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第一章 企み

4.フォスター家

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 ジェイスの腹違いの弟、ケビンの妻になったレアナは、ザウリの市場に日課の買い出しにきていた。
庶民向けの市場だが、徐々に手が出なくなってきている。

小さな農園や牧場だけでは貴族屋敷を維持していくのは大変だ。
家にあった小物をいくつか質に入れたが、焼け石に水だった。

重い足取りで屋敷に帰ろうとした時、市場の片隅に見慣れないテントがあることに気が付いた。
こんな店があっただろうかと正面を覗くと、札がかかっている。

『占い屋』

既に女性客が三人並んでいる。どこからともなく、町の人達の会話が聞こえてきた。

「ここの占い当たるそうだよ。ロンのところもここで見てもらって結婚が決まったとか」

「王都から流れてきた魔力使いらしいじゃないか。来年の作付けを聞いてみようかね」

その噂話に押されるように、レアナはなんとなく列の最後尾に並んだ。

相談したい事なら山ほどある。かわりに答えを出してくれると言うなら有難い話だ。

まずは嫁いだ家のことだ。

レアナは第三貴族のフォスター家に嫁いだが、その資格をフォスター家は失いかけていた。
当主であった父親が亡くなり、やむを得ず貴族の母親を持つ弟のケビンが紋章と騎士の位を受け継いだ。

ケビンはさらに兄の婚約者だったレアナまで娶った。
それは愛故ではなく、出来の良い兄から全てを奪うことが目的だった。

しかしケビンは煌びやかな階級や兄に勝つことばかりに気を取られ、背負うべき責任について深く考えてこなかった。
重要な仕事は父親がこなし、身分の低い母親を持つ兄は、父の姿から熱心に学び、家名が無くても騎士として認められるだけの実力をつけておこうと日々鍛錬をかかさなかった。

ケビンは母親の身分と父親の栄光にすがり、自分を磨くことを怠った。
突然その自覚が芽生えるはずもなく、騎士団に配属され、出陣した途端に逃げ出した。
脱走は大罪だ。

貴族の紋章をはく奪されてもおかしくはなかった。しかし亡き父親の上官だった男がとある書面を要塞で見つけた。それは亡き父親の覚書のようなもので、家督は長男に継がせたいと書かれていた。
上官がフォスター家を調べ、長男が家を出ていることが発覚し、ケビンにとっては初陣であったことも考慮し、長男が代理で国のために働く気があるならケビンの罪は問わないと通知した。

ケビンの妻になったレアナは、騎士の家族のために働く第十五騎士団に依頼し、消息のわからないジェイスに手紙を出した。

その手紙を読んで、ジェイスが戻ってくれるかどうかはわからない。
国から月々のお金が入ってこなくなり、苦しい台所事情になってしまったフォスター家は日々節約を余儀なくされている。

 占い屋の列が少しずつ短くなり、ついにレアナの番になった。
中からしわがれた声がした。

「お入り」

レアナは緊張した面持ちでテントに入った。
天井にランプが一つ吊り下げられている。
中央に水晶玉を乗せた小さな丸テーブルが置かれていた。
その奥から紫のフードを被った老婆が、重そうな瞼の下からレアナを鋭く見据えている。

「昔の男を取り戻したいのかい?」

レアナは驚いた。
それはレアナがもっとも欲しているものだった。
老婆はその心を見透かしたように話し出した。

「残念だね。世継ぎが出来ていれば状況は変わっていただろうに。あんたの今の夫はあんたを抱くのを嫌がっているようだね」

レアナは屈辱で頬を紅潮させた。

「な、なぜそんなことを……」

絶対に外に知られたくない夫婦の秘密だった。レアナはわなわなと震え、涙をにじませた。
ジェイスを捨てて貴族で騎士である弟のケビンを選んだ。
自分なりに覚悟し、気持ちを入れ替えケビンに尽くそうと思った。
それなのに、ケビンはレアナと夫婦になるつもりはなかったのだ。

「夫を振り向かせたいなら役に立つところを見せることだよ。あんたは夫に捨てられたら、貴族でも騎士の妻でもない。あんたはドレスを着て毎日風呂の入れる生活を手放せない。
幸いなことはね、これから帰ってくる昔の男は多少あんたへの気持ちを残している。
うまくいくかどうかは、あんたの覚悟次第だ」

「私は貴族でいたいし、騎士の妻でいたい。これから戻ってくる男がジェイスなら、彼と一緒になれば、私は愛も手に入れることができる。その道は?その道は残されている?」

レアナの言葉に、占い師は無言で水晶玉の上に両手をかざした。
やがてしわがれた声で告げる。

「義理堅い、意外と真面目な男だね。だけど普通の男でもある。つきあっている女がいるよ。身分も金もないただの女だ」

レアナは真っ青になった。無一文で出ていったジェイスを好きになる女がいるわけがないとどこかで思っていた。もし誰か好きになったとしても、貴族の自分が負けるわけがない、ジェイスの心を取り戻すのは簡単だと思い込んでいた。

「真剣に付き合っているの?その……彼はその女性と……」

「揺れているところだね」

占い師は水晶玉を覗き込んだ。

「責任を感じているが、愛ではない。理性と本能のバランスが崩れたらあんたの方になびく可能性がある。そうだね……手助けするものがあれば、あの男はお前の物になる」

テーブルの上にことりと小瓶が置かれた。
透明な液体が入っている。

老婆はその小瓶に指を添えて、レアナの方へ押し出した。

「数回分の媚薬だよ。男の理性を狂わせる。今の女性に対する責任感よりも、あんたを好きな気持ちが優先されるように使ったらいい。自分に正直になることは悪い事じゃない。人は獣と同じだ。心に正直に生きて愛し合うことのどこに罪があると思う?」

弱っている時の甘い言葉は心に刺さる。

家を捨て、無一文になることなど考えただけで恐ろしく、ジェイスを捨てた。
選択を間違えたのだ。だけど、そのたった一度の過ちで、女として愛されない人生を送るなんて耐えられない。

いつだってやり直していいはずだ。過去の過ちを取り戻せるなら、動くしかない。
レアナは媚薬の小瓶を固く握りしめた。


――

 西のリュデンでレアナからの手紙を受け取ったジェイスは、街道をひた走りフォスター家に向かっていた。

 ザウリの郊外にある古びた立派な屋敷が見えてくると、ジェイスは馬の歩調を緩め、憂鬱な溜息をついた。
屋敷の周囲には石壁が築かれているが、修復が必要なほど傷んでいる。
のどかな牧草地と農園の光景は懐かしいが、昔に比べて活気もない。

門に近づくと、懐かしい顔ぶれの使用人たちが飛び出してきた。

「ジェイス様!」

駆けつけてきた使用人たちの中に、昔なじみの家令のアルマンの姿まであった。

「お戻り頂き、ありがとうございます」

父の傍らで毅然と立っていたアルマンもすっかり老人であり、ジェイスはとっくに彼の背を追い抜いていた。

「アルマン、元気そうだな。状況を教えてくれ」

アルマンは沈痛な面持ちで頷き、簡単に知る限りのフォスター家の現状をジェイスに教えた。
家名に泥を塗ったケビンの行為には言葉もなかったが、亡き父が残した覚書がかろうじて貴族の名前を支えている。

ジェイスが屋敷に入ると、甲高い声が頭上で響き、年配の女が階段を駆け下りてきた。

「ジェイス!跡継ぎはお前じゃない!お前は弟に仕えるために戻ってきたのよ!」

現れたのはケビンの母ドリーンだった。ジェイスはうんざりしたが、無表情を貫いた。

「母上、お久しぶりです。ケビンが無事と聞き安堵しました。もし何かあれば、あなたも路頭に迷うところだった」

「お、おまえっ」

ドリーンは、返ってきたジェイスの言葉にぞっとして言葉を閉ざした。
確かに、何も手を打たなければ路頭に迷うことになるのだ。

「私はもうここに戻る気はないので、全員解雇しなければなりませんから」

そんな勝手はさせないとドリーンは叫びかけ、自分の横をすり抜けるジェイスが、記憶にある以上に成長していることに驚いた。
背丈はとうに越されているが、実際に命をかけて外で戦い経験を積んだ男の存在感は、ドリーンを圧倒した。

ドリーンは逞しくなったジェイスの静かな迫力に怯え、数歩よろめいて手すりにすがりついた。
ここを無一文で追い出された時のジェイスは、恋も財産も奪われ人生に絶望し、その背中はもっと小さく見えた。
しかし、戻ってきたジェイスの背中は立派に生き抜いてきた一人前の男のものだ。

もし逆の立場になっていたら、あるいはケビンと二人だったとしても、この家の外で生きていくことなどドリーンには考えられなかった。こんな風に戻ってはこられなかっただろう。
よろめきながらも、ドリーンはジェイスの背中を追って階段を上がった。


 フォスター家の現当主ケビンは、立派な寝室で当主用の大きな寝台に寝そべっていた。
果て無しに隣接する魔の森で負傷し毒を受けたが、それは脱走中の出来事であり、その治療を国に求めることはできなかった。

扉が鳴ると、ケビンはようやく治癒師が来たのだと思い、体を起こしながら入ってくる人物の顔も見ずに叫んだ。

「足が動かない。早く治療を始めてくれ」

ところが、アルマンの後ろから現れたのは、ケビンがこの世で一番憎んでいる男だった。
ケビンは顔を赤くして怒鳴った。

「な、何をしに来た!」

ジェイスを呼んだのはレアナであり、ケビンの母ドリーンがレアナに命じたことだった。
家が潰れようと、使用人が路頭に迷おうと、ケビン自身はジェイスに助けを求めようなどとは考えもしなかったのだ。

「第十五騎士団から手紙を受け取った。俺が当主代理となり、騎士団に加わればフォスター家は今の地位を維持できるとあったが、現在の当主はお前だろう。どうするつもりだ?」

偉そうな物言いに、ケビンは怒りに拳を震わせジェイスを睨みつけた。
ジェイスは落ち着き払った物腰で、静かにケビンの正面に立っている。
本来なら、当主として、ジェイスにフォスター家の名誉のために戦場に行ってくれと頭を下げて頼まなければならない。

しかしケビンは人に頼み事などしたことがなかった。

「ケビン、このままでは私たちは貴族ではいられなくなる。紋章を返上しなければならず……」

ドリーンが横から口を出し、ケビンはようやく事の重大さに気づいた。
憎いジェイスに騎士になってもらわなければこの家に住み続けることさえ難しい。

それでも「頼む」とは言いたくない。ケビンは奥歯をぎりぎりと噛みしめた。やがて幾分小さな声を絞り出した。

「ジェイス……運が良かったな。フォスター家の当主は俺だ。それは変わらないぞ。お前に機会をやる。俺の代わりに戦場に行き、手柄をたてさせてやる。騎士になりたかったのだろう?家のため、いや、俺のために働いてこい」

「と、当主の命令は絶対です」

ケビンの横に立ち、ドリーンは震えながらもケビンに加勢した。
アルマンは後ろに控え、困惑したように俯いている。

ジェイスはため息をついた。

「父には恩がある。この家の財産で育ててもらった自覚もあるが、俺が今回戻ってきたのは、この家を存続させる価値があるかどうか見極めるためだ。ここに戻ることは考えていない」

「お前は、父の名誉を汚すつもりですか!」

部屋の扉は開いており、激高したドリーンの声は屋敷中に轟いた。
その時、玄関口でその声を聞いた人物が、走るようにケビンの部屋に向かってきた。
階段を駆け上がる音が、通路を走る足音にかわり、扉の向こうから一人の女が現れた。

「ジェイス?」

その声が誰のものであるのか、ジェイスはすぐに気づいたが、視線はケビンに向けたまま動かなかった。
レアナは部屋に入り、頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。手紙を出したのは私です」

ケビンに内緒で手紙を出したことを謝っているのか、それともジェイスを都合よく捨てておきながら、助けてくれと呼びだしたことを謝っているのか、二人の男には判断がつかない。
ドリーンはレアナのずるさをわかった上で、目を細め考えた。

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