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第一章 企み
5.おぞましい企み
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ジェイスはレアナを無視して話を続けた。
「俺はこの家に関する権利を放棄している。今回戻ったのは、フォスター家の最後の息子が負傷したとあったからだ。紋章を返上するならば、雇用している人々の生活を考えてやる必要がある。父の代から働いてくれている者達もいる。お前に、俺と力を合わせこの家を建て直す覚悟がないのなら俺は何もしない」
落ち着いた様子で淡々と話すジェイスの背中に、レアナは熱い眼差しを向け、寝台から妻の様子をちらりと見たケビンはさらに不愉快な顔になった。
「ならば、まず現状を見てもらってはどうかしら?」
甲高い声でドリーンが口を挟んだ。
「私達に協力しなければ、このフォスター家がどうなるのか調べてくればいい。アルマン、執務室へジェイスを入れてもいいわ」
ケビンはむっとしたように視線をあげたが、ドリーンが息子の手を握った。
何か企みがあるのだと気づき、ケビンは顔を不機嫌に歪めながらも黙り込んだ。踵を返し、部屋を出ていくジェイスとようやく正面から向き合い、レアナは扉の前を空けながら、頬を赤らめた。
「ジェイス……」
恋人であった頃もジェイスは努力家で立派な人だと思っていたが、戻ってきたジェイスはさらに逞しく立派に見えた。
ジェイスはレアナに目を向けたが、すぐにアルマンの背中に視線を戻した。
レアナは、ジェイスが自分の前で足も止めない事に少なからず衝撃を受けたが、それを表情に出すわけにはいかなかった。寝台の上のケビンと隣に立つドリーンからレアナの表情は丸見えだった。
「レアナ、こちらへ」
姑のドリーンの声にびくりと肩を震わせ、レアナは寝室の扉を閉めて前に進み出た。
「ジェイスは、無条件でこちらに協力する気はないみたい」
「そ、そんな……」
ドリーンの言葉にレアナは戸惑ったように視線をさまよわせた。
「王国の治癒師を派遣してもらうには騎士をこの家から出す必要がある。レアナ、あなただって、貴族の妻でいたいはずよ。ジェイスを説得してちょうだい」
ケビンは舌打ちしたが、ジェイスに頭を下げるぐらいなら妻を差し出す方がましだった。
妻を守る立場でありながら、盾にするなど、男としても夫としてもあまりにも情けない所業だったが、ケビンはそんなことすら気づかない。とにかくジェイスより上に立ちたいのだ。
「ジェイスが本気でこの家を潰すわけがない。あの男がどれほど熱心に父を慕っていたか俺は知っている。
レアナ、夫の俺が許可してやる。
ジェイスを誘惑し、弟の妻を寝取った男に落としてやれ。
その現場に乗り込み、浅ましい欲望に負けた罪を突き付けてやる。
逃亡した騎士と弟の妻に手を出した情けない男が最後のフォスター家の跡取りだ。
あの男はこの家の名誉のために戦場で輝かしい手柄たてないわけにはいかなくなる」
レアナは両手を胸の前に組み合わせ、床に崩れ落ちた。
「そ、そんな。私の名誉はどうなるのですか?もしそんな話が外に出たら……夫の許可があったとしても私は表も歩けない」
「心にもないことを!」
ドリーンが吐き捨てた。
「腹黒い女だね。ジェイスを捨てて身分と金を選んだくせに。お前だってジェイスに協力してもらえなければ困ったことになるはず。そうだわ。ジェイスの子供を生めばいい」
「母上!」
さすがのケビンも驚いて声をあげた。
それをドリーンは「しっ」といって黙らせた。
「どうせ跡取りにするつもりはない。でも出来た子供はケビンの子となる。正義感の強いジェイスのことだ。自分の子となれば守らなければと思うはずだ。ジェイスは自分の子供を人質にとられてこの家に協力しないわけにはいかなくなる。
とにかくジェイスをこの家に縛り付けるための口実になればいい」
レアナは顔を伏せ、闘志に燃える目を隠した。ジェイスの子供なら産みたい。
結婚も愛し合うことも許されないのなら、せめてジェイスの子供が欲しい。
ケビンに対しては愛も尊敬の念もない。
貴族であり、豊かに暮らせる上に、愛する人との子供が持てる。さらに、ジェイスが騎士となりこの家を守ってくれるならどれほど心強いか。
ケビンは若くして引退の身になるが、ジェイスはレアナと自分の子供をケビンから守ろうとしてくれるだろうし、戻って来れば子供と遊び、大切にしてくれるだろう。
子供にはこっそりジェイスが父だと教えよう。
家のために必要なことだったのだと大きくなってから教えれば、ジェイスの背中を見て育った子ならきっとわかってくれるはずだ。
レアナは自身の企みを隠し、二人に強要され、仕方なく従うのだとわかるように、震えながらゆっくり頷いた。
ジェイスを陥れる計画をレアナが了承したと見て、二人はにやりと口元を歪めた。
「レアナ、裏切るなよ。何をどうしようとお前は俺の妻だ。お前の老いた両親の暮らしもかかっている」
レアナの両親はとっくに貴族の地位を失うことを覚悟し、細々とした暮らしを始めていた。
その地位にしがみつき、もっと良い暮らしが出来るはずだと思ったのはレアナの方で、フォスター家に入り浸り、ジェイスと仲を深めた。
それでも、ジェイスのことは本気で好きだったのだ。
レアナは非情な夫と目を合わせた。
ケビンがジェイスへの嫌がらせのために、レアナを妻にするのだとわかっていながら、その申し出を受けたのはレアナ自身だった。妻になった時点でレアナもこの二人の共犯者だ。
レアナはもう一度頷くと、寝室を出て行った。
ケビンと二人きりになると、ドリーンは打って変わって優しい表情になった。
「大丈夫よ。ケビン、あの女は美しいドレスも宝石も、華やかな夜会も捨てられない。ジェイスが出世して暮らしがさらに豊かになり、領地まで増えることになればますますこの家を離れられなくなる。ジェイスの手柄は全部あなたのもの。
ジェイスは戦えなくなるまで利用してやればいい。戦場への要請に全て応じてやりましょう。
騎士になれば逃亡することも出来ないのだから」
ケビンは足の痛みに堪えるように顔を歪め、忌々し気に舌打ちをした。
「あいつ……俺を脅しやがって。さっさと治癒師を呼んできてもらわないと俺の命だって危ないかもしれない」
「そうなの?そんなに痛みが?町の治癒師にはみせたじゃない」
「王国が派遣する治癒師の方が能力が高い。幸いレアナが手元にいる。ジェイスの弱点だ。鞭を打っていたぶって見せれば案外簡単に言いなりになるかもしれない。妻をしつけるのは夫の役目だ」
「この作戦がうまくいかなければそうしましょう」
ケビンに賛同し、ドリーンは微笑んだ。正妻であるにも関わらず、外の女が先に男の子を生んだ。その時の恨みをドリーンはまだ果たせていない。
憎しみに心を曇らせた親子は、互いに目を見交わした。
――
父親の執務室に入ったジェイスは、憂鬱な溜息をついた。
フォスター家は第三貴族であり、身分はそれほど高くなく、何代にもわたって手柄を立ててこなかったため、領地も財産も先細りだ。
父親の代でようやく盛り返しかけたが、急な病であっという間に息を引き取った。
魔の森の討伐に出た後だったため、国の治癒師も駆けつけたが間に合わなかった。
山積みの書類に一通り目を通し、ジェイスは思案するように窓辺に立った。
父の死後、初めて入った父親の執務室は書類が散乱し、まともに仕事をしていた形跡はなかった。
支払いもたまっている。
アルマンも当主の代理が出来るわけではない。
かろうじて領地の運営だけはなんとかなっている。
執務室の扉が鳴り、室内に控えていたアルマンが扉を開けた。
入ってきたのはレアナだった。
ジェイスは椅子に戻り、レアナを見上げた。
「レアナ、ケビンは何をしていた?この部屋には入っていたのか?」
レアナは首を横に振った。
そうだろうなとジェイスは呟き、額を抱え机に肘をついた。
「どうして……」
レアナが口を開いた。
「どうして私をこの家に置いて行ってしまったの?」
「君がそれを言うのか?」
ジェイスは苦笑した。レアナを奪われたからに決まっている。それとも愛のためなら、他の男に抱かれ、幸せに暮らす元婚約者の姿を見る事に耐えろとでもいうつもりなのか。
「確かに私は家を捨てられなかった。だけど、わかってくれたと思っていた。支えてくれるものだと……」
「君を支える役目はケビンに譲った。レアナ、今はそんな話をしている場合じゃない。書類に目を通したことは?」
「私にそんな自由が許されているわけがないじゃない」
ジェイスの前でレアナは膝を折り、助けて欲しいと懇願した。
まだこの話を引き受けるとは決めていないジェイスには辛い時間だった。
ジェイスは家を捨てた身だ。この家の財産を好きに動かすこともできない。
レアナを守ると言えるような立場でもない。
もしこの家に戻るなら、やらなければならない仕事が山ほどある。さらに国の仕事も引き受け、領地運営もしなければならない。
勤務先から仕送りし、その管理をレアナとアルマンに頼み、ドリーンとケビンの浪費に気を付け、必死に働いたとしても、ジェイスの手に残るものは何もない。
手を出せば全てを引き受けなければならなくなるし、何もしなければ家は潰れ、使用人たちの生活が立ち行かなくなる。何が出来るだろうかと、ジェイスは頭を抱えた。
レアナはその様子を見ると、そっと部屋を出た。
ポケットの媚薬の瓶を握りしめ、レアナはケビンの寝室の扉を叩いた。
入室を許可されると、レアナは思いつめたような真剣な表情で、良い考えがあると静かに話し始めた。
「私に一晩下さい。王都からきたという魔力使いの占い師から媚薬を手に入れました。ジェイスを誘惑し、必ずこの家に引き止めます」
淑女の仮面を脱ぎ捨てたレアナの言葉に、ドリーンは満足そうに頷いた。
「うまくやれよ」
腹違いの兄に妻を寝取られることになるというのに、ケビンは気にしなかった。
ジェイスの名誉を貶めることだけに固執した。
そんな二人を前に、レアナは必ずケビンの子種を手に入れようと心に決めた。
ジェイスはその日、フォスター家の自室に泊まることになった。
当初は町に戻るつもりだったが、とにかく書類仕事が溜まり過ぎていた。
アルマンも、今のうちにと後から後から仕事を持ち込んだ。
レアナが飲み物や食事を運んできた。
それを片手で飲み食いしながら、ジェイスは目が痛くなるまで書類と向き合い、一段落付いた時にはとっくに日が暮れていた。
ようやく自室に戻ると、ジェイスは懐かしい寝台に座り込み、ほっと息をついた。
用意されていたテーブルの水差しを取り上げ、コップに注ぐと喉を潤す。
一息つくと、張り詰めていた緊張は次第にほぐれていった。
なにせそこは、長年暮らしたジェイスの部屋だった。
幼い時の記憶が蘇る。
母親は身分が低く、この屋敷に入れてもらえなかった。
寝付けない夜には、忙しい父親が顔を出してくれたのだ。
そんなことを思い出しながら、ジェイスは寝台に横たわり、心地よく眠りかけた。
意識を失う寸前、ジェイスは突然異変に気が付いた。頭が重く、ひどく体が熱い。
はっとして寝台横のテーブルに置かれた水差しに目を向ける。
薬を盛られたかもしれないと心に過った瞬間、誰かが部屋に入ってきた。
「誰だ……」
即座に立ちあがろうとしたが、体は動かず、のろのろと手が持ち上がっただけだった。
その大きな手を、柔らかな感触が受け止めた。
それは女の胸の感触であり、途端にジェイスの股間が反応する。
懐に忍ばせた黄金の刺繍がふわりと光り、奪われそうなジェイスの意識を引き戻した。
ジェイスは目をこすりながらなんとか上半身を起こした。
女性の影が見える。
「レアナ?」
寝台横に置かれたランプの灯りの中にレアナの姿が浮かび上がる。
ジェイスは驚愕した。
レアナは既に服を脱ぎ、いつの間にかジェイスの上にのしかかっている。
「よせ!」
「しっ……」
レアナの甘い香りがジェイスの股間を刺激し、燃えるような欲望がジェイスの理性を遠ざける。
「ジェイス……あなたにただ働きはさせない。息子を作りましょう。この家を継ぐのはあなたではないかもしれない。でも、あなたの息子が継げる」
どういうことかと、叫びかけたジェイスの口をレアナの柔らかな唇が塞いだ。
唾液混ざり合い、舌で弾かれる淫らな水音が耳に聞こえ、思考がどんどん奪われる。
欲望ばかりが沸き上がり、目の前の女を抱きたいと股間の熱が訴える。
長年大切に思い続けた婚約者を奪われ、二年も苦しみ抜いた。
その女性が裸で目の前にいるのだ。
我慢しきれず襲ってしまっても仕方がない。
そう思った瞬間、再びジェイスの懐にしまわれているローゼの刺繍が金色に光った。
またジェイスは我に返り、ローゼの姿を思い出した。
婚約者を奪われ、無一文で家を追い出された、その苦しみを癒してくれた女性がいる。
「レアナ、やめてくれ。本当に無理だ。付き合っている女性がいる……こんなことはしたくない……」
ジェイスの頬から首筋にかけて口づけを繰り返していたレアナは、ジェイスの言葉にびくりと体を強張らせ、わずかに体を離した。
「俺はこの家に関する権利を放棄している。今回戻ったのは、フォスター家の最後の息子が負傷したとあったからだ。紋章を返上するならば、雇用している人々の生活を考えてやる必要がある。父の代から働いてくれている者達もいる。お前に、俺と力を合わせこの家を建て直す覚悟がないのなら俺は何もしない」
落ち着いた様子で淡々と話すジェイスの背中に、レアナは熱い眼差しを向け、寝台から妻の様子をちらりと見たケビンはさらに不愉快な顔になった。
「ならば、まず現状を見てもらってはどうかしら?」
甲高い声でドリーンが口を挟んだ。
「私達に協力しなければ、このフォスター家がどうなるのか調べてくればいい。アルマン、執務室へジェイスを入れてもいいわ」
ケビンはむっとしたように視線をあげたが、ドリーンが息子の手を握った。
何か企みがあるのだと気づき、ケビンは顔を不機嫌に歪めながらも黙り込んだ。踵を返し、部屋を出ていくジェイスとようやく正面から向き合い、レアナは扉の前を空けながら、頬を赤らめた。
「ジェイス……」
恋人であった頃もジェイスは努力家で立派な人だと思っていたが、戻ってきたジェイスはさらに逞しく立派に見えた。
ジェイスはレアナに目を向けたが、すぐにアルマンの背中に視線を戻した。
レアナは、ジェイスが自分の前で足も止めない事に少なからず衝撃を受けたが、それを表情に出すわけにはいかなかった。寝台の上のケビンと隣に立つドリーンからレアナの表情は丸見えだった。
「レアナ、こちらへ」
姑のドリーンの声にびくりと肩を震わせ、レアナは寝室の扉を閉めて前に進み出た。
「ジェイスは、無条件でこちらに協力する気はないみたい」
「そ、そんな……」
ドリーンの言葉にレアナは戸惑ったように視線をさまよわせた。
「王国の治癒師を派遣してもらうには騎士をこの家から出す必要がある。レアナ、あなただって、貴族の妻でいたいはずよ。ジェイスを説得してちょうだい」
ケビンは舌打ちしたが、ジェイスに頭を下げるぐらいなら妻を差し出す方がましだった。
妻を守る立場でありながら、盾にするなど、男としても夫としてもあまりにも情けない所業だったが、ケビンはそんなことすら気づかない。とにかくジェイスより上に立ちたいのだ。
「ジェイスが本気でこの家を潰すわけがない。あの男がどれほど熱心に父を慕っていたか俺は知っている。
レアナ、夫の俺が許可してやる。
ジェイスを誘惑し、弟の妻を寝取った男に落としてやれ。
その現場に乗り込み、浅ましい欲望に負けた罪を突き付けてやる。
逃亡した騎士と弟の妻に手を出した情けない男が最後のフォスター家の跡取りだ。
あの男はこの家の名誉のために戦場で輝かしい手柄たてないわけにはいかなくなる」
レアナは両手を胸の前に組み合わせ、床に崩れ落ちた。
「そ、そんな。私の名誉はどうなるのですか?もしそんな話が外に出たら……夫の許可があったとしても私は表も歩けない」
「心にもないことを!」
ドリーンが吐き捨てた。
「腹黒い女だね。ジェイスを捨てて身分と金を選んだくせに。お前だってジェイスに協力してもらえなければ困ったことになるはず。そうだわ。ジェイスの子供を生めばいい」
「母上!」
さすがのケビンも驚いて声をあげた。
それをドリーンは「しっ」といって黙らせた。
「どうせ跡取りにするつもりはない。でも出来た子供はケビンの子となる。正義感の強いジェイスのことだ。自分の子となれば守らなければと思うはずだ。ジェイスは自分の子供を人質にとられてこの家に協力しないわけにはいかなくなる。
とにかくジェイスをこの家に縛り付けるための口実になればいい」
レアナは顔を伏せ、闘志に燃える目を隠した。ジェイスの子供なら産みたい。
結婚も愛し合うことも許されないのなら、せめてジェイスの子供が欲しい。
ケビンに対しては愛も尊敬の念もない。
貴族であり、豊かに暮らせる上に、愛する人との子供が持てる。さらに、ジェイスが騎士となりこの家を守ってくれるならどれほど心強いか。
ケビンは若くして引退の身になるが、ジェイスはレアナと自分の子供をケビンから守ろうとしてくれるだろうし、戻って来れば子供と遊び、大切にしてくれるだろう。
子供にはこっそりジェイスが父だと教えよう。
家のために必要なことだったのだと大きくなってから教えれば、ジェイスの背中を見て育った子ならきっとわかってくれるはずだ。
レアナは自身の企みを隠し、二人に強要され、仕方なく従うのだとわかるように、震えながらゆっくり頷いた。
ジェイスを陥れる計画をレアナが了承したと見て、二人はにやりと口元を歪めた。
「レアナ、裏切るなよ。何をどうしようとお前は俺の妻だ。お前の老いた両親の暮らしもかかっている」
レアナの両親はとっくに貴族の地位を失うことを覚悟し、細々とした暮らしを始めていた。
その地位にしがみつき、もっと良い暮らしが出来るはずだと思ったのはレアナの方で、フォスター家に入り浸り、ジェイスと仲を深めた。
それでも、ジェイスのことは本気で好きだったのだ。
レアナは非情な夫と目を合わせた。
ケビンがジェイスへの嫌がらせのために、レアナを妻にするのだとわかっていながら、その申し出を受けたのはレアナ自身だった。妻になった時点でレアナもこの二人の共犯者だ。
レアナはもう一度頷くと、寝室を出て行った。
ケビンと二人きりになると、ドリーンは打って変わって優しい表情になった。
「大丈夫よ。ケビン、あの女は美しいドレスも宝石も、華やかな夜会も捨てられない。ジェイスが出世して暮らしがさらに豊かになり、領地まで増えることになればますますこの家を離れられなくなる。ジェイスの手柄は全部あなたのもの。
ジェイスは戦えなくなるまで利用してやればいい。戦場への要請に全て応じてやりましょう。
騎士になれば逃亡することも出来ないのだから」
ケビンは足の痛みに堪えるように顔を歪め、忌々し気に舌打ちをした。
「あいつ……俺を脅しやがって。さっさと治癒師を呼んできてもらわないと俺の命だって危ないかもしれない」
「そうなの?そんなに痛みが?町の治癒師にはみせたじゃない」
「王国が派遣する治癒師の方が能力が高い。幸いレアナが手元にいる。ジェイスの弱点だ。鞭を打っていたぶって見せれば案外簡単に言いなりになるかもしれない。妻をしつけるのは夫の役目だ」
「この作戦がうまくいかなければそうしましょう」
ケビンに賛同し、ドリーンは微笑んだ。正妻であるにも関わらず、外の女が先に男の子を生んだ。その時の恨みをドリーンはまだ果たせていない。
憎しみに心を曇らせた親子は、互いに目を見交わした。
――
父親の執務室に入ったジェイスは、憂鬱な溜息をついた。
フォスター家は第三貴族であり、身分はそれほど高くなく、何代にもわたって手柄を立ててこなかったため、領地も財産も先細りだ。
父親の代でようやく盛り返しかけたが、急な病であっという間に息を引き取った。
魔の森の討伐に出た後だったため、国の治癒師も駆けつけたが間に合わなかった。
山積みの書類に一通り目を通し、ジェイスは思案するように窓辺に立った。
父の死後、初めて入った父親の執務室は書類が散乱し、まともに仕事をしていた形跡はなかった。
支払いもたまっている。
アルマンも当主の代理が出来るわけではない。
かろうじて領地の運営だけはなんとかなっている。
執務室の扉が鳴り、室内に控えていたアルマンが扉を開けた。
入ってきたのはレアナだった。
ジェイスは椅子に戻り、レアナを見上げた。
「レアナ、ケビンは何をしていた?この部屋には入っていたのか?」
レアナは首を横に振った。
そうだろうなとジェイスは呟き、額を抱え机に肘をついた。
「どうして……」
レアナが口を開いた。
「どうして私をこの家に置いて行ってしまったの?」
「君がそれを言うのか?」
ジェイスは苦笑した。レアナを奪われたからに決まっている。それとも愛のためなら、他の男に抱かれ、幸せに暮らす元婚約者の姿を見る事に耐えろとでもいうつもりなのか。
「確かに私は家を捨てられなかった。だけど、わかってくれたと思っていた。支えてくれるものだと……」
「君を支える役目はケビンに譲った。レアナ、今はそんな話をしている場合じゃない。書類に目を通したことは?」
「私にそんな自由が許されているわけがないじゃない」
ジェイスの前でレアナは膝を折り、助けて欲しいと懇願した。
まだこの話を引き受けるとは決めていないジェイスには辛い時間だった。
ジェイスは家を捨てた身だ。この家の財産を好きに動かすこともできない。
レアナを守ると言えるような立場でもない。
もしこの家に戻るなら、やらなければならない仕事が山ほどある。さらに国の仕事も引き受け、領地運営もしなければならない。
勤務先から仕送りし、その管理をレアナとアルマンに頼み、ドリーンとケビンの浪費に気を付け、必死に働いたとしても、ジェイスの手に残るものは何もない。
手を出せば全てを引き受けなければならなくなるし、何もしなければ家は潰れ、使用人たちの生活が立ち行かなくなる。何が出来るだろうかと、ジェイスは頭を抱えた。
レアナはその様子を見ると、そっと部屋を出た。
ポケットの媚薬の瓶を握りしめ、レアナはケビンの寝室の扉を叩いた。
入室を許可されると、レアナは思いつめたような真剣な表情で、良い考えがあると静かに話し始めた。
「私に一晩下さい。王都からきたという魔力使いの占い師から媚薬を手に入れました。ジェイスを誘惑し、必ずこの家に引き止めます」
淑女の仮面を脱ぎ捨てたレアナの言葉に、ドリーンは満足そうに頷いた。
「うまくやれよ」
腹違いの兄に妻を寝取られることになるというのに、ケビンは気にしなかった。
ジェイスの名誉を貶めることだけに固執した。
そんな二人を前に、レアナは必ずケビンの子種を手に入れようと心に決めた。
ジェイスはその日、フォスター家の自室に泊まることになった。
当初は町に戻るつもりだったが、とにかく書類仕事が溜まり過ぎていた。
アルマンも、今のうちにと後から後から仕事を持ち込んだ。
レアナが飲み物や食事を運んできた。
それを片手で飲み食いしながら、ジェイスは目が痛くなるまで書類と向き合い、一段落付いた時にはとっくに日が暮れていた。
ようやく自室に戻ると、ジェイスは懐かしい寝台に座り込み、ほっと息をついた。
用意されていたテーブルの水差しを取り上げ、コップに注ぐと喉を潤す。
一息つくと、張り詰めていた緊張は次第にほぐれていった。
なにせそこは、長年暮らしたジェイスの部屋だった。
幼い時の記憶が蘇る。
母親は身分が低く、この屋敷に入れてもらえなかった。
寝付けない夜には、忙しい父親が顔を出してくれたのだ。
そんなことを思い出しながら、ジェイスは寝台に横たわり、心地よく眠りかけた。
意識を失う寸前、ジェイスは突然異変に気が付いた。頭が重く、ひどく体が熱い。
はっとして寝台横のテーブルに置かれた水差しに目を向ける。
薬を盛られたかもしれないと心に過った瞬間、誰かが部屋に入ってきた。
「誰だ……」
即座に立ちあがろうとしたが、体は動かず、のろのろと手が持ち上がっただけだった。
その大きな手を、柔らかな感触が受け止めた。
それは女の胸の感触であり、途端にジェイスの股間が反応する。
懐に忍ばせた黄金の刺繍がふわりと光り、奪われそうなジェイスの意識を引き戻した。
ジェイスは目をこすりながらなんとか上半身を起こした。
女性の影が見える。
「レアナ?」
寝台横に置かれたランプの灯りの中にレアナの姿が浮かび上がる。
ジェイスは驚愕した。
レアナは既に服を脱ぎ、いつの間にかジェイスの上にのしかかっている。
「よせ!」
「しっ……」
レアナの甘い香りがジェイスの股間を刺激し、燃えるような欲望がジェイスの理性を遠ざける。
「ジェイス……あなたにただ働きはさせない。息子を作りましょう。この家を継ぐのはあなたではないかもしれない。でも、あなたの息子が継げる」
どういうことかと、叫びかけたジェイスの口をレアナの柔らかな唇が塞いだ。
唾液混ざり合い、舌で弾かれる淫らな水音が耳に聞こえ、思考がどんどん奪われる。
欲望ばかりが沸き上がり、目の前の女を抱きたいと股間の熱が訴える。
長年大切に思い続けた婚約者を奪われ、二年も苦しみ抜いた。
その女性が裸で目の前にいるのだ。
我慢しきれず襲ってしまっても仕方がない。
そう思った瞬間、再びジェイスの懐にしまわれているローゼの刺繍が金色に光った。
またジェイスは我に返り、ローゼの姿を思い出した。
婚約者を奪われ、無一文で家を追い出された、その苦しみを癒してくれた女性がいる。
「レアナ、やめてくれ。本当に無理だ。付き合っている女性がいる……こんなことはしたくない……」
ジェイスの頬から首筋にかけて口づけを繰り返していたレアナは、ジェイスの言葉にびくりと体を強張らせ、わずかに体を離した。
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