最後の選択者

丸井竹

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第三章 孤独な女の未来

36.幸福な食卓

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 ヴァルタ国の西辺境にあるレノの町からなけなしのお金を握りしめ、十日もかけてマウリの町を目指して歩いてきた少年は、東渓谷の案内所の前でついに力尽きて座り込んだ。

大きく息をしながら看板を見上げる。

『案内所』

恐ろしく簡単な説明に、少年は幾分がっくりと肩を落とす。
お腹もすいて喉も乾いているのに、まだマウリの町は見えてこない。
そこに一人の女性が近づいてきた。

「大丈夫?お腹が空いたの?良かったらお店に入っていって」

少年は顔を赤くして俯いた。

「い、いいえ。あの……もうお金が……」

路銀を使い果たし、行くあてもなかった。
女性は優しく少年の肩に触れた。

「そんなこと心配しないで。お金はいらないから食べていってよ。ここは疲れた人が休憩する場所なのよ」

聞いたこともない優しい女性の声に、もしかして天国に来たのだろうかと少年はぼんやりと考えた。
しかし、すぐに現実だと気が付いた。
強面の体躯の大きな男がどしどしやってきて、少年を抱き上げたのだ。

売られるのだと少年は思ったが、喉は乾き、飢えている。
もう逃げようもない。

案内所の向かいにある食堂に運ばれると、女性が扉の鍵を閉めた。
閉店の札が出されるのをちらりと見て、少年はここで殺されてるのかもしれないと覚悟を決めた。

しかし、しばらくして少年の前に並べられたのは見たこともないようなご馳走だった。
湯気の立った煮物に分厚い肉のハム、さらに瑞々しい果実まである。
水がたっぷり注がれたグラスが置かれると、少年は了解も得ずに両手でグラスを掴み飲み干した。

それから震える手でスプーンをとりあげると、せっせと食べ始める。
殺されるのだとしてもまずはこれを食べなければ後悔が残る。

気が付くと、皿は空になり、追加のハムが運ばれてきていた。
優しそうな女性が向かいに座り、少年に笑いかけた。

「シチューもおかわりする?」

少年は急いで口を袖で拭って、首を横に振った。
とにかくたくさん食べた。
支払いはどうしようかと真っ青になる。

「お金はいらないのよ。ほら、お店はもう閉まっているの。お客さんも誰もいないでしょう?もうここはお店じゃないから、私がご馳走したかっただけ。もっと食べていいのよ?」

少年は目を丸くして、それならばと出された皿を一皿ずつおかわりした。

やがて、お腹がぱんぱんになると、少年はようやく顔をあげ正面の女性と向き合った。
隣にはやはり椅子からはみ出しそうな体躯の男が険しい顔で座っている。

売られるのだろうかと少年は改めて考えた。
優しそうな顔をしていても、それを餌に子供を釣りあげて売ってしまう奴隷商もいるのだ。

「あの……僕はどうなるのでしょう……」

少年の言葉に、正面の女性は面白そうに目を瞬かせた。

「どうって?そうね……眠くなったのならベッドを貸してあげる。それから、行き先を聞いて、そこにはどう行ったらいいか教えてあげる。場所がわからないところだったら、他の人にも聞くし、一緒に探してあげる。ここは案内所なの。マウリの町はもう少し先にあるのよ。まだ小さいじゃない。どこかでお母さんと、はぐれちゃったの?」

やっぱり天国なのだろうかと少年は思った。こんなに親切な人はみたことがない。
騙されているかもしれないと思いながらも、藁にもすがる思いで少年は口を開いた。

「あの……人を探しているのです。僕の名づけ親で、正直、どこにいるのかは全くわからないのですが、でもマウリに向かっていた旅の人で、ステラさんという名前の女性です。その、帰る家がなくなってしまって、もしかしたら、少しでも手助けしてもらえたらと思って……図々しい話だとはわかっているのですが……」

つらつら話していた少年は驚いて言葉を切った。さっきまでにこにこしていた優しそうな女性が目を大きく見開き、顔を硬直させている。

「あ……驚きますよね、単なる名づけ親にそこまで面倒みてもらおうとか、その、図々しい話ですし……」

顔を赤くして言い訳をしようとする少年の前で、女性は声もなく、ただじっと少年を見つめながら大きな目からぼろぼろ涙を落として泣き始めた。
さらに、隣に座っている大きな体の男はさらに恐ろしい顔をして黙り込んでいる。

「あ……あの……」

驚いた少年が背もたれに逃げるように体を押し付ける。

「お前、名前は?」

大男の方が少年に問いかけた。

「り、リオンです……」

なんとなく恐怖を感じ、少年は椅子を引いて逃げようとした。
ところがその椅子は机の反対側から伸びてきた大きな腕に掴まれ、テーブルの方に引き戻された。

さらに大男が立ち上がり、少年の後ろに回ると退路を塞ぐように立って、少年の両肩に手を置いた。
ずっしりとした熱い重みに、少年は恐怖を感じ固くなる。

「事情を話せ。なぜここに来た。親はどうした?」

太い男の声に促され、少年は話し出した。

「その……実は母親が再婚したのです。そうしたら新しいお父さんとの間に男の子が生まれて僕は追い出されてしまいました。お父さんのところに行ってみたのですが、お父さんももう結婚していて、なんとなく居づらくて……。
困っていた時、僕が産まれた時に名前を付けてくれた人がいると母親が話していたことを思い出したんです。
母親のところに戻り、名前だけでも教えて欲しいと頼みました。
マウリに帰る途中の旅の女性で、ステラと言う名前だったと母親は覚えていました。名づけ親に養ってもらおうなんて出来るわけがないと笑われましたが、でも、親ってついているぐらいだし……その、ちょっとした仕事を紹介してもらえる程度でもいいから、何か助けてくれないかと思って探しにきたのです」

「リオン?」

突然名前を呼ばれ、少年はどきりとして向かいの女性を見た。女性は立ち上がり、手を伸ばすとテーブルに置かれたリオンの手にその手を重ねた。

「じゃあ、リオンは行く場所がないのね?お母さんもここに来てもいいと言ったのね?」

「はい……」

「じゃ、じゃあ……その、名付け親でしょう?私が、あなたの……その、お、お、お、お母さんになってもいいの?」

「え?!す、ステラさん?え?本当に?え?」

驚いた少年はまじまじと目の前の女性を見つめる。
少年は混乱した。ちょっとした縁を感じて援助してくれるか、あるいは仕事を紹介してもらえればいいとささやかな望みは抱いていたが、新しい母親が欲しいとか、誰かの子供になって世話をされるなんてことまでは考えてもいなかった。

そんな夢みたいなこと期待していいのだろうかと迷っていると、少年の肩に置かれていた大男の手がさらに強く少年を上から押さえつけた。
椅子にうまりそうな恐怖を感じ、男を見上げると、
男は凄まじい目力で、少年に圧をかけている。

「育ての親ということでいいのではないか?」

脅すような男の声音に、少年は大人しく従った。

「は、はい。じゃあそれでお願いします……」

大きな音が鳴った。
椅子を後ろに跳ねのけ、向かいの女性が立ちあがり、飛ぶようにテーブルを迂回して少年の傍に来た。

「り、リオン、抱っこしてもいい?」

もうすぐ十一歳の少年は驚いたが、頭上には恐ろしい大男が控えている。
黙って頷くと、女性は少年を椅子ごとぎゅっと抱きしめた。
それは驚くほどやわらかい大人の女性の体で、少年は固くなって目をしろくろさせていた。




 
 まさかこれほど歓迎されるとは思いもしなかったリオンは、思い描いていた以上の生活を手に入れた。
とにかく何をするにしても構いたがる育ての母親が出来た。
学校にも行けることになった。さらに寡黙な父親はとにかく、リオンに剣を持たせて早朝から稽古をつけ始めた。

 一日中家の手伝いをさせられるなんてことも全くなかった。
あまりにも大切にされるため、かえって居心地が悪く、せめて手伝いぐらいはさせて欲しいと育ての親に頼み込んだ。

なぜそんなに良くしてもらえるのかと、最初は恐ろしいぐらいに思っていたが、そのうち、それが当たり前の日常になった。

 そんなある日、リオンが腰を抜かすような事件が起きた。
学校から戻ったリオンが店の手伝いに行くと、珍しく閉店の札がかかっていた。
開店の間違いではないのかと、扉をあけると、なんと鍵もかかっていなかった。

「母さん、閉店の札になっていたけど、間違えていない?」

テーブルと椅子が並んでいる店内に入り声をかけると、そこに見知らぬ男がいた。
貴族だとわかる立派な衣服を身にまとい、宝石が埋め込まれた剣を下げている。
男と話していた母親が、にこにことリオンを振り返った。

「閉店でいいのよ、リオン。紹介するね、彼はエルダム、ヴァルタ国の王様よ」

腰が抜けるということがあるとすれば、それはこういう場合なのだ。
リオンは身をもってそれを知った。
声も出ず、ただ力が抜けてへたりと後ろに座り込んだ。

「え?!ええ?!」

言葉を忘れたようにぱくぱくしているリオンを、エルダムは面白そうに眺め、口元に優美な笑みを浮かべた。

「お前がリオンか。ステラから自慢の息子だと聞いている。王城にも学校がある。貴族学院や、騎士団学校、文官用の学習院もある。もし学びたければ母親に言え。俺が面倒をみてやる」

驚き過ぎたリオンの頭が真っ白になる前に、母親がとどめの一言を放った。

「リオン、エルダムは私の元夫なの。遠慮しないでいいのよ」

同じ場所で空気を吸うことも恐れ多く、リオンは、ひたすら頭を下げながら逃げるように店を飛び出した。
裏庭に駆け込むと、井戸の傍で父親が剣を磨いていた。

「と、父さん、今、食堂に……」

まだ全身が震えているリオンを冷静に見上げ、父親は重々しく頷いた。

「彼は時々ステラを訪ねてきてこの町の様子を聞いていく。彼はステラの元夫であり、国王だ。俺達は貴族ではないが、お前が望めばその道は無限にある。
もちろん、どの道を選んでも努力は必要だ。しかし、道を選べるということは素晴らしいことだ。よく考えるといい」

リオンは茫然と立ち尽くし、父親の傍に来て作業用の椅子に座った。
それから手入れを待っている短剣を一本手に取ると、砥石を手に取った。
息子の震える手から、父親は短剣をもぎ取った。

「冷静になってから手伝え。頭を整理する方が先だ」

もっともな言葉だったが、整理しきれる気がしない。
リオンは父親の迷いのない手元を見つめながら、こんなに驚かされるようなことがあってはたまらないと、問いかけた。

「これ以上の秘密はないよね?」

常に感情を秘めている父親の目は何を考えているのかわからない。

「と、とうさん?まだある?」

リオンの問いかけに、父親は曖昧な回答をした。

「今のところはないだろう」

頭に疑問符を浮かべながら、リオンはその意味を複雑な顔で噛みしめている。

翌年、リオンは学習院に入り、ヴァルタ国の歴史を学ぶ。
その時、育ての母親が最後の選択者であることを知ることになるのだが、それはまだ先の話だった。

「リオン!リオン!」

気づけばすっかり夕暮れになっていた。母親の声に、リオンが立ちあがる。
父親も武器の手入れを終え、片付け始めていた。

「イール?一緒にいる?」

裏庭に現れた母親はリオンの姿を見つけるとうれしそうに顔を輝かせる。

「エルダムは帰ったから、夕食にしましょう」

王様を呼び捨てなのかと、リオンはぎょっとしたが、父親は気にした様子もない。

夕食の席に着けば、先ほどの出来事は夢ではないかとさえ思うようないつも通りの光景があった。温かなシチューと焼きたてのパンが置かれ、分厚いハムも並んでいる。
母親は終始楽しそうに、リオンの顔を眺め、父親は黙々と食事を続けている。

元夫が王様なのに、なぜ母親は父親を選んだのだろうかと、リオンは首をひねりながら、父親の方をちらりと見た。

その瞬間、リオンは驚いて、パンをまるごとシチューの中に取り落とした。

強面の寡黙な父親が見たこともないような優しい笑みを浮かべ、妻に熱い視線を注いでいる。
しかし母親が父親に視線を向けた途端、すぐにいつもの無表情に変わった。

「そういえばイール、今日ちょっと気になる話を聞いたの。後で地図を見てもらえる?」

「ああ……」

「リオン、食が進まない?」

母親がリオンに視線を向けた途端、また父親の口元に笑みが戻る。

「大丈夫?口に合わなかった?」

心配そうに母親がリオンに問いかける。
と、父親の鋭い目がリオンの目とばちりと合った。
心臓がどきんと鳴り、リオンは急いで手元に視線を戻す。

父親は寡黙だが、その目は雄弁に語っていた。
母親に心配をかけるなと。

「そんなことないよ!美味しいよ!」

リオンはシチューに落ちた大きなパンをスプーンで救い上げながら、噛みついた。
明るい母親の声が響く。

「ほら、シチューが顔についてる」

ナプキンでリオンの頬を拭いながら、母親は幸せそうに微笑む。
リオンはスプーンをくわえながらまたちらりと父親を覗き見た。
父親は普段は、絶対に見せたことのないような熱い眼差しで隣の妻を見つめている。

妻の方もちらりと視線を向け、顔を赤くして真顔に戻る夫に優しく微笑みかける。

夫婦仲は良好だ。
リオンも女の子にもてるような顔立ちではない。金も身分もないが、母親は王様をふってこの強面の寡黙な父親を選んだのだ。

リオンは手元に集中して食事をしながら、選ぶべき道について考えた。
男は金でも顔でもない。となれば、何を目指すべきなのか。
生きていくだけで精一杯だったリオンの前にはまさに無限の道が現れた。

分厚いハムをひと切れお皿に運びながら、リオンは幸福そうな母親の顔を眺め、案外その答えは身近なところにあるのかもしれないと考えた。


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