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第一章 企み

14.旅の刺繍屋と廃屋の老婆

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 ザウリに向けて出発したウェンとローゼは途中の町で一旦馬車を下りた。
路銀を稼いでくるとウェンが出店の手続きに消えると、ローゼは宿の部屋で刺繍を始めた。

何枚か完成すると、ローゼも路銀の足しに売ってみようと思い立った。

大嫌いな刺繍だったが、この技術のおかげでちゃんと生きてこられた。
ローゼは今完成したものと、道中少しずつ作り続けたレースのハンカチを数枚足し、かごにいれた。

宿の主人にかけあって、ローゼは机一つ分のスペースを借りた。
地面に机を置き、ハンカチを一枚開いて見本に飾っている時に、通りすがりの男が声をかけてきた。

「あんた、リュデンで刺繍を売っていた人かい?俺はリュデンから来たんだが、あんたがいなくなって困っているって聞いたよ」

それほど大きな声ではなかったが、通りを歩いていた何人かが足を止めた。

「私も聞いたよ。なんでも森でたくさんの死体が発見されたそうなんだけど、一人だけ生き残った人がいたんだって。その人、なんと、幸運のハンカチを持っていたっていう話だよ!」

「魔法使いの手から逃れることさえできる幸運だって、町では大騒ぎになって、あんたを探していたよ」

驚くローゼにリュデンから来たという男がその事件を語った。

ローゼがリュデンの町を離れた後、魔の森を戦場としてきた第一騎士団がリュデンの町近くの森に調査に来て、魔法使いが実験に使用したと思われる多くの死体を発見した。
その死体の処理を終えた第七騎士団が、ローゼの幸運のハンカチを身に着けた生存者を見つけたのだ。

その生存者は、たまたま実験に使われる間際に闇に紛れて逃げ出したと語り、それはまさに幸運のおかげだと人々はローゼの店を探して市場に押し寄せた。

「その刺繍のハンカチを見せてもらったのだが、彼が持っていたのはこの刺繍だったよ」

男はそう言って財布をとり出した。

「どうか売ってくれ!」

数枚しかない刺繍はあっという間に売れ、そのあとは自分の服や持ち物に今すぐ刺繍を入れてくれと行列が出来た。
ローゼは食堂と宿を利用する他の客の迷惑にならないように、宿の主人にいくらか支払いを増やした。

ローゼも儲かったが、宿の主人の懐も潤い、主人はまさに幸運の刺繍だと喜んだ。


――

 ザウリのフォスター家では、書類仕事を片付け領内の見回りまで終えたジェイスが、その報告のためケビンのもとを訪れていた。
フォスター家に関する問題の最終決定権はケビンにある。

報告を終えたジェイスはすぐに戦場に戻ると告げた。

レアナを鞭打ったことに対し警告したかったが、ケビンはレアナの夫であり、ジェイスがレアナを庇えばケビンはさらに逆上する可能性がある。
何かあれば知らせをもらい、様子をみるしかないだろうと判断し、ジェイスはその事には触れず部屋を出ていこうとした。

その背中をケビンがよびとめた。

「それだけか?結婚の報告はいらないとでも?」

ジェイスとローゼの結婚証明書を雑にテーブルの上に投げ出し、ケビンは両足をテーブルの上に乗せた。
国章の入った立派な書面に靴のかかとが食い込み、へこみが出来た。

「俺の問題だ。家を出て出会った女性と一年交際し、結婚することに決めただけのことだ」

ジェイスは結婚証明書が当主のケビンにも届けられたのだとその時気が付いた。

「なるほど。その女性は知っているのか?お前が弟の妻と一晩中まぐわっていたことを」

眉間に深い皺を刻み、ジェイスは拳に爪を食い込ませた。

「お前が卑劣な手段を使ったことはわかっている。レアナはお前の妻になることを決め、誠心誠意尽くそうとしていた。それを媚薬を使わせ、あのように利用して、お前こそ恥ずかしいとは思わないのか」

「レアナを庇うのか?お前にそんな女がいることを知りながら体で誘惑した女だぞ?」

「女性を鞭打つなど、卑劣な男のやることだ!」

怒りを爆発させたジェイスに、ケビンは歪んだ笑みを見せた。立派な男ほど鼻につく。

「なるほど。お前は間違ったことをしないのか。誰よりも努力し、父にも認められ、騎士として出世もした。立派な男だと?厩舎裏に住み着いたお前の母親がうまく貴族の父に取り入ったからだろう?お前の出自こそ、汚れたものであるとは思わないのか?
俺の前に貴族面して立っていられるのは、お前の母親が下品な真似をして、父を堕落させたせいだろう!」

結局そこにすがるしかないのだ。ケビンは結婚証明書を破り捨てた。

「当主の許可なく結婚は出来ない。貴族の特権は王から与えられる。国の決まりには従わなければならない」

「俺がお前の妻より身分の高い女を娶ることにお前が反対するのはわかる。
だが、俺の妻は身分もなく、住む家さえもない孤児だった女だ。俺が卑しい身分の女と結婚することをなぜ反対する?
俺はお前の上に立とうとは思っていない。戻ってきたのも、この家が取り潰されると知らせを受けたからだ。俺は戻らなくてもよかった。騎士になることも諦めていた」

この男の幸せが許せないのだ。ケビンは二つに破けた結婚証明書をさらに細かく切り刻んだ。

「認めてやってもいい。お前の妻はフォスター家の一員になった。花嫁修業に来させろ。お前の母親が使っていたあの小屋に住まわせてやる」

「断る!」

即座にジェイスは叫んだ。

「レアナの手当てをしたそうじゃないか。俺に従えなければレアナを毎日鞭打ち、憂さを晴らすしかない」

「何を言っている。正気か?」

歪んだ憎しみに落ちたケビンは半ば自暴自棄になっている。何をしても勝てないジェイスを叩きのめしたいのだ。
ジェイスは震えながらも片足を折り曲げ、床に落とした。

全てを奪い、心から憎んだ弟に頭を下げる。

「頼む……。彼女にも、妻にも手を出さないで欲しい。俺はこの家のために戦場に出る。お前の生活は安泰だ。これ以上何を望む」

大きな音が鳴り、跪いたジェイスの後ろでランプが割れて飛び散った。
ケビンは立ち上がり、目についたものをさらに投げつけた。

「ならば俺の言葉に従え!俺を当主として敬え!」

背後の扉が突然開いた。

「わ、私が守るわ。私が……あなたの奥様を守ります」

外で二人の会話を聞いていたらしいレアナが、ふらつきながら現れた。

「ジェイス、私が必ずローゼさんを守ります。鞭を受けることがあれば私が」

ジェイスの心の声は警告している。
この家を出て、身分を捨て、騎士であることもやめ、ローゼを連れて逃げた方がいい。

背中を血に染め、レアナは気丈にもふらつきながらも必死に立っている。

父に与えられた教育、愛情、日々積み重ねてきた訓練。
立派な騎士になり、父の後を継いで欲しいと願っていた母の想い。
受け継がれてきたフォスター家の紋章はそのすべてを飲み込み、卑劣なケビンの手の中にある。
どうするべきなのか。

ローゼを巻き込むのか?この歪んだ弟と、憎しみに凝り固まったドリーンのいるこの屋敷に、刺繍を売り細々と暮らすローゼを連れてきてどうなるというのか。
レアナが守ろうとしたところで、鞭を振るわれ、夫には逆らえない。

「結婚が許可されないなら、彼女はこの家とは無関係のはずだ……彼女とは……別れる」

ローゼをこの家には入れたくない想いが勝った。
ジェイスは身を翻し、走るように階段に向かう。

「ジェイス!」

レアナの声が追いかけた。
ジェイスは一瞬、足を止めかけたが、すぐに力強く前に進んだ。
家令のアルマンが玄関の扉を開けた。

孤独なローゼになんと言い訳したらいいのか、ジェイスは懐から花の絵が描かれたメダルのペンダントを取り出した。
幸運の刺繍を売るローゼの言葉を思い出した。

『この力は自分以外の人にしかきかないの』

幸運はいつもローゼをすり抜ける。
メダルを拳の中に握り、ジェイスはローゼの寂しそうな微笑みを思い出した。

フォスター家の屋敷を振り返ることなく、ジェイスは騎士団要塞に向けて馬を走らせた。


――


 一方、第一騎士団ロベリオ・バスターと副官グレゴリは、貴族の別荘地にあるとは思えないほど荒れ果てた屋敷を前に、呆然と立ち尽くしていた。そこにロベリオの妻と娘が住んでいるはずなのだ。
   
 門は壊れ、鍵がなくても容易に侵入できしまう。庭は荒れ果て、使用人の姿もない。
屋敷の窓は割れ、カーテンが外に飛び出し揺れている。

とても人が住んでいるようには見えない、非の打ち所のない完璧な廃墟だった。
少し古いとか、ちょっと手入れを怠っているなどといった生ぬるい表現では覆い隠せない荒れ具合だ。

「送金はしていたはずだ……」

馬を下り、呆然とその屋敷を見上げていたロベリオは門の脇に積み重ねられた手紙の山を見た。雨に濡れ、もはや宛先も読めない。

敷地に足を踏み入れると、小枝が割れる音が響いた。
雑草に覆われ、道も見えない。

なぜこんなことになったのか、後悔していたのはロベリオだけではなかった。

グレゴリはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
悔しさで爪が拳の内側に食い込んでいる。

十数年も家族のもとに帰ろうとしない主の代わりに足を運ぶべきだった。
こんな状態では、とても人が住んでいるとは思えない。
どんな酷い戦場でも主の傍を離れずに戦い続けてきたグレゴリは、最悪の予感に背筋を震わせた。

ロベリオが突然、屋敷に向かって歩き出した。
朽ちかけた正面扉を拳で打つ。

ベルは壊れて地面に落ちていた。

やはり誰もいないのかと諦めて扉に手をかけた時、内側から鍵が外れる音がした。
人が中にいるとわかり、幾分ほっとしてロベリオは扉から手を離す。
後ろにグレゴリもかけつける。

扉が軋みながらゆっくり動き出した。

真っ暗な室内に、蝋燭が一本立っている。
扉の陰にいるのか人の姿が見えない。

咄嗟に腰の剣に手をかけたロベリオは、扉を開けた人物を近くに探した。

「ロベリオ様!」

囁くような声でグレゴリが警告した。
弱々しい外の光が室内に差し込み、腰の曲がった老婆の姿が浮かび上がった。

鍵をぶら下げ、曲がった腰をさらに低くして老婆がお辞儀をする。

「どのようなご用件で?」

胸がざわりとするような、何とも言えない気持ちの悪い声だった。
他の気配はなく、蝋燭に照らし出される室内も不気味な静けさに包まれている。

「主人はどこにいる」

ロベリオの鋭い声に、老婆はゆっくりと背中を向けて歩き出す。

「二階でございます。近づかないようにと命じられておりますので、私は手前で失礼させて頂きます」

しわがれた声が、がらんとしたエントランスに響き、床を踏むたびに板が湿った音を立てる。
老婆が階段を登り始めると、ロベリオは腰のランプに灯りを入れた。

グレゴリが主を守ろうと前に出た。ロベリオがグレゴリに気を付けろと目で合図をする。

互いに腰の剣に手を置いたまま二階に上る。
老婆は階段を上がり切ったところで足を止めた。

「その先の扉でございます」

暗い通路の先にぼんやりと両開きの扉が見える。
二人は顔を見合わせ、ゆっくりと廊下を進み始める。

ぎしぎしと音を立てる湿った廊下の感触に、床が抜け落ちるのではないかと思ったが、二人は無事に扉の前に辿り着いた。
グレゴリが最初に扉に手をかけた。



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