僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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世界の異変

12. 兎を気遣う狼の部屋

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 緑色の薬は、草食種のための回復薬だった。僕が飲まなければ捨てるしかない。
 しかも、また僕の熱が上がってきていた。時間加速のダイブに、がまだ順応できていないということか。
 仕方なく薬を飲ませてもらい、ブーツを脱いで服を着たままベッドに上がった。
 窓辺にぴたりとくっついたベッドで仰向けになると、夜に染まりつつある空が見える。少し質の悪いガラス越しの外は、それでも色鮮やかで綺麗に見えた。
 最低限の家具しかない部屋。あまり荷物らしきものは見当たらない……。

「デューラーは収納魔法が使えるのか?」
「ん? 使えないぞ」
「それにしては、何もないが」
「俺は余分なものを極力持たないようにしている。全部金に換えて預けたほうが面倒がない」

 銀行のシステムか。『巡る世界の創生記』では、戦闘中に死んだら所持金が半減してしまうので、ギルドの銀行に預けることが多かった。
 生き返る魔法もアイテムも消滅してしまったのだから、半減どころではないというのはさておき、現実として考えれば大金を持ち歩くリスクは高い。
 デューラーは僕に毛皮をかけてくれて、部屋の中ほどにある椅子の背もたれを引いて座った。
 粗末なテーブルに、気だるい感じに頬杖を突く。そうしながら、じっと僕を見ていた。
 なんだか、落ち着かない。

「レンは使えるのか? 収納魔法」
「ああ、使えるぞ」
「すごいな。別の土地には居ると聞いたことがあるが、使える奴に初めて会った。どのぐらい入るんだ?」
「俺の場合は、あの猪一匹分なら、ぎりぎり。ほかの奴は知らない」
「そんなにか! 魔物討伐がはかどりそうだ。ここにも解体所があるんだが、運び切れんし鮮度が落ちるからな」

 聞けば、解体はデューラーよりもロルフやイヴォニーのほうが上手いらしい。もし解体要員がおらず、倒したのが貴重な魔物だった場合は、仲間の誰かが応援を呼びに行くこともあるそうだ。
 応援の獣人と荷車がやって来て、ギルドにようやく運び込んだ頃には鮮度が落ちている。皮や骨、牙といった素材はともかく、肉は劣化を防ぐ魔法や魔道具でもなければ、廃棄せざるを得ないことが多々あるとのこと。

「魔物の種類やその日の気候にもよるがな。俺は魔法でそこそこ劣化を防げるから、あまり獲物が無駄にならなくて重宝されている。森で倒した一匹は、さすがに運び出しようがなかったからそのままにしているが」
「デューラーのほうがすごいじゃないか」
「おまえのほうがすごいだろう」

 デューラーはにこりと笑った。あの二人がいる時はクールなのに、思いのほか無邪気な笑顔を向けられてドキリとする。
 椅子の背もたれの隙間で、彼の尾は左右に揺れていた。僕との会話に嫌々付き合っているわけではない。
 なんだか気恥ずかしくなり、少し疲れたふりをして目を閉じた。
 その後もずっと彼の視線を感じ、逃げるように寝返りを打つと、デューラーの香りが強く漂った。
 犯人は枕だ。落ち着かないのに、落ち着く香り。
 矛盾したそれに包まれて、じっと瞼を閉じていると、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。

 次に覚醒したのは、おそらく真夜中。
 木窓が閉じられ、灯りひとつないけれど、においと呼吸音でデューラーが部屋の中にいるのはわかる。
 彼は壁に背を預け、床に座って眠っていた。
 もう平気になったと伝え、今からでも寝床を返そうか。そう思ってふと気付いた。
 再発しかけた身体の不調がない。あの薬が効いたのだろうか。そうでなければ、ダイブを続けている間に体調は悪化する一方のはずだ。
 ――ゲーム世界の薬が、にも効いている? まさか。
 しばし悩み、一旦『戻る』ことにした。
 まだ十時間は経っていないだろうけれど、二度寝したら超過してしまいそうだ。

 そうして僕は、現実世界に帰還を果たした。
 頭痛も吐き気もなく、むしろダイブする前より身体の調子がよくなっている気がする。
 困惑しながら高村に連絡を入れた。いつ連絡をしても、だいたいすぐに出てくれるの『だけ』はありがたい。

《――『デューラー』だ。ほかのキャラは痕跡が追える。やったね、大当たりだ。すごいじゃないか、こんなに早く発見できるなんて》

 高村に褒められても、全然嬉しくならなかった。
 今回の出来事をなるべく細かく説明しようとしたが、高村は時おり「そういうのはいいから」とぶった切った。

《個人的な感想はいいから。あったことだけを話してくれる?》

 面倒くさそうな声色だった。
 そうですか、わかりましたよ。
 お求め通り機械的に、事務的に、感情を排して、『赤信号で停まり青になったら進みました。終わり』ぐらいの説明にとどめた。
 まあ僕だって、デューラーがすごくいい匂いだとか、こっちに戻ると自分の部屋のにおいに違和感を覚えるとか、上手に説明できる気はしないよ。

《このまま二度目いけそう?》
「今回はいけそうです」
《じゃ、よろしく》

 高村への報告を含めた一時間のクールタイムを置いて、僕はもう一度ダイブすることになった。
 独特の浮遊感に身を委ね、僕は『レン』としてデューラーの部屋に戻る。
 僕が入らなければ、この世界は停止したまま。だからあれから時間は一秒も――

「っ!?」

 誰かが、僕の真上にいる。
 仰向けになった僕の上。両脇に手を置いて。
 心臓が大きく跳ねた。

「すまん!」

 は僕の上からバッ! と飛びのいた。
 デューラーだ。

「すまん、悪かった! 驚かすつもりはなかった。ただ、おまえがさっき一瞬、消えた気がして」
「――僕が消えた?」

 しまった。つい地の口調が出た。
 けれどデューラーも本気で焦っているのか、気付いた様子はない。

「勘違いだった。寝惚けたか……本当にすまん。悪かった」

 よく見えないけれど、片手で頭をぐしゃりとかき混ぜているようだ。彼のにおいの変化で、本気の焦りと動揺が伝わってくる。
 多分彼も、僕の感じた恐怖と、さっきからどくどく鳴っている心臓の音に気付いているんだろう。だから何度も謝ってくるんだ。

「薬を飲むか? 水のほうがいいか」
「いや……いい」
「もうしない。怯えるな」
「わかってる。寝惚けたんだろう? びっくりしただけだから、そんなに気にするなよ」

 こちらへ戻るなり、いきなり彼が自分にのしかかっていたのは本気で驚いた。
 でもそれよりも、目の前で僕が『消えた』のを認識されていたなんて。
 デューラーだけが特別なのだろうか。ほかの獣人にもわかるとしたら、試すリスクは高いな。
 稼がなければいけない理由がまたひとつ増えた。
 ――早いところ、自分の住む部屋を借りないと。


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