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そして始まりへ
139. やり直しの終わり
しおりを挟むこの章が思ったより長くなってしまい、途中まで話数が読めなくなっていたのですが……ラスト3話となりました。
本日2話更新、最後は明日のエピローグです。
お付き合いいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。m(_ _m)
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キンと刺す空気の中、真新しい絨毯にさくさくと跡を残して歩く。
夜半に軽く降り、雪雲はすぐに去った。澄んだ夜空、低い位置に浮かぶ月は限りなく円に近く、星灯りを消す代わりに足元の路を青く照らしている。
並ぶ足音は二人分。俺と、俺よりずっと背の高いもう一人。
小声の会話なら聞こえない程度のずっと後ろには、護衛騎士が数名付いてきてくれている。
懐かしい思い出にふと足を止めた。シルヴィアが生まれて間もない頃、ジルベルトが落ちた池だ。
広大な庭に造られた人工池は、季節になればボート遊びや水遊びを楽しめるようになっていたが、俺はただの一度もそこで遊んだことがない。
危険だとわかっていながら、無粋で景観を損ねるとして柵が設けられていなかったその人工池を、俺は去年埋め立てて畑に変えた。秋にはカボチャがゴロゴロ収穫できてうまかったぞ。カボチャシチューにカボチャのパイ、カボチャのクッキーは人気の定番料理だ。
あれからさまざまなことがあった。
八月、ある元貴族の男が牢獄内で息絶えていた。遺体は囚人用の共同墓地に葬られたらしい。その男が爵位を失い、俺の肩書から『代理』の文字が外された数日後のことだった。
九月、我が領で初の乗馬レースが開催された。毎年春祭りや秋の収穫祭が催されていたが、毎回変わり映えがなくマンネリ化していたのに加え、一昨年からすべての祭りを中断しており、そろそろ再開してもいいんじゃない、どうせならこういうお祭りはないの? なんてポロっと口走ったらあれよという間に実現の運びとなった。
速さだけを競うのではなく、テクニックや馬とのコミュニケーション能力などを競う簡単な障害物競争にして、第一回ロッソ杯とか面白半分で銘打ったら、領の内外から結構な参加者が続々と集まってちょっとどうしようかと思った。
ほのぼのアットホームなお祭りにするはずだったのに……。
「犯人は閣下ですよ。あなた有名人なんですから」
馬とロッソの家紋を組み合わせた優勝者のためのバッジを、俺がデザインしたと広まってそんなことになったそうだ。そりゃ俺が描きましたけど!? 描くだけならタダと思ったんだもん!
ちなみに栄光の優勝を手にしたのは紅一点のミラだ。女性が勝ってしまうと普通は男の嫉妬が飛び交うものだが、そこは俺の専属メイド、逆に大歓声を浴びて第一回目のお祭り騒ぎに相応しい主役になった。いやぁカッコよかったわー。ニコラは……うん、この面は惚れ直したな。よかったよかった。
十月、そんなミラに子供ができたと判明。パパのニコラは真っ白になったり真っ赤になったり、奥さんより大慌てで大変だった。
とりあえず彼女には産休を取らせようかとも思ったんだが、本人が仕事をしていないと落ち着かないと強く希望するので、使用人相手のマナーの教師を頼んだ。
それとほぼ同じ頃にエルメリンダがジェレミアと結婚した。婚約をすっ飛ばしての結婚である。
ジェレミアはアルジェント家の長子だが、家督は弟のフィン=アルジェント殿が継ぐ。ならば彼は平民になるのかと思いきや、叙爵されて男爵になった。姓はチェレステ。生活はこれまでと変わらず、今も二人は俺の専属メイドと護衛騎士隊長をやってくれている。
ルドヴィクからは四月後半に結婚をすると招待状が届いた。従者トリオもそれぞれ春の気配が漂い始めたようで、次に会った時は詳しい話を聞かせてくれるそうだ。ほうほう。
料理長とメイド長のロマンスは、エルメリンダ情報によれば焦れ焦れな感じで進んではいるらしい。ほうほうほう。
十一月、ジルベルトがとうとうルドヴィカにプロポーズしちゃったのとイレーネから速報が届いた。な、なんだってー!?
ヴィオレット公爵が血涙を流し、ジルベルトくんが卒業するまで結婚は許さないんだからね! と婚約が成立。これ以上長引かせたら令嬢の婚期的にルドヴィカが困るだろうによ、困った父ちゃんだ。でもまあ学生の間に結婚は早いと俺も思うが。
その後、ラウルがアランツォーネの嫡子としてシルヴィアに婚約の申し込みをしてきた。な、な、なんだってー!?
血涙を流す俺。シルヴィアが学園卒業するまで結婚は許さないんだからね! とシルヴィア本人の意思も確認した上で許可。婚約が成立……。
十二月、娘―――じゃなかった妹の刺した刺繍を眺めてはボンヤリしている俺を見かねたのか、アレッシオがダンスに誘ってきた。
「学園創立祭の最終日に、約束をしたでしょう?」
この国の貴族のダンスは、相手がダンスの先生でもない限り、婚約者あるいは夫婦でなければ踊ってはいけない。俺は意外とダンスの筋が良かったけれど、勉強に全振りしたからもうステップはうろ覚えだ。
―――私もステップを忘れていそうです。でもいつか踊りましょうね。
―――……足を踏むぞ、間違いなく。
―――いいですよ。どうせその時は二人きりなんですから。
そんな約束もしたな。いいよ、やろうか。
観客もいなければ音楽家もいない広い俺の部屋で、二人きりで踊った。
自信なさげなことを言っておきながら、アレッシオはやはりきっちり憶えていた。彼に女性パートを教えてもらい、俺の筋の良さが誇張ではなく事実だと証明され、すぐにカンを取り戻してからはちゃんとした男性パートも教わった。
気楽なお遊びだし、ステップはどちらも基礎中の基礎しか使わなかったけれど、アレッシオが女性パートで俺が男性パートを踊った時は二人して笑ってしまった。
楽しくて、そのあとは何度か男女パートを入れ替えて。俺ら、男二人で何やってんだろうなって笑い合った。
楽しかった。
■ ■ ■
互いに冬の装いに身を包んではいても、呼吸のたびに通り抜ける冷気は如何ともしがたい。
けれど俺が何も訊かずに付いてきて欲しいと頼んでから、彼は本当に何ひとつ問わず、俺の傍を歩いてくれている。
今は眠っている薔薇の庭。そこにはベンチが置かれていた。冬の間は庭の飾りのひとつでしかないそれに歩み寄り、表面にうっすら積もる雪を払った。
外套のポケットから厚手の布を取り出し、ベンチの上に敷く。二人分だ。
俺が片方の敷布に腰を下ろすと、俺の持ち物へ腰を落とすことに若干遠慮を見せつつ、アレッシオも同様に隣へ座った。ベンチは木製、気休めでも敷物があるからか、腰に伝わる冷気は恐れたほどではない。
おもむろに片手の手袋を外した。アレッシオが怪訝そうな顔をするのに、彼の片手を目線で示せば、すぐに意図を察してくれた。そして自分も手袋を外し、俺の手を握ってくれる。
繋いだ手は、アレッシオの外套のポケットに突っ込まれた。貴族の衣類のポケットはスマートに何かを入れておくためのものであって、手を温める目的はない。けれどとても温かかった。
夜空には、低い位置に月。俺はその時をひたすら待った。
月はやがて地平に隠れ、紺色の闇が薄れゆく。ひそやかに黎明が侵食し、やがて吐息の色に金色が混じって、青く沈んでいた庭に輝きが溢れて満ちた。
太陽の光。
夜明けだ。
熱く頬を伝うそれを止める気も、隣で動揺する男に隠す気も起こらず、ただ天を見上げた。
十二月五日。十九歳の朝。
『やり直し』の満了日はとうに過ぎ、俺の胸は今も鼓動を刻んでいる。
十九歳にならずして終えた、あの頃の俺には欠片も想像できなかった未来が、俺を取り巻く全てとなって今ここにあった。
「アレッシオ」
「っ……はい」
「私の、個人的な区切りに、付き合わせてすまない。冷えてしまったから、一度部屋に戻ろう。湯で温まって、それから……話をしたい。多少、長い話になるが……」
もう気にする必要はないかもしれないけれど、一応子猫の正体は明かさず、ただ『謎の悪魔』とした。
それから、乙女ゲームだの物語だのといった要素も省き、『俺』のことは『ここよりも多少進んだ別の世界の誰かの記憶』とだけ説明する。
俺がもしアレッシオの立場だったら、ここはゲームがもとになっている世界でおまえは物語のキャラクターで、今までずっとシナリオに沿って生きてたんだぞ、なんて言われたらいい気分はしない。
俺はただ、かつての俺自身、オルフェオ=ロッソという名の人物を、そのまま語るだけでいい。
俺がどう生きて、終わりを迎えたか。
そして不思議な悪魔との契約。悪魔にとっても計算外の事態。まるで異なる未来……。
アレッシオは辛抱強く聞いてくれた。昔の俺が彼の父親にしたことも含めて、すべてを語り終えるまで、ずっと肩を抱いてくれていた。
「私はズルのかたまりだ。しかもおまえの父のことを知られたら、幻滅されてしまうのではと怖くてな。もしこれでおまえに嫌われたら、契約など無関係で心臓が止まるかも……」
「それは有り得ませんから、止めないでください。だいたい知識なんていくらあっても、活用できなければ宝の持ち腐れで終わるだけです。あなたは『宝』に見合うか、それ以上の努力をしてきたでしょう。それこそ食事を抜くわ睡眠時間を削るわ休めと言っても仕事を求めて徘徊するわ……」
「うっ。す、すまん」
「それから、父の件ですが。あなたは自分が父を追い詰めたと言いましたけれど、順番が逆です」
「逆?」
「父が、先にあなたを追い詰めた」
息を呑んだ。
「誰もあなたの窮状に気付いてあげなかった。俺もそうです。多分その時の俺は、頭に血がのぼって、誰でもいいから憎みたい気分だったのでしょう。知りもしないあなたを悪と決めつけて。自分に腹が立ちますね……」
いや、その時のおまえはもういないんだけれど。かなり本気で悔しそうに怒ってくれている。
そんな風に言ってもらえると思わなくて、くすぐったくて胸がぎゅっとなった。
「もしも代償の書き換えがなければ、あなたは……今頃は……」
「うん。おそらく先月頃には、もういなかった。この年の誕生日をちゃんと迎えられるということが、私にとって最大の証明だったんだ。日付が変わった時点で確定だったのだろうが、あの頃の私は朝も夜も区別がつかなかったから、何となくな」
「……あなたが、無事で、よかった」
強く掻き抱かれた。自分がここにいることを、こんなにも喜んでくれる人がいる。
瞼を閉じると、収まっていたはずの涙が、また伝った。
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