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堕ちた天使を狩る
206. 天国と地獄の共存 -side看守
王宮の離れには、地下牢がある。
そこは王宮内で罪を犯した者を捕え、一時的に収容しておく場所だ。
身分の高い貴族や、まだ容疑が曖昧な貴族は、ここより遥かに環境の良い貴族牢に入れられる。しかし身分の低い貴族や、ほぼ容疑が確定している者などは、一旦はこの地下牢に放り込まれるのだ。
その後、罪状次第で監獄に移送される者もいれば、この牢の中に永住する者もいた。
今回は謁見の間に四公が集められ、その場で王の侍従が全員捕えられることになったという。
一介の看守には、そこで何があったのかは具体的には知らされていない。
ただ……
『四公が全員あの王の前に揃うと、何かしらが起こる』
仲間内ではそんなジンクスがあり、それが現実になってしまった形だ。
しかも捕えられたのは侍従だけでなく、その身内も全員と聞いている。
(徹底してる。なんか知らんが、やばいことがあったんだな)
ここに隔離されたばかりの、エンデという名の囚人もそうだ。
捕えられた侍従どもが協力し合えないように、全員が離れた牢に入れられているのだが、中でもこのエンデは明らかに特別扱いだ。
とりわけ厳重な、重大犯罪に手を染めた者のための牢で鎖に繋がれている。
エンデは接近する衛兵達の前で、暗器で喉を突こうとしたようだ。
その時点でもうその男の容疑は確定となり、ここへ放り込まれる流れとなったらしいが。
捕縛命令を発したのは、ムスター公爵の代理としてその場にいた、フェーミナの夫人だったという。
(ムスター公爵夫人が、陛下に叛意を持つ者を炙り出す余興をやったっていうのが、どうも違う目的だったんじゃないかって話だしな)
すぐ浮かぶのは、レーツェル公爵が毒を盛られたという噂だ。けれどこれは真偽が定かではなく、噂の域を出ない話でしかない。
もうひとつ浮かんだ可能性は、ムスター公爵が幼い頃に毒殺されかけていて、その犯人がまだ捕まっていないという噂。
こちらはかなり信憑性が高い。ムスター公爵が昔は病弱と言われており、ある日を境にすっかり健康になったのは事実だ。
そしてムスター公爵領の中で毒を扱っていた薬屋の遺体が川で発見され、争った形跡はなかったものの、状況的に口封じで消された可能性が高いと聞いている。
その暗殺者と、今回捕えた奴らが関わっているんじゃないのか。
看守の同僚達の間では、それがほぼ共通の見解になっていた。
その推測を裏付けるかのように、エンデがこの牢に放り込まれた翌日、面会人が現れた。
(う……おおっ……)
ムスター公爵夫人のリシェルと、誰あろうムスター公爵ランハートその人だ。
看守はのけぞりそうな身体を必死で押しとどめ、気力を総動員して普通の表情を保った。
(は、迫力がやべぇ……! なんだこの夫婦……っ! つうか、ムスター公爵は不在だったんじゃなかったのかよ!?)
罠。
看守の青年の頭に、秒で答えが浮かんだ。
そうか罠か。あの囚人、それに引っかかったんだな。
納得した。
(――いいや。引っかかったのは陛下だ。陛下がムスター公爵の不在を聞いて、これ幸いと四公を呼び付けたってんだから)
しかしこの夫婦、ただ立って微笑んでいるだけで、こちらの耐久力を削ってくる。
件のムスター公爵夫人リシェルは、清廉な雰囲気と美貌に目が吸い寄せられそうな、まさしくこの世に舞い降りた天使のごとき青年だった。だからこそ、ふとした拍子に漂う色香のギャップに罪深さをいっそう感じて、目のやり場に困る。
それ以上に視線を逸らしたくなるのが、ムスター公爵ランハートだ。うっかりリシェルに見惚れかけた看守は、ムスター公爵の優しげな微笑に、自分の寿命の炎が吹き消されそうな恐怖を覚えた。
美しさでいえば、こちらも負けてはいない。しかし夫人のほうは、たとえるなら心を奪われそうな美貌であるのに対し、こちらは魂を狩られそうな寒けのする美貌だった。
(こ、怖ぇ……! このお人、怖ぇよ……!)
唯一のオアシスは、公爵の肩にちょんと乗っている白いヒヨコである。
そちらに視線を逸らして逃げたい。だがしかし、公爵相手に露骨な視線逸らしは無礼なのでできない。
だらだらと冷や汗を流す看守の青年に、ムスター公爵はどこまでも優しそうである。……表面上だけは。
しかしその恐ろしい瞳が己の妻に向けられた瞬間、別人かと疑いそうになるぐらい和らいだ。
「ごめんねリシェル。しばらくここで待機していてくれる?」
「うん、わかったよ。待っているね」
甘く優しい声音に、うっとりと微笑み返す妻。
ムスター公爵は「ありがとう」と笑みを深め、おもむろに片手を妻の顎に添えた。
そしてほんの少し上向かせ、ゆっくりと己の唇を重ねる。
「……ん……」
見せつけるように、というか、確実に見せつけるためにやっている。
――俺の前でやるなぁぁぁっ! と看守は胸中で叫んだ。
(俺はあんたの奥方様に手なんて出しませんからっ!! んな恐ろしいことできませんからっ!!)
そんな叫びなど聞こえない公爵は、たっぷりと舌を絡めた濃厚な口付けで妻を恥ずかしがらせ、満足そうに己の唇を舐めて締めくくると、悠々と奥に歩いて行ってしまった。
「もう……人前で」
そこに残されたのは、頬を赤らめて色気の爆増しした公爵夫人のリシェルと、憐れな看守の青年。
……二人きりでいると一発で惚れそうな天使がそこにいるのに、惚れたら最後、あの公爵に人生を強制終了させられてしまう。
なんで一介の看守にすぎない俺が罠をしかけられているんだ、と彼は泣きたくなった。
「ウグッ、ふううッ……!!」
「んっ?」
向こうで、囚人が声を荒げているのが聞こえる。
がしゃがしゃん、と鎖を引っ張る音。ずっと大人しく、気味が悪いくらいに無表情だったのに。
小声でも耳を澄ませばかろうじて聞こえなくもない距離だが、詮索無用だと命じられている。
どうすべきか……。
「すまないね。彼が少しばかり、実験をしているんだよ。詳しくは訊かないでおいてくれるかな?」
「はっ……」
夫人にやんわりと止められ、自然と背筋が伸びた。
こちらは真に優しそうな青年だが、その声と言葉には逆らえない力強さも備わっている。
ムスター公爵はしばらくして、エンデという男の鉄格子の前に置かれていた椅子に座った。
見張り用の簡素な椅子だが、少々長く『面会』を続けるつもりらしい。
看守もまた近くの椅子を運び、ムスター夫人に座ってもらった。
「ありがとう」
微笑とともに漂う、清々しい花の香り。このような場所ではとてつもなくいい香りに感じる。
何よりも今自分がすべきことは、この人に惚れないようにこの時間を乗り切ることだな……と看守は悟った。
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読んでくださってありがとうございます!
更新のお知らせ:6/28は所用のため投稿お休みとなりますm(_ _)m
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