1 / 37
第一章 骨師を守る騎士
1.骨師
マウリア国の東に入り組んだ崖に囲まれた乾いた土地がある。
その真ん中に巨大な骨が半身を土に埋めた状態で置かれている。
高さは二階建ての家ほどもあり、横幅は端が見えないほど巨大な骨だ。
太古の昔、死に絶えた古代種の骨であり、その時代の姿のまま骨になりこの時代の背景となっている。
その巨大な生物の背骨部分を階段状に削り、登った先の肋骨の中に、骨屋があった。
床には板が張られ、壁の骨組みは木で造られ皮が被せられている。
骨屋は古代種の骨を買い取る店であり、神力の結晶を作成する作業場でもあった。
そこに一人の男がやってきた。黒髪の体躯の大きな男で、腰にはごつい剣をぶら下げている。
慣れた様子で背骨の階段を駆け上がる。
正面に骨屋の窓口が見えてくると、男は声をあげた。
「ステラ!いるか?」
皮の仕切りが開いて、藍色の髪をした少女が輝くような笑顔で現れた。
「イール、お帰り。骨は見つかった?」
骨屋のあるこの巨大な骨は珍しいものだが、小さな物は世界中にたくさん散らばっている。
遠い昔に滅んだ古代種と呼ばれる骨には神力が宿っている。
そうした骨から神力を抜く者はただ骨師と呼ばれる。
この骨屋を亡き師匠から引き継いだステラは、国が指定する骨師の一人だ。ここで持ち込まれた骨を結晶化する仕事を請け負っている。
イールは一般の探索者で、持ち込みで骨を売りに来る。
最初は無愛想な男だったが、一年かけて少しずつ距離を縮め、やっと交際が始まったばかりだった。
イールは、ごわついた黒髪に積もった砂を払い落し、背中から大きな袋をおろす。
取り出したのは男の腕ぐらいはありそうな大きな骨だ。
黄ばみ、ひびが入っているが、力で割れるようなものではない。
ステラは受け取り、天秤に載せて重さを測る。
実際の重さではなく、骨に残っている神力の重さを出す。
「大きいね。国が良い値段で買い取ると思うよ。今払えるのはトルネ硬貨十枚。もしそれ以上が欲しければ国に交渉してみるけど」
「じゃあ、待つかな。急ぎの支払いはない」
探索者は武器や旅道具で元手がいる。騎獣を借りる時はさらにお金がかかる。
「一度町に寄って武器の手入れを頼んでくる。仕事が立て込んでいるのか?」
ステラは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい。少し多めの持ち込みがあって」
古代種の骨はそう頻繁に見つかるものではない。
多くの持ち込みがあったというなら、それは国からということになる。
後回しに出来る仕事ではないのだと察し、イールは頷いた。
「わかった。じゃあ後でな」
イールが去るとステラは店内に戻り、ランプの下に並べた骨に向かい合った。
ステラは憂鬱な息を吐きだし、手を骨に添えながら呪文を唱える。
ところがその呪文はすぐに中断された。
僅かな振動と共に靴音が近づく。
閉めたばかりの窓口を開き、ステラは顔を外に出した。
長身の男が階段を上がってくる。
緑色の髪に鋭い目、上質な服に身を包み、立派な剣を帯びている。
この国の騎士であり、骨師であるステラの監視役だった。
「ジルド、この間の骨ならまだよ」
ステラと目を合わせたジルドは、整った顔立ちにどこか人を小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「ずいぶんのんびりとしているのだな。弟子が必要か?」
笑っているのにその目は冷酷な光を宿す。
「これでも急いでいるのよ。それよりね、これを見てよ」
ステラは先ほどイールが持ち込んだ骨を取り出し、ジルドに見せた。
「トルネ金貨一枚。どう?」
「含有量は?」
ステラが五本の指を立てる。
かなり大きいという意味だ。
「いいだろう」
内心の喜びを押し隠し、ステラは骨をひっこめ、急いで帳簿をつけだした。
それをカウンター越しに確認しながら、ジルドが用件を口にした。
「それで?骨師の弟子はどうやって決める?そろそろお前にも必要だ」
骨師の数は減っている。骨師の才能が血族に引き継がれることはない。
それ故、弟子探しは困難を極める。
「呪文を聞き取れて、繰り返せれば素質はあるよ」
ステラが短いフレーズを口に出す。その声は、草が風でざわざわと揺れているようなただの音に聞こえた。
「繰り返せる?」
眉間に皺をよせ、不愉快そうな顔をしたジルドに、すこしだけ得意げな顔をしてみせると、ステラは出来上がっている神力の結晶を取り出した。
角ばった透明な水晶の塊は魔力そのものだった。
「見事だな。先ほどの骨はどこで取れたか探索者に聞いたか?」
「聞くわけないでしょう?彼はこれで食べているのよ。国に教えたら押しかけてきて根こそぎ骨を奪っていく気でしょう?彼が見つけたものは彼の物よ」
ジルドは嫌な顔をしたが、それ以上追及しようとはしなかった。
ステラが作った結晶を鞄に入れ、金の入った袋を窓口に置く。
「今月分だ。食料は足りているな?買い取りの分も入っている。残りの結晶と一緒に帳簿も回収するからな。神力の結晶と値段が合うようにしておけよ。あと、そのうち弟子候補を連れてくる。素質をみてくれ」
それだけ告げると、ジルドはさっさと骨の階段を下りて行く。
ステラは渡された金を神力の宿った水晶の箱に収め、さきほど中断された作業に戻った。
その日の来訪者はジルドで最後だった。
夕刻近くなっても仕事をしていたステラは、階段をあがってくる音と振動に気づかなかった。
「ステラ、まだ仕事中か?」
不意に呼びかけられ、ステラは詠唱を失敗し、完成間近だった神力の結晶は骨に戻ってしまった。
振り返ると、イールが勝手に窓口を開けて顔を出している。
湯に入ってきたのか、埃まみれの髪は黒々として、服装まで小奇麗になっていた。
ステラの顔は喜びに輝く。
「イール、良い知らせよ」
恋人を喜ばせようと、ステラは皮の袋をもったいぶった様子で差し出す。
にやりとしてイールはそれを受け取ると、中身を確認し財布に入れた。
予想以上の大金だった。
「ジルドが来たのか。この間来たばかりだろう?催促にきたのか?」
イールはステラが国の監視下にあることを知っている。
ここに拘束されステラは自由に外に出られない。しかしステラを担当するジルドは良心的だ。
大抵は四六時中監視の目があるものだが、ジルドは一カ月に二回ぐらいしか骨師のところに顔を出さないのだ。
おかげでステラとイールは恋を育むことが出来た。
そんなジルドが一週間とあけずに顔を出したのだ。
「たぶん弟子のことで上から何か言われたのだと思う。弟子候補を連れてくるって言っていたから。一つ結晶化させるのに半日かかる場合もあるのに、次にいつ来るのかも言わなかったのよ。ちょっと店を閉めて作業に集中した方がいいかもしれない」
納期を気にしながらも、ステラは後片付けを始めている。完成した神力の結晶を水晶の箱におさめる。
その様子を見ていたイールが、突然ひらりと窓口から店内に飛び込んだ。
ステラは慌ててカーテンの外を覗き、閉店の赤い札を出した。
「イール!だめよ。ここは骨師しか入ってはいけない場所で、結界だってあるのよ」
これまでしたこともないイールの暴挙にステラは驚きながらも忠告した。
狭い店内で大きな体のイールは少し背を屈め、ステラに近づくと強い力で抱き寄せた。
「ステラ、弟子を取ったら俺達はどうなる?今はジルドに許され結界内に家を建てて暮らしている。
しかしそれだって二人きりじゃない。いつだって監視されている。
君をさらおうとは思っていない。だけど、一日か二日でいい。少しの間、教会で式を挙げ、新婚旅行に行くことぐらいは出来ないだろうか?いつかジルドの許可を得る必要があると考えていた。
でも弟子が来たら、それさえ難しくなるのではないか?」
イールの言葉に驚きながら、ステラは忙しく頭を回転させた。
「逆じゃない?弟子が出来たら楽になって時間が出来るかも……」
イールの言葉は魅力的だが、危険もある。国は骨師を外に出したくないはずだ。
逃げたと知られたら軍隊さえ動くかもしれない。
危険だと感じながらも、ステラは結婚という言葉に強く惹かれた。
イールは探索者で、これからも自由にどこにでもいける。
旅先で魅力的な女性に出会うこともあるだろう。
いつかステラを忘れ、戻ってこなくなる日がくるかもしれない。
そうなればステラにとってはこれが最初で最後の恋だ。
女としての幸せを体験できる最後の機会だ。
揺れるステラをイールは熱心な口調で説得した。
「弟子を連れてくるということは、君がその教育につきっきりになるのだろう?師匠に教わっている間はどうだった?自由な時間はあったのか?」
イールの問いかけに、ステラはここに連れてこられた日のことを思い出した。
幸せを感じることなどなかったし、人生の楽しみを全て失った気さえした。
「二、三日だ。少し遠くの祭壇に行こう。それから三日目にはここに戻っている。どうだろう?」
三日程度ならジルドがステラの不在に気づきここに駆け付けてくる間に、戻って来られる。
何処に行っていたのだと怒られるだろうが、もうしないと約束して仕事をたくさんこなせばいい。
そう思いながらも、やはりステラは心配だった。
「二、三日なら許可をくれるかもしれない。ジルドに聞いてみた後でもいいのでは?」
国の怒りを買えばイールだってただではすまない。
心を決められないステラをイールは強く抱きしめた。
「駄目だ。骨師は減っている。許可が得られても監視役の人間が山ほどついてくるぞ。いまでさえ、俺達は見張られながら暮らしている。一度でいい。二人きりで新婚らしい時間を過ごさないか?弟子まで連れて新婚旅行に行きたくはない」
その言葉はステラの感じている負い目を強く刺激した。
ステラはこの結界から出られない。他人には聞かれたくない恋人同士の甘い語らいも、それこそ誰にも邪魔されたくない夜の交わりさえも全て覗かれてしまうのだ。
イールに一緒に暮らしたいと言われた時も、全部監視されているからとステラは一度断った。それなのに、イールは誰に見られても構わないと言ってステラを抱いてくれたのだ。
ステラは骨師である自分と付き合うためにいろいろ我慢してくれているイールに申し訳ない気持ちを抱えていた。
尻を出し、快楽に喘ぎながら女を抱く姿など誰にも見られたくないはずだ。
他人の目を気にせず愛し合える日が、二日ぐらいあってもいいのではないだろうかと頭に過る。
「わかった。二、三日よね、それでここに戻って来られるなら一緒に行く」
ステラが答えるや否や、イールはステラを乱暴に抱き上げ、飛ぶように外に出た。
骨の階段を滑り降り、結界の縁に向かって一気に走り出す。
そこを出ればジルドに知らせが入る。
本当に良いのだろうかとステラがイールの顔を見上げるより早く、イールは迷いなく結界の文様を踏み越えた。
その真ん中に巨大な骨が半身を土に埋めた状態で置かれている。
高さは二階建ての家ほどもあり、横幅は端が見えないほど巨大な骨だ。
太古の昔、死に絶えた古代種の骨であり、その時代の姿のまま骨になりこの時代の背景となっている。
その巨大な生物の背骨部分を階段状に削り、登った先の肋骨の中に、骨屋があった。
床には板が張られ、壁の骨組みは木で造られ皮が被せられている。
骨屋は古代種の骨を買い取る店であり、神力の結晶を作成する作業場でもあった。
そこに一人の男がやってきた。黒髪の体躯の大きな男で、腰にはごつい剣をぶら下げている。
慣れた様子で背骨の階段を駆け上がる。
正面に骨屋の窓口が見えてくると、男は声をあげた。
「ステラ!いるか?」
皮の仕切りが開いて、藍色の髪をした少女が輝くような笑顔で現れた。
「イール、お帰り。骨は見つかった?」
骨屋のあるこの巨大な骨は珍しいものだが、小さな物は世界中にたくさん散らばっている。
遠い昔に滅んだ古代種と呼ばれる骨には神力が宿っている。
そうした骨から神力を抜く者はただ骨師と呼ばれる。
この骨屋を亡き師匠から引き継いだステラは、国が指定する骨師の一人だ。ここで持ち込まれた骨を結晶化する仕事を請け負っている。
イールは一般の探索者で、持ち込みで骨を売りに来る。
最初は無愛想な男だったが、一年かけて少しずつ距離を縮め、やっと交際が始まったばかりだった。
イールは、ごわついた黒髪に積もった砂を払い落し、背中から大きな袋をおろす。
取り出したのは男の腕ぐらいはありそうな大きな骨だ。
黄ばみ、ひびが入っているが、力で割れるようなものではない。
ステラは受け取り、天秤に載せて重さを測る。
実際の重さではなく、骨に残っている神力の重さを出す。
「大きいね。国が良い値段で買い取ると思うよ。今払えるのはトルネ硬貨十枚。もしそれ以上が欲しければ国に交渉してみるけど」
「じゃあ、待つかな。急ぎの支払いはない」
探索者は武器や旅道具で元手がいる。騎獣を借りる時はさらにお金がかかる。
「一度町に寄って武器の手入れを頼んでくる。仕事が立て込んでいるのか?」
ステラは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい。少し多めの持ち込みがあって」
古代種の骨はそう頻繁に見つかるものではない。
多くの持ち込みがあったというなら、それは国からということになる。
後回しに出来る仕事ではないのだと察し、イールは頷いた。
「わかった。じゃあ後でな」
イールが去るとステラは店内に戻り、ランプの下に並べた骨に向かい合った。
ステラは憂鬱な息を吐きだし、手を骨に添えながら呪文を唱える。
ところがその呪文はすぐに中断された。
僅かな振動と共に靴音が近づく。
閉めたばかりの窓口を開き、ステラは顔を外に出した。
長身の男が階段を上がってくる。
緑色の髪に鋭い目、上質な服に身を包み、立派な剣を帯びている。
この国の騎士であり、骨師であるステラの監視役だった。
「ジルド、この間の骨ならまだよ」
ステラと目を合わせたジルドは、整った顔立ちにどこか人を小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「ずいぶんのんびりとしているのだな。弟子が必要か?」
笑っているのにその目は冷酷な光を宿す。
「これでも急いでいるのよ。それよりね、これを見てよ」
ステラは先ほどイールが持ち込んだ骨を取り出し、ジルドに見せた。
「トルネ金貨一枚。どう?」
「含有量は?」
ステラが五本の指を立てる。
かなり大きいという意味だ。
「いいだろう」
内心の喜びを押し隠し、ステラは骨をひっこめ、急いで帳簿をつけだした。
それをカウンター越しに確認しながら、ジルドが用件を口にした。
「それで?骨師の弟子はどうやって決める?そろそろお前にも必要だ」
骨師の数は減っている。骨師の才能が血族に引き継がれることはない。
それ故、弟子探しは困難を極める。
「呪文を聞き取れて、繰り返せれば素質はあるよ」
ステラが短いフレーズを口に出す。その声は、草が風でざわざわと揺れているようなただの音に聞こえた。
「繰り返せる?」
眉間に皺をよせ、不愉快そうな顔をしたジルドに、すこしだけ得意げな顔をしてみせると、ステラは出来上がっている神力の結晶を取り出した。
角ばった透明な水晶の塊は魔力そのものだった。
「見事だな。先ほどの骨はどこで取れたか探索者に聞いたか?」
「聞くわけないでしょう?彼はこれで食べているのよ。国に教えたら押しかけてきて根こそぎ骨を奪っていく気でしょう?彼が見つけたものは彼の物よ」
ジルドは嫌な顔をしたが、それ以上追及しようとはしなかった。
ステラが作った結晶を鞄に入れ、金の入った袋を窓口に置く。
「今月分だ。食料は足りているな?買い取りの分も入っている。残りの結晶と一緒に帳簿も回収するからな。神力の結晶と値段が合うようにしておけよ。あと、そのうち弟子候補を連れてくる。素質をみてくれ」
それだけ告げると、ジルドはさっさと骨の階段を下りて行く。
ステラは渡された金を神力の宿った水晶の箱に収め、さきほど中断された作業に戻った。
その日の来訪者はジルドで最後だった。
夕刻近くなっても仕事をしていたステラは、階段をあがってくる音と振動に気づかなかった。
「ステラ、まだ仕事中か?」
不意に呼びかけられ、ステラは詠唱を失敗し、完成間近だった神力の結晶は骨に戻ってしまった。
振り返ると、イールが勝手に窓口を開けて顔を出している。
湯に入ってきたのか、埃まみれの髪は黒々として、服装まで小奇麗になっていた。
ステラの顔は喜びに輝く。
「イール、良い知らせよ」
恋人を喜ばせようと、ステラは皮の袋をもったいぶった様子で差し出す。
にやりとしてイールはそれを受け取ると、中身を確認し財布に入れた。
予想以上の大金だった。
「ジルドが来たのか。この間来たばかりだろう?催促にきたのか?」
イールはステラが国の監視下にあることを知っている。
ここに拘束されステラは自由に外に出られない。しかしステラを担当するジルドは良心的だ。
大抵は四六時中監視の目があるものだが、ジルドは一カ月に二回ぐらいしか骨師のところに顔を出さないのだ。
おかげでステラとイールは恋を育むことが出来た。
そんなジルドが一週間とあけずに顔を出したのだ。
「たぶん弟子のことで上から何か言われたのだと思う。弟子候補を連れてくるって言っていたから。一つ結晶化させるのに半日かかる場合もあるのに、次にいつ来るのかも言わなかったのよ。ちょっと店を閉めて作業に集中した方がいいかもしれない」
納期を気にしながらも、ステラは後片付けを始めている。完成した神力の結晶を水晶の箱におさめる。
その様子を見ていたイールが、突然ひらりと窓口から店内に飛び込んだ。
ステラは慌ててカーテンの外を覗き、閉店の赤い札を出した。
「イール!だめよ。ここは骨師しか入ってはいけない場所で、結界だってあるのよ」
これまでしたこともないイールの暴挙にステラは驚きながらも忠告した。
狭い店内で大きな体のイールは少し背を屈め、ステラに近づくと強い力で抱き寄せた。
「ステラ、弟子を取ったら俺達はどうなる?今はジルドに許され結界内に家を建てて暮らしている。
しかしそれだって二人きりじゃない。いつだって監視されている。
君をさらおうとは思っていない。だけど、一日か二日でいい。少しの間、教会で式を挙げ、新婚旅行に行くことぐらいは出来ないだろうか?いつかジルドの許可を得る必要があると考えていた。
でも弟子が来たら、それさえ難しくなるのではないか?」
イールの言葉に驚きながら、ステラは忙しく頭を回転させた。
「逆じゃない?弟子が出来たら楽になって時間が出来るかも……」
イールの言葉は魅力的だが、危険もある。国は骨師を外に出したくないはずだ。
逃げたと知られたら軍隊さえ動くかもしれない。
危険だと感じながらも、ステラは結婚という言葉に強く惹かれた。
イールは探索者で、これからも自由にどこにでもいける。
旅先で魅力的な女性に出会うこともあるだろう。
いつかステラを忘れ、戻ってこなくなる日がくるかもしれない。
そうなればステラにとってはこれが最初で最後の恋だ。
女としての幸せを体験できる最後の機会だ。
揺れるステラをイールは熱心な口調で説得した。
「弟子を連れてくるということは、君がその教育につきっきりになるのだろう?師匠に教わっている間はどうだった?自由な時間はあったのか?」
イールの問いかけに、ステラはここに連れてこられた日のことを思い出した。
幸せを感じることなどなかったし、人生の楽しみを全て失った気さえした。
「二、三日だ。少し遠くの祭壇に行こう。それから三日目にはここに戻っている。どうだろう?」
三日程度ならジルドがステラの不在に気づきここに駆け付けてくる間に、戻って来られる。
何処に行っていたのだと怒られるだろうが、もうしないと約束して仕事をたくさんこなせばいい。
そう思いながらも、やはりステラは心配だった。
「二、三日なら許可をくれるかもしれない。ジルドに聞いてみた後でもいいのでは?」
国の怒りを買えばイールだってただではすまない。
心を決められないステラをイールは強く抱きしめた。
「駄目だ。骨師は減っている。許可が得られても監視役の人間が山ほどついてくるぞ。いまでさえ、俺達は見張られながら暮らしている。一度でいい。二人きりで新婚らしい時間を過ごさないか?弟子まで連れて新婚旅行に行きたくはない」
その言葉はステラの感じている負い目を強く刺激した。
ステラはこの結界から出られない。他人には聞かれたくない恋人同士の甘い語らいも、それこそ誰にも邪魔されたくない夜の交わりさえも全て覗かれてしまうのだ。
イールに一緒に暮らしたいと言われた時も、全部監視されているからとステラは一度断った。それなのに、イールは誰に見られても構わないと言ってステラを抱いてくれたのだ。
ステラは骨師である自分と付き合うためにいろいろ我慢してくれているイールに申し訳ない気持ちを抱えていた。
尻を出し、快楽に喘ぎながら女を抱く姿など誰にも見られたくないはずだ。
他人の目を気にせず愛し合える日が、二日ぐらいあってもいいのではないだろうかと頭に過る。
「わかった。二、三日よね、それでここに戻って来られるなら一緒に行く」
ステラが答えるや否や、イールはステラを乱暴に抱き上げ、飛ぶように外に出た。
骨の階段を滑り降り、結界の縁に向かって一気に走り出す。
そこを出ればジルドに知らせが入る。
本当に良いのだろうかとステラがイールの顔を見上げるより早く、イールは迷いなく結界の文様を踏み越えた。
あなたにおすすめの小説
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
王妃失格と呼ばれた私を、敵国の王だけが抱きしめた
なつめ
恋愛
祖国では「王妃失格」と蔑まれ、夫である王にも見捨てられた元王妃。
敗戦の責任を押しつけられ、敵国へ贄のように差し出された彼女を待っていたのは、辱めではなかった。
冷酷無慈悲と恐れられる敵国の王は、怯える彼女を責めることなく、ただ静かに言う。
「お前は壊れていない。その国が、お前を壊れたことにしただけだ」と。
役立たずと呼ばれた知識も、笑えないことも、うまく愛されないことも。
敵国で初めて、彼女は“失格ではない自分”に出会っていく。
これは、奪われ続けた元王妃が、敵国の王の腕の中で自分の価値を取り戻し、
最後には祖国に最大の後悔を残す、救済と溺愛の恋愛ファンタジー。
【完結】捨てられた侯爵夫人の日記
ジュレヌク
恋愛
十五歳で侯爵家に嫁いだイベリス。
夫ハイドランジアは、愛人と別邸に住み、三年の月日が経った。
白い結婚による婚姻不履行が間近に迫る中、イベリスは、高熱を出して記憶を失う。
戻ってきた夫は、妻に仕える侍女アリッサムから、いない月日の間書き綴られた日記を手渡される。
そこには、出会った日から自分を恋しいと思ってくれていた少女の思いの丈が詰まっていた。
十八歳になり、美しく成長した妻を前に、ハイドランジアは、心が揺らぐ。
自分への恋心を忘れてしまったとしても、これ程までに思ってくれていたのなら、また、愛を育めるのではないのか?
様々な人間の思いが交錯し、物語は、思わぬ方向へと進んでいく。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。