鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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喚び招く

59. 鏡の中の異変

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 断片的に何かが見えては消え去り、何度も闇の中に戻った。

(いつになれば終わるんだろう?)

 ただ、『決してここからは出られない』という絶望感はない。
 何か本能的なもので、終着点が近いと感じていた。
 上下も左右もなく、足元に何もない場所をどうして普通に歩いていけるのか、そもそもどうして自分が『歩いて』いるのかもよくわからないまま、足は立ち止まることなく、漠然と目指す方角に向かっている。

 行く手に小さな光点が見えた。未だ遠い場所にあるそれは、星の煌めきのようだ。
 徐々に近づくにつれ、か細く、澄んだ少女のような声が聞こえてきた。

『僕は兄上みたいに全然できないんだ』
『兄上はずるいよ。自分は何だってできて、才能も地位も何でも持ってて……』

 声音がいくら綺麗でも、その『声』に含まれたにごりに悠真の胸はザラつく。

『みんな僕に同情しているんだ。立派なお兄様の弟に生まれてお可哀想に、って』
『どうして? どうして僕はこんなにみじめなの? こんなに頑張っているのに。つらいよ』

 ひたすらに悲しみが紡がれ、悠真の中に湧き起こった感情は憐憫ではなく怒りだった。

(こいつ、張り飛ばしてやりたい。いいや、次に会ったら絶対にぶん殴る……!)

 これは少女の声ではない。少年の声だ。澄んではいるが、少女ほど高い声色ではない。
 光点は徐々に大きくなった。移動式の床にでも乗っているかのように速く、距離の縮む速度と歩幅が合わない。
 すうー、と目の前に現われたのは、案の定、ミシェルの寝室の鏡だった。

 可愛らしい容貌の少年が眉を八の字にし、鬱々とこちらを覗き込んでいる。
 せっかくの整った容姿も、キラキラと綺麗なレースの服も一発で台無しな、暗い瞳をしていた。
 右手を鏡面に当てているのが、ガラス窓へ触れているように見える。

(マジックミラーかな?)

 正しく魔法の鏡だろうか。正面にいるのがミシェルでは、まったく面白く感じない。

『僕はいつもひとりぼっち』
『何でもできて恵まれてる人は、そうじゃない僕の気持ちなんて全然気にしてくれないんだ。こんなに祈っているのに、どうして誰も叶えてくれないの? どうしてわかってくれないの?』

 だから毎晩、鏡の中に祈り続けた。いつか読んだ本の中に書かれていた、鏡の精霊様が応えてくれたらいいのに、と。

『みんなが僕を素敵だって言ってくれるような僕になりたいのに』
『もし誰かが代わりに全部やってくれるなら、この身体をあげたっていいのに』
『お願い、どうか僕を助けて……』

 ―――……は?
 こいつは何を言っているんだ?

(ああ……そうだ。これだ。これは、ミシェルが、僕をんだ時の……!)

 死角に隠されていた記憶が、急激に浮上するのを感じていた。
 そうだ、ミシェルは確かにそう望み、気付けば彼の身体を悠真が動かしていたのだ。

「代わりに全部やってくれるなら? ……ふざけんな、大嘘つき!! おまえ僕を追い出しやがったくせに!! 『これは僕の身体なんだよ』とか言って!!」

 今までありがとう、きっと幸せになるからね、と笑いながら。
 そのあと悠真が幸せになれたかどうかは、間違いなく一切考えていない。
 土壇場で嫌になったわけではなく、こいつは自分が何を誓ったか憶えていないのだ。

 誰も自分を見てくれないと言いながら、自分こそ相手を見ていない。
 話を聞いてくれない相手へ鬱々と根暗な文句を口ずさみながら、相手の話には耳を傾けない。
 他人がどうなろうとこれっぽっちも気にしていないくせに、自分が自分の望む幸せを手に入れられなければ、『幸せそうな』他人をいつまでも延々と羨む。
 力ある有能な人間の活躍が『ひどい』のなら、自分より才能のある人間は一人残らず息を殺して過ごせとでも言うのか。

 何よりこいつは、精霊に立てた誓いを破った。自分が誓いを立てたことすら認識していなかった。
 このミシェルという少年にとって、約束とは相手に守らせるものであり、自分が守るものではないのだ。
 誓いを守れと迫る者がいたら、「どうしてそんな酷いことを言うの?」とめそめそ泣くのだろう。

「おまえのどこが不幸だ! おまえのどこが独りぼっちだ! どうしてどうして言う前に、ちょっとは自分でも考えろよ! 何にも考えてないだろ!? ―――おまえは自分が楽をしたくて、『都合のいい可哀想な僕』でいたいだけだ!!」

 楽だからずっと責める側でいたいのだ。責めるだけでいいのだから。
 責められる側の苦悩も努力も、何ら考慮する必要はない。どうせ何でもできるし何でも持っているのだから、そのぐらい構わないだろうと。

 烈火のごとき怒りにき動かされ、両の拳の側面を渾身の力でドン! と鏡に叩きつけた。


『ヒッ!?』

「えっ?」


 ―――手応えがあった。
 鏡面だけではない。台座の部分も微かに振動し、周囲の闇にも波紋となって揺らぎが広がった。
 鏡の中の世界は無音で、椅子やテーブルを掴んで叩きつけようが、一切の音を立てないのではなかったか。
 けれど今、確かに音があった。『音』と認識できる何かが。
 さらに……。

『な、な、何?』

 ミシェルが怯えて後退った。一歩、二歩と後退し、彼の背後に隠れていたものが見えた。
 ちらりと映っているあれは、鏡だ。以前ミシェルが誕生日にもらっていた鏡の、枠の装飾。

(これ、過去じゃない……!?)

 ビシ! と鏡面に大きく亀裂が走った。
 ミシェルの甲高い悲鳴が轟き、悠真もまた咄嗟に後退った。
 数歩下がると、背中に何かがぶつかり、こちらも悲鳴をあげそうになりながら振り返る。

「―――?」

 そこにあったのは、オスカーの寝室の姿見だった。先ほどまで何もなかったのに、いつの間に出現したのだろう。
 安堵して力が抜けた。オスカー由来のものは怖くない。

(……?)

 けれど、奇妙な点があった。
 この不可思議な空間に出てくる鏡は、いずれも悠真自身の姿を映さなかった。
 なのにその鏡には、ちゃんと映っている。
 ただし、正面ではなく後ろ姿だった。
 背後にカメラが設置され、目の前のモニターに映し出されているような。

 もう一度後ろを振り返ってみた。何もない。
 また顔を前に戻せば、オスカーの姿見は変わらずそこにあり、悠真の後ろ姿が映っている。
 困惑しながらよくよく見れば、もっと奇妙なものを見つけた。
 鏡の中の悠真は、オスカーの姿見を覗き込んでいる。その動きは、今の悠真と完全に連動していた。悠真が鏡に指先で触れれば、鏡の中の悠真も同じようにしている。
 その、に映っている悠真は。
 ちゃんと正面を向いていた。

 自分自身の姿に隠れて、一部しか見えない。
 けれど確かに、こちらを向いている。
 鏡の中の悠真を、ではなく、今ここにいる悠真自身と視線が合っていた。

 悠真は目を見開いた。
 けれど、こちらを見る悠真の表情に変化はなかった。
 あの水鏡の泉のように、穏やかに凪いだ表情のまま。

 ためしに右へ一歩ズレると、後ろ姿の自分も動いて余計に見えなくなる。
 そういえば以前、オスカーと初めて鏡越しにやりとりをする時、彼はギリギリまで距離を空けていた。オスカーの姿が映っていて、悠真の姿が見えづらいという理由だった。
 今度は左右ではなく、少しずつ後ろに下がってみた。
 果たして、もう一人の悠真の顔がもっとはっきり見えるようになった。

 はおもむろに左手を上げた。
 そして人差し指を口元に当て、唇を小さくすぼめた。

『しー……』

 音も声もない。
 けれどは間違いようもなく、そう言っている。


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