聖なる衣

丸井竹

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41.聖なる衣

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 神官長に短剣を渡された少年は、鎖に繋がれた父親の傍に近づいた。
自分をペットのように扱ってきた息子を父親は恐れ、そして憎んだ。

「俺に逆らってただですむと思っているのか!」

叫んだが、いつか子供の力は父親を超える。
少年は既に父親より強く逞しく、そして残虐に育っていた。

「お前が育てたように育った俺の姿をよくみるがいい」

少年は父親を裸にすると、尻に石を詰め、股間を切り取り、残酷な拷問を始めた。
神官長は傍に立ってそれを眺めていた。
少年の首には家畜に使われる制御石の嵌めこまれた鉄輪がある。

それを作動させる音はこちらにあったし、屈強な兵士が神官長を守っていた。
観客はいなかった。
その処刑はあまりにも時間がかかった。

神官長は護衛を帰らせ、椅子を置いて少年と父親のおぞましい最後を見つめていた。

少年は父親にとどめを刺さなかった。

「男ではなくなったその体で、どこまでも辱められ生きていけ」

そう口にしたが、父親を生かすには少年が死ななくてはならない。
苛々と少年は処刑場を歩き回った。
股間を切り取られ、尻の穴を広げられた父親は、悲鳴をあげ、もがき続けたが、少年に謝罪しようとはしなかった。

「やめろ、やめろ」とわめき続け、「殺してやる」と繰り返した。
同じように少年も言い返し、殴りつけてはさらに辱めようと父親の髪を切った。

少年が父親の爪を剥ごうとした時、神官長がやっと口を開いた。

「ここは取り潰すつもりだったが、仕方がない。お前の処刑が終わるまでこの処刑場だけ残すことにしよう。何日、あるいは何年でお前の憎しみが癒えるのかみてみよう」

それは気の遠くなる話だった。
神官長は少年についてくるようにと告げた。

「今日から生き延びた対価を払ってもらう」

社会に奉仕するという糞面倒な仕事を引き受けてしまったのだと少年は知っていた。
しかし、そんな約束は守る必要がないとも思っていた。

逃げてしまえばよかったが、もし捕まれば少年の方が殺され、父親が無罪放免になる可能性がある。
父親が死んだら逃げ出せばいいと少年は考えた。

神官長は少年を自分の部屋に連れていった。
そこには一枚の書類が用意されていた。

「これに署名してもらう」

字を読めない少年は文字だって書けなかった。
神官長は、ため息をつき、まずは文字を学ぶようにと命じた。
仕方なく、少年は書類に署名をするために文字を学び始めた。

怒りや憎しみは消えず、処刑場の父親の傷を塞ぎ、食事と飲み物を運び、生きたまま苦しめた。
少年は神官長に大人しく従っているふりをして、父親が死ぬ時を待っていた。
もう殺してもいいと思える時がきたら、父親を殺し、逃げてやると固く心に誓っていた。

文字が書けるようになり、少年は書類に署名をした。
神官長は、少年の首輪を外した。
工事が始まり、父親のいる処刑場を残し、要塞の壁は壊されていった。

神官長は処刑場の上を教会にした。
少年はまだ学んでいた。
署名をした書類を声に出して読むように命じられ、少年は冒頭の一文も読めなかった。

「文字をかけるだけではだめだな。書類は声に出して読む決まりだ」

少年は神学校に通うことになった。
絶対に逃げてやる、こいつらを殺してやる。
少年はそう心に決めて頑張った。

神官長は少年の部屋にやってきて、簡単な童話を読み始めた。
少年は嫌がったが、これも勉強になると神官長は毎日それを続けた。

気づけば読み書きができるようになり、少年は世界の広さを感じるようになっていた。

父親はまだ生きていた。髭も髪も伸び放題で、尿も糞も垂れ流しだった。
ぎりぎり生かされ、少年は込み上げる憎しみのままに殴りつけ、悪態をついた。
しかし、まだ殺さなかった。

一年後、神官長は少年に署名をさせた書類を差し出した。
声に出して読めと命じ、少年はそれに従った。

読み終えた時、少年の頬を一筋の涙が伝い落ちた。
その一滴が書類の端に落ち、最後の一文がわずかににじんだ。

「お前は一年前から、私の息子だ」

神官長は静かに告げた。
養子になる手続きが正式に終わり、少年には鎖に繋がれ、朽ちかけている父親とは別の父親が出来た。
それでも実の父親は生きていたし、少年の憎しみは続いた。
救いはなかったし怒りは唐突に沸き上がり、時折、部屋をめちゃくちゃにして家畜を殺すことさえあった。

正気を疑うような少年の暴挙を神官長は何も言わず見守り、血に染まった体が隠れるように、大きめの紺の聖衣を彼に与えた。

父親が生きている限り、少年もまたそこにいるしかない。
憎い父親を殺したいのに、簡単に殺せない苛立ちを抱え、少年は神官長の息子として仕事を始めた。

心の中では全員死んでしまえばいいと思っても、神に仕える神官の仮面を被り信者を迎え、神の言葉を伝えた。
教会内に運ばれてくる傷ついた女も、死んだ子供もどうでもいい存在だった。
決められた仕事をするばかりで、そこに心はなかった。

父親は十年生きて、ある日死んでいた。
うまく生かしていたはずなのに、衰弱死したのだ。
最後の方は、言葉もなく、ただ虚ろな目に虚空を写し、息をしているだけだった。
下半身はカビやキノコに覆われていた。

死体まで辱めてやろうと思ったが、少年はそうしなかった。
ただ、その死体をそのままにした。
地獄の底でも鎖に繋がれた罪人でいればいいと思ったのだ。

もう逃げても良かったが、神官長は少年に告げた。

「お前がこの教会を引き継ぐのだ。ここはお前の好きにしていい。地下の財宝も使い放題だ。悪の巣窟にするならそれでもいい。殺しがしたければすればいい。しかし、それは私が死んだあとだ」

十年かけて父親を殺し、ようやく自由を手に入れた少年は、その言葉で逃げるのをやめた。
神官長が死ねば、教会がまるごと自分のものになる。

学びは続き、毎日の仕事もあった。
神官長は少年を息子と呼び、口うるさいことも言わず、ただ傍で見守っていた。
もう親子として十年の時を重ねていた。
意外にも早く別れの時がやってきた。

神官長は既に高齢で、少年とは孫ほども歳が離れていた。
もう少年とは呼べなくなった成長した息子を呼び、神官長はその手を握った。

「私は生涯を通して多くの人を助けた。力無いものに手を貸し、立ち直るまで見守ってきた。王都の療養施設に入る前の応急処置的な施設ではあるが、なるべくここで出来る限りのことはしてきたつもりだ」

その言葉を息子は冷やかに聞いていた。神官長が助けてきた人々の中に、息子の存在は入っていない。

神官長は気にせずに続けた。

「多少なりと善行を積んできたつもりだ。だから、もし、お前がたった一人でも誰かを救うことが出来たなら、私の善行をもって、聖母プレアーゼ様にかけあってお前を地獄に連れて行かないで欲しいと頼んでやろう」

「冗談じゃない。俺は地獄の方が良い。おめでたいやつらがわんさかいる天上界なんて行ってたまるか」

息子の言葉に神官長は穏やかに笑った。

「ならば私もそこに行こう。お前が一人でも誰かを救い、その行いを聖母プレアーゼ様が認めないとおっしゃられるのなら、私も一緒に地獄に行こうと思っていた。
お前の罪は消えない。お前に殺された者の無念も。
誰がお前を救えるのだろうと考えた時、私は結局誰も救えないのだと気が付いた。
もし、もっと早くお前を見つけていれば、助けられただろう。見過ごされた子供は、どこまでも見捨てられ、誰にも手を差し伸べてもらえない。
復讐さえもお前の心を救うことは出来なかった。救いとはどうしたものなのか、許しとはどこからくるのか、私は永遠にその問いに気づくことが出来ない。
だけど、息子よ……私は最後にお前を息子に選んだ。だから、お前と共に行こう。
いつか救いが訪れ、お前が天上界に行くことを願うが、それは私の願いだ。お前が願いたくないならそれでもいい。お前が来るのを待っている。地獄でも、天上界でも。どちらでもいい。お前の行きつく場所へ私も行こう。
お前を救えなかった……子供のお前を助けたかった。それが出来なかったことを悔いている。申し訳なかった」

なぜ、お前が謝るのかと息子は怒鳴りたかったが、声が出なかった。
喉元まで込み上げる痛みに、息が詰まり、目頭が熱くなる。
息子は歯を食いしばり、溢れ出そうになるものをぐっと堪えた。

「地獄に行くときこそは、私が必ずお前に寄り添い、今度こそ守ってやろう。そのために私は生涯を通じて聖母プレアーゼ様の教えに従い、慎ましく暮らしてきたのだ。
地獄の炎からお前を守り、お前の罪を言及するもの達の前で、お前は私の誇れる息子だと言ってやる。だから、安心して……長生きをして、死ぬことだ」

老いた神官長の言葉は次第に弱々しくなり、その手は息子の手から滑り落ちた。

「やっとお前と離れられるというのに、死んでまで待ち伏せされるのはごめんだ。俺は一人でいい!お前なんて待っていなくて良い!お前は、さっさと天上界でもどこにでもいったらいい。俺はお前だって救えないぐらいの悪人になるんだ!」

息子の言葉に、神官長はかすかに微笑んだ。

「それでもいい。あの世のことは任せておきなさい……」

かすかな声はもう消えそうだった。
息子は神官長の手を握りしめた。

「もし、もしも……一人でも救えば……」

その声はもう届かなかったのだ。
神官長は瞼を落とし、静かな微笑みを浮かべたまま息を引き取っていた。


寝台の上で思い出の光景を見ていたロベルは、虚空に手を伸ばし、自分を息子と呼んだ神官長の頬に触れようとその腕をゆらりと動かした。
しかしその光景はロベルの頭の中にしかなく、その手には何も触れなかった。

誰かを救う気なんてなかった。
ただ、淡々と勤めに生きただけだった。
神官長の続けてきた仕事を引き継ぎ、ただ流れる時の中で善人を演じ続けた。

しかし死期が近づいた時、考えたのだ。
自分を息子と呼んだ人が、一緒に地獄に行くことになるのだと。
一人殺しても二人殺しても同じことだ。
何人殺しても殺人鬼であることは変わらない。

もし、ただ一人でも救うことが出来るなら、それは父親の魂の救済にならないだろうか。
自分は地獄でもいい。だけど、自分を息子と呼んだ神官長だけは天上界に行かせてやって欲しいと聖母プレアーゼ様にお願いできないだろうか。
俺は地獄でいいから。父さんだけは。

ロベルは遠ざかる意識の中で、ひっそりと声を出した。

「お父さん……」

その皺深い手に、ふと、誰かが温かな手で触れたような気がした。
しかし、ロベルはもうそれを確かめることは出来なかった。

その耳に、優しい神官長の声が聞こえた。

(ロベル……よくやった)

それはロベルの心が初めて救われた瞬間でもあった。
瞼は閉ざされ、深い眠りが訪れた。



 翌日、弔いの鐘が鳴った。
朝方、嫌な胸騒ぎがして教会に駆け付けた女は、冷たくなったロベルを前に泣き崩れた。
抱きしめ、名前を呼んだが、ロベルが答えることはなかった。

多くの人々が詰めかけ、その死を悼み泣き続けた。
男が女に寄り添い、子供たちが花を手向けた。
女は作業小屋に飛び込み、一心不乱に棺桶に絵を刻んだ。

弟子たちもその作業を手伝った。
かつてない大作が、驚くべき短時間で完成した。
家族のなかったロベルは、リースの墓のそばに葬られることになった。
多くの人に愛され、惜しまれて、祈りの言葉と共にロベルはあの世に旅立った。


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