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狼と寄り添う兎
25. 告白
しおりを挟む思った以上に広い部屋には、上等なシーツのベッドのほか、最低限の備え付けの家具がある。最低限としても、その質はギルド内にあった宿とは段違いだ。
あくまでも宿であって、一時的な仮住まいではあるが、とにかく安心して姿を消し、戻って来た時は安全に睡眠を取れる場所がこれで確保できた。
ギルドに行って、トーマンに無事宿が決まったことを報告した。
「別に義務ではないと思ったが、礼を言っておこうかと思ってな」
「いえいえ、ありがたいです! 確かに義務ではありませんけど、緊急時に備えて腕のいいハンターはなるべく所在地を申告しておいて欲しいですからね」
なるほど、トーマンにとってありがたいのならよかった。緊急事態なんて起こって欲しくはないけどな。
その後は疲れが回復しにくくなるのを感じ、依頼は受けずにギルド内の店をチェックし、市内の店を冷やかして回ることに時間を費やした。
トーマンに聞いておいた店で草食向けの夕食を買い、日が暮れる前に宿へ戻る。一旦現実へ帰還してこちらに戻り、持ち帰った夕食を食べて、あとは仮眠を取ろうとしたが、ふと不安が忍び寄った。
「今眠ったら、熟睡して時間内に起きられないんじゃないか……?」
時間加速のダイブは、こちらの世界で十時間が限度。それまでに起きられたらいいが……。
「目覚まし時計みたいなの、どこかに売ってないかな。女将さんに訊いてみよう」
部屋を出て、洗濯物の籠を回収中だった女将を捕まえて尋ねてみたが、時間経過を報せる時計など聞いたことがないという。
「ないのか。参った……」
「珍しい魔道具の専門店なんかにはあるんじゃないかねえ? 一軒だけなら場所を知ってるよ」
「助かる。教えてくれ」
―――行ってみたら、営業時間外だった。
ギルドに行けば別の店の場所を教えてもらえるだろうか。
けれど今日は既に何度も利用しているので、これ以上行ったり来たりするのは少し気まずい。
「……二徹するか。明日の朝になったら店の有無を訊こう。いやその前に、目覚まし道具があるかどうかの確認が先か」
体力回復薬を飲んだ。確実に間違った利用法だが、背に腹は代えられない。
しかし部屋という場所はダメだ。そこにベッドがあればフラフラと吸い寄せられてしまう。
ネーベルハイムの市門に向かい、閉ざされる前に出て、平原を歩き始めた。外を歩いていれば、とりあえずは眠くならない。
その夜も新月だった。足元には大地があり、この時間はもう真っ暗というより真っ黒だ。
けれど天と大地の境界線は明白だった。暗黒の中、ひとつひとつは小さいのに、くっきりと明るい星が一面に瞬いている。
灯りを何ひとつ持って来なかったけれど、なくとも困らない。草と土のある場所は目を瞑っていてもわかる。そよそよと風がそよぎ、まばらに立つ樹々の葉が音を奏で、僕の耳がそのたびにピクリと動いた。
歩いているうちに、小高い丘になっている場所があった。なだらかな上り坂を進んで一番上に立つと、視界がいっそう広くなる。
「う……わぁ~。すごいな」
文字通り満天の星。高い場所から眺めれば、見上げずとも既にここは星々の中だ。
毛皮を取り出し、草の上に敷いて、その上に腰を下ろした。寝転がって草を嗅いだり、また起きて地平に降る星を眺めたり、何も考えずともいくらでも時間を潰せた。
しばらくして、絶景との別れを惜しみながら一旦現実へ帰還し、休憩を挟んでまたここへ戻る。
やはり飽きない。どうしてこんなに惹かれるのだろう。
「――……っ?」
耳がせわしなく動いた。この音は。
「あ……」
鼓動がいきなりうるさくなった。僕は決して夜目が利くわけではないけれど、まずは音、それからにおいで接近がわかる。
風向きが変わって鼻腔に漂ってきたそれは、毛皮に染みついたものではなく、本人のものだ。
この足音、草を踏む音。ひっそりと接近しているけれど、僕にはわかる。
「デューラー……」
「なんでここにいる?」
狼族の瞳が、わずかに青く反射していた。
「……おまえこそ、なんでここに?」
「依頼が早く終わったから、先に帰らせてもらった。ロルフとイヴォニーは遅れる」
「遅れる? 何かあったのか?」
「あそこはイヴォニーの好物が山ほどある。いつものことだ」
「好物――魚か?」
そうだ、とつまらなそうに答える。顔はよく見えないが、どことなく不機嫌そうだ。
なるほど、『湖の迷宮』だもんな。僕の尻尾がピクリと動くたび、ウズウズしていた猫族の少女を思い出した。
もしや毎度、その迷宮へ行くたびに彼女が魚に飛びついて、大変な思いでもさせられているのだろうか?
さっさと先に帰っておかないと、依頼完了の報告がいつまでもできないとか……。
「も、申し訳ない」
「なんでおまえが謝る」
「なんとなく……」
すぐ美味しそうな草や実に飛びついている身としては、魚に目をキラキラさせているであろうイヴォニーが他人と思えないんだよ。
「閉門には間に合いそうにないから、適当な場所で野宿をするつもりだった。そうしたら、レンの匂いがこっちの方角から漂ってきてな」
風がどちらに吹くかなんて、普段は意識しないけれど、多分僕は風上にいた。
だからといって、どれほど遠くから嗅ぎ取ったのだろう。狼族の嗅覚はすさまじい。
「おまえの姿は目立つな。夜でも白く見える」
「そんなにか?」
「ああ。――綺麗だ」
さらりと言われ、首から上が一気に沸騰するのを感じた。
彼の瞳を見ていられなくなって、慌てて地平に視線を戻した。
なのに僕の様子に気付いているのかいないのか、デューラーは断りもなく、すぐ隣にサクリと腰を落としてしまう。途端、濃厚になった香り。
いい香りだ。僕を安心させ、穏やかな気持ちにさせる香り。
それから、どうしようもなく落ち着かなくさせる香り。
星を眺めて気を逸らそうと思ったのに、どうしてもできない。
意を決し、彼のほうに顔を向けた。
「デューラー。おまえは……」
ごきゅり、と声を呑み込んだ。
青い瞳が見おろしていた。こんな素晴らしい世界を前にして、彼はずっと僕だけを見ていた。
表情そのものは、多分変わらない。闇の中、きっと冷静な狼の顔をしている。
けれど僕が彼を見た途端、香りがますます強くなった。酩酊しそうなそれが、間違いなく僕に向けられている。
そうだ。彼はこの香りを、ロルフにもイヴォニーにも、ほかの誰にも向けていない。
勘違いではなかった。これは僕だけが感じている香りだった。ほかの誰でもない、僕のためだけに、彼がずっと発している芳香だったのだ。
最初から彼はずっと、ずっと。
――僕を好きだと、告白していたんだ。
「っ……」
声が出ない。どうしよう。どうしたらいいんだ。
顔が熱い。さっきから胸がしつこくドキドキして、いっこうに治まらない。しかも、ますますデューラーの香りが強まって――ああそうか!
バレているんだ。僕がそうだったように、彼も僕のにおいに気付いている。そういう種族だっていう話だったじゃないか。
だったら僕が、彼の香りにうっとりしていたのもバレていた? 僕が無意識にこの毛皮を、自分の『収納空間』へ放り込んだ行動も、全部。
「レン」
デューラーから、じわりと緊張が伝わって来た。
彼がこれから何を言おうとしているのか、ハッキリとわかってしまった。
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