9度目の転生(バルバル亭の秘密R18編)

丸井竹

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第四章 永遠の虜囚

41.バルバル亭

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 魔の森の縁にある食堂バルバル亭の二階には泊まり客のための部屋がある。
その奥の二部屋は、従業員のローマとイーグの部屋だった。

奥の扉が開き、ローマが重い胸を揺らしながら通路に出てきた。
一階に続く階段の手すりにつかまり、大きく欠伸をする。

「ローマ!今頃起きたのか。さっさと仕事を始めてくれ」

二日酔いの頭に響く声に、ローマは不機嫌な顔で下を見る。
大量の皿を抱えたイーグがローマを見上げ、睨んでいる。

ローマと一瞬目を合わせたイーグは、さっさと厨房に入っていく。
仕方なく、ローマも急いで階段を下りる。

食堂のテーブルには昨夜使われた食器がそのまま残されている。
昨夜は店主が不在で、従業員たちは少し羽目を外し、後片付けをさぼってしまったのだ。

腕まくりをしてローマは慣れた手つきでお皿を集め始める。
店主不在のバルバル亭は、少し静かで、何かが足りないような心細さを覚える。

すっかり見慣れたテーブルの木目に視線を走らせながら、ローマは積み上げた皿を腕に抱える。
手際よく厨房に皿を運びながら、ローマはバルバル亭にやってきた一年前のことをなんとなく思い出した。

その日は大雨で、ローマは無一文でここまで逃げてきた。
バルバル亭の存在を知っていたわけじゃなかった。
ただ、魔の森には追手がこないと聞いたことがあったのだ。

雨に打たれ、裏口の井戸にかかった屋根の下に座っていたローマを店主のリアが見つけた。

「お客さん?」

そう問われて、首を横に振った。

「じゃあ、寒くてお腹が空いているけど、お金がないとか?」

ローマは奴隷の娼婦で、どんなに働いても手元には何も残らなかった。
身を粉にして働いてきたローマは情けなさで泣きたくなったが、小さく頷いた。
そんなローマの沈む気持ちを明るい店主の声が吹き飛ばした。

「従業員が足りなくて困っていたの!食事と寝床付き。どう?」

それがまさか女将だとは思いもしなかったが、ローマは従業員としての初仕事として、厨房の暖炉の前でまかないを食べさせられた。冷え切っていた体はあっというまに温まった。
いつの間にか、居場所のない心細ささえも消えていた。

バルバル亭の店主はローマに何処から来て、何をしていたのか、何一つ聞かなかった。
身元もはっきりしないローマに部屋をまるまる一つ貸してくれ、仕事までくれたのだ。
食事もあるし、当然給料も入る。酒も飲めるし、休暇もある。
さらに食堂の裏は普通の人間は立ち入ることのできない魔の森で、追ってがきても逃げ場もある。

すぐにバルバル亭はローマにとって心満たされる居場所になった。
しかし、それはやはり店主がいてこその居場所であり、店主がいないバルバル亭は、どこか心細さを感じてしまう。

「ローマ!俺が皿を洗うからどんどん運んでくれ」

一緒に皿を運んでいたイーグがいつの間にか厨房で皿洗いを始めている。

最後の皿を片手に厨房に向かっていたローマは、ふと足を止めた。
かすかに馬車の音が聞こえてくる。

「もうエルマが来た!裏口に行って食材を受け取ってきてくれ」

イーグの声に、ローマは急いでお皿を洗い場に置いて裏口に向かう。
食器を洗っているイーグの横顔がちらりとローマの視界に入った。

いつもの無愛想な表情で、眉間に皺を寄せている。
この従業員がどこからきて、どんな事情で働いているのかローマは知らない。
ただ、昔は奴隷だったことだけは知っている。

それもイーグ自身の口からきいたわけではない。
首に奴隷だった証の傷が残っているからだ。

ローマ自身、詮索されたくない身の上であるため、イーグについて何か知りたいと思うことはなかったが、バルバル亭の若い女将のことは少し気になっていた。

少女のように若いのに、魔の森の縁で店をやることを国に許されたのだ。
並外れた魔力抵抗があるにしろ、こんなやっかいな場所にやってきた理由も気になる。
さらに店主の夫に関しては、これはもう皆が知りたがっているバルバル亭最大の謎だ。

姿を見せたことがない店主の夫の話題は店でも何度もあがっているが、詮索し合わないことが暗黙のルールになっているバルバル亭ではそれを直接リアに問いかける者はいない。
ただ、時々リアが自分から話すことはあり、そんな時は酒場の客も従業員も一斉にリアの話に耳を傾ける。

店主の夫は王国一の魔法使いではないかと噂されているが、そんな存在が辺境に住み着いた食堂の女将と結婚にいたったなれそめとなると、全く想像できない。
人の姿をしているのかどうかすら確かめた者はいないのだ。

今夜は店主の夫に関する面白い話が聞けるのではないかとローマは考えながら、外に通じる扉を開けた。

途端に、明るい日差しが降り注ぎ、片腕を掲げたローマは眩しさに目を瞬かせた。

「おはよう、ローマ。いつもの食材と、少し変わった素材を持ってきた。店主は?」

茶色い髪の愛嬌のある顔をした男が馬車の荷台を開けている。
毎朝食材を届けてくれるエルマとの付き合いも一年になる。

裏口の脇に積んであった返却用の木箱を抱え上げ、ローマは馬車に近づいた。

「まだ森から戻ってないのよ。ほら、昨日は月夜だったでしょう?」

「旦那さんのところか。それなら、ちょっと遅くなりそうだな」

店主が夫のもとに帰るのは月夜の晩だけだ。
そのことは誰もが知っていたが、その理由もまた誰もしならない。

エルマは馬車の荷台から食材を下ろし、ローマから空の木箱を受け取るとせっせと積み込む。

「ローマ!急いでくれよ!」

またイーグの声が飛んできた。
食材を確認していたローマは不機嫌な顔をした。
二人の関係性をよく知るエルマは苦笑する。
もともとイーグは愛想の良い方ではないのだ。

「店主が帰って来るまでに終わらせないといけない仕事が山積みか?」

店主不在の夜は、客もついつい長居しがちだ。
エルマもうっかり寝込んでしまい、朝方になって急いで帰ったことがある。

「そうなの。イーグに文句を言い返す暇もないぐらい」

エルマは笑いながら馬車に戻ると、次の配達先に向けて出発した。
それを見送りながら、ローマは食材の詰まった木箱を抱え裏口に向かう。

日陰に入る手前で、ローマは足を止めて空を見上げた。

雲一つない青空を鳥影がゆっくり横切った。
こんな日は昼から客足が絶えないのだ。

「今日も忙しくなりそうね」

ローマは呟き、厨房に飛び込み扉を閉めた。


――


 魔の森の中央部に魔法使いの塔がある。
それは結界であり、本来魔の森には滞在できない生身の人間を守っている。

ぬくもりの残る毛布の下で、少女が身をよじって恋人の体を探す。
その手が少し冷えた男の胸に触れた。

ぱっと目を上げた少女は少し膨れている。

「ジェイス、私を残してまた出かけたの?何処に行ったの?」

隣には漆黒の髪と目をした怪しげな魔法使いがいる。死人のように白い肌なのに、騎士のように逞しい体をしている。この世界のものではないような異質な存在感を放つが、少女にとってはやっと見つけた恋人だった。

「王城に呼ばれていた」

魔の森を管轄するこの魔法使いは一瞬でその移動ができる。
少女は冷えた男の体に抱き着き、温めようとした。
しかし魔法使いは既に人間らしさを失っていたため、それはあまり感じなかった。
ジェイスはこの世界でもう数百年を生きている。

この世界に降り立ち、魂の片割れが生まれてくるのを待ち続けたジェイスは、今はその幸福を見守っている。
何度転生しても孤独だった彼女に、仲間や友人に囲まれた豊かな人生を送ってもらいたいとジェイスは願ったが、生まれ変わった魂はすぐにジェイスを見つけてしまった。

魂に刻まれた運命に導かれるように、リアはこの森の縁にやってきて、バルバル亭の店主になってしまったのだ。
生身の人間は長く滞在してはいけないとされるこの森に、やってきた初日に入り込み、道に迷ってしまった。

仕方なくジェイスが姿を現し、店まで送ってやろうとすると、リアは一目惚れしたとジェイスに迫り、数度のデートを重ね、結婚までしてしまった。
リアが人として幸せな人生を送れるように一度は断ろうと思ったが、それは無理だった。

ジェイスは自分の胸に幸福そうにしがみつくリアの顔を見おろし、その頬を優しく包んだ。

「リア、店に戻るのだろう?もう夜は明けているよ」

不満そうにリアは目を上げ、もう少しだけと駄々をこねる。

なぜこれほどまでにこの謎めいた魔法使いに惹かれるのか、リアはわかっていなかった。
それでも一つだけ確信できることがあった。
いつか手に入れた物のすべてを捨てなければならないとしても、これだけは手放せない。

愛情深い養父母に育てられたリアは、なぜか幼いころから人がたくさん集まるお店を持ちたいと思っていた。友人や仲間、様々な事情を抱えた人達と共に、ただ生きて喜びを分かちあうような温かなお店をやりたかった。

町の食堂で働き始めてすぐに、国の求人掲示板で魔の森の管理人兼、食堂の店主を募集する貼り紙を発見した。
魔の森は魔素材が豊富に収穫できる、王国の薬箱と呼ばれていたが、魔力抵抗の高い者しか暮らせないし、不気味な事件も絶えない。

行き場を失った人々の掃きだめのような場所だとも噂されていた。
それでも王国が住人を募集するのは、その土地によそ者が入るのを防ぐためだ。王国の審査を受け、正式に依頼を受けた住人しか店を持てない。

リアはすぐにその求人に応募し、審査を受けた。
理想の仕事に、信頼できる仕事仲間、それから常連客である騎士団の人達や地元の人々、多くの財産を手に入れた。
見守ってくれる家族とも手紙でやりとりが出来ている。
そして最愛の夫だ。
少し変わっていて、一緒に暮らすことは出来ないが、今が一番幸福だと言える。

「ジェイス、毎日ここで眠りたい」

欲を言えば、夫ともう少し長く過ごしたい。リアは思ったが、魔法使いは「それはだめだ」と繰り返した。

「生身の人間でいる間は長くとどまってはいけない。少しずつ人間性が失われ、ここを出られなくなる。自由に生きられるうちは自由でいた方がいい」

「まだその時ではないというのでしょう?」

繰り返される会話にリアは聞き分けよく微笑む。
バルバル亭を始めてまだ三年だ。リアが望んだように年々周辺は賑やかになり、食堂も盛況だ。事件も多いが、皆で力を合わせて乗り越えている。
確かに手放せないものがたくさんある。

「でも、いつかその時がきたら決めているの。ジェイス、私はあなたを選ぶ」

幸福そうにジェイスはその言葉を聞いていた。

前世の辛い記憶を残すことなく、その魂は白く輝いている。

大切な片割れであり、守っていくべき魂だ。

愛しているから一緒にいられない。
愛しているから一緒にいたい。

二人は異なる記憶を持ちながら、互いを深く愛している。
それを確信し、ジェイスはリアを抱きしめ、その幸福を噛みしめた。

「さあ、送っていこう」

春風のような温かく優しい風がふわりと二人の体を包み込んだ。
次の瞬間、二人の姿は塔の内部から消えていた。

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