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19.秘密と約束
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食卓には三人分の夕食が並んでいる。
ところが、アルノは真新しい瓶を詰めた鞄を背負い、外に出ていこうとしていた。
パンを一切れ齧り、口をもぐもぐさせているアルノの前に、ゼインが立ちはだかった。
「今戻ってきたばかりだ。少し休んだ方が良い」
ゼインを待たず町を出て、ロタ村に向かって山道を歩いていたアルノは、途中でゼインに見つかり、馬に引き上げられて家に戻ってきたばかりだった。
当然のことながら、アルノは胡散臭いクシールと、料金が発生する恋人のゼインに、門番のイアンに声をかけられ、五日後に会う約束をしたことは言っていないし、言う気もない。
探られても困るため、一秒もゼインとクシールの傍にいたくないのだ。
「だって、お城を建てるのでしょう?稼がなきゃ」
クシールは、さっそく怪しむようにアルノを見ている。
専属世話人を雇う前、クシールに普通に恋人を探してはどうかと言われたことがあるが、今となっては、それがクシールの本心だったのかもわからない。
城の建設というアルノを仕事に縛り付けるための手段が見つかった以上、もう他に恋人を作ったらどうかなどとは言わない確率の方が高い。
クシールとゼインは仲間であり、ゼインの仕事を取り上げるようなこともしないはずだ。
となると、もしイアンと交際出来ることになれば、クシールとゼインは敵となる。
二人の目的はアルノを働かせることだから、イアンに会ってからの方が、質の良い契約紙を作ることが出来ていると証明できれば、簡単に交際を反対することは出来ないはずだ。
妄想歴十年のアルノの脳内では、すでにイアンとの交際は始まったも同然だ。
ゼインは確かに見た目だけは素敵だが、お金のいらない本物の恋人が手に入るなら、そっちの方が良いに決まっている。
それこそ、本物の愛だ。
やっと本物を手に入れられるかもしれないのに、クシールとゼインに邪魔されたくはない。
まずは、五日以内に今まで以上に完璧な契約紙を仕上げるのだ。
それに成功したら、精霊たちもイアンとの交際を応援してくれているということになる。イアンとの交際が正式に決まってからも、しばらくは黙っていた方が良い。
高品質な契約紙を作り続け、イアンとの交際を反対しにくい雰囲気を作る。
クシールとゼインに、イアンのことを話すのはその後だ。
アルノは自分の立てた作戦に満足し、自信満々でゼインの横をすり抜ける。
ところが、扉に手をかける直前に、またゼインが割り込んだ。
「私に仕事をさせたいくせに、どうしてそこにいるの?」
立ちはだかるゼインを見上げ、アルノが叫ぶ。
「健康管理も仕事のうちだ。今日はゆっくり休んでもらう」
ゼインの強い口調に、友達になろうなんて言わなきゃよかったと心底後悔し、アルノは後ろを見る。
裏口の前にはクシールがいる。
扉の前に椅子を置き、皿を片手に夕食用のハムをつまんでいる。
クシールの描いた城の設計図には教会もあり、アルノが森にこもっている間の滞在用に、クシールとゼインの部屋まである。しかもアルノの部屋は厨房横の外に面した場所で、二人の部屋は城内だ。
自分達ばかり贅沢に暮らすつもりであるなら、アルノはせめて、本物の恋ぐらいは手に入れたい。
「ゼイン、お願いだからどいて」
「だめだ。今日は話しがある。それに、君は俺から逃げ続けている。どうしても今夜は家で休んでもらう」
「私がいる場所はわかっているでしょう?」
脇をすり抜けて行こうとするアルノを、ゼインは容赦なく抱き留めた。
「アルノ、君を不幸にしたいわけじゃない。君には、俺達が君を利用したいだけのように見えるのかもしれない。だけど、それだけじゃないことも信じてくれ。
君が契約師になるしかなかったように、俺達も教会に仕えるしか道がなかった。
君が辛い思いをして磨いてきた技術は、簡単に奪われ潰されてしまう。ここは君の契約の地であり、他の契約師がいない以上、君の命とこの地は紐づけされている。君に何かあれば大変なことになる」
少々大袈裟な言い回しだったが、ゼインはなんとしてもアルノを丸め込もうとした。
ところが、子供のころから嫌いな仕事を押し付けられてきたアルノは、怒りを爆発させた。
「私には関係ないじゃない!どこで生きようと、死のうと関係ないでしょう!そこまで生き方を押し付けられないといけないわけ?!」
「アルノ、だったら一緒に行こう。君と話しがある」
「じゃあ、戻ったら、あなたと口づけ以上のことをする。それでいいでしょう?」
その声には侮蔑の響きがあった。
「仕事をさせてあげると言っているの。私と寝にきたのでしょう?」
明らかな悪意を含んだ言葉だったが、ゼインは顔色一つ変えなかった。
体を売る以上、蔑まれることには慣れている。
重要なことはどんな手段を使ってでも目的を遂げることだ。
「何を隠している?」
簡単に顔色を変えたアルノを強引に抱き上げ、ゼインは担ぐようにアルノを寝室に連れて行く。
寝台の上にやや乱暴に押し倒し、その上に覆いかぶさる。
強引に口づけをし、その服の下にするりと大きな手を滑り込ませる。
びくんと体を跳ね上げ、アルノは逃げようともがいた。
「アルノ、このまま君の体を奪うことは簡単だ」
服を着たまま、体をぴたりと重ね合わせ、ゼインは耳元で囁いた。
実際の男とは、夢に描いてきたような甘いものではないと教えようとした行為だったが、アルノには通じなかった。
「こんなの、欲しくない!」
ゼインがアルノに与える行為は、全て偽物だ。
今のアルノには、まだ一言しか言葉を交わしていないイアンがいる。
お金も契約も関係なく、アルノが契約師だということも知らない。
何も無いアルノを見てくれるかもしれない男だ。
「契約を解除する。もう世話人はいらない」
鋭く叫んだアルノを、ゼインはすぐに助け起こした。
正面からアルノを真っすぐに見つめる。
「君の護衛でもある。アルノ、君は……思った以上に幸福な場所にいる」
その言葉は、幼いアルノの心に少しだけ刺さった。
ずっと自分だけが不幸だと思って生きてきた。
周りにいたロタ村の人たちが、アルノよりずっと幸せそうに暮らしていたからだ。
だけど、ゼインとクシールといると、彼らの幼少時代の方が辛かったのかもしれないと感じることがある。
道も選べず、世話人になるための教育を子供のころから逃げ場もなく受けてきた。
だけど、アルノにはやはり納得できない。
自分だけの本物の愛を求めることは、それほど贅沢なことだろうか。
「一日目でマカの実を探して、二日かけて宣誓液を作って戻ってくる。試したいの」
本物の愛を求める自分の気持ちが間違っているのか、精霊たちに問いかけたいのだ。
良い物ができれば、この気持ちは間違っていないと信じることが出来る。
それに、もちろん、イアンとの交際にも自信が持てる。
ゼインはアルノの頬を抱き、親指で唇に触れた。
「本当に?」
「ええ……。戻ったらすぐに契約紙を作るから」
「わかった」
アルノを立たせ、ゼインは服を直して後ろに回った。
丁寧にアルノの髪を解し、リボンで束ねる。
その上から毛糸の帽子を被せる。
それは衣装棚からゼインが見つけて、壁にかけていたものだった。
春の花が毛糸で編みこまれている。
「宣誓液はあの洞で作るのか?」
「そうよ」
「君の言葉を信じよう」
誰も信じたことのないアルノは鼻で笑いかけたが、なんとか黙って頷き、家を飛び出した。
アルノを送り出したゼインは、戸締りをして居間に戻った。
いつの間にか食卓の席についていたクシールが、食事の手を止めゼインを待っていた。
テーブルに置かれた食事はすっかり冷めてしまっている。
アルノの分はそのまま残され、パンだけが一切れちぎり取られていた。
幾分深刻な表情で、ゼインは口を開いた。
「何が起きたと思います?」
「彼女が狙われていると考えます」
危機感を抱いている様子もなく、クシールはくすりと笑った。
「仕方がありません。あれだけの物を作るのですから。王が気づく前に片付けたいのでしょうね」
「新たな契約師がここに来たとしても、この山が受け入れるかどうかわかりません」
マカの実を見つけることが出来れば、契約師にはなれる。
しかし同じ工程を経て作られるはずの契約紙の質は、契約師の能力に依存する。
精霊からどれほど愛されているかという点が重要であるのか、それとも何か契約紙の質を上げている習慣のようなものがあるのか、そこは曖昧なのだ。
「彼女の宣誓液の質は上がっています。あれだけ見ても、入賞は間違いないですしょうが、五位以内に入るかどうかは微妙です」
「五位……」
飛びぬけたものでなければ、蹴落とされ、消されてしまう可能性がある。
「もっと上に行くかと思いました。あれでもまだ足りないとは」
ゼインは二つの拳を、強くテーブルに押し付けた。
上位に入る契約師全員に、専属世話人がついている。
そこに入れば、教会の最高権力者でさえ専属世話人の変更を命じることは難しくなる。
つまり、理不尽な命令を受け、望まぬ相手と夜を過ごさなくて済むようになるのだ。
「追いかけてきます」
立ち上がろうとするゼインの手を、クシールが上から押さえた。
「今夜はマカの実を探すはずです。宣誓液の作成場所を知っているなら、明日出れば間に合いますよ。山にいるなら、彼女は誰にも奪われない。そうは思いませんか?」
「そうとも言えません」
ゼインはきっぱりと言いきった。
契約師はその土地の聖霊に守られていると言われるが、残念ながら実際には、殺されることもある。
聖騎士や専属世話人は、そんな時のための護衛でもあり、戦闘訓練を積んでいる。
姿も形も見えない精霊が、本当に契約師を守っているのか、それを確かめる術はないのだ。
「実は、ちょっとした舞台設定のために手を打っておきました。ゼイン様にはとっておきの役目があります。この役はゼイン様でなければできませんから、心してきいてください。失敗は絶対に許されません」
物騒な話をしているにも関わらず、クシールの声は淡々としており、その仕草にも動揺は見られない。
優雅な仕草でスプーンを手に取り、冷めきった煮込み料理を口に入れる。
ゼインは食事をしている場合ではないと寝室に駆け込むと、実戦用の大剣を持って戻ってきた。
「体を動かしておきます」
皮の装備を着こみ、マントを壁からとりあげる。
「そうですか、わかりました。ゼイン様、お気をつけて」
座ったまま、ゼインが出て行くのを見送ったクシールは、テーブルに置かれた設計図に目をやった。
それには、また贅沢な機能が追加されている。
優美な微笑みを讃え、クシールは夕食を再開した。
――
森に入ったアルノは、何かに導かれるように進み、すぐにマカの実を発見した。
星のように輝くマカの実は、突如目の前に現れる。
遠くから見つけてそこに近づいていくようなものではなく、ただ歩いていると、ふと足を止めたその場所に生えているのだ。
さきほどまで無かった場所に、不意に現れることさえある。
それは、小枝を地面に立てたような短い木の枝に、釣鐘のようにぶら下がっている。
重そうに枝をしならせ、まるで実を外してくれと訴えているようでもあった。
アルノは持ってきたかごに摘み取ったマカの実を入れていく。
収穫を終えると、宣誓の言葉を一つ唱える。
最初から、何もなかったかのように、マカの実をぶら下げていた木があとかたもなく消える。
森の中を歩き回り、マカの実を見つけるたびにそれを繰り返す。
やがて十分な量が集まると、マカの実を加工するための場所に向かう。
その方角も、なんとなくわかるのだ。
感覚的なものであり、目印があるというわけでもない。
以前、ゼインを連れていった大きな洞を抱えた、折れた大木のところに到着すると、アルノは四つん這いになってその中に潜り込んだ。
残っていたクスリの実を壺から取り出し、それを食べながら横になる。
上を見ると、大木の割れた部分から星を浮かべた夜空が見える。
森の静かな気配に包まれ、アルノはさすがに疲れたように目を閉じた。
冷え切った土に体温を奪われ、吐き出される白い息がどこまでも登っていく。
震えながら、手足を縮めていると、冬眠しているような気持になる。
静かに訪れた睡魔に従い、アルノは眠りに落ちた。
と、そこに白い毛に包まれた雪狼が現れた。
洞の中に顔を突っ込み、大きなふかふかの体を無理やり押し込む。
それからアルノを包み込むように座り込んだ。
温かな毛並みに包まれ、アルノが心地よさそうな微笑みを浮かべる。
そんなアルノを尻尾ですっぽり覆うと、雪狼も前足に頭を乗せて目を閉じた。
ところが、アルノは真新しい瓶を詰めた鞄を背負い、外に出ていこうとしていた。
パンを一切れ齧り、口をもぐもぐさせているアルノの前に、ゼインが立ちはだかった。
「今戻ってきたばかりだ。少し休んだ方が良い」
ゼインを待たず町を出て、ロタ村に向かって山道を歩いていたアルノは、途中でゼインに見つかり、馬に引き上げられて家に戻ってきたばかりだった。
当然のことながら、アルノは胡散臭いクシールと、料金が発生する恋人のゼインに、門番のイアンに声をかけられ、五日後に会う約束をしたことは言っていないし、言う気もない。
探られても困るため、一秒もゼインとクシールの傍にいたくないのだ。
「だって、お城を建てるのでしょう?稼がなきゃ」
クシールは、さっそく怪しむようにアルノを見ている。
専属世話人を雇う前、クシールに普通に恋人を探してはどうかと言われたことがあるが、今となっては、それがクシールの本心だったのかもわからない。
城の建設というアルノを仕事に縛り付けるための手段が見つかった以上、もう他に恋人を作ったらどうかなどとは言わない確率の方が高い。
クシールとゼインは仲間であり、ゼインの仕事を取り上げるようなこともしないはずだ。
となると、もしイアンと交際出来ることになれば、クシールとゼインは敵となる。
二人の目的はアルノを働かせることだから、イアンに会ってからの方が、質の良い契約紙を作ることが出来ていると証明できれば、簡単に交際を反対することは出来ないはずだ。
妄想歴十年のアルノの脳内では、すでにイアンとの交際は始まったも同然だ。
ゼインは確かに見た目だけは素敵だが、お金のいらない本物の恋人が手に入るなら、そっちの方が良いに決まっている。
それこそ、本物の愛だ。
やっと本物を手に入れられるかもしれないのに、クシールとゼインに邪魔されたくはない。
まずは、五日以内に今まで以上に完璧な契約紙を仕上げるのだ。
それに成功したら、精霊たちもイアンとの交際を応援してくれているということになる。イアンとの交際が正式に決まってからも、しばらくは黙っていた方が良い。
高品質な契約紙を作り続け、イアンとの交際を反対しにくい雰囲気を作る。
クシールとゼインに、イアンのことを話すのはその後だ。
アルノは自分の立てた作戦に満足し、自信満々でゼインの横をすり抜ける。
ところが、扉に手をかける直前に、またゼインが割り込んだ。
「私に仕事をさせたいくせに、どうしてそこにいるの?」
立ちはだかるゼインを見上げ、アルノが叫ぶ。
「健康管理も仕事のうちだ。今日はゆっくり休んでもらう」
ゼインの強い口調に、友達になろうなんて言わなきゃよかったと心底後悔し、アルノは後ろを見る。
裏口の前にはクシールがいる。
扉の前に椅子を置き、皿を片手に夕食用のハムをつまんでいる。
クシールの描いた城の設計図には教会もあり、アルノが森にこもっている間の滞在用に、クシールとゼインの部屋まである。しかもアルノの部屋は厨房横の外に面した場所で、二人の部屋は城内だ。
自分達ばかり贅沢に暮らすつもりであるなら、アルノはせめて、本物の恋ぐらいは手に入れたい。
「ゼイン、お願いだからどいて」
「だめだ。今日は話しがある。それに、君は俺から逃げ続けている。どうしても今夜は家で休んでもらう」
「私がいる場所はわかっているでしょう?」
脇をすり抜けて行こうとするアルノを、ゼインは容赦なく抱き留めた。
「アルノ、君を不幸にしたいわけじゃない。君には、俺達が君を利用したいだけのように見えるのかもしれない。だけど、それだけじゃないことも信じてくれ。
君が契約師になるしかなかったように、俺達も教会に仕えるしか道がなかった。
君が辛い思いをして磨いてきた技術は、簡単に奪われ潰されてしまう。ここは君の契約の地であり、他の契約師がいない以上、君の命とこの地は紐づけされている。君に何かあれば大変なことになる」
少々大袈裟な言い回しだったが、ゼインはなんとしてもアルノを丸め込もうとした。
ところが、子供のころから嫌いな仕事を押し付けられてきたアルノは、怒りを爆発させた。
「私には関係ないじゃない!どこで生きようと、死のうと関係ないでしょう!そこまで生き方を押し付けられないといけないわけ?!」
「アルノ、だったら一緒に行こう。君と話しがある」
「じゃあ、戻ったら、あなたと口づけ以上のことをする。それでいいでしょう?」
その声には侮蔑の響きがあった。
「仕事をさせてあげると言っているの。私と寝にきたのでしょう?」
明らかな悪意を含んだ言葉だったが、ゼインは顔色一つ変えなかった。
体を売る以上、蔑まれることには慣れている。
重要なことはどんな手段を使ってでも目的を遂げることだ。
「何を隠している?」
簡単に顔色を変えたアルノを強引に抱き上げ、ゼインは担ぐようにアルノを寝室に連れて行く。
寝台の上にやや乱暴に押し倒し、その上に覆いかぶさる。
強引に口づけをし、その服の下にするりと大きな手を滑り込ませる。
びくんと体を跳ね上げ、アルノは逃げようともがいた。
「アルノ、このまま君の体を奪うことは簡単だ」
服を着たまま、体をぴたりと重ね合わせ、ゼインは耳元で囁いた。
実際の男とは、夢に描いてきたような甘いものではないと教えようとした行為だったが、アルノには通じなかった。
「こんなの、欲しくない!」
ゼインがアルノに与える行為は、全て偽物だ。
今のアルノには、まだ一言しか言葉を交わしていないイアンがいる。
お金も契約も関係なく、アルノが契約師だということも知らない。
何も無いアルノを見てくれるかもしれない男だ。
「契約を解除する。もう世話人はいらない」
鋭く叫んだアルノを、ゼインはすぐに助け起こした。
正面からアルノを真っすぐに見つめる。
「君の護衛でもある。アルノ、君は……思った以上に幸福な場所にいる」
その言葉は、幼いアルノの心に少しだけ刺さった。
ずっと自分だけが不幸だと思って生きてきた。
周りにいたロタ村の人たちが、アルノよりずっと幸せそうに暮らしていたからだ。
だけど、ゼインとクシールといると、彼らの幼少時代の方が辛かったのかもしれないと感じることがある。
道も選べず、世話人になるための教育を子供のころから逃げ場もなく受けてきた。
だけど、アルノにはやはり納得できない。
自分だけの本物の愛を求めることは、それほど贅沢なことだろうか。
「一日目でマカの実を探して、二日かけて宣誓液を作って戻ってくる。試したいの」
本物の愛を求める自分の気持ちが間違っているのか、精霊たちに問いかけたいのだ。
良い物ができれば、この気持ちは間違っていないと信じることが出来る。
それに、もちろん、イアンとの交際にも自信が持てる。
ゼインはアルノの頬を抱き、親指で唇に触れた。
「本当に?」
「ええ……。戻ったらすぐに契約紙を作るから」
「わかった」
アルノを立たせ、ゼインは服を直して後ろに回った。
丁寧にアルノの髪を解し、リボンで束ねる。
その上から毛糸の帽子を被せる。
それは衣装棚からゼインが見つけて、壁にかけていたものだった。
春の花が毛糸で編みこまれている。
「宣誓液はあの洞で作るのか?」
「そうよ」
「君の言葉を信じよう」
誰も信じたことのないアルノは鼻で笑いかけたが、なんとか黙って頷き、家を飛び出した。
アルノを送り出したゼインは、戸締りをして居間に戻った。
いつの間にか食卓の席についていたクシールが、食事の手を止めゼインを待っていた。
テーブルに置かれた食事はすっかり冷めてしまっている。
アルノの分はそのまま残され、パンだけが一切れちぎり取られていた。
幾分深刻な表情で、ゼインは口を開いた。
「何が起きたと思います?」
「彼女が狙われていると考えます」
危機感を抱いている様子もなく、クシールはくすりと笑った。
「仕方がありません。あれだけの物を作るのですから。王が気づく前に片付けたいのでしょうね」
「新たな契約師がここに来たとしても、この山が受け入れるかどうかわかりません」
マカの実を見つけることが出来れば、契約師にはなれる。
しかし同じ工程を経て作られるはずの契約紙の質は、契約師の能力に依存する。
精霊からどれほど愛されているかという点が重要であるのか、それとも何か契約紙の質を上げている習慣のようなものがあるのか、そこは曖昧なのだ。
「彼女の宣誓液の質は上がっています。あれだけ見ても、入賞は間違いないですしょうが、五位以内に入るかどうかは微妙です」
「五位……」
飛びぬけたものでなければ、蹴落とされ、消されてしまう可能性がある。
「もっと上に行くかと思いました。あれでもまだ足りないとは」
ゼインは二つの拳を、強くテーブルに押し付けた。
上位に入る契約師全員に、専属世話人がついている。
そこに入れば、教会の最高権力者でさえ専属世話人の変更を命じることは難しくなる。
つまり、理不尽な命令を受け、望まぬ相手と夜を過ごさなくて済むようになるのだ。
「追いかけてきます」
立ち上がろうとするゼインの手を、クシールが上から押さえた。
「今夜はマカの実を探すはずです。宣誓液の作成場所を知っているなら、明日出れば間に合いますよ。山にいるなら、彼女は誰にも奪われない。そうは思いませんか?」
「そうとも言えません」
ゼインはきっぱりと言いきった。
契約師はその土地の聖霊に守られていると言われるが、残念ながら実際には、殺されることもある。
聖騎士や専属世話人は、そんな時のための護衛でもあり、戦闘訓練を積んでいる。
姿も形も見えない精霊が、本当に契約師を守っているのか、それを確かめる術はないのだ。
「実は、ちょっとした舞台設定のために手を打っておきました。ゼイン様にはとっておきの役目があります。この役はゼイン様でなければできませんから、心してきいてください。失敗は絶対に許されません」
物騒な話をしているにも関わらず、クシールの声は淡々としており、その仕草にも動揺は見られない。
優雅な仕草でスプーンを手に取り、冷めきった煮込み料理を口に入れる。
ゼインは食事をしている場合ではないと寝室に駆け込むと、実戦用の大剣を持って戻ってきた。
「体を動かしておきます」
皮の装備を着こみ、マントを壁からとりあげる。
「そうですか、わかりました。ゼイン様、お気をつけて」
座ったまま、ゼインが出て行くのを見送ったクシールは、テーブルに置かれた設計図に目をやった。
それには、また贅沢な機能が追加されている。
優美な微笑みを讃え、クシールは夕食を再開した。
――
森に入ったアルノは、何かに導かれるように進み、すぐにマカの実を発見した。
星のように輝くマカの実は、突如目の前に現れる。
遠くから見つけてそこに近づいていくようなものではなく、ただ歩いていると、ふと足を止めたその場所に生えているのだ。
さきほどまで無かった場所に、不意に現れることさえある。
それは、小枝を地面に立てたような短い木の枝に、釣鐘のようにぶら下がっている。
重そうに枝をしならせ、まるで実を外してくれと訴えているようでもあった。
アルノは持ってきたかごに摘み取ったマカの実を入れていく。
収穫を終えると、宣誓の言葉を一つ唱える。
最初から、何もなかったかのように、マカの実をぶら下げていた木があとかたもなく消える。
森の中を歩き回り、マカの実を見つけるたびにそれを繰り返す。
やがて十分な量が集まると、マカの実を加工するための場所に向かう。
その方角も、なんとなくわかるのだ。
感覚的なものであり、目印があるというわけでもない。
以前、ゼインを連れていった大きな洞を抱えた、折れた大木のところに到着すると、アルノは四つん這いになってその中に潜り込んだ。
残っていたクスリの実を壺から取り出し、それを食べながら横になる。
上を見ると、大木の割れた部分から星を浮かべた夜空が見える。
森の静かな気配に包まれ、アルノはさすがに疲れたように目を閉じた。
冷え切った土に体温を奪われ、吐き出される白い息がどこまでも登っていく。
震えながら、手足を縮めていると、冬眠しているような気持になる。
静かに訪れた睡魔に従い、アルノは眠りに落ちた。
と、そこに白い毛に包まれた雪狼が現れた。
洞の中に顔を突っ込み、大きなふかふかの体を無理やり押し込む。
それからアルノを包み込むように座り込んだ。
温かな毛並みに包まれ、アルノが心地よさそうな微笑みを浮かべる。
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冒険者ギルドの受付嬢であるステレは幼い頃から妖精の姿を見ることができた。ある日、その妖精たちのイタズラにより、自分にだけ当たりの強い騎士コルネリウスと1メートル以上離れれば発情する呪いをかけられてしまう。明らかに嫌われてると分かっていても、日常生活を送るには互いの協力が必要不可欠。ステレの心労も祟る中、調べ上げた唯一の解呪方法は性的な接触で──。【ステレにだけ異様に冷たい(※事情あり)エリート騎士×社交的で夢見がちなギルドの受付嬢】
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