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第四章 永遠の虜囚
42.永遠の庭
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バルバル亭の営業はお昼からだが、店主のリアは早朝から起きている。
鼻歌を歌いながらエプロンを巻き、エルマから食材を受け取り、ちょっとした世間話をする。
従業員のローマやイーグが起きてくるころには厨房に火が入っている。
一階に下りてきたローマは用意されている消毒済みの布巾でテーブルを拭き始める。
イーグは扉を開け、新鮮な空気を店内に取り入れる。
それから昼の営業に向けて下ごしらえを始める。
しかし、その日の厨房は少し様子がかわっていた。
下ごしらえをほぼ終えている厨房を見て、イーグが店主に問いかける。
「リア、そろそろ店を開けるのか?」
「まだ時間があるでしょう?それより、今日薬屋さんが来るって騎士団の人が言っていたでしょう?お店まで案内しなきゃいけないから、少しの間二人にお店を任せるから」
そういえばと、ローマが昨夜の話を思い出す。
魔の森の縁に、また新たな店が出来るのだ。新人の案内は大抵バルバル亭の女将の仕事だ。
「町まで薬を買いに行かなくてよくなるな」
胃薬や二日酔いの薬は食堂の常備薬であり、その補充はイーグの仕事だ。
遠くから馬車の音が聞こえてきた。
三人は顔を見合わせ、すぐに外に出る。
緩やかな斜面を登ってきた馬車の御者席に座っていたのは若い男で、ローマが顔を輝かせた。
「いらっしゃい。薬師のエレニールさん?」
馬車を止め、男は滑り下りてくると、差し出されたリアの手を取った。
「私はエレニールの弟子のリュートです。エレニールは私の母です」
馬車の後ろに回ったリュートが老いた母親を連れてくる。リアは老婆に駆け寄り、リュートの反対側から手を貸した。
「エレニールさん、いらっしゃい。うちでお茶を飲んで行って」
自慢の胸を強調し、ローマがすかさず扉を開ける。
ジークが厨房に飛んでいき、お茶の用意をして戻ってきた。
甘い蜂蜜を入れたミルクと、ベリーのパイがテーブルに並べられる。
新たな森の住人を歓迎するお茶会が始まった。
リュートはリアとローマを前に、顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。
その首に傷跡を見つけ、ローマが視線を向ける。
敏感にその気配を察したリュートが、咄嗟に椅子を引いて逃げようとした。
その手をリアが引き止めた。
「リュート、大丈夫よ」
エレニールが困ったように青ざめるリュートの肩を撫でる。
「私も奴隷だったの。見て」
ローマが髪をかきあげ、首の後ろを見せる。赤い傷跡がうなじを横に切り裂くように走っている。驚くリュートの前で、イーグも首を下げて後ろを見せた。
「俺も奴隷だった。リアに拾われて今では食堂の従業員だ」
それ以上のことはまだ誰も知らない。
「ここだけの話だけど、お尋ね者も食べに来るの。騎士団の人達もお客としてくるからその時はちょっとだけはらはらするのよ。ここはね、皆が楽しく食事をしに来るところ。いろいろ事件はあるけどね」
様々な事情を抱えた人々を受け入れているリアの言葉に、ローマが付け足した。
「この間は私を使っていた娼館の男が追いかけてきたの。ちょっと強引に脱走してきたから、困ったことになったのだけど、裏庭にたまたまアイデンベアが出現してね、追い返してくれたのよ。魔獣に味方されるとは思わなかった」
「その後、そのアイデンベアを料理したのは俺だ」
イーグが誇らしげに続けると、ローマがすかさず詳細を語る。
「料理したのはイーグだけど、皆で倒したのよ。たまたま来ていた騎士団の人を盾にしてフライパンや包丁で倒したの。大変な騒ぎになったけど、全員お腹いっぱい食べたのよ。もちろん、全員で食材をとったのだから無料にしたの」
「そういう事件なら大歓迎だな」
その光景を頭に思い浮かべ、リュートはやっと笑った。
リュートが穏やかに生きられる場所を探し、ここに引っ越しを決めた薬師のエルニールはほっとしたように力を抜き、温かなお茶をすする。
元奴隷の三人はあっという間に打ち解け、悲惨な体験を笑って語る。
リュートは安心したように出されたパイを二皿も食べた。
その間、エレニールはリアに王都で謎の病が流行っていると教えた。
「それならばまた新しい薬の開発が必要になるのね。王城から魔法素材の注文が入るのよ。忙しくなりそうね」
王国からの要請でここに住んでいるリアやエルニールはその手伝いをすることになる。
さすがに老婆のエルニールには難しい話であるから、弟子のリュートが主に動くことになるのだ。
「よろしくね、リュート」
リアがほほえみかけると、リュートは赤くなってやはり目を伏せた。
昼が迫ると、バルバル亭の三人と薬屋の二人は外に出た。
御者席にリュートが座り、その隣にリアが乗り込む。エルニールは後ろの荷台にクッションを置いて座っている。
「じゃあ、お昼の営業は二人に任せるからね」
気持のよい青空の下、バルバル亭の店主を乗せた馬車がゆっくり動き出す。
それを見送りながらローマとイーグは、なんとなく顔を見合わせた。
昼の営業時間が迫っている。
二人は声をかけあうこともなく、同時に走り出し、店に飛び込むと急いで営業準備にとりかかった。
――
月夜の晩、リアの夫はバルバル亭の裏庭にリアを迎えにくる。
リアは既にエプロンの紐を解き、井戸の傍らに置いたベンチに座って待っている。
「ジェイス!」
唐突に暗がりに現れたその気配に、リアはすぐに気が付いた。
優しく開かれたジェイスの腕に抱かれ風に運ばれる。
本を積み上げた書斎と、続きの間にある寝室のちょうど真ん中に降り立ち、リアは甘えるようにジェイスを引っ張って寝台に向かう。
ジェイスはまだ躊躇っている。
最近、騎士団の交代があり、新たにこの地にやってきた新人の騎士がリアに告白したばかりだった。
ジェイスにはリア以外の女性と結婚し子供を作った前世の記憶がある。
リアがセレナだった時に、ジェイスの幸福のために身を切るほどの苦しみで決断し、最初の呪いを打ち破った。
その心の苦痛と悲しみに報いるだけの幸福をリアには味わってほしかった。
「リア、俺たちの関係はこの森の中だけのものだ。森の外で君は別の人生を歩いても構わない。もっと恋をして楽しんでも良いし、愛人を何人持っても良い。俺は待つから、外で夫を持っても構わないんだ」
ジェイスの言葉にリアは憤慨した。
「まさか、誰か好きな人が出来た?それで私を追い出したがっているの?」
この魂が意外にも嫉妬深いことをジェイスは初めて知った。
本気で怒って、リアはジェイスによじ登り、その胸を拳で殴った。
「もしかして、月夜の晩しか会えないのは、他の日に他の女性とあっているから?もしそうなら許せない!人間なんてやめてもいい!絶対、私、あなたと別れないから!」
強引にジェイスの首を抱いて口づけし、リアはとうとうジェイスを寝台に押し倒した。
溢れるような愛をその身に受け、ジェイスはその迸る魂の輝きに目を潤ませる。
「リア、君だけだ。だけど、俺は……君を幸せにできないかもしれない」
永遠の呪縛の中で男は生きている。
「そうなの?」
リアはジェイスの胸にしがみつき、その鼓動の音を聞く。
普通の人間のように脈打つその体には不思議な力が満ちている。
「私が幸せじゃないと思う?あなたを見た時、すぐにわかったの。あなたが私の伴侶だって。それまでは考えもしなかったけど、私の魂は半分だけだったんだってわかった。
あなたに触れた時、魂が一つになった気がした。
これ以上の幸せはないと思ったの。今もそう思う。友達も仲間もお店も大事。でも、一つだけ選ぶならあなただけは手放せない。
それは絶対なの。だから、私を追い出そうとしないで。そうじゃないと月夜の晩でなくても押しかけるから。それとも、ジェイスは私が妻では幸せになれないの?」
リアの年齢はまだ若く、外界の男の方がずっと今のリアに相応しい。
古の存在が時折現れ、新たな敵の名を告げていく。
それを駆除する戦いにジェイスはリアを巻き込みたくないのだ。
真っすぐな愛に包まれ、ジェイスはリアを抱きしめた。
「君がここにいる。これ以上の幸福はない」
この生き方をジェイスは自ら選んだ。この魂を守り抜き、二度と離れないために。
それなのに、リアの幸福を考えると、自らリアを引き離そうとしてしまう。
共に生きる覚悟が出来ていないのはジェイスの方だ。
「リア、わかった。この話はこれで終わりだ。それより、店の話を教えてくれ。俺にはここからすべてが見えているが、王都の話はなかなか入ってこない。困ったことが起きているようだな」
「そうなの。謎の病だというのだけど、この森を狙う他国の魔法使いの仕業じゃないかって騎士達が噂しているの。この間、ここに引っ越してきた薬師のエレニールも話していたのだけどね……」
熱心に語りだすリアを腕に抱き、ジェイスはリアの話に耳を傾ける。
輝くリアの瞳を見つめ、ジェイスはリアの身に危険が迫っていないか用心深くその気配を探る。
王都で流行る病も、魔の森に近づく他国の魔法使いも、全てが無関係ではない。
リアはこの世界に組み込まれ、この世界で生きているのだ。
「リア……」
探るように瞳を合わせ、どちらからともなく二人の唇が重なった。
うっとりとその舌が絡まり合う。
その先に進もうとした時、リアが思い出したように顔を離した。
「そういえば、奇妙な人に会ったの。裏庭に現れて、最初ジェイスかと思った。でも月は出ていなかった」
ジェイスに感知されずに魔の森に侵入できる者は一人しかいない。
嫌な顔をするジェイスに気づかず、リアが先を続ける。
「黒い長い髪をしていて、黒い数珠の首飾りをしていたの。ジェイスのお友達だと言っていた」
「友達ではないが……何かされなかったか?」
不機嫌な声になったジェイスに驚き、リアは機嫌をとるようにその首に抱き着く。
「いいえ。ただ、私とジェイスにぴったりの世界を作っているのですって。ほら、うちの店には変わった人がたくさん来るじゃない。だから、適当に楽しみにしているって言っておいたの」
ほっとしてジェイスはもう一度リアに唇を近づける。
「ねぇ、どんな世界に住みたい?」
唇を重ね、その声を封じると、ジェイスはうっとりとその魂を抱きしめた。
「君がいる世界だ。それだけで十分だ」
リアはうれしそうに微笑んだ。
淡い月明かりが塔の中に降り注ぐ。
石壁に映し出される二つの影は重なり合い、混ざり合う。
真っすぐなリアの愛を抱きしめ、ジェイスは心から願う。
この魂が永遠に幸福でありますようにと。
異なる記憶を持つリアも同じ想いをジェイスに告げる。
あなたが幸せでありますようにと。
それは約束された幸せの、ほんの始まりの部分に過ぎなかった。
鼻歌を歌いながらエプロンを巻き、エルマから食材を受け取り、ちょっとした世間話をする。
従業員のローマやイーグが起きてくるころには厨房に火が入っている。
一階に下りてきたローマは用意されている消毒済みの布巾でテーブルを拭き始める。
イーグは扉を開け、新鮮な空気を店内に取り入れる。
それから昼の営業に向けて下ごしらえを始める。
しかし、その日の厨房は少し様子がかわっていた。
下ごしらえをほぼ終えている厨房を見て、イーグが店主に問いかける。
「リア、そろそろ店を開けるのか?」
「まだ時間があるでしょう?それより、今日薬屋さんが来るって騎士団の人が言っていたでしょう?お店まで案内しなきゃいけないから、少しの間二人にお店を任せるから」
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「町まで薬を買いに行かなくてよくなるな」
胃薬や二日酔いの薬は食堂の常備薬であり、その補充はイーグの仕事だ。
遠くから馬車の音が聞こえてきた。
三人は顔を見合わせ、すぐに外に出る。
緩やかな斜面を登ってきた馬車の御者席に座っていたのは若い男で、ローマが顔を輝かせた。
「いらっしゃい。薬師のエレニールさん?」
馬車を止め、男は滑り下りてくると、差し出されたリアの手を取った。
「私はエレニールの弟子のリュートです。エレニールは私の母です」
馬車の後ろに回ったリュートが老いた母親を連れてくる。リアは老婆に駆け寄り、リュートの反対側から手を貸した。
「エレニールさん、いらっしゃい。うちでお茶を飲んで行って」
自慢の胸を強調し、ローマがすかさず扉を開ける。
ジークが厨房に飛んでいき、お茶の用意をして戻ってきた。
甘い蜂蜜を入れたミルクと、ベリーのパイがテーブルに並べられる。
新たな森の住人を歓迎するお茶会が始まった。
リュートはリアとローマを前に、顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。
その首に傷跡を見つけ、ローマが視線を向ける。
敏感にその気配を察したリュートが、咄嗟に椅子を引いて逃げようとした。
その手をリアが引き止めた。
「リュート、大丈夫よ」
エレニールが困ったように青ざめるリュートの肩を撫でる。
「私も奴隷だったの。見て」
ローマが髪をかきあげ、首の後ろを見せる。赤い傷跡がうなじを横に切り裂くように走っている。驚くリュートの前で、イーグも首を下げて後ろを見せた。
「俺も奴隷だった。リアに拾われて今では食堂の従業員だ」
それ以上のことはまだ誰も知らない。
「ここだけの話だけど、お尋ね者も食べに来るの。騎士団の人達もお客としてくるからその時はちょっとだけはらはらするのよ。ここはね、皆が楽しく食事をしに来るところ。いろいろ事件はあるけどね」
様々な事情を抱えた人々を受け入れているリアの言葉に、ローマが付け足した。
「この間は私を使っていた娼館の男が追いかけてきたの。ちょっと強引に脱走してきたから、困ったことになったのだけど、裏庭にたまたまアイデンベアが出現してね、追い返してくれたのよ。魔獣に味方されるとは思わなかった」
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イーグが誇らしげに続けると、ローマがすかさず詳細を語る。
「料理したのはイーグだけど、皆で倒したのよ。たまたま来ていた騎士団の人を盾にしてフライパンや包丁で倒したの。大変な騒ぎになったけど、全員お腹いっぱい食べたのよ。もちろん、全員で食材をとったのだから無料にしたの」
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その光景を頭に思い浮かべ、リュートはやっと笑った。
リュートが穏やかに生きられる場所を探し、ここに引っ越しを決めた薬師のエルニールはほっとしたように力を抜き、温かなお茶をすする。
元奴隷の三人はあっという間に打ち解け、悲惨な体験を笑って語る。
リュートは安心したように出されたパイを二皿も食べた。
その間、エレニールはリアに王都で謎の病が流行っていると教えた。
「それならばまた新しい薬の開発が必要になるのね。王城から魔法素材の注文が入るのよ。忙しくなりそうね」
王国からの要請でここに住んでいるリアやエルニールはその手伝いをすることになる。
さすがに老婆のエルニールには難しい話であるから、弟子のリュートが主に動くことになるのだ。
「よろしくね、リュート」
リアがほほえみかけると、リュートは赤くなってやはり目を伏せた。
昼が迫ると、バルバル亭の三人と薬屋の二人は外に出た。
御者席にリュートが座り、その隣にリアが乗り込む。エルニールは後ろの荷台にクッションを置いて座っている。
「じゃあ、お昼の営業は二人に任せるからね」
気持のよい青空の下、バルバル亭の店主を乗せた馬車がゆっくり動き出す。
それを見送りながらローマとイーグは、なんとなく顔を見合わせた。
昼の営業時間が迫っている。
二人は声をかけあうこともなく、同時に走り出し、店に飛び込むと急いで営業準備にとりかかった。
――
月夜の晩、リアの夫はバルバル亭の裏庭にリアを迎えにくる。
リアは既にエプロンの紐を解き、井戸の傍らに置いたベンチに座って待っている。
「ジェイス!」
唐突に暗がりに現れたその気配に、リアはすぐに気が付いた。
優しく開かれたジェイスの腕に抱かれ風に運ばれる。
本を積み上げた書斎と、続きの間にある寝室のちょうど真ん中に降り立ち、リアは甘えるようにジェイスを引っ張って寝台に向かう。
ジェイスはまだ躊躇っている。
最近、騎士団の交代があり、新たにこの地にやってきた新人の騎士がリアに告白したばかりだった。
ジェイスにはリア以外の女性と結婚し子供を作った前世の記憶がある。
リアがセレナだった時に、ジェイスの幸福のために身を切るほどの苦しみで決断し、最初の呪いを打ち破った。
その心の苦痛と悲しみに報いるだけの幸福をリアには味わってほしかった。
「リア、俺たちの関係はこの森の中だけのものだ。森の外で君は別の人生を歩いても構わない。もっと恋をして楽しんでも良いし、愛人を何人持っても良い。俺は待つから、外で夫を持っても構わないんだ」
ジェイスの言葉にリアは憤慨した。
「まさか、誰か好きな人が出来た?それで私を追い出したがっているの?」
この魂が意外にも嫉妬深いことをジェイスは初めて知った。
本気で怒って、リアはジェイスによじ登り、その胸を拳で殴った。
「もしかして、月夜の晩しか会えないのは、他の日に他の女性とあっているから?もしそうなら許せない!人間なんてやめてもいい!絶対、私、あなたと別れないから!」
強引にジェイスの首を抱いて口づけし、リアはとうとうジェイスを寝台に押し倒した。
溢れるような愛をその身に受け、ジェイスはその迸る魂の輝きに目を潤ませる。
「リア、君だけだ。だけど、俺は……君を幸せにできないかもしれない」
永遠の呪縛の中で男は生きている。
「そうなの?」
リアはジェイスの胸にしがみつき、その鼓動の音を聞く。
普通の人間のように脈打つその体には不思議な力が満ちている。
「私が幸せじゃないと思う?あなたを見た時、すぐにわかったの。あなたが私の伴侶だって。それまでは考えもしなかったけど、私の魂は半分だけだったんだってわかった。
あなたに触れた時、魂が一つになった気がした。
これ以上の幸せはないと思ったの。今もそう思う。友達も仲間もお店も大事。でも、一つだけ選ぶならあなただけは手放せない。
それは絶対なの。だから、私を追い出そうとしないで。そうじゃないと月夜の晩でなくても押しかけるから。それとも、ジェイスは私が妻では幸せになれないの?」
リアの年齢はまだ若く、外界の男の方がずっと今のリアに相応しい。
古の存在が時折現れ、新たな敵の名を告げていく。
それを駆除する戦いにジェイスはリアを巻き込みたくないのだ。
真っすぐな愛に包まれ、ジェイスはリアを抱きしめた。
「君がここにいる。これ以上の幸福はない」
この生き方をジェイスは自ら選んだ。この魂を守り抜き、二度と離れないために。
それなのに、リアの幸福を考えると、自らリアを引き離そうとしてしまう。
共に生きる覚悟が出来ていないのはジェイスの方だ。
「リア、わかった。この話はこれで終わりだ。それより、店の話を教えてくれ。俺にはここからすべてが見えているが、王都の話はなかなか入ってこない。困ったことが起きているようだな」
「そうなの。謎の病だというのだけど、この森を狙う他国の魔法使いの仕業じゃないかって騎士達が噂しているの。この間、ここに引っ越してきた薬師のエレニールも話していたのだけどね……」
熱心に語りだすリアを腕に抱き、ジェイスはリアの話に耳を傾ける。
輝くリアの瞳を見つめ、ジェイスはリアの身に危険が迫っていないか用心深くその気配を探る。
王都で流行る病も、魔の森に近づく他国の魔法使いも、全てが無関係ではない。
リアはこの世界に組み込まれ、この世界で生きているのだ。
「リア……」
探るように瞳を合わせ、どちらからともなく二人の唇が重なった。
うっとりとその舌が絡まり合う。
その先に進もうとした時、リアが思い出したように顔を離した。
「そういえば、奇妙な人に会ったの。裏庭に現れて、最初ジェイスかと思った。でも月は出ていなかった」
ジェイスに感知されずに魔の森に侵入できる者は一人しかいない。
嫌な顔をするジェイスに気づかず、リアが先を続ける。
「黒い長い髪をしていて、黒い数珠の首飾りをしていたの。ジェイスのお友達だと言っていた」
「友達ではないが……何かされなかったか?」
不機嫌な声になったジェイスに驚き、リアは機嫌をとるようにその首に抱き着く。
「いいえ。ただ、私とジェイスにぴったりの世界を作っているのですって。ほら、うちの店には変わった人がたくさん来るじゃない。だから、適当に楽しみにしているって言っておいたの」
ほっとしてジェイスはもう一度リアに唇を近づける。
「ねぇ、どんな世界に住みたい?」
唇を重ね、その声を封じると、ジェイスはうっとりとその魂を抱きしめた。
「君がいる世界だ。それだけで十分だ」
リアはうれしそうに微笑んだ。
淡い月明かりが塔の中に降り注ぐ。
石壁に映し出される二つの影は重なり合い、混ざり合う。
真っすぐなリアの愛を抱きしめ、ジェイスは心から願う。
この魂が永遠に幸福でありますようにと。
異なる記憶を持つリアも同じ想いをジェイスに告げる。
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