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第三章 孤独な女の未来
32.迎えに来た男
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ステラは滝の裏にある洞窟の中で、その水音を聞いていた。
光が届く洞窟の入り口は、水しぶきが吹き込み、湿った苔が床や壁にぎっしりと生えている。
洞窟で密かに生きる逞しい命の存在に、孤独なステラの心は少し癒された。
ズイール軍の兵士たちが崖に上がってくるのに気付いたステラは、大昔の記憶を頼りに黒い地面の割れ目を探し、その中に潜り込んだが、慌てていたため、近くの岩を巻き込んでしまった。
小さな岩から持ち上げられないぐらいの大きな岩まで転がってきて、あっという間に入り口は塞がれてしまった。
出口は滝つぼに落ちる道以外残されていない。
探しに来てくれる人がいなければ、このまま飢え死にだ。
滝に飛び込めば、奇跡的に助かるかもしれないが、泳げないステラには無謀な賭けだ。
ステラは首を伸ばして滝つぼを見おろした。
水しぶきと吹き上がる霧で滝の根元すら見えない。
流れ落ちる滝の横から、遺跡の祭壇が見えた。
この光景を見るのは何年ぶりだろうかとステラは考えた。
イールに連れてこられたのはもう何年も昔のことだ。
幸せな未来を夢見て寝袋にくるまっていた。
迎えにきたのはイールではなく、ジルドだった。
悲しくてたまらなかったのに、心底ほっとした。
その時、ジルドを好きだという気持ちに気づけば何かが変わっていただろうか。
もしあの時と考えれば取り戻せない過去に苦しむことになる。
滝の音に耳を澄ませ、ステラは地面に横になると目を閉じた。
今度はエルダムの貫くと決めた道について考えた。
それは理想的な世界だ。
誰の故郷も滅びず、誰の愛する人も奪われない世界。
太古の昔、人々はそんな世界を目指し、手を取り合って生きていた。
生きながら増水した川に立ち向かった百人の犠牲者が産んだ時代は、幸福なものだったのだろうか。
神力の使えない世界を幸福にするのは難しい。
それでもエルダムは貫くのだろう。
ジルドも国が滅びてもステラを守りぬいた。
イールも愛を貫き、奴隷の道を生きると決めた。
それなのにステラは唯一貫きたいと願った道を捨ててしまった。
いつか子供を持つという望みを諦めた。
また新たな道を見つけなければならない。
ステラはそんなことを考えながら、滝の音を子守唄に眠りに落ちた。
夕暮れが近づき、滝から吹き込む風が冷たくなってきた。
眠りが浅くなってきたステラは、うっすらと意識を取り戻した。相変わらず滝の音が聞こえている。
その音の中に、突如人の声が混ざり込む。
次の瞬間、ステラの体が持ち上がり、燃えるように熱い大きな体に包まれた。
ステラは寝ぼけ眼をこすりながら何も考えずに口を開いた。
「ジルド?」
ステラの体を抱え上げている体がびくりと震え、強張った。
その筋肉の緊張を感じ取り、ステラは驚いて目をあげた。
夕闇に浮かび上がったのは、今にも泣きだしそうなイールの顔だった。
「イール?どうしたの?まさか、間に合わなかった?」
イールが敵軍の侵入をエルダムに知らせに行ったことを思い出し、ステラがイールの服を掴んで問いかける。
もしかしたらもう町は滅びたかもしれない。そんな恐怖がステラの表情に走る。
イールは、悲しそうに首を横に振った。
暗く沈んだ声がステラの耳に届いた。
「大丈夫だ……。町は無事だし、王が軍を出した」
ほっとして、ステラは全身の力を抜いた。
「良かった。ここも覚えていてくれたのね。ここを知っていたおかげで助かったの。イールのおかげね」
痛烈な嫌味のようにイールは感じたが、ステラがそんな女性でないことはもうわかっていた。
ステラは外が安全なら早く帰ろうと、イールの腕から出ると、洞窟の中を四つん這いになって歩き始める。
イールは滝の方へ首を伸ばした。
遺跡の祭壇が小さく見えている。
ここにステラを閉じ込めた時、ステラは四日間この光景を眺め、花嫁になることを夢見たに違いない。
「ステラ!」
出口に向かっていたステラが、イールを振り返った。
「どうしたの?帰らないの?もしかして外は危険なの?」
イールはステラに近づき、その足首を掴んだ。
驚いたステラが体をひねり、仰向けに倒れる。
その上に、イールがのしかかった。
不思議そうなステラの目と濡れたイールの目がまっすぐにぶつかり合う。
まだ外の光が届くぎりぎりの場所であり、互いの顔がかろうじて見えている。
イールの首には隷属の首輪がある。
ステラは手を伸ばし、イールの首に触れた。
「どうしたの?奴隷をやめたくなった?解放して欲しいの?」
留め金を外そうとするステラの手を、イールは片手で包み込んだ。
「ステラ……迎えに来た」
苦しそうに顔を歪め、イールは言った。
意図がわからず、ステラは眉を潜めた。
「ええ……。わかっている。迎えに来てくれてありがとう。だから帰りましょう?」
洞窟を進んできたイールは、滝のカーテンの手前に横たわるステラを見つけ、ここにステラを捨てていったその日のことを思い出した。
あの日、ステラに「迎えに来る」と嘘をついた。
同じような状況にいる今なら、その嘘を真実に変えることが出来るのではないかとイールは思ったのだ。
ステラを抱き上げた瞬間、それを夢見たが、ステラが呼んだのはジルドの名前だった。
あの日、ステラを抱き上げたのはイールではなくジルドだったからだ。
体を焼くような罪の意識をイールは正面から飲み込み、その過ちに立ち向かった。
「違う……ステラ……やり直したい……迎えにくると約束したあの日に……」
ステラにとっては青天の霹靂だった。
イールに捨てられたことは確かに心に深い傷を残したが、イールがステラを騙した理由には納得したし、それよりも大変なことが次々に起こり、そんな昔のことに囚われている場合ではなかった。
大急ぎでイールにここに連れて来られた時の記憶を辿り始める。
確かにイールはステラに『迎えにくる』と告げたのだ。
だけど迎えに来たのはジルドだった。
迎えにくると約束したイールは、滝の向こうに見える遺跡の祭壇でシリラと結婚式を挙げていた。
だいたい最愛の女性のお墓参りに行ってきたばかりだ。
お墓に向き合うイールの姿をステラは後ろから眺め、イールが亡きシリラに愛を誓っているのだと信じて疑わなかった。
ステラはわけがわからないと首をひねる。
「あなたが迎えに行ったのはシリラさんでしょう?私じゃない。やり直せないでしょう?」
イールの最愛の女性は死んでしまった。あとは心で想い続けるだけだ。
洞窟の床に仰向けに横たわり、ステラは正面にあるイールの顔を見上げ、困ったように問いかける。
ぽたりと、ステラの頬に熱い雫が落ちた。
イールの目から涙が溢れている。
「イール?シリラさんが恋しいの?」
やはり奴隷を解放してあげるべきだと考え、ステラはイールの首輪の留め具を外そうとする。
その手をイールの手がさらに強く握る。
「これを……外したら君の傍にいられなくなる」
「イール、大丈夫よ。気にしないで。なるようになるし、ジルドがお店のやり方を教えてくれたからなんとか生きていけると思うの」
洞窟の先は暗く、地面のひび割れまではまだ距離がある。
雨や風で岩が落ちれば簡単に穴はふさがってしまう。
ステラは焦ったが、イールはもの言いたげにじっとステラを見おろしている。
四つん這いのイールの体が少しずつ低くなり、その熱がすぐ傍に迫った。
「どこから……話せばいいのかわからない。ステラ、最初は君が俺を復讐のために買ったのだと思った……。だけどそうでないことがわかった。君は……君を裏切った俺のためにあんなことまでして俺を助けた。それからずっと傍にいて……君は一度も俺を責めることがなく……」
突然語りだしたイールに、ステラはそんな昔のことを掘り返すのかと目を丸くした。
イールはステラが自分の話に関心がないのだと思い、またすすり泣いた。
「わかっている。ステラ、君が俺を好きになる日はもう二度とこない。
だけど、俺は君を好きになった。本気で好きになった。
君が誰かを愛していても、誰かに愛されていても、誰かのものでも構わない。そう思えるほど君の傍にいたい。ステラ、俺は……」
(君を幸せにする最初の男になりたい)
その言葉がどうしても出てこない。
ステラを傷つけた自分がステラを幸せに出来るわけがない。
心臓は痛いほど脈打ち、もし拒絶されたらと考えるだけで息が止まりそうなほど苦しくてたまらない。
それなのに、ステラの表情は落ち着いていて、イールの言葉に動揺している様子もない。
ただ、不思議そうに問いかけた。
「それって決めたの?」
はっとして、イールはステラが信じるたった一人の男のことを思い出した。
愛とは無縁の冷酷な男で、ステラを道具としか見ていなかった生真面目な騎士だ。
それなのに、ステラは心から慕っていた。
崩れかけていた心を必死に立て直し、イールは力強く答えた。
「そうだ。俺は君の傍にいたい。ジルドのように君を守ると決めた。俺は、君を守ってきたジルドのようになりたい」
ジルドを失いずっと心細かったステラの心に光が差し込む。
「ステラ、君が俺を信じられなくても、俺は君を愛している。死んだ後も、その次に生まれ変わる時も、それからこれからも、君が信じなくても、君を愛し続ける。それを俺はジルドのように貫く」
「ジルドのように?」
「そうだ」
貫く道を決めた男は曲げられないものだ。なんとなくステラはそう思っていた。
ステラは困り果てた。
「死んだ後はシリラさんでしょう?愛は……よくわからないし……」
「彼女は幸せを知って旅立った。次に生まれ変わってもきっと幸せになれるだろう。だけど、それは俺とじゃなくてもいい。だけどステラ、君から離れることだけは耐えられない。君が、誰かを好きで、愛しているというならそれでもいい。
だけど傍で待たせてくれ。順番が来るまで待ち続けたい。君が他の誰かと幸せになるというなら、死んだ後でもいい。生まれ変わった後でも。だから、傍においてくれ。
そして……気の遠くなるほど先の話で構わないから、いつか、いつかどうか俺の愛を受け入れてくれ」
愛されるわけがないと思いながらも希望を捨てきれず、死後の魂まで差し出し、イールはすがった。
ステラはその言葉を呆然と聞いていた。
愛とはどんなものなのだろう。
そんな素朴な疑問から、ステラは身じろぎ、解放された手を伸ばしイールの頬を抱いた。
濡れた頬に、溢れる熱い涙、必死の形相ですがるようにステラを見つめている。
自由に、幸せになれと残したジルドの姿が蘇る。
どうするのか自分で決めてもいいのだ。
幸せになれる道かどうかも自分で歩いて確かめにいくしかない。
「わかった。試してみるね」
あっさりとした返事だったが、イールにとっては何よりも重かった。
心の底でなまりのように沈んでいた罪悪感が、嘘のように溶けだした。
永遠にこの痛みに苦しむのだと思っていた。
愛を許されることがこれほどまでに心を軽くするものだとは知らなかった。
愛が受け入れられたわけではない。ただ、愛を告げることを許された。
嗚咽を漏らしながら、ステラの体を抱きしめ、イールは小さく「愛している」と囁いた。
光が届く洞窟の入り口は、水しぶきが吹き込み、湿った苔が床や壁にぎっしりと生えている。
洞窟で密かに生きる逞しい命の存在に、孤独なステラの心は少し癒された。
ズイール軍の兵士たちが崖に上がってくるのに気付いたステラは、大昔の記憶を頼りに黒い地面の割れ目を探し、その中に潜り込んだが、慌てていたため、近くの岩を巻き込んでしまった。
小さな岩から持ち上げられないぐらいの大きな岩まで転がってきて、あっという間に入り口は塞がれてしまった。
出口は滝つぼに落ちる道以外残されていない。
探しに来てくれる人がいなければ、このまま飢え死にだ。
滝に飛び込めば、奇跡的に助かるかもしれないが、泳げないステラには無謀な賭けだ。
ステラは首を伸ばして滝つぼを見おろした。
水しぶきと吹き上がる霧で滝の根元すら見えない。
流れ落ちる滝の横から、遺跡の祭壇が見えた。
この光景を見るのは何年ぶりだろうかとステラは考えた。
イールに連れてこられたのはもう何年も昔のことだ。
幸せな未来を夢見て寝袋にくるまっていた。
迎えにきたのはイールではなく、ジルドだった。
悲しくてたまらなかったのに、心底ほっとした。
その時、ジルドを好きだという気持ちに気づけば何かが変わっていただろうか。
もしあの時と考えれば取り戻せない過去に苦しむことになる。
滝の音に耳を澄ませ、ステラは地面に横になると目を閉じた。
今度はエルダムの貫くと決めた道について考えた。
それは理想的な世界だ。
誰の故郷も滅びず、誰の愛する人も奪われない世界。
太古の昔、人々はそんな世界を目指し、手を取り合って生きていた。
生きながら増水した川に立ち向かった百人の犠牲者が産んだ時代は、幸福なものだったのだろうか。
神力の使えない世界を幸福にするのは難しい。
それでもエルダムは貫くのだろう。
ジルドも国が滅びてもステラを守りぬいた。
イールも愛を貫き、奴隷の道を生きると決めた。
それなのにステラは唯一貫きたいと願った道を捨ててしまった。
いつか子供を持つという望みを諦めた。
また新たな道を見つけなければならない。
ステラはそんなことを考えながら、滝の音を子守唄に眠りに落ちた。
夕暮れが近づき、滝から吹き込む風が冷たくなってきた。
眠りが浅くなってきたステラは、うっすらと意識を取り戻した。相変わらず滝の音が聞こえている。
その音の中に、突如人の声が混ざり込む。
次の瞬間、ステラの体が持ち上がり、燃えるように熱い大きな体に包まれた。
ステラは寝ぼけ眼をこすりながら何も考えずに口を開いた。
「ジルド?」
ステラの体を抱え上げている体がびくりと震え、強張った。
その筋肉の緊張を感じ取り、ステラは驚いて目をあげた。
夕闇に浮かび上がったのは、今にも泣きだしそうなイールの顔だった。
「イール?どうしたの?まさか、間に合わなかった?」
イールが敵軍の侵入をエルダムに知らせに行ったことを思い出し、ステラがイールの服を掴んで問いかける。
もしかしたらもう町は滅びたかもしれない。そんな恐怖がステラの表情に走る。
イールは、悲しそうに首を横に振った。
暗く沈んだ声がステラの耳に届いた。
「大丈夫だ……。町は無事だし、王が軍を出した」
ほっとして、ステラは全身の力を抜いた。
「良かった。ここも覚えていてくれたのね。ここを知っていたおかげで助かったの。イールのおかげね」
痛烈な嫌味のようにイールは感じたが、ステラがそんな女性でないことはもうわかっていた。
ステラは外が安全なら早く帰ろうと、イールの腕から出ると、洞窟の中を四つん這いになって歩き始める。
イールは滝の方へ首を伸ばした。
遺跡の祭壇が小さく見えている。
ここにステラを閉じ込めた時、ステラは四日間この光景を眺め、花嫁になることを夢見たに違いない。
「ステラ!」
出口に向かっていたステラが、イールを振り返った。
「どうしたの?帰らないの?もしかして外は危険なの?」
イールはステラに近づき、その足首を掴んだ。
驚いたステラが体をひねり、仰向けに倒れる。
その上に、イールがのしかかった。
不思議そうなステラの目と濡れたイールの目がまっすぐにぶつかり合う。
まだ外の光が届くぎりぎりの場所であり、互いの顔がかろうじて見えている。
イールの首には隷属の首輪がある。
ステラは手を伸ばし、イールの首に触れた。
「どうしたの?奴隷をやめたくなった?解放して欲しいの?」
留め金を外そうとするステラの手を、イールは片手で包み込んだ。
「ステラ……迎えに来た」
苦しそうに顔を歪め、イールは言った。
意図がわからず、ステラは眉を潜めた。
「ええ……。わかっている。迎えに来てくれてありがとう。だから帰りましょう?」
洞窟を進んできたイールは、滝のカーテンの手前に横たわるステラを見つけ、ここにステラを捨てていったその日のことを思い出した。
あの日、ステラに「迎えに来る」と嘘をついた。
同じような状況にいる今なら、その嘘を真実に変えることが出来るのではないかとイールは思ったのだ。
ステラを抱き上げた瞬間、それを夢見たが、ステラが呼んだのはジルドの名前だった。
あの日、ステラを抱き上げたのはイールではなくジルドだったからだ。
体を焼くような罪の意識をイールは正面から飲み込み、その過ちに立ち向かった。
「違う……ステラ……やり直したい……迎えにくると約束したあの日に……」
ステラにとっては青天の霹靂だった。
イールに捨てられたことは確かに心に深い傷を残したが、イールがステラを騙した理由には納得したし、それよりも大変なことが次々に起こり、そんな昔のことに囚われている場合ではなかった。
大急ぎでイールにここに連れて来られた時の記憶を辿り始める。
確かにイールはステラに『迎えにくる』と告げたのだ。
だけど迎えに来たのはジルドだった。
迎えにくると約束したイールは、滝の向こうに見える遺跡の祭壇でシリラと結婚式を挙げていた。
だいたい最愛の女性のお墓参りに行ってきたばかりだ。
お墓に向き合うイールの姿をステラは後ろから眺め、イールが亡きシリラに愛を誓っているのだと信じて疑わなかった。
ステラはわけがわからないと首をひねる。
「あなたが迎えに行ったのはシリラさんでしょう?私じゃない。やり直せないでしょう?」
イールの最愛の女性は死んでしまった。あとは心で想い続けるだけだ。
洞窟の床に仰向けに横たわり、ステラは正面にあるイールの顔を見上げ、困ったように問いかける。
ぽたりと、ステラの頬に熱い雫が落ちた。
イールの目から涙が溢れている。
「イール?シリラさんが恋しいの?」
やはり奴隷を解放してあげるべきだと考え、ステラはイールの首輪の留め具を外そうとする。
その手をイールの手がさらに強く握る。
「これを……外したら君の傍にいられなくなる」
「イール、大丈夫よ。気にしないで。なるようになるし、ジルドがお店のやり方を教えてくれたからなんとか生きていけると思うの」
洞窟の先は暗く、地面のひび割れまではまだ距離がある。
雨や風で岩が落ちれば簡単に穴はふさがってしまう。
ステラは焦ったが、イールはもの言いたげにじっとステラを見おろしている。
四つん這いのイールの体が少しずつ低くなり、その熱がすぐ傍に迫った。
「どこから……話せばいいのかわからない。ステラ、最初は君が俺を復讐のために買ったのだと思った……。だけどそうでないことがわかった。君は……君を裏切った俺のためにあんなことまでして俺を助けた。それからずっと傍にいて……君は一度も俺を責めることがなく……」
突然語りだしたイールに、ステラはそんな昔のことを掘り返すのかと目を丸くした。
イールはステラが自分の話に関心がないのだと思い、またすすり泣いた。
「わかっている。ステラ、君が俺を好きになる日はもう二度とこない。
だけど、俺は君を好きになった。本気で好きになった。
君が誰かを愛していても、誰かに愛されていても、誰かのものでも構わない。そう思えるほど君の傍にいたい。ステラ、俺は……」
(君を幸せにする最初の男になりたい)
その言葉がどうしても出てこない。
ステラを傷つけた自分がステラを幸せに出来るわけがない。
心臓は痛いほど脈打ち、もし拒絶されたらと考えるだけで息が止まりそうなほど苦しくてたまらない。
それなのに、ステラの表情は落ち着いていて、イールの言葉に動揺している様子もない。
ただ、不思議そうに問いかけた。
「それって決めたの?」
はっとして、イールはステラが信じるたった一人の男のことを思い出した。
愛とは無縁の冷酷な男で、ステラを道具としか見ていなかった生真面目な騎士だ。
それなのに、ステラは心から慕っていた。
崩れかけていた心を必死に立て直し、イールは力強く答えた。
「そうだ。俺は君の傍にいたい。ジルドのように君を守ると決めた。俺は、君を守ってきたジルドのようになりたい」
ジルドを失いずっと心細かったステラの心に光が差し込む。
「ステラ、君が俺を信じられなくても、俺は君を愛している。死んだ後も、その次に生まれ変わる時も、それからこれからも、君が信じなくても、君を愛し続ける。それを俺はジルドのように貫く」
「ジルドのように?」
「そうだ」
貫く道を決めた男は曲げられないものだ。なんとなくステラはそう思っていた。
ステラは困り果てた。
「死んだ後はシリラさんでしょう?愛は……よくわからないし……」
「彼女は幸せを知って旅立った。次に生まれ変わってもきっと幸せになれるだろう。だけど、それは俺とじゃなくてもいい。だけどステラ、君から離れることだけは耐えられない。君が、誰かを好きで、愛しているというならそれでもいい。
だけど傍で待たせてくれ。順番が来るまで待ち続けたい。君が他の誰かと幸せになるというなら、死んだ後でもいい。生まれ変わった後でも。だから、傍においてくれ。
そして……気の遠くなるほど先の話で構わないから、いつか、いつかどうか俺の愛を受け入れてくれ」
愛されるわけがないと思いながらも希望を捨てきれず、死後の魂まで差し出し、イールはすがった。
ステラはその言葉を呆然と聞いていた。
愛とはどんなものなのだろう。
そんな素朴な疑問から、ステラは身じろぎ、解放された手を伸ばしイールの頬を抱いた。
濡れた頬に、溢れる熱い涙、必死の形相ですがるようにステラを見つめている。
自由に、幸せになれと残したジルドの姿が蘇る。
どうするのか自分で決めてもいいのだ。
幸せになれる道かどうかも自分で歩いて確かめにいくしかない。
「わかった。試してみるね」
あっさりとした返事だったが、イールにとっては何よりも重かった。
心の底でなまりのように沈んでいた罪悪感が、嘘のように溶けだした。
永遠にこの痛みに苦しむのだと思っていた。
愛を許されることがこれほどまでに心を軽くするものだとは知らなかった。
愛が受け入れられたわけではない。ただ、愛を告げることを許された。
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