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第一章 企み
18.冷たい雨と忍び寄る孤独
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仲間達より早くザウリの町に到着したジェイスは厚手の雨よけ用のマントに身を包み、フォスター家の屋敷に向かっていた。
途中で降りだした雨は雪が混じり、蹄の下でじゃりじゃりと音を立てた。
中央部で雪混じりの雨が降るのは珍しい。
嫌な天気だと、胸騒ぎも大きくなる。
早くローゼに会わなければと馬を走らせてきたジェイスは、屋敷の玄関口にレアナの姿を見つけ、馬を滑り降りた。
「レアナ!どうした?追い出されたのか?ローゼは?」
リュデンにいるはずのローゼがザウリのフォスター家にいると隊長に教えられ駆け付けてきたが、なぜローゼがフォスター家に来たのか、その理由をジェイスは知らない。
ケビンが無理やり呼び出したのなら、何か嫌がらせを受けているのかもしれないと考えた。
雨に濡れながら駆け込んできたジェイスに、レアナは艶やかに微笑んだ。
「ジェイス、お帰りなさい」
抱き着こうとしたレアナをジェイスは冷静に引き離した。
「ローゼは?ここに来ているのか?」
笑顔を崩さず、レアナは頷いた。
「大丈夫。呼び出したケビンはまだローゼの到着を知らないの。私が門の傍で見かけて、ケビンに知られないように避難させておいたわ。あなたのお母様が住んでおられた農園の家に案内したの」
ほっとしたように肩の力を抜いたジェイスに、レアナはさらに続けた。
「そこはその、あなた達の新居には少し相応しくないと思って。少し離れるけど、農園の反対側に新しい屋敷を建てたらどうかしら?ローゼさんにもお金が渡るように手続きが出来ないのかしら?
ケビンは私の案に反対すると思うから……その、あなたが騎士団の方で手続きできるなら、あなたとローゼさんの生活のためにお金が貯められるようにしたらいいのではないかと思うのだけど」
ローゼのことを心配してくれているレアナの様子に、ジェイスは深く心を打たれた。
レアナが孤独なローゼの話し相手になってくれたら心強い。
ジェイスは任務でローゼの傍に長くはいられないのだ。
「レアナ、ありがとう。そうだな。あそこはあまり良いところではない。母はこれぐらいがちょうどよいと言っていたが、それは正妻のドリーンに遠慮してあえて、酷い環境に身をおいたのだ。ローゼのために考えてくれてありがとう。
しかし俺はここにローゼを住まわせる気はなかった。なぜ彼女はここに?いや、まずは彼女に会って話をする方が先だ。早く無事な姿を見たい」
フードを被り直し、農園の小屋に向かおうとするジェイスをレアナが引き止めた。
「待って!預かっているものがあるの。ローゼさんを小屋に案内して戻ってきた時に第十五騎士団の方がいらして、渡して欲しいと頼まれていたの。ローゼさんにあなたからの贈り物よね。ごめんなさい、すれ違ってしまってまだ渡せていなかったの」
レアナはローゼに受け取らせ、取り上げたペンダントを何食わぬ顔で取り出した。
「これ、幸運の花でしょう?素敵ね。ローゼさんに似合うと思うわ。私が声をかけた時、怖がらせてしまったのか、少し緊張しておられたようだから、私が似合うと言っていたことを伝えてね」
レアナはジェイスの手にペンダントを載せながら、さりげなく手を重ねた。
剣の訓練を重ね、固く鍛えられたジェイスの逞しさを指先に感じ、レアナはそっと手を引いた。
「ありがとう、レアナ。君がまだローゼに渡していなくて正解だ。俺が自分で彼女に渡すことが出来る」
雨の中、ジェイスは飛び出し、濡れた鞍に飛び乗った。
もう振り返りもせず農園に向けて馬を走らせる。
それを見送っていたレアナは、馬蹄が聞こえるうちに、急いで屋敷に飛び込み壁にかけてあった雨よけの外套を取りあげた。
素早く着こみ、再び雨の中に飛び出すと、裏口に回り馬を一頭引っ張り出す。
冷たい雨に打たれながら、灯りを掲げ馬を走らせたレアナは、込み上げる涙を歯を食いしばって堪えた。
泥だらけの地面が、まるでレアナの心のように見える。
取り返しがつかないぐらいぐちゃぐちゃに汚れている。
それでもこの道を行くしかない。
レアナは唇を噛みしめ必死にジェイスの背中を追いかけた。
屋根を打つ雨の音を聞きながら、暖炉の炎をぼんやりと眺めていたローゼは、扉が鳴る音で我に返った。
「ローゼ、俺だ!」
ジェイスの声に、ローゼは喜びと同時に身を引き裂かれるような痛みを覚えた。
弟のケビンの目を欺き、人妻のレアナと愛し合うためにローゼをここに呼び寄せたジェイスは、これからレアナをここに呼ぶかもしれない。
それでも抗えない。ジェイスが望むことなら叶えてあげたい。
ローゼは扉を開けた。
すぐにびしょ濡れのジェイスが飛び込んでくる。
「ローゼ!」
抱き着こうとしたジェイスは、自身の濡れた体に気づき、すぐに身を引いた。
そんなジェイスの仕草に、ローゼは悲しそうに目を伏せる。
これからレアナを抱く体でジェイスはローゼに触れたくないのだ。
ローゼは大きく後ろに退き、ジェイスは濡れた外套を暖炉の傍にかけようと移動しながらローゼに話しかける。
「ローゼ、怖かっただろう?大丈夫だったか?ケビンがまさかこんな強硬なことをするとは、君の安全をもっと考えるべきだった」
ジェイスの言葉はローゼの耳に入っていなかった。
心は凍り付き、その痛みに耐えるだけで精一杯だった。
「ローゼ、これを君に」
ジェイスはポケットから幸運の花を描いたメダルのペンダントを取り出した。
ローゼは目を丸くした。
それは先ほどレアナの代理でローゼが受け取った、ジェイスからレアナへの贈り物だった。
「女性にこんなものを選んだ事が無かったから迷ったが、レアナが君に似合うと思うと言っていた」
ジェイスはペンダントをローゼの首にかけた。
ローゼの両の目からぽろぽろと涙が落ちた。
「ローゼ?!」
驚くジェイスに、ローゼは微笑んだ。
「うれしいの。レアナさんって本当にお優しい方なのね……」
レアナから下げ渡されたペンダントをローゼは見下ろした。
ジェイスとレアナの間でどんな会話が交わされたのか、ローゼは察した。
きっとレアナが、これからお世話になるローゼさんにあげてもいいかしらとジェイスに問いかけ、ジェイスが了承したのだ。
ローゼがそんな風に考えているとは夢にも思わず、ジェイスはローゼを抱きしめようとした。
その時、扉が鳴った。
「ジェイス」
その声はレアナだった。ローゼは首飾りを握りしめ、素早く台所に向かった。
レアナが訪ねてきた時は、二人の邪魔をしないように外に出なければならない。
音を立てないように静かに裏口を開けると、外は真っ暗で、まだ雨が降り続いていた。
ローゼはレアナから譲られたペンダントを握りしめ、雨の中に進み出た。
このペンダントは二番目の女の証だ。
冷たい雨に打たれながら、ぼんやりと裏口に立っていたローゼの前に、一人の老婆が現れた。
「雨の中は冷えるね……。ローゼ。さあ町へ帰ろう」
「ウェン……」
占い師のウェンはいつだって、何もかもわかっている。
ローゼはウェンの手に引かれ、すっかり日が暮れ闇に包まれた農園の道を、ゆっくり歩きだした。
そこにいて、二人が寝室で愛し合う声を聞くのは嫌だった。
体が冷えると、心までが凍てついてくる。
「一戦終わったころで帰ればいいよ、ローゼ。その時がきたら教えてあげるよ」
雨の中でもウェンの声はなぜかよく聞こえる。
「ジェイスとレアナはね、本当は結ばれるはずの愛だった。ジェイスの母親が貴族なら問題なく結ばれ、今も幸せに暮らしていたはずさ。レアナの夫の方は気にしなくて良い。あっちも愛人とお楽しみだ。貴族は家のために結婚をし、恋愛は夫や妻以外とするのが常識だ」
冷たい雨の音に包まれ、びしょ濡れのローゼには、もう何もわからなかった。ただただ、心は凍てつき、夜の闇のように真っ暗だった。
ウェンの言葉ばかりが頭に響く。手を引かれるまま歩き、どこに向かっているのかもわからない。
「ローゼ、今夜はザウリに泊まろう。そうだね、あの様子なら二、三日留守にしても良さそうだ。魔の森の近くに行ってみないか?魔素材が豊富にとれる。しかもただで手に入る。良い場所だよ」
これから二、三日、レアナとジェイスは愛し合うのだ。
そんなことをぼんやりと思いながら、ローゼはのろのろと頷いた。
――
レアナの声で、扉を開けたジェイスは数歩退きレアナを玄関口に入れた。
外はまだ雨が降り続いている。
「レアナ、どうした?」
室内に入ってきたレアナは素早く室内に視線を走らせ、ローゼの姿が見えないことを確かめた。
言われた通り裏口から出ていったに違いない。
レアナはポケットをさぐり、手紙を取り出した。
「これ、渡し忘れていたわ。ペンダントと一緒に送ったものでしょう?」
ジェイスは受け取り、なんとなく恥ずかしそうにポケットに入れた。
直接口で伝えるならもう手紙はいらない。
「雨の中わざわざ届けてくれたのか、すまない。雨宿りしていくといい。ローゼ!」
レアナが雨宿りをすることをローゼに伝えようと、ジェイスはローゼを呼んだが、返事はなかった。
「台所に行かれたのかしら?お茶を沸かしてくれているのかもしれないわ。手伝ってくるわね」
レアナが台所に向かうと、すぐに明るい声が聞こえてきた。
「まぁ!そんなこといいのに!手伝わせて」
レアナが、ローゼに話しかけ、二人でお茶を入れているのだとジェイスは思った。
ローゼはジェイスとレアナの仲を疑っていたから、レアナと直接話してくれたらきっともう終わった関係なのだとわかってくれるだろうとジェイスは安易に考えた。
さらに、媚薬を使ったあの夜のことは内緒にしてくれとレアナ自身が言っていたのだ。
二人の関係が誤解されないようにうまく話してくれるはずだ。
交際していた時のレアナは心優しく、ジェイスをいつも癒してくれていた。
その頃のレアナを思い出し、ジェイスはローゼに友人が出来たことをうれしく思った。
自分が留守の間に、女同士で食事をしたり、泊まり込んで話をしても楽しいかもしれない。
そんなことを考えながら、ジェイスは暖炉に薪を入れ、炎の大きさを調整した。
しばらくして、テーブルにお茶が運ばれてきた。
雨に打たれ冷えた体を温めていたジェイスは、湯気の立つカップを喜んで手に取ろうとした。
その時、腰に熱を感じ、ポケットに目をやった。
金色の光がふわりと一瞬浮かび上がった。
ポケットに手を入れ、ジェイスは入っているものを取り出した。
それはローゼの幸運の刺繍が入ったハンカチだった。
そのお茶を飲むなと警告するように刺繍の絵が光っている。
ローゼの幸運の力は本物だった。
仲間達との会話でそれを知ったジェイスは、お茶のカップをテーブルに戻す。
暖炉のあかりに打ち消されそうな弱いものだったが、突然いろんな違和感に気が付いた。
第十五騎士団は依頼された仕事を誰かに任せたりしない。直接本人に渡すのだ。
なぜレアナがペンダントを手にしていたのか。
「レアナ、聞きたいことがある」
ジェイスが顔をあげた時、台所からレアナの悲鳴が聞こえた。
「駄目よ!ローゼさん!待って!ローゼさん!」
ジェイスは急いで台所に飛び込む。
裏口が大きくあいている。
街灯もない裏庭は完全な闇に包まれ、雨の音だけが聞こえている。
そこにローゼの姿はなく、台所にはレアナが一人立ち尽くしていた。
途中で降りだした雨は雪が混じり、蹄の下でじゃりじゃりと音を立てた。
中央部で雪混じりの雨が降るのは珍しい。
嫌な天気だと、胸騒ぎも大きくなる。
早くローゼに会わなければと馬を走らせてきたジェイスは、屋敷の玄関口にレアナの姿を見つけ、馬を滑り降りた。
「レアナ!どうした?追い出されたのか?ローゼは?」
リュデンにいるはずのローゼがザウリのフォスター家にいると隊長に教えられ駆け付けてきたが、なぜローゼがフォスター家に来たのか、その理由をジェイスは知らない。
ケビンが無理やり呼び出したのなら、何か嫌がらせを受けているのかもしれないと考えた。
雨に濡れながら駆け込んできたジェイスに、レアナは艶やかに微笑んだ。
「ジェイス、お帰りなさい」
抱き着こうとしたレアナをジェイスは冷静に引き離した。
「ローゼは?ここに来ているのか?」
笑顔を崩さず、レアナは頷いた。
「大丈夫。呼び出したケビンはまだローゼの到着を知らないの。私が門の傍で見かけて、ケビンに知られないように避難させておいたわ。あなたのお母様が住んでおられた農園の家に案内したの」
ほっとしたように肩の力を抜いたジェイスに、レアナはさらに続けた。
「そこはその、あなた達の新居には少し相応しくないと思って。少し離れるけど、農園の反対側に新しい屋敷を建てたらどうかしら?ローゼさんにもお金が渡るように手続きが出来ないのかしら?
ケビンは私の案に反対すると思うから……その、あなたが騎士団の方で手続きできるなら、あなたとローゼさんの生活のためにお金が貯められるようにしたらいいのではないかと思うのだけど」
ローゼのことを心配してくれているレアナの様子に、ジェイスは深く心を打たれた。
レアナが孤独なローゼの話し相手になってくれたら心強い。
ジェイスは任務でローゼの傍に長くはいられないのだ。
「レアナ、ありがとう。そうだな。あそこはあまり良いところではない。母はこれぐらいがちょうどよいと言っていたが、それは正妻のドリーンに遠慮してあえて、酷い環境に身をおいたのだ。ローゼのために考えてくれてありがとう。
しかし俺はここにローゼを住まわせる気はなかった。なぜ彼女はここに?いや、まずは彼女に会って話をする方が先だ。早く無事な姿を見たい」
フードを被り直し、農園の小屋に向かおうとするジェイスをレアナが引き止めた。
「待って!預かっているものがあるの。ローゼさんを小屋に案内して戻ってきた時に第十五騎士団の方がいらして、渡して欲しいと頼まれていたの。ローゼさんにあなたからの贈り物よね。ごめんなさい、すれ違ってしまってまだ渡せていなかったの」
レアナはローゼに受け取らせ、取り上げたペンダントを何食わぬ顔で取り出した。
「これ、幸運の花でしょう?素敵ね。ローゼさんに似合うと思うわ。私が声をかけた時、怖がらせてしまったのか、少し緊張しておられたようだから、私が似合うと言っていたことを伝えてね」
レアナはジェイスの手にペンダントを載せながら、さりげなく手を重ねた。
剣の訓練を重ね、固く鍛えられたジェイスの逞しさを指先に感じ、レアナはそっと手を引いた。
「ありがとう、レアナ。君がまだローゼに渡していなくて正解だ。俺が自分で彼女に渡すことが出来る」
雨の中、ジェイスは飛び出し、濡れた鞍に飛び乗った。
もう振り返りもせず農園に向けて馬を走らせる。
それを見送っていたレアナは、馬蹄が聞こえるうちに、急いで屋敷に飛び込み壁にかけてあった雨よけの外套を取りあげた。
素早く着こみ、再び雨の中に飛び出すと、裏口に回り馬を一頭引っ張り出す。
冷たい雨に打たれながら、灯りを掲げ馬を走らせたレアナは、込み上げる涙を歯を食いしばって堪えた。
泥だらけの地面が、まるでレアナの心のように見える。
取り返しがつかないぐらいぐちゃぐちゃに汚れている。
それでもこの道を行くしかない。
レアナは唇を噛みしめ必死にジェイスの背中を追いかけた。
屋根を打つ雨の音を聞きながら、暖炉の炎をぼんやりと眺めていたローゼは、扉が鳴る音で我に返った。
「ローゼ、俺だ!」
ジェイスの声に、ローゼは喜びと同時に身を引き裂かれるような痛みを覚えた。
弟のケビンの目を欺き、人妻のレアナと愛し合うためにローゼをここに呼び寄せたジェイスは、これからレアナをここに呼ぶかもしれない。
それでも抗えない。ジェイスが望むことなら叶えてあげたい。
ローゼは扉を開けた。
すぐにびしょ濡れのジェイスが飛び込んでくる。
「ローゼ!」
抱き着こうとしたジェイスは、自身の濡れた体に気づき、すぐに身を引いた。
そんなジェイスの仕草に、ローゼは悲しそうに目を伏せる。
これからレアナを抱く体でジェイスはローゼに触れたくないのだ。
ローゼは大きく後ろに退き、ジェイスは濡れた外套を暖炉の傍にかけようと移動しながらローゼに話しかける。
「ローゼ、怖かっただろう?大丈夫だったか?ケビンがまさかこんな強硬なことをするとは、君の安全をもっと考えるべきだった」
ジェイスの言葉はローゼの耳に入っていなかった。
心は凍り付き、その痛みに耐えるだけで精一杯だった。
「ローゼ、これを君に」
ジェイスはポケットから幸運の花を描いたメダルのペンダントを取り出した。
ローゼは目を丸くした。
それは先ほどレアナの代理でローゼが受け取った、ジェイスからレアナへの贈り物だった。
「女性にこんなものを選んだ事が無かったから迷ったが、レアナが君に似合うと思うと言っていた」
ジェイスはペンダントをローゼの首にかけた。
ローゼの両の目からぽろぽろと涙が落ちた。
「ローゼ?!」
驚くジェイスに、ローゼは微笑んだ。
「うれしいの。レアナさんって本当にお優しい方なのね……」
レアナから下げ渡されたペンダントをローゼは見下ろした。
ジェイスとレアナの間でどんな会話が交わされたのか、ローゼは察した。
きっとレアナが、これからお世話になるローゼさんにあげてもいいかしらとジェイスに問いかけ、ジェイスが了承したのだ。
ローゼがそんな風に考えているとは夢にも思わず、ジェイスはローゼを抱きしめようとした。
その時、扉が鳴った。
「ジェイス」
その声はレアナだった。ローゼは首飾りを握りしめ、素早く台所に向かった。
レアナが訪ねてきた時は、二人の邪魔をしないように外に出なければならない。
音を立てないように静かに裏口を開けると、外は真っ暗で、まだ雨が降り続いていた。
ローゼはレアナから譲られたペンダントを握りしめ、雨の中に進み出た。
このペンダントは二番目の女の証だ。
冷たい雨に打たれながら、ぼんやりと裏口に立っていたローゼの前に、一人の老婆が現れた。
「雨の中は冷えるね……。ローゼ。さあ町へ帰ろう」
「ウェン……」
占い師のウェンはいつだって、何もかもわかっている。
ローゼはウェンの手に引かれ、すっかり日が暮れ闇に包まれた農園の道を、ゆっくり歩きだした。
そこにいて、二人が寝室で愛し合う声を聞くのは嫌だった。
体が冷えると、心までが凍てついてくる。
「一戦終わったころで帰ればいいよ、ローゼ。その時がきたら教えてあげるよ」
雨の中でもウェンの声はなぜかよく聞こえる。
「ジェイスとレアナはね、本当は結ばれるはずの愛だった。ジェイスの母親が貴族なら問題なく結ばれ、今も幸せに暮らしていたはずさ。レアナの夫の方は気にしなくて良い。あっちも愛人とお楽しみだ。貴族は家のために結婚をし、恋愛は夫や妻以外とするのが常識だ」
冷たい雨の音に包まれ、びしょ濡れのローゼには、もう何もわからなかった。ただただ、心は凍てつき、夜の闇のように真っ暗だった。
ウェンの言葉ばかりが頭に響く。手を引かれるまま歩き、どこに向かっているのかもわからない。
「ローゼ、今夜はザウリに泊まろう。そうだね、あの様子なら二、三日留守にしても良さそうだ。魔の森の近くに行ってみないか?魔素材が豊富にとれる。しかもただで手に入る。良い場所だよ」
これから二、三日、レアナとジェイスは愛し合うのだ。
そんなことをぼんやりと思いながら、ローゼはのろのろと頷いた。
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レアナの声で、扉を開けたジェイスは数歩退きレアナを玄関口に入れた。
外はまだ雨が降り続いている。
「レアナ、どうした?」
室内に入ってきたレアナは素早く室内に視線を走らせ、ローゼの姿が見えないことを確かめた。
言われた通り裏口から出ていったに違いない。
レアナはポケットをさぐり、手紙を取り出した。
「これ、渡し忘れていたわ。ペンダントと一緒に送ったものでしょう?」
ジェイスは受け取り、なんとなく恥ずかしそうにポケットに入れた。
直接口で伝えるならもう手紙はいらない。
「雨の中わざわざ届けてくれたのか、すまない。雨宿りしていくといい。ローゼ!」
レアナが雨宿りをすることをローゼに伝えようと、ジェイスはローゼを呼んだが、返事はなかった。
「台所に行かれたのかしら?お茶を沸かしてくれているのかもしれないわ。手伝ってくるわね」
レアナが台所に向かうと、すぐに明るい声が聞こえてきた。
「まぁ!そんなこといいのに!手伝わせて」
レアナが、ローゼに話しかけ、二人でお茶を入れているのだとジェイスは思った。
ローゼはジェイスとレアナの仲を疑っていたから、レアナと直接話してくれたらきっともう終わった関係なのだとわかってくれるだろうとジェイスは安易に考えた。
さらに、媚薬を使ったあの夜のことは内緒にしてくれとレアナ自身が言っていたのだ。
二人の関係が誤解されないようにうまく話してくれるはずだ。
交際していた時のレアナは心優しく、ジェイスをいつも癒してくれていた。
その頃のレアナを思い出し、ジェイスはローゼに友人が出来たことをうれしく思った。
自分が留守の間に、女同士で食事をしたり、泊まり込んで話をしても楽しいかもしれない。
そんなことを考えながら、ジェイスは暖炉に薪を入れ、炎の大きさを調整した。
しばらくして、テーブルにお茶が運ばれてきた。
雨に打たれ冷えた体を温めていたジェイスは、湯気の立つカップを喜んで手に取ろうとした。
その時、腰に熱を感じ、ポケットに目をやった。
金色の光がふわりと一瞬浮かび上がった。
ポケットに手を入れ、ジェイスは入っているものを取り出した。
それはローゼの幸運の刺繍が入ったハンカチだった。
そのお茶を飲むなと警告するように刺繍の絵が光っている。
ローゼの幸運の力は本物だった。
仲間達との会話でそれを知ったジェイスは、お茶のカップをテーブルに戻す。
暖炉のあかりに打ち消されそうな弱いものだったが、突然いろんな違和感に気が付いた。
第十五騎士団は依頼された仕事を誰かに任せたりしない。直接本人に渡すのだ。
なぜレアナがペンダントを手にしていたのか。
「レアナ、聞きたいことがある」
ジェイスが顔をあげた時、台所からレアナの悲鳴が聞こえた。
「駄目よ!ローゼさん!待って!ローゼさん!」
ジェイスは急いで台所に飛び込む。
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街灯もない裏庭は完全な闇に包まれ、雨の音だけが聞こえている。
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