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第一章 企み
3.謎の男
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重く垂れこめた灰色の雲はリュデンの上空に居座っている。
冷たい北風に混じり、時折花びらのような雪が舞い落ちる。
露店の並ぶ通りに敷物を置いたローゼは、待っていた人たちに幸運の刺繍を売り始めた。
「果て無しに東の森が喰われ始めたっていう話だよ。騎士団も人員不足で、この辺りにいる部隊も連れていかれるんじゃないかって噂でね」
夫のためにと幸運の刺繍を買いに来た女客は、そんな話をしながらローゼに小銭を払った。
後ろの男が割り込んだ。
「この辺りも魔の森のようになるんじゃないかって噂がある。塔を建てられる魔法使いが減っているのも問題らしい」
「塔持ちが殺されているんじゃないかって話もあるよ」
また別の客が口を出す。皆悪い噂に怯え、情報を求めているのだ。
「せめて運の悪い死に方だけはしないようにしたいものだね」
そのために彼らはローゼの幸運の刺繍を買い求める。
目に見えないものを信じるしかない人々もいる。ローゼは用意していた刺繍入りのハンカチを全て売りきると、いくつかの依頼をその場で引き受けた。
昼前にその日の商売を終えると、ローゼは裏通りに向かった。
怪しげな店の並ぶその通りの突き当りには占い屋があり、既に行列が出来ていた。
ローゼは最後尾に急いで並ぶ。
ゆっくりと列は短くなり、昼過ぎになってようやくローゼは店内に入ることができた。
雨風に晒されなくなったが、さらに列が続き、順番のきた客がカーテンの奥に消えていく。
「お入り」
ようやくローゼの番がきた。
カーテンを開けて中に入ると、暗幕で覆われた部屋の中央に丸テーブルがあり、水晶玉が置かれている。
正面にフードを被った老婆が座っている。
ローゼが向かいに座ると、占い師は金色の小瓶を取り出した。
「言わなくてもわかっているよ。時期が来たんだね」
全てはこの占い師の予言通りに進んでいる。
この占い師との付き合いはジェイスより長く、ローゼは困ったことがあると必ずここを訪れた。
「ウェンの言った通り。ジェイスは迎えの人がきて、連れていかれちゃった」
「正確な表現じゃないね。想い人からの手紙じゃ、断れるわけもない。あの男は戻るべき場所に戻っただけだよ」
ウェンはローゼを慰めながら、テーブルに置いた金色の小瓶を前に押し出した。
慣れた様子でローゼはそれを取り上げ一気に飲み干す。
「もう少しもらえない?幸運が足りているか心配なの」
「はぁ……言ったはずだよ。人体には害がある。あんたは生まれつき耐性があるが、それでも普通の人間だからね。魔法使いのようにはいかない」
口ではそう言いながらも、ウェンはもう一本小瓶をテーブルに置く。
ローゼはすぐにそれを飲み干した。
「甘くて美味しいのよ。それに……私が死んでも泣くような人はいないし……誰かの役に立って死ねるなら、命が無駄にならなくていいんじゃないかな」
気弱なローゼの発言に、ウェンは目を光らせた。
ローゼには隙がある。愛された記憶のない子供の心は隙だらけだ。
その隙間に邪悪な魂を持った者達が群がり、どう料理しようか手ぐすね引いて待っている。
賢く強く生きるように誰にも教えられず、誰かに利用され続けてきた子供はもっとも愚かで扱いやすい。
「私は勧めないけどね」
ウェンはさりげなくもう一本小瓶を出した。ローゼは迷わずそれも飲んだ。
「この国の魔法使いが減っているって本当?」
突然話を変えたローゼに、ウェンは落ち着いて頷いた。
「そうらしいね。塔を建てられない魔法使いがたくさんこの国に潜伏している。彼らは弱く、狩られやすいと思われているが、実は塔を建てられる魔法使いの方が標的にはなりやすい」
「殺されているの?」
「東の森の向こう、最果てでは絶えず魔法使いたちが力を競わせ、殺し合っている。彼らはより強い力を求める。彼らに人の世界のことわりは通用しない。殺すという意識すらないかもしれない。もし魔法使いに会ったら気を付けることだ」
ウェンの言葉は時々よくわからない時がある。ローゼはなんとなく頷いた。
「そうだ。あんたの好きなジェイスのことだったね。彼がもう一度戻ってくる可能性について知りたいのだろう?」
ローゼは身を乗り出して頷き、ウェンはもったいぶった様子で両手を水晶玉の上にかざし始めた。
その日の帰り道、ローゼは宿を取ろうと思ったが、最後にもう一度ジェイスと暮らした小屋に戻ろうと気持ちを変えた。
ウェンの占いの結果はやはり良いものではなかった。
それでも数回、互いの人生が交わる時がくるだろうとウェンは予言した。
『奪われた愛が戻る可能性がある。ジェイスにはそっちの方が幸せだ。でも、もしどうしてもその女から奪いたいなら、運命を引き寄せることもできる。機会はくるよ』
占いの結果に希望はあったが、実行に移す勇気はない。
ローゼは媚薬を使ったことを後悔し続けてきた。
この上ジェイスが幸せになることを知っていながら、その道から引き離し、自分のもとに連れ戻すなんてとても考えられない。
レアナという女性と結ばれることがジェイスにとって幸せだというのなら、身を引く以外に道はない。
ローゼは森の小屋に戻ってくると、鍵を開けて部屋に入った。最初この小屋に鍵はなかった。ローゼが住むようになりジェイスが付けたのだ。
鍵をポケットに入れ、二人で使った寝台に腰を落とすと、心が締め付けられるような痛みと凍てつくような孤独が襲ってきた。
指先から幸運の光が漏れそうになる。
鞄を漁り、糸と針を取り出すと、ローゼはハンカチに白い糸を走らせた。それは指先からこぼれる黄金の光に包まれ、瞬く間に思った通りの色を浮かび上がらせる。
この不思議な刺繍のやり方は母親から受け継いだものだが、教わったわけではなかった。ただ見て覚えたのだ。本当はやりたくもない刺繍だったが、生きていくためには仕方がなかった。
占い師のウェンはローゼの刺繍を見て、幸運を高める薬があると黄金の液体の入った小瓶を勧めた。
飲みすぎれば体に負担をかけると警告されたが、ローゼは与えられるまま飲み続けている。
飲んだ直後が一番刺繍の輝きが強く、効果が高い。
ハンカチを一枚完成させ、ローゼは二枚目を手に取った。
その時、扉が鳴った。
ジェイスが帰ってきたのかもしれないと、一瞬喜びかけたローゼは、窓の外を見て顔を強張らせた。
見知らぬ男が扉の傍に立っている。
漆黒のマントに身を包んだ見るからに不気味なその姿に、ローゼは悲鳴をあげそうになり、両手で口を押えた。
カーテンは開けっぱなしで、少し覗き込まれたらローゼが室内にいることはばれてしまう。
窓から見えない位置にしゃがもうと、手にしていた刺繍道具をそっとテーブルに置くと、そろそろと膝を折りはじめる。
その時、扉が開く音がした。
心臓が飛び上がるほど驚き、ローゼは扉に目を向ける。
鍵をかけたはずの扉が内側に開き、長身の男が入ってくる。
「だ、誰?!」
武器になるものは刺繍針だけだ。
男は恐ろしく背が高く、天井に頭をこすっている。足首まで覆う漆黒のマントを翻し、ローゼの方へ体を向けると、マントの下に白いズボンと黒いシャツが見えた。足元は黒いブーツに包まれ、胸元には風変わりな黒い数珠のペンダントが光っている。
闇のように黒い髪は、曲がりくねりながら腰まで伸び、その顔は人形のように白かった。
底知れない黒い瞳に不思議なきらめきがある。
一見、普通の青年のようだったが、その闇のような瞳と全身を包む異様な雰囲気はどこか古臭く、まるでこの世に実体のない存在のように感じられた。
その姿に魅せられたように釘付けになっていたローゼは、突如その正体に気が付いた。
きっとこれがウェンの話していた魔法使いに違いない。
この国の魔法使いは最果ての地から逃れてきては東の森に住みつく。
塔を建て、この国の国境を守り、気が向いた者は契約魔法使いとして国のために尽くしてくれる。
だけど、塔を建てる力のない魔法使いはどこにいるかわからない。
最果ての地では生き残れず、魔の森に塔を建てることもできず、人間の国に潜伏し続けている。
「塔を持てない魔法使いは消えてしまう」
まるでローゼの心を読んだかのように男が告げた。
低く、心に響くような透明感のある声だ。
「本物の魔法使いには実体がないからね。ほとんどが魔力の塊だよ。魔力を吸収しすぎて体が壊れないように塔を建てて調整する。あれは彼らの結界だ。魔力が安定すればその一帯は静かで、魔物は生まれない。
塔を持てないものはそうだね、食べられてしまうか、あるいは魔力を吸収に行き、壊れてしまったり、溶けてしまうこともある。
だから、生身の人間でありながら魔法使いになるにはどうしたらいいのかと実験を繰り返す」
するりと男がローゼの傍に迫った。ローゼは動かなかった。正確には動けなかったのだ。
まるで部屋中の空気までもがこの男の支配下に入ってしまったかのように、何一つ自由に動かせず、呼吸すら止まってしまいそうだった。
全てのものが男の命令を待っているかのように止まっている。
「面白いことになっているじゃないか。誰かが実験をしているようだね。なるほど」
男は寝台に座ると、硬直しているローゼの体を指先一つで寝台に座らせた。
「私も実験が好きだ。退屈しのぎになるからね。うまく成長したら私が買い取ってもいい」
ローゼを目の前にしながら、男はその辺の石にでも話しかけているかのような口調だった。
物言わぬ道具をいじるように、ローゼの髪に触れ、それから乱暴に後ろに押し倒した。
長くほっそりとした指がローゼの胸にぴたりと当てられる。
「魂の形は変わらないが、呪いは終わったようだ。さてどうなるかな。良い退屈しのぎになるだろう」
男は独り言のように呟くと、ローゼの唇に指先で一瞬だけ触れた。
「私のことを誰にも話してはいけない」
途端に、何かがぞわりと忍び込んできたような不快感が体に走った。呪いをかけられたのだと思ったが、ローゼにはどうすることもできない。
男は立ち上がり、ゆっくりと回れ右をすると、律儀に扉から出て行った。
扉が閉まり、鍵がかかる音がした。
鍵はローゼのポケットに入っている物と、ジェイスが持っていった物の二本しかないはずだ。
男の気配が消え、小屋には静けさが戻った。
ローゼは体を起こし、先ほどの男の事を話してみようとした。
ところが、唇はピクリとも動かなかった。
男の言葉通り、ローゼは先ほどの奇妙な出来事を誰にも話すことができなくなったのだ。
ローゼは戸締りを確認し、床に落とした刺繍道具を拾い始めた。
冷たい北風に混じり、時折花びらのような雪が舞い落ちる。
露店の並ぶ通りに敷物を置いたローゼは、待っていた人たちに幸運の刺繍を売り始めた。
「果て無しに東の森が喰われ始めたっていう話だよ。騎士団も人員不足で、この辺りにいる部隊も連れていかれるんじゃないかって噂でね」
夫のためにと幸運の刺繍を買いに来た女客は、そんな話をしながらローゼに小銭を払った。
後ろの男が割り込んだ。
「この辺りも魔の森のようになるんじゃないかって噂がある。塔を建てられる魔法使いが減っているのも問題らしい」
「塔持ちが殺されているんじゃないかって話もあるよ」
また別の客が口を出す。皆悪い噂に怯え、情報を求めているのだ。
「せめて運の悪い死に方だけはしないようにしたいものだね」
そのために彼らはローゼの幸運の刺繍を買い求める。
目に見えないものを信じるしかない人々もいる。ローゼは用意していた刺繍入りのハンカチを全て売りきると、いくつかの依頼をその場で引き受けた。
昼前にその日の商売を終えると、ローゼは裏通りに向かった。
怪しげな店の並ぶその通りの突き当りには占い屋があり、既に行列が出来ていた。
ローゼは最後尾に急いで並ぶ。
ゆっくりと列は短くなり、昼過ぎになってようやくローゼは店内に入ることができた。
雨風に晒されなくなったが、さらに列が続き、順番のきた客がカーテンの奥に消えていく。
「お入り」
ようやくローゼの番がきた。
カーテンを開けて中に入ると、暗幕で覆われた部屋の中央に丸テーブルがあり、水晶玉が置かれている。
正面にフードを被った老婆が座っている。
ローゼが向かいに座ると、占い師は金色の小瓶を取り出した。
「言わなくてもわかっているよ。時期が来たんだね」
全てはこの占い師の予言通りに進んでいる。
この占い師との付き合いはジェイスより長く、ローゼは困ったことがあると必ずここを訪れた。
「ウェンの言った通り。ジェイスは迎えの人がきて、連れていかれちゃった」
「正確な表現じゃないね。想い人からの手紙じゃ、断れるわけもない。あの男は戻るべき場所に戻っただけだよ」
ウェンはローゼを慰めながら、テーブルに置いた金色の小瓶を前に押し出した。
慣れた様子でローゼはそれを取り上げ一気に飲み干す。
「もう少しもらえない?幸運が足りているか心配なの」
「はぁ……言ったはずだよ。人体には害がある。あんたは生まれつき耐性があるが、それでも普通の人間だからね。魔法使いのようにはいかない」
口ではそう言いながらも、ウェンはもう一本小瓶をテーブルに置く。
ローゼはすぐにそれを飲み干した。
「甘くて美味しいのよ。それに……私が死んでも泣くような人はいないし……誰かの役に立って死ねるなら、命が無駄にならなくていいんじゃないかな」
気弱なローゼの発言に、ウェンは目を光らせた。
ローゼには隙がある。愛された記憶のない子供の心は隙だらけだ。
その隙間に邪悪な魂を持った者達が群がり、どう料理しようか手ぐすね引いて待っている。
賢く強く生きるように誰にも教えられず、誰かに利用され続けてきた子供はもっとも愚かで扱いやすい。
「私は勧めないけどね」
ウェンはさりげなくもう一本小瓶を出した。ローゼは迷わずそれも飲んだ。
「この国の魔法使いが減っているって本当?」
突然話を変えたローゼに、ウェンは落ち着いて頷いた。
「そうらしいね。塔を建てられない魔法使いがたくさんこの国に潜伏している。彼らは弱く、狩られやすいと思われているが、実は塔を建てられる魔法使いの方が標的にはなりやすい」
「殺されているの?」
「東の森の向こう、最果てでは絶えず魔法使いたちが力を競わせ、殺し合っている。彼らはより強い力を求める。彼らに人の世界のことわりは通用しない。殺すという意識すらないかもしれない。もし魔法使いに会ったら気を付けることだ」
ウェンの言葉は時々よくわからない時がある。ローゼはなんとなく頷いた。
「そうだ。あんたの好きなジェイスのことだったね。彼がもう一度戻ってくる可能性について知りたいのだろう?」
ローゼは身を乗り出して頷き、ウェンはもったいぶった様子で両手を水晶玉の上にかざし始めた。
その日の帰り道、ローゼは宿を取ろうと思ったが、最後にもう一度ジェイスと暮らした小屋に戻ろうと気持ちを変えた。
ウェンの占いの結果はやはり良いものではなかった。
それでも数回、互いの人生が交わる時がくるだろうとウェンは予言した。
『奪われた愛が戻る可能性がある。ジェイスにはそっちの方が幸せだ。でも、もしどうしてもその女から奪いたいなら、運命を引き寄せることもできる。機会はくるよ』
占いの結果に希望はあったが、実行に移す勇気はない。
ローゼは媚薬を使ったことを後悔し続けてきた。
この上ジェイスが幸せになることを知っていながら、その道から引き離し、自分のもとに連れ戻すなんてとても考えられない。
レアナという女性と結ばれることがジェイスにとって幸せだというのなら、身を引く以外に道はない。
ローゼは森の小屋に戻ってくると、鍵を開けて部屋に入った。最初この小屋に鍵はなかった。ローゼが住むようになりジェイスが付けたのだ。
鍵をポケットに入れ、二人で使った寝台に腰を落とすと、心が締め付けられるような痛みと凍てつくような孤独が襲ってきた。
指先から幸運の光が漏れそうになる。
鞄を漁り、糸と針を取り出すと、ローゼはハンカチに白い糸を走らせた。それは指先からこぼれる黄金の光に包まれ、瞬く間に思った通りの色を浮かび上がらせる。
この不思議な刺繍のやり方は母親から受け継いだものだが、教わったわけではなかった。ただ見て覚えたのだ。本当はやりたくもない刺繍だったが、生きていくためには仕方がなかった。
占い師のウェンはローゼの刺繍を見て、幸運を高める薬があると黄金の液体の入った小瓶を勧めた。
飲みすぎれば体に負担をかけると警告されたが、ローゼは与えられるまま飲み続けている。
飲んだ直後が一番刺繍の輝きが強く、効果が高い。
ハンカチを一枚完成させ、ローゼは二枚目を手に取った。
その時、扉が鳴った。
ジェイスが帰ってきたのかもしれないと、一瞬喜びかけたローゼは、窓の外を見て顔を強張らせた。
見知らぬ男が扉の傍に立っている。
漆黒のマントに身を包んだ見るからに不気味なその姿に、ローゼは悲鳴をあげそうになり、両手で口を押えた。
カーテンは開けっぱなしで、少し覗き込まれたらローゼが室内にいることはばれてしまう。
窓から見えない位置にしゃがもうと、手にしていた刺繍道具をそっとテーブルに置くと、そろそろと膝を折りはじめる。
その時、扉が開く音がした。
心臓が飛び上がるほど驚き、ローゼは扉に目を向ける。
鍵をかけたはずの扉が内側に開き、長身の男が入ってくる。
「だ、誰?!」
武器になるものは刺繍針だけだ。
男は恐ろしく背が高く、天井に頭をこすっている。足首まで覆う漆黒のマントを翻し、ローゼの方へ体を向けると、マントの下に白いズボンと黒いシャツが見えた。足元は黒いブーツに包まれ、胸元には風変わりな黒い数珠のペンダントが光っている。
闇のように黒い髪は、曲がりくねりながら腰まで伸び、その顔は人形のように白かった。
底知れない黒い瞳に不思議なきらめきがある。
一見、普通の青年のようだったが、その闇のような瞳と全身を包む異様な雰囲気はどこか古臭く、まるでこの世に実体のない存在のように感じられた。
その姿に魅せられたように釘付けになっていたローゼは、突如その正体に気が付いた。
きっとこれがウェンの話していた魔法使いに違いない。
この国の魔法使いは最果ての地から逃れてきては東の森に住みつく。
塔を建て、この国の国境を守り、気が向いた者は契約魔法使いとして国のために尽くしてくれる。
だけど、塔を建てる力のない魔法使いはどこにいるかわからない。
最果ての地では生き残れず、魔の森に塔を建てることもできず、人間の国に潜伏し続けている。
「塔を持てない魔法使いは消えてしまう」
まるでローゼの心を読んだかのように男が告げた。
低く、心に響くような透明感のある声だ。
「本物の魔法使いには実体がないからね。ほとんどが魔力の塊だよ。魔力を吸収しすぎて体が壊れないように塔を建てて調整する。あれは彼らの結界だ。魔力が安定すればその一帯は静かで、魔物は生まれない。
塔を持てないものはそうだね、食べられてしまうか、あるいは魔力を吸収に行き、壊れてしまったり、溶けてしまうこともある。
だから、生身の人間でありながら魔法使いになるにはどうしたらいいのかと実験を繰り返す」
するりと男がローゼの傍に迫った。ローゼは動かなかった。正確には動けなかったのだ。
まるで部屋中の空気までもがこの男の支配下に入ってしまったかのように、何一つ自由に動かせず、呼吸すら止まってしまいそうだった。
全てのものが男の命令を待っているかのように止まっている。
「面白いことになっているじゃないか。誰かが実験をしているようだね。なるほど」
男は寝台に座ると、硬直しているローゼの体を指先一つで寝台に座らせた。
「私も実験が好きだ。退屈しのぎになるからね。うまく成長したら私が買い取ってもいい」
ローゼを目の前にしながら、男はその辺の石にでも話しかけているかのような口調だった。
物言わぬ道具をいじるように、ローゼの髪に触れ、それから乱暴に後ろに押し倒した。
長くほっそりとした指がローゼの胸にぴたりと当てられる。
「魂の形は変わらないが、呪いは終わったようだ。さてどうなるかな。良い退屈しのぎになるだろう」
男は独り言のように呟くと、ローゼの唇に指先で一瞬だけ触れた。
「私のことを誰にも話してはいけない」
途端に、何かがぞわりと忍び込んできたような不快感が体に走った。呪いをかけられたのだと思ったが、ローゼにはどうすることもできない。
男は立ち上がり、ゆっくりと回れ右をすると、律儀に扉から出て行った。
扉が閉まり、鍵がかかる音がした。
鍵はローゼのポケットに入っている物と、ジェイスが持っていった物の二本しかないはずだ。
男の気配が消え、小屋には静けさが戻った。
ローゼは体を起こし、先ほどの男の事を話してみようとした。
ところが、唇はピクリとも動かなかった。
男の言葉通り、ローゼは先ほどの奇妙な出来事を誰にも話すことができなくなったのだ。
ローゼは戸締りを確認し、床に落とした刺繍道具を拾い始めた。
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