執着

紅林

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「一体どうしたら、彼に見合う人間になれるのかな」

 何度同じことを考えても、答えは出ない。僕は完璧すぎる婚約者の顔を思い浮かべて何だか憂鬱になってしまった。僕の婚約者は帝国国防省の陸軍少佐という重要な役目を帝から拝命している優秀な人だ。名前は斎賀さいがはる、華族学院の生徒だった頃に親同士が決めた婚約相手に過ぎない。

「凛様、到着にございます」
「うん、ありがとう」

 運転手にお礼を言って車を降りたけど、兄様だったらもっと気の利いた一言でも言うんだろうなって思う。僕は何も言えなくて必死にお礼だけ伝えるんだ。人の顔見るの苦手だし。
 僕は昔から人との交流が苦手で、一人で本を読むのが好きだった。兄様たちは僕とは真逆で学院でも沢山の友達がいたし、使用人たちからも慕われてる。父様も母様も明るい人なのに、まったく誰に似たのかな。

「瀬川家の凛様でございますね」
「……」

 今日は急用ができて出席出来なくなった父様の代理で真柴家の夜会に出席する羽目になった。どうせ誰とも踊らないし誰とも喋らない。今だって使用人の言葉に頷くことしかできない。

「確認が出来ましたのでご案内致します」

 歩いた先にある両開きの扉が開けられ、僕にはあまり関わりのない煌びやかな世界が姿を現す。

「瀬川家の凛公子様、ご到着でございます」

 毎度のことだけど入場が一番緊張する。ホールにいる出席者から集まる視線に逃げたくなる。でも注目されるのは一瞬で、すぐにみんな興味無さそうに次に入場した令嬢に目を向けた。当たり前だよね。優秀な長男と違って目立つこともない瀬川家の三男坊、注目される理由が一つもない。

「凛くん、こんばんは。今日は来てくれてありがとう」
「あ、真柴侯閣下、ご無沙汰しております」

 手を振って近づいてきたのは真柴侯爵様、この夜会の主催者だ。この人と父は昔からの付き合いだそうで僕たち兄弟を甥っ子のように可愛がってくれる人だ。無愛想な僕にもいつも笑顔で話しかけてくれる親切な人。

「閣下だなんて他人行儀な。昔から君たちには名前で呼んで欲しいと言っているのに。君たち三兄弟のことは目に入れても痛くないと思っていくくらいだからね」
「あはは、すみません。緊張してしまって」

 こうやって相手が少し冗談混じりに話してくれているのに、愛想笑いしか出来ない。つくづく社交は向いてないと思う。

「それはそうと領地で急に問題が起こったそうだね?大事にならないことを祈ってるよ」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、私は行くよ。今日はいつも横で睨みを利かせてる婚約者殿もいない事だし、ゆっくり楽しんでいきなさい」

 そう言って笑いながら侯爵様は次の招待客の方へと行ってしまった。晴さんがいつも睨みを利かせてるってどういう意味だろう。
 僕はそんなことを疑問に思いつつ、給仕からシャンパングラスを受け取ってホールの端の方にあるソファーに腰かけた。ここで時間を潰してある程度したら帰ろうと思っていたのだけど、回りからコソコソと嫌な話し声が聞こえてきた。

「さっき来てた瀬川家のあの人って斎賀晴様の婚約者だよな」
「あぁ、瀬川伯爵の三男だろ。確か凛公子って紹介されてた」
「あんなやつ華族学院にいたか?同年代だろ?」
「いたじゃないか。私たちとはクラスが違ったけど、いつも教室の端の方で本を読んでいたよ」

 名前までは分からないけど、見覚えのある三人の男の話し声だ。学院時代、確か隣のクラスの人だった気がする。

「あんな見るからに暗いやつ覚えらんねぇよ。ていうか大学卒業してもまだ結婚してないって、よっぽど斎賀様は凛公子のことを気に入らないらしいな」
「身分に差がありすぎるしな。どうせ瀬川伯爵が頼み込んで渋々婚約してるんだろ」
「大体、誰が好き好んで男と結婚するんだよ。それもあんな地味なヤツ」

 これだから社交界は嫌なんだ。何も悪いことはしていないのに、晴さんと婚約しているってだけで陰口を言われる。同性婚が合法化されたとは言っても、まだ差別意識が全然消えていないのに。

「斎賀家の嫡男であらせられる誠様にお子がお生まれになったからだろ。次男の晴様にお子ができると揉め事の火種になるだろうから」
「だからって男同士で婚約させるなんて、斎賀公爵様も酷いことをされる。せめてもっと美しい男にすれば良いのにな」
「それこそあの三男ではなくて次男ならまだマシだろう。瀬川家の次男と言えば社交界でも人気の美男子だろう?」
「いやぁ、どっちにしろ──────」

 話をこれ以上聞くのが嫌になり、僕はその場から逃げだした。急ぎ足でその場を離れて、屋敷の外へと向かった。

「家に帰るよ」

 駐車場で待機していた瀬川家の車に乗って運転手にそう伝えた。主催者への挨拶と普段交流のある人への挨拶は済ませたから、もうここに無理している必要はない。どうせ居続けても嫌な陰口が聞こえてくるだけだ。
 僕の婚約者は完璧な人だ。先祖を辿れば帝の血も引く由緒正しい斎賀家の次男で帝国陸軍の期待の星としても知られている。それに緋色が混じった黒髪と緋色の瞳を持つ美しい容姿は皇族の血を引く何よりの証明だ。大学で細々と研究員をしている平凡な僕とは大違いだ。そのせいで婚約を結んだ時から散々心無い陰口を言われてきた。それでも僕は彼が好きだ。弱い者に手を差し伸べる優しい彼の婚約者になれることは誇らしかった。勇気も覚悟も僕とは違い、軍人として国を守るのに忙しいはずなのに街で困っている人を見かけたら必ず助けに入る。誰も知らない僕だけの好きなところ。

「潮時、なのかな……」

 斎賀家の次男として社交界では注目を浴びている晴さんはいつも紳士的で優しい人だ。そんな人を僕みたいなつまらない人間が独占して良い訳がない。
 婚約を解消するべきなのかもしれないな。

「父様が帰ってきたら、話してみようかな……」


 ◆◇◆


 婚約解消を心に決めた翌日、僕は務めている大学の研究室から歩いて駅に向かっていた。今日は寄りたいお店があったため、迎えの車は断った。目的のお店は駅前にある大型ショッピングモールの中の本屋さん。毎月、専門誌をそこで予約してるから決まった日に取りに行かないといけない。

「すみません、月刊誌の取り置きをお願いしていた瀬川です」
「あ、瀬川様、いつもありがとうございます。お待ちしておりました。受け取りカウンターの方へどうぞ」

 カウンターで本を整理していた年配の女性店員に声をかけると、すぐにバックヤードから本を取ってきてくれた。もうすっかり覚えられているらしく、なんだか気恥しい。

「袋は結構です。ブックカバーだけお願いします」
「かしこまりました。お支払い方法はどうなさいますか?」
「カードで」

 店員さんは慣れた手つきですぐにカバーを取り付けて渡してくれた。受け取った本をカバンにしまい、カードで支払いを済ましてからお礼を言って駅へと向かった。
 このまま建物の地下に行けば地下鉄の駅に着くけど、なんだか今は家に帰る気分じゃない。ここ最近は晴さんの事ばかり考えているせいなのか、僕たちのことを応援してくれている家族と会うのがなんだか気まずくなっている。もちろん僕の一方的な感情だけどね。

 滅多にショッピングモールに来ることなんてないんだし、お茶でもしていこうと思って僕はレストランフロアにある喫茶店に入った。本も少し読んでみたいし、小腹がすいていたのでちょうど良かった。使用人に夕食を済ませてから帰るとスマートフォンのメッセージアプリで伝えてビーフシチューとドリンクのセットを注文した。
 オーダーを聞いてくれた店員さんが立ち去ると、メッセージアプリに表示された晴という名前に視線が止まる。形式的なやり取りしかしていないメッセージになんの意味があるんだろうか。いや違う、そうさせているのは僕だ。いつまでも図々しく婚約者として隣にいるから。彼は高潔で美しく、完璧な華族のお手本のような人だ。こんななんの才もない僕のことも婚約者として尊重してくれている。だからこそ胸が痛い。彼のその優しさが僕を惨めにさせるから。

「テメェ!客ナメてんのか?あぁ?潰すぞこんな店!」

 そんなことを考えていたら、突如大きな声が反対側のソファー席の方から聞こえてきた。スーツをきた中年の男がなにかに怒鳴っているみたいだ。

「っ……恐れ入りますが、他のお客様もいらっしゃいますので……」

 近くで配膳をしていた店員さんもすごく驚いていて、慌てている様子だ。声はわずかに震えているし両手は硬くメモ帳を握りしめたままだ。目はクレーマーの顔を直視できず、視線は皿の縁に落ちている。

「ハァ!?誰に口きいてんだコラァ!!なめてんのか!?他の客?知らねぇよ!!俺が喋ってんだろうが!!」

 男が声を荒らげると同時に隣のテーブルがガタンと音を立てて揺れた。拳を固めたまま、店員さんに近ずいている。
 次の瞬間には拳が振り上げられ、鋭く振り下ろされる。鈍い音が店内に響き渡り、店員がよろめいて後ろに倒れ込んだ。周囲の空気が一気に凍りつき、静寂が訪れる。僕は動けず、その光景を見てなんだか胸がぎゅっと締めつけられる。
 こんな時、晴さんならどうするんだろう。帝国軍人として彼は仲裁に入るのだろうか。それとも殴られた店員さんに手を差し伸べるのだろうか。確実に言えるのは彼は僕みたいに傍観はしないってことだけだ。彼なら確実に男が人を殴る前に止めに入っているはずだ。

「……おやめください」

 声を出す瞬間、手が少し震えた。喉が詰まる。でも、それでも言わなければならない気がした。来週には婚約が解消されているかもしれない。だけど今だけでも晴さんの婚約者として、誇らしい自分でいたい。だからこそ――逃げてはいけない。

「おいおい、こっちは客だぞ? 部外者がでしゃばって何様だよ?」
「……申し訳ありません。こうして口を挟むべきではないのかもしれませんが、それでも、一方的に人を殴りつけるのを見ていられなかったのです」
「テーブルの向こうから眺めてただけの奴が、何を知ってんだよ。こっちは写真と違うもん出されてんだよ!文句言って何が悪い!?」
「……そうだとしても乱暴はいかなる理由でも許されません。ここ聖緋帝国ではそう定められているはずです」

 殴られてしゃがみこんでいた店員さんはこちらを気遣っているのか、首を横に振っている。厨房の方では警察に連絡しているのか、焦った様子で受話器を耳に当てている女性の姿も見えた。

「ったくさっきから何様のつもりだテメェ!」

 男がこっちにズカズカと近づいてきて、僕の胸ぐらを掴んだ。振り上げられた拳が怖い。

「……重罪ですよ」
「はぁ!?さっきからごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
「……華族に手を出せば、貴方だけでなくご両親を含む第三親等までの親族に刑が課せられます。親族は罰金刑かもしれません。しかし実行犯である貴方は最悪の場合は帝城にて公開処刑、軽くて終身刑」
「はははっ!テメェが華族?ふざけんのも大概にしとけよ!」

 男は更に怒りを露わにして怒鳴り散らす。

「私は瀬川凛。栄えある帝国議会の貴族院伯爵議員、瀬川宗一郎の第三子です」

 なんとか最後まで言い切って、息を深く吸い込んだ。男の手は僕の胸ぐらから離されて、力が抜けたように垂れ下がった。これで冷静に話し合いで解決するかもしれない。

「だから……!だからなんだってんだよ!」

 男がそう叫んだ瞬間、一気に距離が詰まった。気づいたときには男の顔が目の前にあり、肩を掴まれる。思わず息が詰まり、突き飛ばされるようにして視界が揺れる。何かが振り上げられるのが見え、拳だと気づいたのはその影が大きくなってからだった。
 次の瞬間、頬に衝撃が走った。鋭く、重く、皮膚の下で何かが軋む音がする。視界が一瞬、白く霞んだ。身体がぐらつき、世界が横に傾く。何が起きたのか理解するより先に、冷たい床の感触が背中に伝わっていた。

「ははっ、お前が……お前が余計な世話を焼くから!お、おお、俺は悪くないぞ!お、お前が!」

 クラクラする頭を押えて立ち上がろうとしても、うまく立てなかった。もう一度立とうとしてバランスを崩して転けそうになり目を瞑ったその時、暖かい腕が僕の肩を抱きとめた。

「我が婚約者殿は無茶をしすぎるところがあるようだね」
「は…る……さん?」

 僕の身体を抱きとめたのはここにいないはずの人物、婚約者の斎賀晴さんだった。そんなわけないのに、僕は夢を見ているのかな。

「そうだよ。今日はいつもの月刊誌の発売日だからどうせここだろうと思ってやって来たらこんなことになっていてビックリだよ」
「……」
「状況が飲み込めないよね。今はゆっくり休むんだ。目を閉じなさい」

 夢だと思いつつも、こんな幸せな夢を見られるなら殴られて正解だったと思えた。
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