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40.走馬灯
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立派な屋敷の一室に通された男は、ズボンの汚れを心配しながらソファーに腰を下ろした。
すると、人懐っこい双子が先を争うように男の傍にやってきた。
男が出来る限り優しく微笑みかけると、双子はすぐにその膝にしがみつき、抱っこをねだった。
いいのだろうかと、男が女に視線を向けると、女は気にした様子もなく向かいに座ってにこにこしている。
子供の面倒をみるのは男の仕事とでも思っている様子だった。
仕方なく男は小さな双子を抱き上げ、膝に座らせた。
その軽さとぬくもりに込み上げる愛しさは、幼いルカを抱いた時と同じだった。
「名前は?」
「リンとイースよ」
その名前の由来は聞かなくてもわかっていた。男は頷き、子供達を腕にしっかり抱えると、懐から袋を取り出し、それを正面のテーブルに置いた。
「預かっていた作品の売り上げだ。その、もう俺を通さなくてもいいだろう……息子は君にもらったクーガを繁殖させ調教師として独立した」
女は少し気まずそうな表情になり、静かに頭を下げた。
「私なりの謝罪のつもりだったの。私、身勝手で周りに迷惑ばかりかけてきたから。あなたからも逃げていたし、ルカのことも押し付けたままだった。それが少しずつわかってきて、どうしたらいいかわからなくなった。謝りたかったの。
きっと、私のせいでたくさん傷つけた。子供だったのね、本当にごめんなさい」
膝に座る子供達を落ちないように抱き寄せながら、男も頭を下げた。
「とんでもない。俺の方が子供だった。俺はまだ若く、君が子供を産んだことを受け入れられず怒っていた。それでも子供を見捨てることはできないと意地になって、君からルカを引き離した。その幼稚な決断を俺は心の底から後悔している。
覚悟が出来ていなかったのは俺の方だった。逃げ場のない君は、覚悟を決めて子供を産んでくれたのに、俺が向き合えなかった。
夫婦になる覚悟も、父親になる覚悟も足りなかった。君は自分の悲しみと向き合いながら、必死に息子を育ててくれていたのに、俺は君を支えることから逃げた。本当に……申し訳なかった……」
女は穏やかに微笑んだ。
「ルカに言われたことがあるの。自分の悲しみに囚われて、私はあの子に酷い態度をとり続けてきた。それを謝ったら、ルカは許すから、私も自分のことを許すべきだって言ってくれたの。
あの子の方がずっと大人で、それはあなたがあの子を愛して育ててくれたから。世界が変わったように明るくなったわ。ねぇ、私達、許し合って前に進めないかしら?」
悲しみの中で嵐のように出会った二人は、今は止まった時の中にいた。
追い立てられるような悲しみも怒りもなく、幼い子供の将来について迫られている問題もない。
互いを見つめ、考える時間がたっぷりあった。
しかし微妙な立場でもあった。
女は別れた夫を愛していたし、幼い子供を何よりも優先する母親だった。
そして、男の方はその母親と子供を受け入れる覚悟も準備も出来ていたが、残念ながら女に愛されていない。
「俺では……頼りないかもしれないが、君の力になりたいと思っている。レイフ様のようにはいかないかもしれないが、この町のことなら詳しいし、それに子育ても手伝える」
目を合わせ、男はまだ少しぎこちなく微笑みながら手を差し出した。
貴族であれば膝をついて手の甲に口づけをするのだろうが、それは男の生きている世界のやり方ではない。
女は気さくにその手を取り、「これからもよろしくね」と笑った。
女に愛はなくても、男には女の生んだ息子がいた。
仲良くなる第一歩として、夕食を家族で一緒にとってはどうかと男は提案した。
女の家族に男は入っていないが、息子の家族には入っている。
息子と食事が出来ることを女は喜び、無理のない範囲でと付け加えた。
牧場住まいの息子は、父親からその話を聞くと、少しばかり迷惑そうな顔をした。
しかし父親が実際に緊張の面持ちで夕食の誘いに来ると、思わず吹き出し、喜んで参加すると答えた。
二つの家族の交流が始まり、あっという間に一年が経った。
離縁したレイフは、女に危険が及ばないように配慮し、訪ねてこなかった。
女は時々王都の方を眺め、ひっそり泣いた。
子供達は大声をあげて走り回れる田舎の生活にすぐに馴染んだ。
なにより兄のルカにはすぐになつき、「遊んで、遊んで」とまとわりついた。
男も時々足を運び、女の話し相手になりながら双子の世話を手伝った。
冬になる前に教会の住まいが完成し、女は自身の工房を持った。
王都からついてきた侍女たちが女が仕事をしている間の双子の世話をかわり、棺桶職人の弟子たちは女の傍で作品作りを見学した。
広い屋敷には部屋がいくつもあり、ルカも泊っていくようになったが、男はどんなに遅くなっても家に帰った。
二つの家族の交流は続き、五年が経った。
その年、ついに王が王妃を迎えると知らせが届いた。
寂しさに泣く女の傍には男がいた。
優しくその体を抱きしめ、悲しみに流される女の気持ちに寄り添った。
ついに二人は体を重ね、男は今度こそ逃がすまいと朝まで女を抱いていた。
朝になれば、全てなかったことになるのではないかと男は恐れたが、女は自分の心に向き合い、それから男のことを真剣に考えた。
待ち続けた男は、ただ素直に気持ちを伝えた。
「昔と変わらず、今も同じように愛している。君を手放した時にその想いに気づいたが、俺は素直になれなかった。君が王都に発つときも、君の幸せの邪魔になりたくないと思い、俺は何もしなかった。
今は、ただ君だけを見ている。悲しみを埋めるために利用してくれても構わない。どんな形であっても傍にいたいと思っている」
情熱的な愛ではなかったが、男の静かな覚悟を女は逃げることなく受け止めた。
前に進むべきだと心のどこかで声がした。
どんなことをしても後ろには戻れない。
前に進むしかないのだ。
友情や家族愛、あるいは腐れ縁かもしれない。
それでもそこに愛があるのならば真摯に向き合うべきだと女は考えた。
「ありがとう、二コラ……」
名前を呼ばれた男は、感動に胸を震わせた。
女が男のことを異性として意識し、真剣に考えようとしているのだと確かにわかったのだ。
溢れる涙を拭い、男はただそこに生まれる愛を大切にしようと固く誓った。
それから二人は穏やかに愛を育んだ。
女の屋敷に通い続け、半年後、男は子供達に結婚することになったと告げた。
双子は無邪気に、「今までと何がかわるの?」と問いかけた。
息子は、ついに父親が想いを叶えたことにほっと胸をなでおろした。
父親に夕食に誘われるたびに、自分無しでは女に会いにいけないのだろうかと心配で、断りづらくて仕方がなかったのだ。
そろそろ息子も家族以外の人と食事をしたい年頃だった。
翌日、女は教会に行き、ロベルにその報告をした。
ほぼ毎日顔を合わせているロベルは、既に祝いの品を作らせていた。
それは聖女プレアーゼの祈りの言葉が刺繍された純白のドレスだった。
そのドレスの形を目にして、女は顔を赤くした。
「もう、無理だと思います……」
それは妊娠した女性用のもので、さすがにこの歳では必要ないのではないかと女は思った。
しかし、ロベルは穏やかに告げた。
「使わなければリンが嫁ぐ時に持たせたら良い。良い物だから長持ちする」
幸福そうに微笑む女をロベルは優しく抱き寄せ、その額に祝福の口づけをした。
女は床に膝をついた状態でその口づけを受け、細い老人の腰を抱きしめた。
それから一年経たずに、女は男との子供を身ごもった。
女は幸福そうにその事実を受けとめた。
傍にいられるだけで十分幸せだと思っていた男は、思いがけない幸運に喜んだが、念のため女に確認した。
「俺の子供を産んでくれるのか?」
まだ昔のことを根に持っているのかと、女は少し憮然とした表情だった。
「あたりまえでしょう?」
泣き笑いし、男は女を抱きしめた。
双子は無邪気に喜び、息子は少し赤くなった。
相変らず時折やってくるヴィーナは、孫が増えても、娘が結婚しようと無関心で、とにかく金をよこせと口汚く催促した。
その割には、大金を奪おうとするわけではなく、多少生活が出来る程度の金を受け取りあっさり帰っていく。
その際、憎たらしそうに娘を睨み、孫たちには魔女のような怖い顔をしてみせる。
決して家族として混ざりあうようなことはなかったが、去っていくその背中は年々小さくなっていた。
ロベルは女から報告を受けると、くしゃりと顔を綻ばせ、ただ黙って頷いた。
結婚の報告をした時はまだ椅子に座っていたが、たった半年でロベルはすっかり動けなくなっていた。
女は毎日、自室の寝台で寝たきりになったロベルに会いに教会に通っていた。
寝台の隣に椅子を置き、いろいろと世話を焼きながら、ロベルの手を取ってたわいもないおしゃべりをした。
それをロベルは静かに聞いていた。
「エリン、幸せか?」
ロベルは必ず別れ際にそう問いかけた。
女はそのたびに幸せだと答えたが、妊娠の報告をしたその日、ロベルの手を握り女は別の返答をした。
「ロベル様、私を救って下さったのはロベル様です。長い間、私を見捨てないでくださりありがとうございました。どんな時も、ロベル様は私をずっと見守ってくださった。それに気づいた時、私は大きな愛に気づきました。周囲の愛にも、愛を渡すべき相手にも気づくことが出来ました。
私がここに来てからずっと、ロベル様は私を助けようとしてくださった。そうですよね?」
涙をにじませ、皺深い手に頬を押し付けた女の頭をロベルは優しく撫でた。
「救ったのか……。お前を……私は救えたか?」
「はい。ロベル様、私はロベル様に救われました。愛しています。私の父のように思っています」
女の声を聞きながら、ロベルは記憶の中の光景を見ていた。
それはロベルがまだ少年だった頃の記憶だった。
ここには、まだ真っ黒な石を積み上げた監獄要塞が建っていた。
闇に包まれた地下の牢獄にはじりじりと燃える小さな蝋燭しかなかった。
向かいの牢獄に父親がいた。
神官長は、父親を処刑場に連れて行き、それから少年を牢から出した。
「父親を殺したいと言ったな?もし殺せたら、お前はこの世に救いがあったと思えるか?」
「この世に救いなんてあるものか」
ありとあらゆる悪行を尽くしてきた少年は吐き捨てた。
憎悪に燃え、父親が連れて行かれた方を睨み、少年は叫んだ。
「獣を連れてきてあいつの尻を犯してやればいい。もっとも醜く、汚れた死に方をさせてやれ。あれをただ処刑するなんて生ぬるい。俺以上の悪党だ!」
首に鉄輪を嵌められ、屈強な兵士に押さえ込まれながら、少年は神官長に唾を吐いた。
「お前も同罪だ。俺は戦い生き抜いた。お前は善人の仮面を被って見ているだけだ」
多くの傷ついた女性達を救い、罪人たちに懺悔を促し、祈りの言葉を伝えてきた神官長は、少年を処刑の間に連れて行った。
父親は壁に鎖で繋がれ座らされていた。
「この要塞は取り壊されることが決まっている。多くの罪人を処刑してきたが、今この牢獄にいるのはお前とその男だけだ。
どちらかに恩赦を与えることになっている。しかし、その対価として社会に奉仕することが条件だ」
「悔い改めます。殺されずに済むのなら」
即座に壁に繋がれている父親が声を発した。
少年は奥歯をぎりぎりと噛みしめ、血が出るほど拳を握り込んだ。
憎い父親が生き延び、善人面して誰かに感謝されている姿を思い浮かべると、はらわたが煮えくりかえる想いだった。
娼館に売り飛ばされた息子が、その後どんな地獄を見てきたかもしらないこの男を、死ぬまで苦しめてやりたいと少年は考えた。
「この男の処刑方法を任せてくれるなら、俺はあなたに従う」
魂と命を投げ出し、復讐を手に取った少年の言葉に、神官長は頷いた。
「良いだろう。私も若い命は摘みたくはなかった」
殺人や強姦、盗みや放火ありとあらゆる罪を犯した少年に、神官長は短剣を一本渡した。
それはおぞましい復讐の幕開けになった。
「ロベル様?」
ぼんやりと虚空を見ているロベルに、女が心配そうに声をかけた。
過去の記憶に浸っていたロベルは、現実に引き戻され、目を細めると女の手をやさしく自分の手の上から押しやった。
「エリン、また明日もおいで」
涙を拭い、女が優しい微笑みを残して出て行くと、ロベルは思い出を整理するかのように、再び過去の記憶を掘り起こし始めた。
その目は虚空を向いている。
脳裏に蘇る光景に、監獄要塞に残された最後の罪人の姿があった。
少年とその父親は神官長の前で醜くののしり合う。
淡々とロベルは、その事の顛末を辿り始めた。
すると、人懐っこい双子が先を争うように男の傍にやってきた。
男が出来る限り優しく微笑みかけると、双子はすぐにその膝にしがみつき、抱っこをねだった。
いいのだろうかと、男が女に視線を向けると、女は気にした様子もなく向かいに座ってにこにこしている。
子供の面倒をみるのは男の仕事とでも思っている様子だった。
仕方なく男は小さな双子を抱き上げ、膝に座らせた。
その軽さとぬくもりに込み上げる愛しさは、幼いルカを抱いた時と同じだった。
「名前は?」
「リンとイースよ」
その名前の由来は聞かなくてもわかっていた。男は頷き、子供達を腕にしっかり抱えると、懐から袋を取り出し、それを正面のテーブルに置いた。
「預かっていた作品の売り上げだ。その、もう俺を通さなくてもいいだろう……息子は君にもらったクーガを繁殖させ調教師として独立した」
女は少し気まずそうな表情になり、静かに頭を下げた。
「私なりの謝罪のつもりだったの。私、身勝手で周りに迷惑ばかりかけてきたから。あなたからも逃げていたし、ルカのことも押し付けたままだった。それが少しずつわかってきて、どうしたらいいかわからなくなった。謝りたかったの。
きっと、私のせいでたくさん傷つけた。子供だったのね、本当にごめんなさい」
膝に座る子供達を落ちないように抱き寄せながら、男も頭を下げた。
「とんでもない。俺の方が子供だった。俺はまだ若く、君が子供を産んだことを受け入れられず怒っていた。それでも子供を見捨てることはできないと意地になって、君からルカを引き離した。その幼稚な決断を俺は心の底から後悔している。
覚悟が出来ていなかったのは俺の方だった。逃げ場のない君は、覚悟を決めて子供を産んでくれたのに、俺が向き合えなかった。
夫婦になる覚悟も、父親になる覚悟も足りなかった。君は自分の悲しみと向き合いながら、必死に息子を育ててくれていたのに、俺は君を支えることから逃げた。本当に……申し訳なかった……」
女は穏やかに微笑んだ。
「ルカに言われたことがあるの。自分の悲しみに囚われて、私はあの子に酷い態度をとり続けてきた。それを謝ったら、ルカは許すから、私も自分のことを許すべきだって言ってくれたの。
あの子の方がずっと大人で、それはあなたがあの子を愛して育ててくれたから。世界が変わったように明るくなったわ。ねぇ、私達、許し合って前に進めないかしら?」
悲しみの中で嵐のように出会った二人は、今は止まった時の中にいた。
追い立てられるような悲しみも怒りもなく、幼い子供の将来について迫られている問題もない。
互いを見つめ、考える時間がたっぷりあった。
しかし微妙な立場でもあった。
女は別れた夫を愛していたし、幼い子供を何よりも優先する母親だった。
そして、男の方はその母親と子供を受け入れる覚悟も準備も出来ていたが、残念ながら女に愛されていない。
「俺では……頼りないかもしれないが、君の力になりたいと思っている。レイフ様のようにはいかないかもしれないが、この町のことなら詳しいし、それに子育ても手伝える」
目を合わせ、男はまだ少しぎこちなく微笑みながら手を差し出した。
貴族であれば膝をついて手の甲に口づけをするのだろうが、それは男の生きている世界のやり方ではない。
女は気さくにその手を取り、「これからもよろしくね」と笑った。
女に愛はなくても、男には女の生んだ息子がいた。
仲良くなる第一歩として、夕食を家族で一緒にとってはどうかと男は提案した。
女の家族に男は入っていないが、息子の家族には入っている。
息子と食事が出来ることを女は喜び、無理のない範囲でと付け加えた。
牧場住まいの息子は、父親からその話を聞くと、少しばかり迷惑そうな顔をした。
しかし父親が実際に緊張の面持ちで夕食の誘いに来ると、思わず吹き出し、喜んで参加すると答えた。
二つの家族の交流が始まり、あっという間に一年が経った。
離縁したレイフは、女に危険が及ばないように配慮し、訪ねてこなかった。
女は時々王都の方を眺め、ひっそり泣いた。
子供達は大声をあげて走り回れる田舎の生活にすぐに馴染んだ。
なにより兄のルカにはすぐになつき、「遊んで、遊んで」とまとわりついた。
男も時々足を運び、女の話し相手になりながら双子の世話を手伝った。
冬になる前に教会の住まいが完成し、女は自身の工房を持った。
王都からついてきた侍女たちが女が仕事をしている間の双子の世話をかわり、棺桶職人の弟子たちは女の傍で作品作りを見学した。
広い屋敷には部屋がいくつもあり、ルカも泊っていくようになったが、男はどんなに遅くなっても家に帰った。
二つの家族の交流は続き、五年が経った。
その年、ついに王が王妃を迎えると知らせが届いた。
寂しさに泣く女の傍には男がいた。
優しくその体を抱きしめ、悲しみに流される女の気持ちに寄り添った。
ついに二人は体を重ね、男は今度こそ逃がすまいと朝まで女を抱いていた。
朝になれば、全てなかったことになるのではないかと男は恐れたが、女は自分の心に向き合い、それから男のことを真剣に考えた。
待ち続けた男は、ただ素直に気持ちを伝えた。
「昔と変わらず、今も同じように愛している。君を手放した時にその想いに気づいたが、俺は素直になれなかった。君が王都に発つときも、君の幸せの邪魔になりたくないと思い、俺は何もしなかった。
今は、ただ君だけを見ている。悲しみを埋めるために利用してくれても構わない。どんな形であっても傍にいたいと思っている」
情熱的な愛ではなかったが、男の静かな覚悟を女は逃げることなく受け止めた。
前に進むべきだと心のどこかで声がした。
どんなことをしても後ろには戻れない。
前に進むしかないのだ。
友情や家族愛、あるいは腐れ縁かもしれない。
それでもそこに愛があるのならば真摯に向き合うべきだと女は考えた。
「ありがとう、二コラ……」
名前を呼ばれた男は、感動に胸を震わせた。
女が男のことを異性として意識し、真剣に考えようとしているのだと確かにわかったのだ。
溢れる涙を拭い、男はただそこに生まれる愛を大切にしようと固く誓った。
それから二人は穏やかに愛を育んだ。
女の屋敷に通い続け、半年後、男は子供達に結婚することになったと告げた。
双子は無邪気に、「今までと何がかわるの?」と問いかけた。
息子は、ついに父親が想いを叶えたことにほっと胸をなでおろした。
父親に夕食に誘われるたびに、自分無しでは女に会いにいけないのだろうかと心配で、断りづらくて仕方がなかったのだ。
そろそろ息子も家族以外の人と食事をしたい年頃だった。
翌日、女は教会に行き、ロベルにその報告をした。
ほぼ毎日顔を合わせているロベルは、既に祝いの品を作らせていた。
それは聖女プレアーゼの祈りの言葉が刺繍された純白のドレスだった。
そのドレスの形を目にして、女は顔を赤くした。
「もう、無理だと思います……」
それは妊娠した女性用のもので、さすがにこの歳では必要ないのではないかと女は思った。
しかし、ロベルは穏やかに告げた。
「使わなければリンが嫁ぐ時に持たせたら良い。良い物だから長持ちする」
幸福そうに微笑む女をロベルは優しく抱き寄せ、その額に祝福の口づけをした。
女は床に膝をついた状態でその口づけを受け、細い老人の腰を抱きしめた。
それから一年経たずに、女は男との子供を身ごもった。
女は幸福そうにその事実を受けとめた。
傍にいられるだけで十分幸せだと思っていた男は、思いがけない幸運に喜んだが、念のため女に確認した。
「俺の子供を産んでくれるのか?」
まだ昔のことを根に持っているのかと、女は少し憮然とした表情だった。
「あたりまえでしょう?」
泣き笑いし、男は女を抱きしめた。
双子は無邪気に喜び、息子は少し赤くなった。
相変らず時折やってくるヴィーナは、孫が増えても、娘が結婚しようと無関心で、とにかく金をよこせと口汚く催促した。
その割には、大金を奪おうとするわけではなく、多少生活が出来る程度の金を受け取りあっさり帰っていく。
その際、憎たらしそうに娘を睨み、孫たちには魔女のような怖い顔をしてみせる。
決して家族として混ざりあうようなことはなかったが、去っていくその背中は年々小さくなっていた。
ロベルは女から報告を受けると、くしゃりと顔を綻ばせ、ただ黙って頷いた。
結婚の報告をした時はまだ椅子に座っていたが、たった半年でロベルはすっかり動けなくなっていた。
女は毎日、自室の寝台で寝たきりになったロベルに会いに教会に通っていた。
寝台の隣に椅子を置き、いろいろと世話を焼きながら、ロベルの手を取ってたわいもないおしゃべりをした。
それをロベルは静かに聞いていた。
「エリン、幸せか?」
ロベルは必ず別れ際にそう問いかけた。
女はそのたびに幸せだと答えたが、妊娠の報告をしたその日、ロベルの手を握り女は別の返答をした。
「ロベル様、私を救って下さったのはロベル様です。長い間、私を見捨てないでくださりありがとうございました。どんな時も、ロベル様は私をずっと見守ってくださった。それに気づいた時、私は大きな愛に気づきました。周囲の愛にも、愛を渡すべき相手にも気づくことが出来ました。
私がここに来てからずっと、ロベル様は私を助けようとしてくださった。そうですよね?」
涙をにじませ、皺深い手に頬を押し付けた女の頭をロベルは優しく撫でた。
「救ったのか……。お前を……私は救えたか?」
「はい。ロベル様、私はロベル様に救われました。愛しています。私の父のように思っています」
女の声を聞きながら、ロベルは記憶の中の光景を見ていた。
それはロベルがまだ少年だった頃の記憶だった。
ここには、まだ真っ黒な石を積み上げた監獄要塞が建っていた。
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向かいの牢獄に父親がいた。
神官長は、父親を処刑場に連れて行き、それから少年を牢から出した。
「父親を殺したいと言ったな?もし殺せたら、お前はこの世に救いがあったと思えるか?」
「この世に救いなんてあるものか」
ありとあらゆる悪行を尽くしてきた少年は吐き捨てた。
憎悪に燃え、父親が連れて行かれた方を睨み、少年は叫んだ。
「獣を連れてきてあいつの尻を犯してやればいい。もっとも醜く、汚れた死に方をさせてやれ。あれをただ処刑するなんて生ぬるい。俺以上の悪党だ!」
首に鉄輪を嵌められ、屈強な兵士に押さえ込まれながら、少年は神官長に唾を吐いた。
「お前も同罪だ。俺は戦い生き抜いた。お前は善人の仮面を被って見ているだけだ」
多くの傷ついた女性達を救い、罪人たちに懺悔を促し、祈りの言葉を伝えてきた神官長は、少年を処刑の間に連れて行った。
父親は壁に鎖で繋がれ座らされていた。
「この要塞は取り壊されることが決まっている。多くの罪人を処刑してきたが、今この牢獄にいるのはお前とその男だけだ。
どちらかに恩赦を与えることになっている。しかし、その対価として社会に奉仕することが条件だ」
「悔い改めます。殺されずに済むのなら」
即座に壁に繋がれている父親が声を発した。
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憎い父親が生き延び、善人面して誰かに感謝されている姿を思い浮かべると、はらわたが煮えくりかえる想いだった。
娼館に売り飛ばされた息子が、その後どんな地獄を見てきたかもしらないこの男を、死ぬまで苦しめてやりたいと少年は考えた。
「この男の処刑方法を任せてくれるなら、俺はあなたに従う」
魂と命を投げ出し、復讐を手に取った少年の言葉に、神官長は頷いた。
「良いだろう。私も若い命は摘みたくはなかった」
殺人や強姦、盗みや放火ありとあらゆる罪を犯した少年に、神官長は短剣を一本渡した。
それはおぞましい復讐の幕開けになった。
「ロベル様?」
ぼんやりと虚空を見ているロベルに、女が心配そうに声をかけた。
過去の記憶に浸っていたロベルは、現実に引き戻され、目を細めると女の手をやさしく自分の手の上から押しやった。
「エリン、また明日もおいで」
涙を拭い、女が優しい微笑みを残して出て行くと、ロベルは思い出を整理するかのように、再び過去の記憶を掘り起こし始めた。
その目は虚空を向いている。
脳裏に蘇る光景に、監獄要塞に残された最後の罪人の姿があった。
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淡々とロベルは、その事の顛末を辿り始めた。
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蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
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一人の女性として。
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