
「……そうか。そういうことなのか。だが、君がそういった考えに至るのもやはり私の責任だ。待たせているのは私なのだから」
「……僕に気を遣っていただく必要などありません。どうか、もう出て行ってください」
顔を背けて、退出を促す。これ以上話していたら、子のことにレオニートが勘付いてしまいそうで、そうするとまた新たな火種になってしまう。
先々代の皇帝は側近の男性を数多く孕ませたと医師は語っていた。レオニートの祖父なのだから、彼も当然そういった事実を知っているはずだ。彼に気づかれてはならない。
顔を見ようともしない結羽に溜息をひとつ落としたレオニートは席を立った。
カチャリと食器の音が響く。
「食事だけは摂ってほしい」
扉が閉まる音を耳にして、ようやく結羽は振り向いた。サイドテーブルには呼び鈴の隣に、食べかけの野菜スープの器が乗せられていた。
「……これでいいんだ」
小さな呟きは、しんとした室内に掻き消える。
器を手にして、残りのスープをいただく。甘みのあるスープは涙の味がした。
つわりも収まり、結羽の体調は回復の兆しを見せた。ただ心は沈痛なままではあるが。
今後のことを考えると気が重い。
子は堕ろしたくはない。けれど、このまま城で産めるはずもない。
レオニートにも城の誰にも知られずに産むとなれば、城を出て行くしかなかった。
かといって、アスカロノヴァ皇国には他に知り合いもいないので頼れる人がいない。
やはり、誰かに事実を打ち明けるべきだろうか。たとえばセルゲイはどうだろう。彼は村から通っているというから、彼の家に居候させてはもらえないだろうか。
結羽はかぶりを振った。
だめだ。セルゲイに迷惑はかけられない。彼にとっても重大な負担だろう。もし発覚すれば、セルゲイにまで罪を負わせてしまうことになりかねない。やはり自分の力だけで解決するべきだ。
そうすると、子を堕ろすということも、視野に入れなければならないのだろうか。
もっとも、無事に経過するかは分からないのだ。人間である結羽の身には、神獣の生命は荷が重いらしい。考えあぐねているうちに、体調が急変するおそれもある。
答えはでない。
結羽は城の周辺を散策しながら、ぼんやりと凍った池を眺めた。針葉樹に囲まれた池は湖ほど広くはなく、こぢんまりとしている。
この池は、異世界に繫がっているという。
ユリアンと結羽が通ってきた場所だが、記憶はなかった。
星がもっとも輝く夜に神獣の血を引く者が覗けば異世界へ行けるというが、今は昼間なので氷にはなにも変化が見られなかった。
ここから、元の世界に帰れる……?
けれど、自分ひとりの身ではないのだ。お腹の子は、神獣である白熊の血を引いている。ユリアンのように幼い頃は耳があって獣型に変化したら、人間だけの世界で生活するのは難しいだろう。
「お願いです! もうやめてください!」
悲鳴のような声でレオニートの言葉を遮る。もし今の話がアナスタシヤの耳に入り、ルスラーン国王の知るところとなれば、婚姻は破綻してしまうかもしれない。そうなればレオニートが臣民の信頼を失ってしまう結果になる。
最悪の場合、退位を迫られるなどということになったら、結羽はこの手でレオニートのすべてを奪ってしまうことになるのだ。
そんなことはさせられない。レオニートは皇帝としてしか人々に望まれないことに孤独を抱えながら、自分を殺して平和な皇国を築き上げてきたのだ。その努力を、結羽が踏みにじるなんてことが、決してあってはならない。
「なにも、ありませんでした」
決然として告げた結羽の言葉に、レオニートは瞠目する。
恐れていたはずの言葉で、結羽は自らの心をねじ伏せた。
愛する人を守るためには、自分の戸惑いや悩みなんて、ちっぽけなものなのだ。レオニートのためならば、なにも恐れることなどないのだと軋む心に言い聞かせる。
「別荘に泊まった夜には、なにもなかったのです。レオニートは思い違いをしているんです。怪我をしてうなされているあなたを、僕は夜を徹して介抱しました。ですから、夢を見たのでしょう」
そうだ。一時の夢なのだ。
固く唇を引き結び、そう結論づけた結羽をレオニートはとても長い時間、凝視していた。
彼の唇は屈辱に耐えるかのように、戦慄いている。
結羽はあの夜のできごとを、すべて否定した。身体を繫いだことも、ふたりの愛情も、なにもかも。
そのことを自覚させられる時間はまるで地獄のような苦痛だった。
やがてレオニートは押し殺した声を絞り出す。
「……そうか。そういうことなのか。だが、君がそういった考えに至るのもやはり私の責任だ。待たせているのは私なのだから」
「……僕に気を遣っていただく必要などありません。どうか、もう出て行ってください」
顔を背けて、退出を促す。これ以上話していたら、子のことにレオニートが勘付いてしまいそうで、そうするとまた新たな火種になってしまう。
先々代の皇帝は側近の男性を数多く孕ませたと医師は語っていた。レオニートの祖父なのだから、彼も当然そういった事実を知っているはずだ。彼に気づかれてはならない。
顔を見ようともしない結羽に溜息をひとつ落としたレオニートは席を立った。
カチャリと食器の音が響く。
「食事だけは摂ってほしい」
扉が閉まる音を耳にして、ようやく結羽は振り向いた。サイドテーブルには呼び鈴の隣に、食べかけの野菜スープの器が乗せられていた。
「……これでいいんだ」
小さな呟きは、しんとした室内に掻き消える。
器を手にして、残りのスープをいただく。甘みのあるスープは涙の味がした。
つわりも収まり、結羽の体調は回復の兆しを見せた。ただ心は沈痛なままではあるが。
今後のことを考えると気が重い。
子は堕ろしたくはない。けれど、このまま城で産めるはずもない。
レオニートにも城の誰にも知られずに産むとなれば、城を出て行くしかなかった。
かといって、アスカロノヴァ皇国には他に知り合いもいないので頼れる人がいない。
やはり、誰かに事実を打ち明けるべきだろうか。たとえばセルゲイはどうだろう。彼は村から通っているというから、彼の家に居候させてはもらえないだろうか。
結羽はかぶりを振った。
だめだ。セルゲイに迷惑はかけられない。彼にとっても重大な負担だろう。もし発覚すれば、セルゲイにまで罪を負わせてしまうことになりかねない。やはり自分の力だけで解決するべきだ。
そうすると、子を堕ろすということも、視野に入れなければならないのだろうか。
もっとも、無事に経過するかは分からないのだ。人間である結羽の身には、神獣の生命は荷が重いらしい。考えあぐねているうちに、体調が急変するおそれもある。
答えはでない。
結羽は城の周辺を散策しながら、ぼんやりと凍った池を眺めた。針葉樹に囲まれた池は湖ほど広くはなく、こぢんまりとしている。
この池は、異世界に繫がっているという。
ユリアンと結羽が通ってきた場所だが、記憶はなかった。
星がもっとも輝く夜に神獣の血を引く者が覗けば異世界へ行けるというが、今は昼間なので氷にはなにも変化が見られなかった。
ここから、元の世界に帰れる……?
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