愛があってもやっぱり難しい

丸井竹

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24.頼もしい夫と帰還した男

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そこには一回り小さくなってしまったような村長の姿があった。
白髪頭はいつの間にか禿げている部分がだいぶ広がっている。

心労からさらにやせ細り、初老であったはずなのに、すっかり老いてしまっていた。

「アロナ……それからカイン、少し困ったことになった」

その村長の後ろから大勢の村人たちがやはり困惑顔で村長の背中を見つめていた。
とりあえず中で話そうと村長だけが家に入り、カインが扉を閉めた。

食堂に移動し、椅子に腰かけた村長は、まだ弱っている様子のカインと、そんなカインの手をしっかり握るアロナを見た。

「はぁ……。実は、客人が来ている」

おもむろに話し出した村長に、二人は顔を見合わせた。

「誰でしょう?」

「誰というか、とにかくたくさん来ている。この村が寝取り寝取られ村だと有名になり、見学に来た人々だ。貴族の方もいるし、王都から来た商人達もいる。とにかく実態を見学させて欲しいとやってくる。貴族の方にはダーナス様に聞いてほしいと頭を下げ、その他の人々にも勤勉な農民であることを約束しているため、そうしたことは冬限定だと言って断っている。
しかしもう収穫の季節だ。すぐに冬が来る。今後のことについて、ダーナス様も話がしたいと手紙が来た。その……こちらに来られるとのことだ」

カインとドルバインを助けたい一心で思いついた嘘だったが、その嘘が現実のものになりかけているのだ。
今更嘘だったとも言えない状況だ。

「何か考えがあるのか?」

村長の言葉に、アロナは困惑した。

「特にありませんが……」

「無いでは困る。何か考えてくれ!」

村長が身を乗り出す。
カインは嫌な予感がして、アロナの顔をちらりと見た。
ずっと自分の辛さに囚われてきたカインは、やっとアロナの置かれている状況について考えるべきだと気が付いた。
アロナは深く考えずに、感情で動いてしまうところがある。
それを支えてきたのはカインであり、ドルバインだったはずだ。

アロナが、また何かを思いついたように手を叩いた。

「ならば、現実のものにしてしまえばいいのでは?ドルバイン様のサロンでしているようなことをこの村でもすればいいのです。だから、見世物小屋じゃないですけど、見学用の屋敷を建てて、普段は家を交代しながら楽しんでいるものですが、見学者が多いので新しい場所を作りましたと説明する。
それってもしかして、観光資源になりません?見学者からお金を取ったらどうでしょう?」

村長は剥げてきた頭を片手でこすり、難しい顔になった。

「何を見せる?」

「今のうちに募集しましょう。夫婦交換が可能な人を募集して、冬の仕事にするのです。町の娼館で稼ぐより、儲かるかもしれません。だって、ドルバイン様のサロンでは多額の寄付が集まるのです。自分の性癖を満たす場所がない人達にとっては、いくら出しても惜しくない場所になるはずです」

老人と夫の渋い顔を見て、アロナは何がいけないのかと小首を傾げる。

「設備の維持にお金がかかりますから、その分を差し引いて、各自に割り振ればいいのです。貴族以外の人が見学に来た場合は、あまりお金も取れませんが、王都からはるばる来るぐらいなら、豪商もいるかもしれません」

「この村で娼館をやろうというのか?」

村長が嫌そうな顔をする。

「見知らぬ人達が増えれば、それだけ事件も増えるだろう。ドルバイン様のサロンは、主催者であるドルバイン様の人柄を信頼してやってくる方々ばかりだし、体面を重んじる紳士的な人ばかりだ。しかし……」

冷やかしで来るような夫婦ばかりになっては嫌なのだ。
カインはようやく自身のことを考えるのをやめ、アロナの手を優しく握った。

「愛と尊敬の無い行為は暴力だ。安全で健全な性的欲求を満たすための場所を作るのは大変だ。その、俺達ではその枠組みを作ることは出来ないと思う。
やはり逆らえない身分や、強い後ろ盾がないと」

カインは慎重に言葉を選んだが、最後にはドルバインのことを思い出し口を閉ざした。
あの裁判の後、ドルバインがどうなったのか誰もわからない。
この状態で、人妻を抱きたいだけの男達が集まるようになったら、善良な村人たちでは制御しきれない。

「そのためにダーナス様がいるのではない?だってもう共犯よ。ドルバイン様を助けるために協力してくださったのだから、それはやっぱり領地の収入源として協力してもらってもいいのではない?」

怖いもの知らずのアロナの発言に、二人の男はぎょっとした。

「夫を守るためなら、なんだって利用するわ。こっちだって命がけなのよ。怖いものなんてない」

アロナの提案を受けた時、それに賛成した全員が、国を騙す行為に加担するのだと理解した。
王都に行くときには、全員が生きて戻れないかもしれないと考えた。
なんとか生きて戻ったが、国を騙している事実は続いている。
何かあれば、発案者のアロナだけではなく、それに同行した全員がこの嘘の共犯者として裁かれる可能性がある。

それでも、村人たちがアロナに賛同して命を懸けたのは、ドルバインを救うためだった。
ドルバインが自分たちの生活を守ってくれると思うから、恥をかき、命を投げ出しこの企みに加担したのだ。

当然ながら、その見返りは期待する。

「ドルバイン様が戻られたら、きっと相談に乗ってくださると思うけど」

アロナは黙り込み、下を向いて拳を握った。
皆を先導した責任を感じ、強気に振舞っていたが、不安がないわけではない。
多くの人を巻き込んで始めたことが、失敗だった可能性だってある。

弱気な一面を見せたアロナの肩をカインは抱き寄せた。
か弱い女性の身で、裸になって、村人全員をまきこみ夫を助けにきたのだ。
怖くないわけがない。

「村長、ダーナス様に相談するべきだと思います。何かあった時に責任を取ることになるのは領主様ということになると思いますから、勝手な判断は出来ません。ただ、訪ねてくる人の目的を明確にした方がいいかもしれません。
参加したいのか、見学をしたいのか、あるいは同じ悩みを抱える人が相談に来ているのかもしれません。書式を作り、匿名で書いてもらうことにしたらどうでしょう。それによって答えを変えましょう。俺が相談にのります」

村長はそれぐらいなら出来るだろうと納得した。

「カイン、アロナ、私は村長をやめようと思っていた。今回の件が片付いたら、君たちにこの村の未来を託したい」

「え?!」

異口同音にカインとアロナは驚きの声をあげた。

「息子のこともある。跡継ぎは次男しかいないが……もう自分の判断に自信がない。寄付金の額でいえばお前達が一番だ。村長になる資格もある」

「それは、今回のことが終わってからにしてくれませんか?少し考えさせてください」

村長が帰ると、アロナは無理に明るい表情を作ろうとしたが、カインがそんなアロナを正面から抱きしめた。

「アロナ、少し休まないか?もう少しだけ」

カインはアロナが無理に明るい表情を作らなくて良いように、胸にアロナを抱いたまま寝室に移動し、寝台に横たえた。
掛け布を引き上げ、その顔を隠してやり、カインはアロナの髪を撫でた。
夫らしく妻を慰めていると、苦痛と恥辱の中で混乱していた頭が冷静さを取り戻していくようだった。

もう二度と会えないと思っていた妻を抱き、その香りをかいでいる。
それ以外のことは些細なことだとさえ思えてくる。

「アロナ、もう大丈夫だ。君が俺をここに戻してくれた。二人で一緒にいればもう心配はない。そうだろう?俺達は一緒にいるのだから」

カインの胸に顔を埋め、アロナはか細い声で泣き出した。
奪われた夫は変わり果て、その心をどうすれば癒せるのかわからず、アロナ自身も怖くてたまらなかったのだ。

「カイン……ありがとう。帰って来てくれて、本当にうれしいの。ごめんなさい。もっと早く助けたかった」

全ての悪夢が遠ざかっていくようにカインは感じていた。
一番欲しい物を取り戻した。そのために、男の自尊心まで投げ出したのだ。
そういうことなのだと、ようやく納得出来た。

夫を取り戻すため、妻も全てをかけたのだ。羞恥心も女としての自尊心も全てを投げ出して、大勢の前で裸を晒して演説までした。

二人は夕暮れまでじっと抱き合ったまま動かなかった。
言葉もなく、顔を見合わせることもなかったが、心は最も近いところにあると感じていた。

窓からちらちらと瞬く星が見え始めると、ようやくアロナが顔を上げた。
灯りもなく、互いの顔は見えなかったが、カインもアロナの方を向いた。

暗がりで二人の唇が重なった。
舌を絡め、たっぷりと口づけを交わし、やっとアロナが口を開いた。

「さすがに何か作りましょう。お腹が空いちゃった」

二人は仲良く立ち上がり、室内だというのに手を繋いで寝室を出た。




――

事件から三か月が過ぎた、冬目前のことだった。
木枯らしの吹く中、王都からドルバインが戻ってきた。
ダーナスの城に帰還したドルバインは、兵士達の歓迎を受け、門を通過すると先ぶれより早く城に入った。

ようやく王都から戻った忠実な部下をダーナスは立って出迎えた。

「ドルバイン、ようやくだな」

無罪を勝ち取ったドルバインだったが、連日新たな法案作りのための会議で忙しく、なかなか王都を離れることが出来なかった。
アロナが二人を助けるため、深い考えも無しに思いついた話を具体的なものにするため、ドルバインはその道筋を立てて根回しや段取りに追われ、さらに国王とも秘密の会議を重ね、公の会議にも出席し、アロナのとんでもない思い付きを地に足がついたものに作り上げたのだ。

実直な人生を送ってきたと思っていたが、まさか自分が寝取り村なるとんでもない存在を作り上げるために、駆けずり回ることになるとはドルバインも思いもしなかった。
冬の期間限定のサロン程度であれば、規模も小さく、仲間内での楽しみで済ませていられたが、村ぐるみの大きな話になると、その実現には膨大な仕事量が必要となる。

もし過去の自分に会いに行けるとしたら、ドルバインは、まずはこの話をして、今から考えておくように忠告するだろうとさえ思った。

「ドルバイン、禿げてきたのではないか?」

ドルバインに椅子を勧め、自分も向かいに座ったダーナスが、側面の髪で無理矢理覆われた頭頂部を見やって指摘した。禿げている面積が広すぎて、側面の髪では覆いきれず、頭頂部は肌色と髪の色のしま模様になっている。

ドルバインは思いきり眉間にしわを寄せる。

「心労のせいでしょうね。とんでもない仕事量で、処刑された方が楽だったのではないかとさえ考えました」

軽い笑い声を立て、ダーナスは膝を叩いた。
生真面目なドルバインにしては面白い冗談だった。

「様々な事情を考慮し、ルータスの関わっていた事件で国が没収した金銭の一部が戻ってくることになった。身売りした領民たちを買い戻すことになる。その調査のために部下達を動かしているが、まだ少し時間がかかりそうだ。
それから、アロナとカインの村は観光地になりそうだぞ」

事情を聞き、ドルバインは重いため息をついた。
禿げあがった頭から横の髪がはらりと滑り落ちる。

「剃ったらどうだ?」

ダーナスの言葉に、ドルバインは嫌そうに顔をしかめた。
そこはまだこだわりたいのだ。

「北のいくつかの村を特別法令地区に入れました。不貞行為が許されるわけではありませんが、細かい決まりを守ればそれが可能な地域になります。
そのための調査機関を立ち上げることになります。法整備と、それから治安維持のための組織作りを急ぐ必要があります」

「お前の冬のサロンはどうなる?」

「特別法令地区の視察ということで、これまで通りです。こんな危険な橋を渡ってまでまだ続けたい人がいれば続けます。求められなくなれば、終わりにするだけです」

それからと、ドルバインは分厚い書類を取り出し、ダーナスに差し出した。
そこにはかなり大きな金額が記載されていた。

「俺の召使を勝手に連れ出し、凌辱した罪を告発し、賠償金をふんだくってきました。それから、必要経費として陛下からいろいろ用立てて頂きました。ボードレ平原の戦いの恩を返したいとのことでした」

「父上とお前が、まだ少年であられた陛下を守り、敵陣を突破した話だったな。お前は勲章を辞退し、俺の父上が名誉騎士として領地を賜った。お前は父上の影となり、騎士として最後の時まで傍にいてくれた」

ダーナスの父親とは幼少時代からの友人だったのだ。
身分にかかわらず、共に背を預け戦い抜いた。
領地を賜り、第一線を退くときに、ドルバインも骨を埋める覚悟でナバール領にやってきた。

「充実した人生でした。引退し、悠々自適に暮らしていこうと思いましたが、いろいろあるものです」

「だが、楽しそうだな。あの勇敢な女性が突然訪ねてきた時は驚いたぞ。しかも二度もやってきた。一度目はお前を助けることは出来ないと突っぱねた。
ところが、二度目に来た時には良い考えがあると、あの調子だった。
度肝をぬかれたな。全く、平民とは大胆なことを考えるものだと感心したが、俺もお前を助けるために必死になった」
ダーナスはくつくつと笑い出した。

「戦場にいる時よりはらはらしたぞ。あんな面白いことになるとは思いもしなかった。貴族たちも王都の人々も口をぽかんとあけて、我が領民たちの行進を見ていた。
お前を助けるために、皆が力を合わせた。素晴らしい光景だったな」

「恩は仕事で返すしかないでしょうね」

まだまだ引退出来ないなと、ダーナスは笑いながらドルバインの頼もしい手を握った。

「今日は城に泊まるだろう?」

酒を飲もうと、グラスを掲げる仕草をしたダーナスにドルバインはあっさりまた次の機会にと頭を下げた。

「行かなければならないところがあります」

それがどこなのか、ダーナスは察した。

「そうか、あの勇敢な女性によろしく伝えてくれ」

ドルバインは一礼し、相変わらずの落ち着いた物腰で部屋を出ていった。
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