僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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狼と寄り添う兎

26. 狼による兎攻略

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「俺のつがいになってくれ」

 緊張をみなぎらせ、それでも自分の『言葉』を待ってくれている小柄な白い兎に、デューラーは胸の内を飾ることなく求愛した。


 獣人という生き物は、互いの感情が筒抜けになる前提でコミュニケーションを取っている。
 ゆえにそもそも、自分の気持ちを包み隠そうとすること自体が滅多になく、特に肉食系の大半は直情的な傾向にあった。
 しかしこの狼族は、困った状況に陥ってしまった。
 アピールしている相手が、まったくそれに気付いてくれないのだ。

(嫌悪はされていない。むしろ俺のにおいは気に入ってくれている)

 相手の嗅覚に難があるわけではない。妙に無知で鈍いところがあり、傍にいる狼から向けられている感情を理解していないのだ。
 普通ならつがいが成立するか否かという話になっている頃なのに、一向にそんな展開が訪れる気配はなく、彼は自分の取るべき行動を掴みかねていた。

(どうやって距離を詰めたらいいんだ。変に強引に迫ったら、こいつは逃げちまいそうだ)

 デューラーの勘は正しかった。もし彼がそうしていれば、この白兎は脱兎と化していただろう。
 臆病で、心がとても傷付いている。飢えている。乾いている。
 初めて目が合った瞬間、デューラーは小さくうずくまったその生き物から、どこまでもカラカラに干からびている心を嗅ぎ取ってしまった。

 ――守ってやりたい……。

 その時にはもう、堕ちていた。
 しかし自分にとって好ましい相手が、自分のことをそう感じてくれるとは限らない。だからせっせとアピールし、細やかに世話をする。これは獣人の、とりわけつがいを大切にする狼族などの種族にとっては当然の行動だった。
 だがその兎の世話をしながら、デューラーは焦燥感に苛まれていた。

(なんだって俺はこんな小さくて、弱そうな生き物に惚れちまったんだ)

 伴侶は強いほうが望ましい。簡単には死なないからだ。
 けれどこの兎はとても危うい。小さな胸の中には、常に疑心と警戒心と不安が渦巻いて、それを無理に押し込めようとしている。
 満身創痍で、身を守るために壁を作らざるを得なかった。他の獣人を、そしておそらく自分自身のことも拒絶し、獣人ならば当たり前に知るべきことを知らぬまま大人になってしまった、そんなところではないか。

(幼い頃に親を亡くし、生きるために巣から出るしかなくなったのか――違うな。それだけなら、はならない)

 もしや、巣から追い出したのは親か?

(これは大変な相手だぞ。まず死なないようにしないと)

 何よりもそれが重要だ。亡くしたら永遠に取り返しがつかない。それから、怖がらせて逃げられてしまわないように、徐々に存在に慣れてもらおう。
 臆病で警戒心の強い兎に、デューラーは決して強引にはならず、細かい部分まで気を配りながら接した。
 狼族がそういう種族だと知っている者でさえ、デューラーの健気と言っていいほどの変貌には驚きつつ、邪魔をしないように遠巻きに見守っていた。他の獣人の恋路にちょっかいをかける者は、殺されても同情はされず、身内が文句を言う権利もない。
 求愛を邪魔する奴が悪いのだ。
 誰だって、自分の時にいらぬ邪魔をされたらそいつを叩きのめしてやりたくなる。
 肉食の獣人だけでなく、血の気の多い一部の草食獣人でさえそう思っていた。

 デューラーは少しずつ兎との距離を模索していたのだが、その日の夜、変化が訪れていた。
 早く兎に会いたくて、討伐が終わるなりさっさと戻って来てみれば、何故か市門とは別方向から兎の匂いが漂ってくる。
 それを追って彼を見つけてみれば、今までその意味をまったく理解していなかった兎が、しっかり理解してくれていた。
 そして冒頭のプロポーズに至ったわけだが、この短期間で何があったのか、さすがに気になる。

「……受付のトーマンに聞いた」
「山羊族の男か?」
「ああ。少ない草食同士だからと、声をかけてもらって。その時に、俺がどうも無知だからと、教えてもらった」

 バツの悪そうな声音で、ぼそぼそとレンは答えた。
 納得してデューラーは頷いた。あの山羊族のギルド職員については、そこそこ付き合いが長い分よく知っている。
 トーマンに下心はなく、純粋にこの兎を心配したのだろう。何より、ほとんどの者は同種間でつがうものなのに、デューラーの意中のお相手は他種族ときている。同種よりも困難なのは目に見えており、この兎のためというより、デューラーのために必要な知識を与えてやったのかもしれない。

(訳ありなんて冒険者には珍しくもないが、こいつはとびきりの訳ありっぽい匂いがするしな。こんなに弱そうなのに、総合力は俺並みってところからして普通じゃない。生まれた頃はもっと弱々しい個体で、見放された後に力をつけたか)

 特にレンの魔法はとてつもなかった。威力も何もかも惚れぼれするほどだ。
 ネーベルハイム市の冒険者ギルドでは、これまでデューラーの魔法がトップだったが、今は文句のつけようもなくレンがトップだろう。
 ともかく――

「わかってくれたのなら、何度でも言うぞ。つがいになってくれ」

 明確な答えをもらえなかったのは、無知ゆえだった。
 そこが解消されたのならば、きっと返事をもらえるだろう……などと、甘いことをデューラーは思わなかった。

(こいつは俺が大人しく答えを待ってやっていたら、絶対に逃げる……!)

 黙って姿を消すかもしれない。以前、寝惚けてレンが消えたように思ってしまったのは、自分の中にそんな懸念があったせいだ。デューラーはそう確信しており、あながちそれは的外れでもなかった。
 ずずいと身を乗り出し、さあ、と答えを迫る。
 ここで白黒ハッキリと決着をつけておくのが大事だ。この相手を逃がさないためには、相手に覚悟を決めさせることが肝要だとデューラーは直感している。
 長い耳をペソリと垂らし、ぷるぷる震えている兎は実に可愛らしく、飛び掛かりたいのを我慢するのが大変だったが。

「ぼ、……お、俺は、……なんで、俺なんかを?」

 ――そこからか。同族相手ならばいちいち説明など要らないことでも、相手が他種族となると本当に勝手が違う。
 いや、こいつが特別に何も知らないだけか。

「なんでと問われてもな。おまえとつがいたいから、としか言えんが」
「……!!」

 美味しそうに甘く香り立つ兎。どうやらこの、やたら難易度の高い兎を攻略するためには、その都度言葉で伝えるのが一番いいようだとデューラーは学んだ。

(そういえばさっき、喋り方が変わりかけた。違和感があると感じていたが、やっぱり本来と違う言葉遣いにしているんだな)

 高い能力を持ちながら、自分に自信がない。心が弱く繊細で、その自覚があり、必死で強がろうとしている。
 デューラーの瞳がきらりと光った。
 難易度は高いが、だんだん、攻略の仕方がわかってきた。


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