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第一章 企み
9.心弾まない再会
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大剣を構えた男は、魔獣の群れを相手に、怯む様子もなく向かっていく。
数頭を倒し、残りの角狼たちが逃げ出すと、男は小屋の裏に消え、それから小屋の反対側から姿を現した。
周囲を点検して戻ってきた男が雪の上に腹ばいになっているローゼに近づく。
「大丈夫か?」
強い力がローゼの体を雪の中から引き揚げる。
その瞬間、ウェンの水晶玉の中に見た、ジェイスとレアナの姿がローゼの頭に蘇った。
ローゼは体を強張らせた。
「ローゼ?」
懐かしい男の顔が間近に迫る。
ローゼは雪を髪から払いのけるふりをしながら、顔を髪で隠した。
「ジェイス……帰ってこなくても良かったのに……」
「遅くなってすまなかった……手紙が返ってきてしまい……。その……」
歯切れ悪くジェイスが言い訳をする。
第十五騎士団に依頼すればローゼの居場所を捜索し、手紙を届けてもらえただろうが、ローゼは騎士の家族ではない。レアナやケビンには届けられても、ローゼに手紙を届けて欲しいとは依頼できない。
結婚しておけば第十五騎士団に手紙の配達を依頼することが出来たが、ジェイスは一年も体の関係を続け、責任を感じていながらも、結婚に踏み切れていなかった。
それが良かったことなのか、悪かったことなのかもう今となってはわからない。
冬は日が暮れるのが早い。
さらに影の深くなる森の中で、これ以上外にいるのは危険だった。
ジェイスは少し強引にローゼの体を抱き上げると、小屋に向かい、扉の鍵を開けた。
室内に足を踏み入れたジェイスは顔を強張らせた。
窓から差し込む淡い光に照らし出された部屋は、何もかもが出て行った時のままだった。
冬になる前に出ていったため、薪の準備もなく、暖炉も使われている形跡はない。
冷え切った寝台に手を触れ、ジェイスは埃をなんとなく払うとローゼの体を下ろした。
「座っていてくれ」
外に出て行き、薪をかついで戻ってくると、暖炉を整え炎を入れる。
埃をかぶったままのランプを集め、灯りをともす。
ジェイスが忙しく働く様子を、ローゼは寝台に座ってじっと見つめていた。
ようやく部屋が温まりだすと、ジェイスは窓のカーテンを閉めてまわり、ランプを天井のフックに吊り下げた。
重そうな剣を壁に立てかけると、ジェイスはローゼの隣にどっしりと腰を下ろした。
寝台のマットが深々と沈み、ローゼはその重さを懐かしみ知らず微笑んだ。
「やはりここが落ち着くな……」
「二年しか住んでいなかったのに?」
「君とは一年住んだ」
その幸せな記憶が蘇り、ローゼは泣きそうになった。
「たった一年よ。忘れて良かったのに……」
助かったことを少しも喜んでいない様子のローゼに視線を向け、ジェイスはその頬を片手で抱いた。
またびくりとローゼは体を強張らせた。
「ここで過ごした一年が、どれほど幸せな日々だったか思い知ったよ……」
なぜそんな嘘をつくのだろうとローゼは思った。
愛人として引き止めておくためだろうか。本命のレアナと結ばれた男がなぜここに帰って来て、ただの貧しい刺繍売りの頬を抱いているのだろう。
ジェイスはローゼの悲しそうな眼差しを覗き込み、表情を曇らせた。
一緒に住んでいた頃は、一日離れただけでもローゼは寂しがり、数日狩りに出れば、輝くような笑顔でジェイスを迎えに飛び出してきたものだった。
ところが、数か月ぶりにようやく会えたというのに、ローゼの顔は悲しみに沈んでいる。
「無理しないでいいのに……」
ローゼは顔を背けようとして、ジェイスの手首に見慣れない傷を見つけた。
「傷……どうしたの?大丈夫?」
「大丈夫だ。治癒師に見てもらうほどでもなかったからそのまま来た。俺は……騎士団に正式に所属することになった。仕事が一段落して数日の休暇がとれた。現地で解散し、そのままここに来た。ローゼ、俺は……君に謝らなければ……」
ジェイスの声は暗く沈む。
ローゼは指を立て、そっとジェイスの唇に触れた。
「いいの。会えて……うれしい。それだけでいいの」
心を隠し合いながらも、二人は抱き合い、静かに寝台に横たわった。
ジェイスはローゼの体を優しく撫でた。
ローゼを抱きたいが、レアナと浮気をした体でローゼを抱いてしまっていいのかわからない。
過ちを告白し、許してもらいたいが、ローゼを悲しませ、怒らせてしまうことが恐ろしい。
こんな形でローゼへの愛に気づきたくはなかった。
暗い表情のジェイスを見て、ローゼの心は痛んだ。
ジェイスの笑顔が見たかった。
幸せでいて欲しいのに、どうしたらいいのかわからない。
「ローゼ……すまない……。今日は疲れていて……」
ローゼはジェイスの顎の下に顔を押し付け、気にしなくていいと告げるように首を横に振った。
占い師の言葉が蘇る。
――生真面目な男だからね。あんたに対して責任を感じているね。
息抜きにくるんだよ。身分や立場に囚われると窮屈だからね。何もないあんたはちょうどいい骨休みになる……
ジェイスはローゼに二番目の女でいてくれることを望んでいるのだ。
「いいの……。休んで。私に責任なんて感じなくていいからね。私は……前と同じようにちゃんとやっているし……」
角狼の群れを前に逃げようともしなかったローゼの姿を思い出し、ジェイスの胸は痛んだ。
もっと自分を大切にしてくれと言いたいが、ローゼを支えて生きていく資格を失ってしまった気がしていた。
ジェイスはローゼを胸に固く抱きしめた。
この距離だけは失いたくないと感じていた。
ジェイスにとってそれは不思議な感覚だった。
一年ローゼと一緒にいた時には気づけなかった。
レアナや家名を失った過去のことばかり考えていたからだ。
奪われた物を惜しみ、取り返せる機会があるなら取り戻したいと思っていた。
捨ててきた過去に実際向き合ってみたら、それは少しも欲しいものではなかった。
フォスター家を存続させるためだけの駒になり、戦場では一定の評価を受けたが、それが心の幸せに繋がることはなかった。
ローゼがひたすら恋しかった。普通の郵便馬車で手紙を出したが、それは宛先不明で戻ってきてしまった。
「どこに住んでいる?手紙が出せない」
「いいのに……。私の事は忘れて……。あなたの足を引っ張りたくないの。ジェイス、あなたが幸せでいてくれたらそれでいいの。騎士に戻れたのでしょう?立派な服で見違えた。
剣も国の支給なの?本当に……私のことは気にしないでいいの。それに……レアナさんにも悪いし」
突然吐き気に襲われ、ジェイスは込み上げるものを飲み込み、体を硬直させると息を止めた。ジェイスの腕の中にいたローゼは心配そうに体を起こした。
「大丈夫?水を持ってくる」
走りだそうとするローゼの手首をかろうじて捕まえ、寝台に戻すと、ジェイスが立ち上がる。
呼吸を落ち着かせ、窓の外へ目をやる。
外は既に真っ暗で何も見えない。
「俺が水を汲んでくる。外は危険だ」
剣を手に外に出ようとするジェイスを今度はローゼが引き止めた。
「待って!ジェイスも危険よ。魔獣の群れが出たって町の人たちが噂していた。東の魔の森と同じようになってきているって」
驚いてジェイスは動きを止め、ローゼを抱いて寝台に戻った。
「本当に?塔は?塔が建った噂はきかないか?塔持ちの魔法使いがここに住み始めたら、恐らくここに人はもう住めない。それに、その塔の存在を許すかどうか判断しなければならない。
魔法使いに人間の善悪の常識は通用しない。彼らには彼らの目的がある。それが危険なものかどうか確かめなければ」
「魔法使いは危険なの?」
不意に、ローゼは自分の前に二回も姿を現した、黒髪の魔法使いのことを思い出した。
そのことを口に出すことは出来ないし、目的もわからない。
「ここに来る前、ちょうど危険な塔を破壊してきた。魔法使いの塔だ。本来は森の魔力を整え、人々が森に入れるようにしてくれる便利なものだ。
しかし全ての魔法使いが塔を建てられるわけじゃない。塔無しの魔法使いは足りない力を補うために人間の魂や命を使う。
魔力に耐性を持った人間を連れてきて塔の材料にしたり、魔法使いの奴隷に作り上げる。
奴隷や孤児といった、行き場のない人々だ。塔の結界を維持するために使用され、用がすめば捨てられる。
人を害する魔法使いの存在はこの国では許されていない。だから排除してきた。
王国の契約魔法使いが一緒だった」
「人の魂や命ってどうやって使うの?」
「方法はいろいろある。何人かは魔力に飲まれ既に形も残っていなかった……。彼らにとって人間は道具に過ぎない」
突然目の前に現れた長身の魔法使いのことをローゼは考えた。何かされたわけではない。
ただよくわからない話をして去っていくだけだ。
「騎士は魔法使いを倒せるの?」
「この国にいる魔法使いはそれほど強くはない。なぜか俺には魔力耐性がついているらしい。人より長く魔の森に滞在できるし、実際魔法使いを前にしてもその影響はほとんど受けなかった。
耐性のないものは魔の森にいると正気を失ってしまう。だから、この森が魔の森に近づいているのなら安全な場所ではないということだ。ここで夜を過ごすのは危険だ」
ジェイスの腕の中で、ローゼは身震いした。
「調査が必要だ。騎士団に知らせよう」
ジェイスが窓辺に立ち、通信具を使い始めると、ローゼは刺繍道具を入れた鞄から小瓶を取り出した。
金色の液体が入っている。蓋を開け、ローゼはそれを一気に喉に流し込んだ。
「ローゼ?何を飲んだ?」
いつの間にかジェイスが後ろにいる。ローゼの手に握られた空き瓶を取り上げ、中を確認する。
「全部飲んだのか?これは?」
レアナに飲ませられた媚薬の瓶を思い出し、ジェイスはまた込みあげる吐き気をこらえた。
ローゼはジェイスの険しい表情を見て、急いで以前ジェイスに飲ませた媚薬ではないと否定する。
「媚薬じゃない。これは幸運が少しだけ上がる薬。占い師から買っているの。私の体に宿る幸運は自分以外の人にしかきかないの」
「自分を幸せにしないものを飲む必要なんてないだろう」
「幸運の刺繍はお金になるから。効果があがれば高値が付くし、お金儲けのための投資よ」
どこか皮肉めいた物言いに、ジェイスは言い知れない寂しさを感じ取った。
人を幸せにする刺繍を売るローゼは、少しも幸せそうではない。
しかもジェイスはレアナとケビンの奸計に嵌り、ローゼを幸せにすると約束も出来ない汚れた身に落ちてしまった。
ローゼを抱き寄せ、ジェイスは寝台に横たわる。
沈黙が続き、いつの間にか二人は抱き合ったまま眠っていた。
その夜、ローゼは久しぶりに悪夢を見た。
数頭を倒し、残りの角狼たちが逃げ出すと、男は小屋の裏に消え、それから小屋の反対側から姿を現した。
周囲を点検して戻ってきた男が雪の上に腹ばいになっているローゼに近づく。
「大丈夫か?」
強い力がローゼの体を雪の中から引き揚げる。
その瞬間、ウェンの水晶玉の中に見た、ジェイスとレアナの姿がローゼの頭に蘇った。
ローゼは体を強張らせた。
「ローゼ?」
懐かしい男の顔が間近に迫る。
ローゼは雪を髪から払いのけるふりをしながら、顔を髪で隠した。
「ジェイス……帰ってこなくても良かったのに……」
「遅くなってすまなかった……手紙が返ってきてしまい……。その……」
歯切れ悪くジェイスが言い訳をする。
第十五騎士団に依頼すればローゼの居場所を捜索し、手紙を届けてもらえただろうが、ローゼは騎士の家族ではない。レアナやケビンには届けられても、ローゼに手紙を届けて欲しいとは依頼できない。
結婚しておけば第十五騎士団に手紙の配達を依頼することが出来たが、ジェイスは一年も体の関係を続け、責任を感じていながらも、結婚に踏み切れていなかった。
それが良かったことなのか、悪かったことなのかもう今となってはわからない。
冬は日が暮れるのが早い。
さらに影の深くなる森の中で、これ以上外にいるのは危険だった。
ジェイスは少し強引にローゼの体を抱き上げると、小屋に向かい、扉の鍵を開けた。
室内に足を踏み入れたジェイスは顔を強張らせた。
窓から差し込む淡い光に照らし出された部屋は、何もかもが出て行った時のままだった。
冬になる前に出ていったため、薪の準備もなく、暖炉も使われている形跡はない。
冷え切った寝台に手を触れ、ジェイスは埃をなんとなく払うとローゼの体を下ろした。
「座っていてくれ」
外に出て行き、薪をかついで戻ってくると、暖炉を整え炎を入れる。
埃をかぶったままのランプを集め、灯りをともす。
ジェイスが忙しく働く様子を、ローゼは寝台に座ってじっと見つめていた。
ようやく部屋が温まりだすと、ジェイスは窓のカーテンを閉めてまわり、ランプを天井のフックに吊り下げた。
重そうな剣を壁に立てかけると、ジェイスはローゼの隣にどっしりと腰を下ろした。
寝台のマットが深々と沈み、ローゼはその重さを懐かしみ知らず微笑んだ。
「やはりここが落ち着くな……」
「二年しか住んでいなかったのに?」
「君とは一年住んだ」
その幸せな記憶が蘇り、ローゼは泣きそうになった。
「たった一年よ。忘れて良かったのに……」
助かったことを少しも喜んでいない様子のローゼに視線を向け、ジェイスはその頬を片手で抱いた。
またびくりとローゼは体を強張らせた。
「ここで過ごした一年が、どれほど幸せな日々だったか思い知ったよ……」
なぜそんな嘘をつくのだろうとローゼは思った。
愛人として引き止めておくためだろうか。本命のレアナと結ばれた男がなぜここに帰って来て、ただの貧しい刺繍売りの頬を抱いているのだろう。
ジェイスはローゼの悲しそうな眼差しを覗き込み、表情を曇らせた。
一緒に住んでいた頃は、一日離れただけでもローゼは寂しがり、数日狩りに出れば、輝くような笑顔でジェイスを迎えに飛び出してきたものだった。
ところが、数か月ぶりにようやく会えたというのに、ローゼの顔は悲しみに沈んでいる。
「無理しないでいいのに……」
ローゼは顔を背けようとして、ジェイスの手首に見慣れない傷を見つけた。
「傷……どうしたの?大丈夫?」
「大丈夫だ。治癒師に見てもらうほどでもなかったからそのまま来た。俺は……騎士団に正式に所属することになった。仕事が一段落して数日の休暇がとれた。現地で解散し、そのままここに来た。ローゼ、俺は……君に謝らなければ……」
ジェイスの声は暗く沈む。
ローゼは指を立て、そっとジェイスの唇に触れた。
「いいの。会えて……うれしい。それだけでいいの」
心を隠し合いながらも、二人は抱き合い、静かに寝台に横たわった。
ジェイスはローゼの体を優しく撫でた。
ローゼを抱きたいが、レアナと浮気をした体でローゼを抱いてしまっていいのかわからない。
過ちを告白し、許してもらいたいが、ローゼを悲しませ、怒らせてしまうことが恐ろしい。
こんな形でローゼへの愛に気づきたくはなかった。
暗い表情のジェイスを見て、ローゼの心は痛んだ。
ジェイスの笑顔が見たかった。
幸せでいて欲しいのに、どうしたらいいのかわからない。
「ローゼ……すまない……。今日は疲れていて……」
ローゼはジェイスの顎の下に顔を押し付け、気にしなくていいと告げるように首を横に振った。
占い師の言葉が蘇る。
――生真面目な男だからね。あんたに対して責任を感じているね。
息抜きにくるんだよ。身分や立場に囚われると窮屈だからね。何もないあんたはちょうどいい骨休みになる……
ジェイスはローゼに二番目の女でいてくれることを望んでいるのだ。
「いいの……。休んで。私に責任なんて感じなくていいからね。私は……前と同じようにちゃんとやっているし……」
角狼の群れを前に逃げようともしなかったローゼの姿を思い出し、ジェイスの胸は痛んだ。
もっと自分を大切にしてくれと言いたいが、ローゼを支えて生きていく資格を失ってしまった気がしていた。
ジェイスはローゼを胸に固く抱きしめた。
この距離だけは失いたくないと感じていた。
ジェイスにとってそれは不思議な感覚だった。
一年ローゼと一緒にいた時には気づけなかった。
レアナや家名を失った過去のことばかり考えていたからだ。
奪われた物を惜しみ、取り返せる機会があるなら取り戻したいと思っていた。
捨ててきた過去に実際向き合ってみたら、それは少しも欲しいものではなかった。
フォスター家を存続させるためだけの駒になり、戦場では一定の評価を受けたが、それが心の幸せに繋がることはなかった。
ローゼがひたすら恋しかった。普通の郵便馬車で手紙を出したが、それは宛先不明で戻ってきてしまった。
「どこに住んでいる?手紙が出せない」
「いいのに……。私の事は忘れて……。あなたの足を引っ張りたくないの。ジェイス、あなたが幸せでいてくれたらそれでいいの。騎士に戻れたのでしょう?立派な服で見違えた。
剣も国の支給なの?本当に……私のことは気にしないでいいの。それに……レアナさんにも悪いし」
突然吐き気に襲われ、ジェイスは込み上げるものを飲み込み、体を硬直させると息を止めた。ジェイスの腕の中にいたローゼは心配そうに体を起こした。
「大丈夫?水を持ってくる」
走りだそうとするローゼの手首をかろうじて捕まえ、寝台に戻すと、ジェイスが立ち上がる。
呼吸を落ち着かせ、窓の外へ目をやる。
外は既に真っ暗で何も見えない。
「俺が水を汲んでくる。外は危険だ」
剣を手に外に出ようとするジェイスを今度はローゼが引き止めた。
「待って!ジェイスも危険よ。魔獣の群れが出たって町の人たちが噂していた。東の魔の森と同じようになってきているって」
驚いてジェイスは動きを止め、ローゼを抱いて寝台に戻った。
「本当に?塔は?塔が建った噂はきかないか?塔持ちの魔法使いがここに住み始めたら、恐らくここに人はもう住めない。それに、その塔の存在を許すかどうか判断しなければならない。
魔法使いに人間の善悪の常識は通用しない。彼らには彼らの目的がある。それが危険なものかどうか確かめなければ」
「魔法使いは危険なの?」
不意に、ローゼは自分の前に二回も姿を現した、黒髪の魔法使いのことを思い出した。
そのことを口に出すことは出来ないし、目的もわからない。
「ここに来る前、ちょうど危険な塔を破壊してきた。魔法使いの塔だ。本来は森の魔力を整え、人々が森に入れるようにしてくれる便利なものだ。
しかし全ての魔法使いが塔を建てられるわけじゃない。塔無しの魔法使いは足りない力を補うために人間の魂や命を使う。
魔力に耐性を持った人間を連れてきて塔の材料にしたり、魔法使いの奴隷に作り上げる。
奴隷や孤児といった、行き場のない人々だ。塔の結界を維持するために使用され、用がすめば捨てられる。
人を害する魔法使いの存在はこの国では許されていない。だから排除してきた。
王国の契約魔法使いが一緒だった」
「人の魂や命ってどうやって使うの?」
「方法はいろいろある。何人かは魔力に飲まれ既に形も残っていなかった……。彼らにとって人間は道具に過ぎない」
突然目の前に現れた長身の魔法使いのことをローゼは考えた。何かされたわけではない。
ただよくわからない話をして去っていくだけだ。
「騎士は魔法使いを倒せるの?」
「この国にいる魔法使いはそれほど強くはない。なぜか俺には魔力耐性がついているらしい。人より長く魔の森に滞在できるし、実際魔法使いを前にしてもその影響はほとんど受けなかった。
耐性のないものは魔の森にいると正気を失ってしまう。だから、この森が魔の森に近づいているのなら安全な場所ではないということだ。ここで夜を過ごすのは危険だ」
ジェイスの腕の中で、ローゼは身震いした。
「調査が必要だ。騎士団に知らせよう」
ジェイスが窓辺に立ち、通信具を使い始めると、ローゼは刺繍道具を入れた鞄から小瓶を取り出した。
金色の液体が入っている。蓋を開け、ローゼはそれを一気に喉に流し込んだ。
「ローゼ?何を飲んだ?」
いつの間にかジェイスが後ろにいる。ローゼの手に握られた空き瓶を取り上げ、中を確認する。
「全部飲んだのか?これは?」
レアナに飲ませられた媚薬の瓶を思い出し、ジェイスはまた込みあげる吐き気をこらえた。
ローゼはジェイスの険しい表情を見て、急いで以前ジェイスに飲ませた媚薬ではないと否定する。
「媚薬じゃない。これは幸運が少しだけ上がる薬。占い師から買っているの。私の体に宿る幸運は自分以外の人にしかきかないの」
「自分を幸せにしないものを飲む必要なんてないだろう」
「幸運の刺繍はお金になるから。効果があがれば高値が付くし、お金儲けのための投資よ」
どこか皮肉めいた物言いに、ジェイスは言い知れない寂しさを感じ取った。
人を幸せにする刺繍を売るローゼは、少しも幸せそうではない。
しかもジェイスはレアナとケビンの奸計に嵌り、ローゼを幸せにすると約束も出来ない汚れた身に落ちてしまった。
ローゼを抱き寄せ、ジェイスは寝台に横たわる。
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