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未知の瘴気
139. 何やら香ばしいにおいが漂ってきましてよ
しおりを挟むここへ来る時に遭遇した獣の群れは、河とは正反対の場所を縄張りにしているようだった。
「神殿からもそう近い距離じゃない。仮に俺達が河の調査に向かったとしても、襲われる心配は低いだろう」
アロイスはそう結論付けた。
それからもちろん、例の河もミュリエルは発見していた。
私達が何時間もかけて進む道のりを彼女はひとっ飛びなので、おおよその距離を掴むのが難しい。
けれどアロイスが何度か問いを重ねた結果、この地図の位置でほぼ間違いがないだろうとのことだった。
「トマス神官。すまんが村の者で、河の話を訊けそうな者は起きているだろうか」
「すぐに確認して参ります」
「寝ているなら無理に起こさんでいいぞ」
みんなぐったりと休んでいるところを目にしているだけに、アロイスは少し頼みにくそうだった。
トマス神官は「もちろんです」と言い、作業部屋を出て行く。
彼の背が見えなくなると、私達は地図を眺めてああでもないこうでもないと話し始めた。
「わたくしの推測ですけれど。アロイス様が昔ご覧になったという地図の頃から途中で流れが変わり、それによって霧に包まれる範囲もこちらに移動したのですわね」
「そして少し前から、河近くのどこかで瘴気が湧いた……仮に規模がそこまででなかったとしても、霧のせいで広く拡散してしまった、というところだろうな」
アロイスは地図の手帳の中に、彼の記憶にある河を描き加えた。――かなり位置がずれている。
それを目にして、どこか言いにくそうに口を挟んだのは護衛騎士だ。
「恐れながら。この大きさの河が、これほど大幅に場所を変えるということがあるのでしょうか?」
地下まで一緒に行ってくれたこの護衛騎士は、年齢がアロイスとさほど変わらないぐらいだ。
つまり二十代前半ぐらい。この若さだったら、知らなくても無理はなかった。
「ありますのよ」
「あるぜ」
意図せずハモってしまい、アロイスが「悪い」と私を見ながら肩をすくめた。
「いいえ。アロイス様もですけれど、ほかの皆様はご存じですかしら?」
「あたしらは知ってるよ」
「旅暮らしが長いと、目の前で流れを変える瞬間に出くわしたこともありますからなぁ」
「まぁ! 皆様、ご無事でしたの!?」
「幸いにね。あん時ゃ生きた心地がしなかったさ」
それはそうだろう。だって、まさにこれから村の人に訊こうとしている出来事を、彼らも体験済みということなのだから。
想像したらゾッとする。この人達が無事で本当によかった。
少しするとトマス神官が一人の村人を伴って戻ってきた。
だいたい五十代ぐらいの男性で、ほとんど色も飾りもない薄汚れた服を着ている。
いきなりそのおじさんが私の前に膝を突いて拝み始めたので、「お願いやめて!」を婉曲な言い回しで三回ぐらい繰り返し、ようやく立ってもらえた。
「あっしみてぇなのが聖女様の御前で……」
「いいえそのようなことはございませんわ! それよりも、あなたが住んでいらしたという村近くの河について伺ってもよろしいかしら?」
「はあ……あの河ですかい?」
皇国語の中でも、この人の言葉は訛りがきつい。
私が修めた各国の言語は、当然ながらすべてお上品な公用語だった。
日頃から隊商の皆の会話に慣れていなければ、この人の話す単語ひとつ拾うのも私には難しかったかもしれない。
「氾濫……ええ、覚えとりますよ。もともとあの河、もっと遠くにあったんでさ。けんどある日、すげえ雨が連日降って、あっしらの村の近くまで水が溢れてきましてね。幸いにもそこで止まったんですが、水流で地面が削れちまって、完全に河の場所が変わっちまった」
護衛騎士が驚いている。
そう。この世界は河川の工事の行き届いていない土地が多いから、そういうことがたびたび起こるはずなのだ。
――ですけれどこれ、前世の知識ですわね。アロイス様に尋ねられたら、神殿でそのようなお話を耳にしたと誤魔化しましょう。
アロイスは両腕を組み、渋面を作っている。
「おっさん。あんたその話、どこかに報告しなかったのか? 役人には話したのか?」
「そりゃ、話しましたぜ? 河近くの畑がぜんぶ呑まれっちまったんだ。あっしの村は無事だったもんの、知り合いんとこの村は流されちまって」
「畑も、村の一部もか……? 聞いてねえぞ」
アロイスがますます渋い顔をした。
それはそうだろう。畑が壊滅状態になったのなら、収穫量が下がるから絶対に原因と併せて報告を上げるはずだ。
その役人とやら、胡散臭いにおいがする。
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