僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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世界の異変

4. 遭遇

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 鳥のさえずりが遠くから聴こえる。風が吹き、葉擦れの音が怖いぐらいにハッキリと聴き分けられる。
 嗅覚だけでなく、聴覚も異常だった。
 鼓動が速い。僕は動揺している。これは高揚感と恐怖、どちらだろうか。
 加速した世界の中で、外部との通信はできない。次に高村と話せるのは一時間、いや、十時間後だ。

「時間表示が出ない。ステータスウィンドウもない。聞いた通りか」

 どこかで住民を捕まえて時間を尋ねるか、太陽の角度で判断するしかないわけだ。
 ぐるりと見回せば、そこは緑豊かな草原だった。向こうには森も見える。
 けれどかすかに、土や植物とは異なるにおいも紛れていた。
 どうしてかわかる。――獣人のにおいだ。
 しかも、なんとなく種族の区別もついた。
 危険な感じはしない。おそらくは普通の住民で、近くに街道があるのだ。

「はは……なんだこれ」

 乾いた笑い声が漏れ、頭を横に振ったら、その拍子にヒョコリと揺れたものがあった。
 ……耳だ。顔の脇に耳がなく、頭に生えているのに、違和感がない。
 僕の気分を反映してか、今はヘニョリと垂れ下がっている。本物の兎も、気分が塞いだ時にこうなるんだろうか。イメージ優先で創り上げられた獣人だから、オリジナルの生物とは違うだろうけど。
 複雑な気分でもふもふと耳を触りつつ、まずはアイテムやお金を収納するシステム、インベントリがどうなっているのかを確認してみる。

「おお、こうなるのか。変な感じだな」

 これは現在、まんま『収納魔法』という空間魔法の一種と認識されているらしい。
 レベルに応じて容量が増える仕組みだったが、今は使用キャラの身体の二~三十倍ほどに上限が固定されていると聞いた。
 試しに手を突っ込んでみれば、肘から先が不自然に消えた。けれどちゃんと感覚はあり、収納空間がどうなっているのかもわかった。
 物を入れたら何がいくつあるのか把握でき、取り出したい物もすぐに触れることができる。
 プレイヤー以外で使える者は滅多におらず、いたとしても容量が小さいそうなので、この世界の住民には重宝がられるそうだ。

 大きく変化した部分はほかにもある。
 お金だ。
 単位はゴルト。
 今まで数字でしかなかったお金に、ちゃんとした貨幣が存在する。
 もともとこの世界の通貨としてデザインされていたものの、プレイヤーは手にしたことがなかった。

「軍資金ゼロ。どうやって稼ぐかな」

 レベルや能力値はいじれたけれど、所持金はいじれなかった。
 これが普通のゲームなら、雑魚モンスターでも狩って素材を売ればいい。けれど、それで失敗したテストプレイヤーもいるらしいのが気になる。
 僕は自分の服装を見た。斥候せっこう盗賊シーフ、狩人みたいな身軽さ重視の服を着ている。
 足には革のブーツ。背中には腰ぐらいまでのマント。腰ベルトには初心者の短剣。
 上から下まで、いかにもな駆け出し冒険者の格好だ。

「ひとまず目的地に行ってから考えよう。道すがら薬草採取ができるかもしれないし、何をするにもまずギルドに登録をしないと」

 ここはアイスヴァルト王国、南の草原。近くにはネーベルハイム市があり、ゴーストはどうやらそのあたりにいる、というところまでは割り出せているらしい。
 王国にはそれぞれ特色のある市が複数存在し、プレイヤーは最初に気に入った市を選択して、そこから開始できるようになっていた。僕はずっとここ以外の場所でプレイしていたものだから、ネーベルハイム市のことだけはあまり詳しくない。
 どの市にも冒険者ギルドがあり、そこで登録をすれば依頼を受けて採集やモンスターの討伐を行い、報酬をもらえるようになる。それだけでなく、ギルド内にある各種設備も利用できるようになるのだ。戦闘が苦手なら採集やアイテム作成メインの生産職も選べるけれど、腰を据えてまったり遊ぶために来たわけではないので、討伐専門のハンターを選ぶしかない。
 すん、と鼻を鳴らし、獣人のにおいのする方向に歩き始めた。

「ん? ……身体が軽い?」

 あまりに軽く感じて、その場でジャンプしてみた。
 なんだこの跳躍力。足がバネみたいだ。
 走ってみた。なんだこの速さ。人型だから本来の動物より遅くはなっていそうだけれど、それでも速い。
 なんといったか、とにかく速度の出る自転車。あのぐらいは出ているのではないだろうか?
 五感がリアルになった分、受ける風の感触までハッキリとしていて、ほかのゲームよりずっと速く『走っている』実感がある。

「おっと、しまった……!」

 ずざざ、とブレーキをかけ、息を吐いた。
 ――異変発生後から、ただ走るだけでも体力が削れるようになったという。
 兎族はスピードや瞬発力に秀でているけれど、持久力はない。
 体力値も上げているとはいえ、回復手段が手元にないうちは、とにかく慎重に行動しなければ。
 においを頼りに再び歩き始め、やがて街道を発見した。まちまちの大きさの石材を、適当に並べただけの道だ。
 マップ機能は使えなくとも、この近辺のマップは頭に入っている。この道があるということは、ネーベルハイム市はそう遠くない。

「何もないな。売り物になる薬草なんて、そう都合よく見つからないか」

 人里近くほど、そんなものはない。お金になるものが生えていれば、皆がんでいくに決まっている。
 手ぶらのまま道なりに歩いて行った。
 ところが数分もしないうちに、だんだん呼吸が荒くなってきた。
 心なしか身体も重くなってきた気がする。
 ――変だ。おかしい。

「もしかして……消耗している?」

 どうして? 歩いているだけじゃないか。状態異常になるようなことだってしていないぞ。
 気のせいかと思っていたけれど、だんだん足を進めるのがつらくなってきた。やはり何かの状態異常にかかっている。
 いったいどのタイミングで、何にかかった?
 この場で座り込みたい誘惑に駆られ、足を止めて深呼吸をした直後、風向きが変わって後方の妙なにおいと音を捉えた。

「……?」

 背後を振り返れば、ずっと遠くに土煙が見えた。
 獣人のにおいではない。何か異質なものだ。そのにおいは複数の音と一緒に、かなりの速さでこちらへ接近している。
 嗅ぐたびにビリビリとして、もし僕に毛皮があれば逆さに撫でられたような、とてつもない不快感を覚えた。
 うめき声、怒号、荒い呼吸、土と草を蹴る音……
 誰かが走っている。
 何かが追っている。
 それはとうとう、視認できるほどの距離まで来た。


 グォアアオオォ……


 獣の咆哮。――いや。
 魔物、だ。
 マッドボア。イノシシ型のモンスター。ゲームに慣れてきて、少しレベルの上がったプレイヤーが、ワンランク上の獲物にチャレンジする時に狙う相手。
 巨体を揺らしながら大地を震わせ、恐ろしい速度で突進してくる。
 レベル九十九もあれば、瞬殺。ただの雑魚だ。
 『レン』の敵ではない。
 なのに――なんで僕は、硬直しているんだ?
 怖い? まさか。どうして?
 もっと低いレベルの時にさえ、何十体も倒したじゃないか。

「何をしてる、走れ!!」
「ボサっとすんな!!」
「っ!?」

 誰かの声に耳を打たれ、僕は横へ飛んだ。
 僕のいなくなった場所にズドンと土煙が上がり、巨大猪の鼻面が地面に突っ込んでいた。
 いつの間にか標的が『レン』に移っていたんだ。
 着地した瞬間、立っていられずにがくりと膝が崩れた。……足が震えている。

「おいっ、何やってんだ坊や!?」
「また行くよっ、走りなって!!」

 また誰かの声が聞こえる。
 でもダメだ、立ち上がれない。
 だって、なんだよあれ。マッドボアにあんな攻撃あったか?
 それに、このにおい。生々しい、このにおいは、何の――。

「うっ、……ぐ……」

 腹を抱えてえずきそうになった。でも何も出ない。もともとこの腹には何も入っていないからだ。
 涙が滲んだ。涙なんてこのゲームにあったか?
 待ってくれ、何がどうなっている。
 伏せていた顔を上げると、マッドボアが真っすぐにこちらへ狙いを定めて、前足を地面に何度もこすりつけているところだった。
 その背後に、誰かが立っている。
 僕はその人、いや、獣人に目をやった。
 光の加減で黒から青に輝く毛並みの、狼族の男だ。彼もこちらを見て、視線が合った。
 青い。この空のように深く。

「……!」

 その男は目を見開き、何かに気付いた様子で、「チッ」と舌打ちするのが聞こえた。僕がぐずぐずしているのに苛立ったんだろうか。
 猪の化け物がまた咆哮を上げた。びりびり揺れる大気に圧されて、頭がぐらりとかしいでしまった。
 あ、これ、られる?


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