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ラブアンドピース
27 《描かれた物語》 ずっと…
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これは、描かれた物語。
世界の一幕ーーー
彼の心音を聞くのが好きだった。
少し早いようだけどその一定の音を聞いていると凄く安心できたから。
******
どうしてこうなったのか…。その経緯が明らかになってきた頃、カログリア女王は寝室の窓から見える月を眺めていた。
そこは仮住まいの王宮。
カログリア王国の王が本来住まうはず王城が跡形もなく吹き飛ばされてから、どれだけ時間が経ったのか…。月日を数えればその短さに誰しもが呆然となる。
ディーエクタス・アクアエがその一方を聞いたのはキーファー家での事。
トラモントによるたった一撃の魔力光線砲により王城も、王も、王族も全て消え去ったと聞いた瞬間、ディーエクタス・アクアエは背筋に冷たい物を押し当てられたような感覚になった。
それは不吉な予感。その予感は当たっていた。
程なくして中央からの迎えが来て、かつてない王国の危機に「魔法使いの王」として立ってほしいと乞われた。
こんな日がいつか来るのではないかと怯え、来ない事を願い続けていた。しかしいざ来てしまえば……自分の力が必要だと言われて、その理由を知っていて、断る選択肢はディーエクタス・アクアエにはない。
同時にこれで彼を、婚約者のユージン・キーファーを開放する事が出来ると思った。
テフル魔法学園を卒業して既に4年。何一つ状況は変わっていなかった。
変えるには…ユージンを次期当主として確実な立場に押し上げるには、ディーエクタス・アクアエが去るのが一番。そう考え至って、どれだけ経ったか。
しかし立場上、中央の許可なくしてキーファー家を離れる事は出来ない。考え至っていたのに、その立場に甘え続けてきた。
やっと来た、変化の時。
ユージンは何も言わなかった。ただ「ディーエクタス・アクアエ様がお決めになればいい」とだけ。
だから…。
「新しい婚約者を迎えて今度こそ当主におなり下さい」
そう告げて、ユージンに背を向けてきた。せてもと、真っ直ぐに伸ばした後ろ姿を彼に見せたのはディーエクタス・アクアエの矜持。
ディーエクタス・アクアエが即位して間もなく、キーファー家の代替わりが恙無く行われた旨の報告を受けた。就任式と共に、新たな当主の結婚式も執り行われたと。
それを聞いただけでディーエクタス・アクアエは1人中央に戻って良かったと思ったのだ。思う事に、したのだ。
とは言え、即位してから早々にカログリア女王は多忙を極めた。
王城を吹き飛ばされた首都メディウムの再建、有力者が一気に消えた事で停滞している内政の立て直し、何より、謀反人ヴァロータ・チャチャイの討伐。
謀反に呼応した地方の鎮圧は魔法師団の働きによって何とか進めていたが、損害はゼロとは言い難い。見知った名前が未帰還者や所在不明者、そして敵対者の名簿に上がる度に胸が締め付けられた。
先立ってはヴァロータ・チャチャイによる首都への直接侵攻。防衛を優先し一般市民への被害を防いだはいいが、魔法師団の被害はあまりにも大きかった。
「ラライヤに続きラズバンとイエラさんまで…。わたくし達の学年は殆ど消えたわね」
防衛を決めたのはカログリア女王だ。戦いの中で決行された幾つもの作戦にも、カログリア女王が許可を下した。
王の決断で多くの人の行末が左右される。覚悟はしていたが、どれだけ覚悟しても足りモノではなかった。
「せめて、ヴァロータ・チャチャイと話す事が出来れば…」
甚大な被害を経てやっと、ヴァロータ・チャチャイが謀反に至った経緯が見えてきた。
西の地方間のいざこざにかこつけた、公正を欠く前国王と中央の思惑。謀反によって生じた被害を考えればヴァロータ・チャチャイを無罪放免とは出来ないが…そもそものきっかけが中央にあるのなら引き継いだ者としたカログリア女王は謝罪も辞さないし、可能な限り温情を掛けようと考える。
話し合えるのならその場にはカログリア女王自ら赴く覚悟だ。その際出来れば、少しでもヴァロータ・チャチャイと良い意味で面識のある者を帯同したい。
聖女ルシア・ヴァーチュはその最たる人物。学園生時代に聞いた話によると、ヴァロータ・チャチャイを治療した命の恩人だとか。その縁をきっかけにルシアが部長を務めていた救護クラブの面々とも良好な関係を築いていた。
ルシアの救護クラブの後輩は4人全員が中央所属の治癒師の道を選んでいる。もっとも今回の事態になってから内3人が未帰還、1人が所在不明…と無事が確認されているのはルシアだけだが。
「……何用か? 呼んだ覚えはありませんよ?」
窓から見える月の光が届かない寝室の奥に、カログリア女王は気配を感じ取る。
それは本来警戒する必要のない気配のはずだが、漂う雰囲気に室内の空気が変わったのを見てカログリア女王は目を眇めた。
「答えよ、親衛隊長。何用で許しも得ず、親衛隊揃ってわたくしの前に出た」
暗闇でも魔法を使えば見る事は容易い。
寝室の奥に並ぶのはカログリア女王の警護と手足となる任を負う親衛隊。個人的感情を抱かないように親衛隊の制服は顔を隠す仕様になっている。が、同じように揃って纏う物々しい雰囲気に、答えを待つまでもなく彼等の要件がカログリア女王は分かった。
「貴女の許しは必要無い。我等が動いたのは総意故。ディーエクタス・アクアエ、如何に魔法使いの王とてこのまま貴女を頂きに座らせてはおけぬ、と」
「総意? わたくしに異を唱える声は知っている。けれど、その大多数が今回の謀反を終えてからとしているのも知っている。あえて問いましょう。わたくしを、今、降ろそうとする意とは何処の極一部が出した総意か?」
早く厄介払いしたい。待望の「魔法使いの王」をなかった事にしたくない。
左右に触れる思惑が未だに残っていることをカログリア女王は知っていた。かつてない規模の謀反を収束する為に、その責任を負わせる為に体よく担ぎ出された事も。
だからこそ、今はまだ玉座から下ろされないとも知っている
「所詮は急ごしらえの烏合の衆か。仮にも親衛隊の名を冠する者達が極一部の意に流されるとは、何と情けない…」
前王の親衛隊は主である国王だけでなく人員を選出する機関と共に吹き飛んだ。
カログリア女王の即位に際し新たに編成され体裁こそ整えられたが、身辺調査も碌に行われていない寄せ集め集団に過ぎない。
「我々は誰かの思惑に感化されてここに来たのではない! 自分の意思でここにいる!」
「全ては女王、貴様が同胞たる魔法使いを使い捨てにしている事が原因なのだ」
「先の攻防戦でどれだけの魔法使いが犠牲になった!? 一般人に重きを置いたばかりに、貴重な魔法使いが大勢犠牲になったのだぞ!」
「それだけではない、その前にはフリーの魔法使いの一団を討伐に向かわせたが誰一人として帰ってこなかった」
「全部貴様の他者を顧みない無謀で残虐な決断が招いた事!」
「こんな事、前の陛下達なら起こらなかったはずだ!」
所詮と言うなら、廃籍された王弟の孫で、辺境で蛮族と育ち王族教育もまともに受けてこなかったカログリア女王の方だと親衛隊は吐き捨てる。
「同胞達は怯えている。次は自分が使い捨てにされるのではないかと。そして魔法使いを使い果たせば、次は一般人となるであろう!」
「これ以上貴女の暴挙を見過ごしていては、侵略される前に国は滅んでしまうと我等は答えに辿り着いたのだ」
「我等は自分と国を守る為にここに来た。つまり自衛であり、けっして謀反などではない」
「理解していただけたなら、あまり手こずらせてもらえないと助かる。抵抗したところでこの数の差だ。無駄な事だと貴女にも分かるだろう?」
親衛隊はそれぞれに武器を構えた。
彼等の主張を黙って聞いてやっていたカログリア女王は、やっと終わったかと小さく一息吐く。
まぁ要するに、なかなかヴァロータ・チャチャイを倒せない不満や先行きの不安を、とにかくカログリア女王を玉座から引きずり下ろしたい者達に煽られ利用されたと言う訳か。
事情は理解した。しかし、それだけだ。
「ふっ、ふふふ」
笑い出すカログリア女王に親衛隊はたじろぎを見せる。
「全員で掛かればわたくしの首が取れると? ずいぶんと舐められたものね。わたくしを誰と心得る。テフル魔法学園にあっては常に学年一位を維持し首席で卒業した最優秀者。そして中央に戻るまでは、あのユージン・キーファー様の隣に誰よりもあった者だ」
カログリア女王の声に動揺の色はなく、堂々とした佇まいはこの状況においても彼女が「王」である事を示していた。
「この意味を分からぬのなら…事情は酌めども素性は「愚か」の一つで十分」
音もなくカログリア女王の周囲に無数の光の玉が現れる。
遠隔起動操作魔法玉響。光の玉…玉響を遠隔で操作するだけのようで、魔法使い個人の力量差が顕著に現れる魔法の一つ。
習ったばかりの1年生が一つの玉響をただ動かすのがやっとなのに対し、熟練度を上げれば一度に動かす数が増えるだけでなく、玉響による体当たりや魔力光線砲を打ち出すなどの攻撃が可能となる。盾にも使え、まさに攻防一体の魔法である。
カログリア女王は在学中にそれを自身の得意武器と定めた。
「さぁ愚かなる者達よ、このディーエクタス・アクアエ・カログリアの首、取れるものなら取ってみるがいい!」
親衛隊が襲いかかるのに合わせてカログリア女王も玉響にて応戦する。
仮住まいとは言え王の寝室なだけあって広さは十分。だが、カログリア女王と親衛隊20名程が暴れるとなると流石に手狭だ。
襲撃を伝える為にも外に出たいとは思うが、魔法が掛けられ容易には開かない。いや本当なら開けられる…優秀なカログリア女王なら。襲撃中でさえなければ。
親衛隊の全員が魔法使いと言うわけではない。親衛隊長とその他合わせて5人ほどが魔法使いで、残りは一般人からの選出だったはず。志や精神面の方はともかく、腕だけは一般人でもそれなりの者が選ばれている。
狭い上に、多勢に無勢。本意ではないが更に加えると、先の首都攻防戦でカログリア女王は多くの魔力を消費しており万全の状態とは言えない。
強気な態度とは裏腹に、状況は限りなく悪い。
ーーーそれでも降伏はない!
元々、玉座に長く居座る気はカログリア女王にはない。それ以前に乞われなければ、座るつもりもなかったのだから。
未練など一欠けらもない。
それでも、彼等に黙って殺されてやる理由にはならない。体よくであっても、負わされるであっても、謀反を終息させ諸々の処理を片付けてからちゃんと責任を持って自らの意思で降りると決めている。
「覚悟っ!!」
意地で応戦していたが一瞬の隙を、一本の剣が突く。
向ってくる切っ先が身体に刺さるのをカログリア女王が覚悟した時…。
「何をする!」
「貴様っ、何の真似だ!」
親衛隊の1人が飛び出して、目にもとまらぬ速さでカログリア女王に刺さる前に剣を叩き落とした。
その行為に驚いたのはカログリア女王だけではなく、その者にとっては味方であるはずの親衛隊まで驚愕の表情を浮かべていた。
何故? カログリア女王が疑問を口にするより先に、部屋の壁が外からの衝撃で吹き飛ぶ。
「生きているかアクアエ!」
「トリア!?」
「アンタ何生意気にも暗殺されかけてんのよ! 実は王女だったとか、ホントいい加減にして! ふざけるのはデカ過ぎる態度だけにしなさいアホ!」
「なっ。誰が、いつ、何をふざけたですって!? だいたい女王に向かってアホとは何よアホとはっ、不敬よ不敬!」
穴が空いた壁からまず現れたのは、テフル魔法学園でクラスこそ違っていたが在学期間中何かと張り合っていた元同級生、トリア・ヴァイデンフェラーだった。
卒業以来の再会…と言う訳ではなく、中央所属のトリアとは即位以降何度も顔を合わせているし首都攻防戦では防御魔法を得意とする彼女を主軸としていたので戦いが終わるまでずっと近くにいた。その間トリアはカログリア女王を王として敬意を払う対応しかしていなかった。
それなのに、かつての呼び名を呼びながら駆け付け、カログリア女王の姿を見るや学園生の頃のように顔を顰めるではないか。ついカログリア女王も、昔のように反応してしまった。
「もー2人とも喧嘩しなーい。陛下、ううん、フラット! 加勢に来たよ!」
「ヴァーチュ先輩も…どうして」
続いて顔を出したのはルシア・ヴァーチュ。こちらとも何度も顔を合わせていたし、全て王と臣下の接し方だった。あえて呼び直したルシアに、かつて記憶が呼び起こされてカログリア女王の目頭が熱くなる。
「1人で心細かったよね。もう大丈夫、フラットの味方はちゃんといるって事」
ルシアが指差したのは、いつの間にかカログリア女王を背に庇うように立っていた親衛隊の1人。先程当たりそうになった攻撃を叩き落とした者に違いなかった。
その者と駆け付けた魔法使い達を見て、親衛隊に動揺が走る。
「裏切り者がいたのか!?」
「馬鹿野郎が、それはお前等だよ! 女王を守る親衛隊がその女王を襲うなんて、恥を知りやがれ!」
「スファイ先輩…」
親衛隊の動揺に怒鳴り付けたのはロクヤ・サティ・スファイ。背後にはまた別の見知った顔。その全員が身体のどこかしこに治療の跡を残している。
「先輩方…。皆さん、戦い明けでまだ疲れているのに…」
「それで後輩を見捨てる薄情な先輩はテフル魔法学園の卒業生にはいないってね」
「全快には程遠いけど、後輩の為に頑張っちゃうよー」
「魔力捻り出せ! フラットを守るぞ!!」
スファイの号令を合図に駆け付けた者達が部屋へとなだれ込む。
「何故…何故なんだ、お前達も魔法使いだろ! この女を王のままにしていたら、いつ自分達が良いように使われるか、何故分からないんだ!?」
「あいにくと俺達はフラットがそんな奴じゃないって知っているんだよ」
「て言うか、民衆を守るって一切逃げなかったアクアエを見ていて良くそう疑えるわね! 頭アホ過ぎじゃない!? …今気付いちゃったけど、アンタ達こそ戦いの間何処にいたのよ? いなかったわよね?」
「わ、我々は待機を命じられて、それで…!」
「無理に付いてこなくていい。防御塀の中にあって民衆を守るのも重要な役目だ…と言った後、親衛隊は1人しか残らなかったわね。あれも其方か?」
トリアの言葉にカログリア女王もそう言えばと思い出し自分を庇う親衛隊に尋ねると、コクリと頷きだけを返された。
どうやら親衛隊の裏切りを彼等に伝えたのは、この者のようだ。そして応援が到着するまで親衛隊の中にあって付かず離れずの位置からカログリア女王を守り続けていた。
この者には礼をしなければとカログリア女王は思う。
「ハッ! つまり逃げ出した腰抜けの集まりって事か」
「だ、黙れ! 我等は…!」
「そんなお前等に良い話を聞かせてやるよ。ゲシル」
「はいはい。中立派の最大派閥だったクライン家が正式に女王支持へ回ったそうだ。もともと支持よりではあったけどクライン家のご令嬢の婚姻が決まり、これを機に中央の勢力図は一気に塗り替わる。クライン家は商売に堅い家だし、ご令嬢の婚姻先も幅広い人脈を持つ家。君達を唆した連中がこの波に逆らう事は絶対にない。我が身可愛さに連中は我先と君達を売るだろう」
「そ、そんなっ」
「ご愁傷様ってやつだ。大人しく負けを認めたらどうだ?」
「…っ、煩い! 黙れ黙れ!」
スファイ達が齎した情報に親衛隊…いや、刺客と言い直そう。刺客達に動揺が走る中、かつて親衛隊長と呼ばれていた者が叫んだ。
元親衛隊長は顔を覆っていた布地を破り捨てる。
「我等はっ、無謀で残虐な女王から、我等自身を守る為に崇高な意思を持ってここに来たのだ! 目的は変わらない! 女王に味方する者も全て一纏めに屠ってやる!」
一応、隊長と呼ばれていただけの事はある…と言うべきか。一声で態勢を立て直した。
その内容がカログリア女王達からすれば自己保身を高らかに宣言したものに過ぎなくても、同類には効くらしい…。元隊長に倣ってか、刺客達も次々に顔を明らかにしていった。
「チッ! 往生際の悪い連中だぜ!」
「ぬぐぐ…こんな奴等、いつもなら簡単に片付けられるのにぃ!」
「魔力も命も削ったのに逃げた腰抜けに押されるなんてっ…なんて理不尽!」
「泣き言は後だ後! 魔力も気力も捻り出せ!」
「皆頑張って! 致命傷さえ負わなければ怪我は私が絶対に治すから!」
「トリア、こっちの壁も壊して! 外に出るわよ!」
加勢に現れたのは10名程だが、ただでさえ手狭な部屋に入るとなると更に窮屈になる。
もっと広い場所を確保しようとカログリア女王は先に壁を壊したであろうトリアに声を掛けた。
「逃がすか!!」
刺客の1人が叫んだ途端、カログリア女王の足元に魔法陣が現れる。
「転移魔法!? こんなところで!?」
発動されたのが何の魔法なのか理解したが、回避には間に合わない。一番側にいた親衛隊が伸ばす手を咄嗟に取る事しか出来なかった。
「アクアエ!」
走ってくるトリアの姿を見たのを最後に、視界が光に遮られ、次の瞬間には知らぬ場所に投げ出されていた。
体勢を崩したカログリア女王を親衛隊が抱き止めて支える。
「礼を言います。…ここは?」
「くそっ座標がずれたか…!」
木々がうっそうと生い茂る森の中。カログリア女王が周辺を探ると、元隊長を含めた3名の刺客に気付く。
転移魔法は通常、安全性から人に適用するのは有事以外では避けるべきとされているが…刺客にとっては今がその有事なのだろう。
探る限り、元いた場所からここへ移動したのは5人。カログリア女王と親衛隊1名、そして魔法使いの刺客3名。他は隠れ潜んでもいないようだ。
「ここは墓地に隣接した森の中。貴女に使い捨てられた哀れな同胞達が眠る場所で、貴女にも眠ってもらおうと思ったのだが…上手くいかないものですね」
「森の中で打ち捨てられると言うのもいっそお似合いだ」
「あの裏切り者は俺が片付ける。お前達は女王を」
「わたくし達を切り離すつもりのようですね。これ以上奴等の都合に付き合う必要はありません。わたくしが合わせますので、好きな距離を保つように」
コクリ。また頷き一つで返された。
親衛隊は私語を控えるものではあるが、この状況でなら少しくらい喋っても良いのに。元々無口なのだろうか…。
カログリア女王がそんな事を思っていたら、刺客が向って来た。思考を切り替え玉響を出して構える。月明かりも届かない闇の中で、玉響が帯びる僅かな光がより浮き出ていた。
ーーー強い。
敵に対しての感想ではない。そしてその感想を抱いたのは、カログリア女王だけではなかった。
「貴様っ、実力を隠してっ…何の為に!」
先程の台詞からすぐに倒せると思っていたのだろう、元隊長が忌々しげな声を上げる。
たった1人残った親衛隊は強かった。元隊長に応戦しながらカログリア女王から一定以上は離れず、カログリア女王が押されるや即座に助けに入る。合わせると言ったが、合わせてもらっているのはカログリア女王の方だ。
得意武器と思われる魔短剣を両手に持って、夜の森の中でも早さを一切落とさず駆ける姿はある人物をカログリア女王に想起させた。
ーーー…まさか。
カログリア女王が合わせると言ったのは、自分の方が森の中での戦いに慣れていると思っていたからだ。キーファー家で魔獣を狩るのは森の中であったし、テフル魔法学園に在籍中も武芸クラブでよく森で活動していた。夜も昼も関係ない。魔力不足を差し引いても、経験から合わせ役は自分の方が向いていると思った。
ところが親衛隊は合わせるどころか、カログリア女王の玉響を足場にさえしている。玉響の硬度はカログリア女王の意思一つ。足場にさせようとカログリア女王が意図して動かした物ならともかく、指示なく幾つもある玉響の中で足場に出来る物を瞬時に選び抜いている。
そんな事が出来るのはこの世に1人しかいない。
でもそんなはずはない。
彼が…こんなところにいるはずがないのだから。
戦いの最中に考えている場合ではないのは分かっているが、頭にチラついて上手く消せない。
ーーーまずは敵を一掃してから!!
考えを振り払うように、カログリア女王は玉響の数を増やして大技を放つ。
全ての玉響から一斉に照射する魔力光線砲。一本一本の光線は細くとも威力は人体を貫通する程鋭く、それを一度に全方位へ放つ事で敵の逃げ道を奪う。
味方も巻き添えを食うので1人の時にしか使わないが、何と言うか…、親衛隊なら避けられるとの確信がカログリア女王にあった。
「ぐあぁっ!」
刺客達が苦痛の声を上げながらそれぞれ倒れ伏す。
その様子に一つ息を吐いてからカログリア女王が親衛隊を探すと、丁度地面に着地するところの姿を見付けた。カログリア女王がどんな技を放つのか理解して上空の、一斉照射が届かない位置まで退避したようだ。
カログリア女王が玉響を得意武器にしている事は特に秘密ではないので、知ろうと思えば知れる。しかし、玉響の微細な動きからカログリア女王が次に何を仕掛けようとしているかを把握しきる事は、同じクラスだったラライヤ・テッスートでもついぞ不可能であった。
それが出来たのは、やはり1人だけ…。
実力を隠していたらしい親衛隊。この者がいかに天才であったとしても、急な共闘でカログリア女王と完璧に合わせられるなんて非現実的だ。
一番現実的な答えは、一つ…。
「貴方、は…」
カログリア女王が親衛隊を呼ぼうとした途端、親衛隊がカログリア女王に向かって駆けだした。何事かとカログリア女王が理解する前に親衛隊から押し退けられ、衝撃を感じたと思ったら男の怒声が響く。
「何処までも邪魔をっ!!」
先程の一斉照射の影響で木の枝が幾つも落とされたようで、真っ暗だった森の中へ月の光が届き、何が起こったかをカログリア女王の目にはっきりと見せた。
元隊長の刺客が手にする短剣が、親衛隊の腹部に刺さっている……その様を。
「ぐふっ!」
吐血したらしく親衛隊の顔を覆う布地が赤く染まる。
しかし親衛隊は怯む様子を見せず、己を刺す腕を捕らえて元隊長が何か喚くのに一切耳を貸さずに腕を掴んでいるのとは逆の手に持った魔短剣でその喉を切り裂いた。
「ひぃっ」
元隊長が倒れたのを見て残りの2人が情けない声を上げ、身体を引き摺りながらその場から離れた。
カログリア女王が反応する間もなく親衛隊は逃げた刺客を追って夜の森へ消える。
「ぎゃああ!!」
僅かな時間を置いて悲鳴が2人分。それが何を意味するかは最早説明する必要もない。
取り残されたカログリア女王が茫然と佇んでいると親衛隊が戻ってきた。
刺された腹部を抑えフラフラとした力ない足取りの親衛隊は、カログリア女王の元へ辿り着く手前で膝頭を地に付けた。
「…っ、しっかりして!」
慌ててカログリア女王が駆け寄ると、顔の布地の赤い部分が更に広がったのが見えた。その様子に息を飲むも、カログリア女王は恐る恐る手を伸ばしてその布地を剥いだ。
露わになった顔は…。
「ユージン…さ、ま」
元婚約者、ユージン・キーファーで間違いなかった。
「全員始末しました。残りの連中も駆け付けた皆が逃がす事はしないでしょう。これで大丈夫です」
「なん、で…。ここに?」
会話が噛み合っていないが、気にする余裕はカログリア女王にない。
そんなカログリア女王を見てユージンがフッと微笑んだ。
「キーファー家は? 当主に、おなりのはずじゃ…」
「それは弟ですね。私は貴女を追って中央へ」
「…は?」
「あんな連中しかいなかったのは災難でしたが、お陰で紛れ込めて貴女の側にいる事が出来ました」
ユージンに告げられる言葉がカログリア女王は理解できなかった。
どう言う事かと聞き直したかったが、そうする前にユージンがまた吐血する。
「ユージン様! すみません、話より治療が先でした!」
「あの短剣…毒が塗られていた上に魔力断ちの呪いまで施されている…。用意だけは周到だな。私自身に治療は不可能です」
「で、ではわたくしが!」
「貴女にも無理です。魔力を使い果たしているはずだ」
伸ばした手をユージンに掴まれ、カログリア女王は次に出す言葉が見付からなかった。
魔力が万全でなかった状態から魔力の消費量が多い魔力光線砲の一斉照射を行ったのだ。勝負を決める為で判断が間違っていた訳ではないが、あれで魔力を使い果たしたのは事実だった。
「ですがこのままではっ! そうだっ、急いでルシア先輩を連れてきます!」
「今からでは間に合わない。貴女じゃなくて良かった…」
「馬鹿を仰らないでください!」
カログリア女王の悲鳴にも似た悲痛な声が夜の闇に溶ける。打つ手のない最悪の状況に、まるで迷子ようにカログリア女王はあちらこちらへと視線を泳がせた。
誰でもいい、助けて…。縋る思いしかないが、縋れるものは見当たらなかった。
そんなカログリア女王の様子に、ユージンがまたフッと微笑んだ。
「陛下…いえ、ディーエクタス・アクアエ様。どうか、このままここで、私と話をしてくれませんか」
「ええ?」
「久しぶりに話がしたい。話す事がなくても貴女に、側にいてほしい。私の我が儘を聞き入れてくれませんか?」
にっこりと笑うユージンはいつものユージンで、最悪が迫っているようには見えない。
ユージンがディーエクタス・アクアエに我が儘を言う事は少なかった。学園生時代はクラブの後輩として随分と振り回されたが、婚約者である王女のディーエクタス・アクアエ個人には我が儘を言うどころか、逆に何でも聞き入れる事の方が多かった。
ユージンの笑顔と珍しい我が儘。気付けばディーエクタス・アクアエは大人しく向かい合わせで座っていた。
頭上から伸びる月光の筋が数本、2人を静かに照らす。
「ディーエクタス・アクアエ様は、私がキーファー家の当主になる事が望みだと思っていたようですが…私の望みはそこではありませんよ。まぁ、中途半端になりそうですが」
「望み?」
「私の望みは、貴女の側にあって貴女の望みを叶える事…でした」
目を逸らさず、真っ直ぐにディーエクタス・アクアエを見据えたままにユージンは答える。
「キーファー家当主夫人になりたいのならそれを叶えたかった。王を望むのなら、それを支えたかった。例え貴女の隣に立つ男が私でなくとも、貴女の近くにあった貴女を守り、貴女の望みを叶え続けたかった。出会った時から、それが私の望みでした」
「そんな……そんなの、聞いていません。知りません…」
「初めて言いましたからね」
「し、知っていたらっ…知っていたら、わ、わたくしは…」
当主の妻も王の地位も、ディーエクタス・アクアエが個人で望んだ事なんて一度もない。
一度も、なかった。
それを伝えた事も、一度も…。
「この際我が儘を重ねさせてもらえるのなら、私は来世の約束はしない。肉体が滅んで見えなくなっても、望みを叶える事は出来なくても、貴女の側にいさせてほしい…」
ユージンの心音が聞こえる。
向かい合わせの近くにいても、胸に耳を当てでもしなければ聞こえるはずがないのに。
でも、確かにディーエクタス・アクアエには聞こえていた。
ユージンの心音を聞くのが好きだった。
少し早いようにだけどその一定の音を聞いていると凄く安心できたから。
ずっと聞いていたいと思うのに、気付けばいつも心地よさに眠ってしまっていて……ずっとは聞いていられないのが少し悲しかった。
今、自分は眠くない。
寝ない。
今ならずっと聞いていられる。
気が済むまで、ずっと、ずっと…。
なのに。
ユージンの音がどんどん聞こえなくなるのは何で?
「……嫌です」
「ん?」
「近くじゃ嫌です。見えないのはもっと嫌です! 望みを叶えなくても良いからっちゃんと見える所に! 隣にいてください!」
涙が止め処なく流れる。
「願いを叶えると言うのならっ、ずっと一緒にいて下さい!」
ディーエクタス・アクアエは幼子のように嫌だ嫌だと首を左右に振る。このままユージンがいなくなるのも、それをユージンが受け入れているのも嫌だ。絶対に受け入れられない。
震える手を上げてユージンの目の前で小指だけを立てた。
「一緒じゃなきゃ嫌です」
泣きじゃくるディーエクタス・アクアエにユージンは三度、フッと微笑んで自身の小指を絡めた。
優しい…愛おしげな表情を浮かべながら。
なんて、酷い男…。
「心得ました。ずっと一緒に。ですね」
「ずっと?」
「ずっと」
「ずっと」
「ずっと」
ディーエクタス・アクアエは同じ言葉を繰り返した。
ユージンは同じ言葉を同じだけ返し続けた。
2人でいつまでも、永遠にそうしていたかったけれど……やがて。
「ずっと」
「…ずっと」
「ずっと」
「…っと」
「ずっと」
「…」
「ずっと」
「ずっと」
「…っ、ずっと」
「ずっとっ」
「ずっ…と」
「ずっと…ずっと……ずっと…ずっと…」
言葉は1人分となり、取り残された者の声は夜の闇へ消えていったーーー
世界の一幕ーーー
彼の心音を聞くのが好きだった。
少し早いようだけどその一定の音を聞いていると凄く安心できたから。
******
どうしてこうなったのか…。その経緯が明らかになってきた頃、カログリア女王は寝室の窓から見える月を眺めていた。
そこは仮住まいの王宮。
カログリア王国の王が本来住まうはず王城が跡形もなく吹き飛ばされてから、どれだけ時間が経ったのか…。月日を数えればその短さに誰しもが呆然となる。
ディーエクタス・アクアエがその一方を聞いたのはキーファー家での事。
トラモントによるたった一撃の魔力光線砲により王城も、王も、王族も全て消え去ったと聞いた瞬間、ディーエクタス・アクアエは背筋に冷たい物を押し当てられたような感覚になった。
それは不吉な予感。その予感は当たっていた。
程なくして中央からの迎えが来て、かつてない王国の危機に「魔法使いの王」として立ってほしいと乞われた。
こんな日がいつか来るのではないかと怯え、来ない事を願い続けていた。しかしいざ来てしまえば……自分の力が必要だと言われて、その理由を知っていて、断る選択肢はディーエクタス・アクアエにはない。
同時にこれで彼を、婚約者のユージン・キーファーを開放する事が出来ると思った。
テフル魔法学園を卒業して既に4年。何一つ状況は変わっていなかった。
変えるには…ユージンを次期当主として確実な立場に押し上げるには、ディーエクタス・アクアエが去るのが一番。そう考え至って、どれだけ経ったか。
しかし立場上、中央の許可なくしてキーファー家を離れる事は出来ない。考え至っていたのに、その立場に甘え続けてきた。
やっと来た、変化の時。
ユージンは何も言わなかった。ただ「ディーエクタス・アクアエ様がお決めになればいい」とだけ。
だから…。
「新しい婚約者を迎えて今度こそ当主におなり下さい」
そう告げて、ユージンに背を向けてきた。せてもと、真っ直ぐに伸ばした後ろ姿を彼に見せたのはディーエクタス・アクアエの矜持。
ディーエクタス・アクアエが即位して間もなく、キーファー家の代替わりが恙無く行われた旨の報告を受けた。就任式と共に、新たな当主の結婚式も執り行われたと。
それを聞いただけでディーエクタス・アクアエは1人中央に戻って良かったと思ったのだ。思う事に、したのだ。
とは言え、即位してから早々にカログリア女王は多忙を極めた。
王城を吹き飛ばされた首都メディウムの再建、有力者が一気に消えた事で停滞している内政の立て直し、何より、謀反人ヴァロータ・チャチャイの討伐。
謀反に呼応した地方の鎮圧は魔法師団の働きによって何とか進めていたが、損害はゼロとは言い難い。見知った名前が未帰還者や所在不明者、そして敵対者の名簿に上がる度に胸が締め付けられた。
先立ってはヴァロータ・チャチャイによる首都への直接侵攻。防衛を優先し一般市民への被害を防いだはいいが、魔法師団の被害はあまりにも大きかった。
「ラライヤに続きラズバンとイエラさんまで…。わたくし達の学年は殆ど消えたわね」
防衛を決めたのはカログリア女王だ。戦いの中で決行された幾つもの作戦にも、カログリア女王が許可を下した。
王の決断で多くの人の行末が左右される。覚悟はしていたが、どれだけ覚悟しても足りモノではなかった。
「せめて、ヴァロータ・チャチャイと話す事が出来れば…」
甚大な被害を経てやっと、ヴァロータ・チャチャイが謀反に至った経緯が見えてきた。
西の地方間のいざこざにかこつけた、公正を欠く前国王と中央の思惑。謀反によって生じた被害を考えればヴァロータ・チャチャイを無罪放免とは出来ないが…そもそものきっかけが中央にあるのなら引き継いだ者としたカログリア女王は謝罪も辞さないし、可能な限り温情を掛けようと考える。
話し合えるのならその場にはカログリア女王自ら赴く覚悟だ。その際出来れば、少しでもヴァロータ・チャチャイと良い意味で面識のある者を帯同したい。
聖女ルシア・ヴァーチュはその最たる人物。学園生時代に聞いた話によると、ヴァロータ・チャチャイを治療した命の恩人だとか。その縁をきっかけにルシアが部長を務めていた救護クラブの面々とも良好な関係を築いていた。
ルシアの救護クラブの後輩は4人全員が中央所属の治癒師の道を選んでいる。もっとも今回の事態になってから内3人が未帰還、1人が所在不明…と無事が確認されているのはルシアだけだが。
「……何用か? 呼んだ覚えはありませんよ?」
窓から見える月の光が届かない寝室の奥に、カログリア女王は気配を感じ取る。
それは本来警戒する必要のない気配のはずだが、漂う雰囲気に室内の空気が変わったのを見てカログリア女王は目を眇めた。
「答えよ、親衛隊長。何用で許しも得ず、親衛隊揃ってわたくしの前に出た」
暗闇でも魔法を使えば見る事は容易い。
寝室の奥に並ぶのはカログリア女王の警護と手足となる任を負う親衛隊。個人的感情を抱かないように親衛隊の制服は顔を隠す仕様になっている。が、同じように揃って纏う物々しい雰囲気に、答えを待つまでもなく彼等の要件がカログリア女王は分かった。
「貴女の許しは必要無い。我等が動いたのは総意故。ディーエクタス・アクアエ、如何に魔法使いの王とてこのまま貴女を頂きに座らせてはおけぬ、と」
「総意? わたくしに異を唱える声は知っている。けれど、その大多数が今回の謀反を終えてからとしているのも知っている。あえて問いましょう。わたくしを、今、降ろそうとする意とは何処の極一部が出した総意か?」
早く厄介払いしたい。待望の「魔法使いの王」をなかった事にしたくない。
左右に触れる思惑が未だに残っていることをカログリア女王は知っていた。かつてない規模の謀反を収束する為に、その責任を負わせる為に体よく担ぎ出された事も。
だからこそ、今はまだ玉座から下ろされないとも知っている
「所詮は急ごしらえの烏合の衆か。仮にも親衛隊の名を冠する者達が極一部の意に流されるとは、何と情けない…」
前王の親衛隊は主である国王だけでなく人員を選出する機関と共に吹き飛んだ。
カログリア女王の即位に際し新たに編成され体裁こそ整えられたが、身辺調査も碌に行われていない寄せ集め集団に過ぎない。
「我々は誰かの思惑に感化されてここに来たのではない! 自分の意思でここにいる!」
「全ては女王、貴様が同胞たる魔法使いを使い捨てにしている事が原因なのだ」
「先の攻防戦でどれだけの魔法使いが犠牲になった!? 一般人に重きを置いたばかりに、貴重な魔法使いが大勢犠牲になったのだぞ!」
「それだけではない、その前にはフリーの魔法使いの一団を討伐に向かわせたが誰一人として帰ってこなかった」
「全部貴様の他者を顧みない無謀で残虐な決断が招いた事!」
「こんな事、前の陛下達なら起こらなかったはずだ!」
所詮と言うなら、廃籍された王弟の孫で、辺境で蛮族と育ち王族教育もまともに受けてこなかったカログリア女王の方だと親衛隊は吐き捨てる。
「同胞達は怯えている。次は自分が使い捨てにされるのではないかと。そして魔法使いを使い果たせば、次は一般人となるであろう!」
「これ以上貴女の暴挙を見過ごしていては、侵略される前に国は滅んでしまうと我等は答えに辿り着いたのだ」
「我等は自分と国を守る為にここに来た。つまり自衛であり、けっして謀反などではない」
「理解していただけたなら、あまり手こずらせてもらえないと助かる。抵抗したところでこの数の差だ。無駄な事だと貴女にも分かるだろう?」
親衛隊はそれぞれに武器を構えた。
彼等の主張を黙って聞いてやっていたカログリア女王は、やっと終わったかと小さく一息吐く。
まぁ要するに、なかなかヴァロータ・チャチャイを倒せない不満や先行きの不安を、とにかくカログリア女王を玉座から引きずり下ろしたい者達に煽られ利用されたと言う訳か。
事情は理解した。しかし、それだけだ。
「ふっ、ふふふ」
笑い出すカログリア女王に親衛隊はたじろぎを見せる。
「全員で掛かればわたくしの首が取れると? ずいぶんと舐められたものね。わたくしを誰と心得る。テフル魔法学園にあっては常に学年一位を維持し首席で卒業した最優秀者。そして中央に戻るまでは、あのユージン・キーファー様の隣に誰よりもあった者だ」
カログリア女王の声に動揺の色はなく、堂々とした佇まいはこの状況においても彼女が「王」である事を示していた。
「この意味を分からぬのなら…事情は酌めども素性は「愚か」の一つで十分」
音もなくカログリア女王の周囲に無数の光の玉が現れる。
遠隔起動操作魔法玉響。光の玉…玉響を遠隔で操作するだけのようで、魔法使い個人の力量差が顕著に現れる魔法の一つ。
習ったばかりの1年生が一つの玉響をただ動かすのがやっとなのに対し、熟練度を上げれば一度に動かす数が増えるだけでなく、玉響による体当たりや魔力光線砲を打ち出すなどの攻撃が可能となる。盾にも使え、まさに攻防一体の魔法である。
カログリア女王は在学中にそれを自身の得意武器と定めた。
「さぁ愚かなる者達よ、このディーエクタス・アクアエ・カログリアの首、取れるものなら取ってみるがいい!」
親衛隊が襲いかかるのに合わせてカログリア女王も玉響にて応戦する。
仮住まいとは言え王の寝室なだけあって広さは十分。だが、カログリア女王と親衛隊20名程が暴れるとなると流石に手狭だ。
襲撃を伝える為にも外に出たいとは思うが、魔法が掛けられ容易には開かない。いや本当なら開けられる…優秀なカログリア女王なら。襲撃中でさえなければ。
親衛隊の全員が魔法使いと言うわけではない。親衛隊長とその他合わせて5人ほどが魔法使いで、残りは一般人からの選出だったはず。志や精神面の方はともかく、腕だけは一般人でもそれなりの者が選ばれている。
狭い上に、多勢に無勢。本意ではないが更に加えると、先の首都攻防戦でカログリア女王は多くの魔力を消費しており万全の状態とは言えない。
強気な態度とは裏腹に、状況は限りなく悪い。
ーーーそれでも降伏はない!
元々、玉座に長く居座る気はカログリア女王にはない。それ以前に乞われなければ、座るつもりもなかったのだから。
未練など一欠けらもない。
それでも、彼等に黙って殺されてやる理由にはならない。体よくであっても、負わされるであっても、謀反を終息させ諸々の処理を片付けてからちゃんと責任を持って自らの意思で降りると決めている。
「覚悟っ!!」
意地で応戦していたが一瞬の隙を、一本の剣が突く。
向ってくる切っ先が身体に刺さるのをカログリア女王が覚悟した時…。
「何をする!」
「貴様っ、何の真似だ!」
親衛隊の1人が飛び出して、目にもとまらぬ速さでカログリア女王に刺さる前に剣を叩き落とした。
その行為に驚いたのはカログリア女王だけではなく、その者にとっては味方であるはずの親衛隊まで驚愕の表情を浮かべていた。
何故? カログリア女王が疑問を口にするより先に、部屋の壁が外からの衝撃で吹き飛ぶ。
「生きているかアクアエ!」
「トリア!?」
「アンタ何生意気にも暗殺されかけてんのよ! 実は王女だったとか、ホントいい加減にして! ふざけるのはデカ過ぎる態度だけにしなさいアホ!」
「なっ。誰が、いつ、何をふざけたですって!? だいたい女王に向かってアホとは何よアホとはっ、不敬よ不敬!」
穴が空いた壁からまず現れたのは、テフル魔法学園でクラスこそ違っていたが在学期間中何かと張り合っていた元同級生、トリア・ヴァイデンフェラーだった。
卒業以来の再会…と言う訳ではなく、中央所属のトリアとは即位以降何度も顔を合わせているし首都攻防戦では防御魔法を得意とする彼女を主軸としていたので戦いが終わるまでずっと近くにいた。その間トリアはカログリア女王を王として敬意を払う対応しかしていなかった。
それなのに、かつての呼び名を呼びながら駆け付け、カログリア女王の姿を見るや学園生の頃のように顔を顰めるではないか。ついカログリア女王も、昔のように反応してしまった。
「もー2人とも喧嘩しなーい。陛下、ううん、フラット! 加勢に来たよ!」
「ヴァーチュ先輩も…どうして」
続いて顔を出したのはルシア・ヴァーチュ。こちらとも何度も顔を合わせていたし、全て王と臣下の接し方だった。あえて呼び直したルシアに、かつて記憶が呼び起こされてカログリア女王の目頭が熱くなる。
「1人で心細かったよね。もう大丈夫、フラットの味方はちゃんといるって事」
ルシアが指差したのは、いつの間にかカログリア女王を背に庇うように立っていた親衛隊の1人。先程当たりそうになった攻撃を叩き落とした者に違いなかった。
その者と駆け付けた魔法使い達を見て、親衛隊に動揺が走る。
「裏切り者がいたのか!?」
「馬鹿野郎が、それはお前等だよ! 女王を守る親衛隊がその女王を襲うなんて、恥を知りやがれ!」
「スファイ先輩…」
親衛隊の動揺に怒鳴り付けたのはロクヤ・サティ・スファイ。背後にはまた別の見知った顔。その全員が身体のどこかしこに治療の跡を残している。
「先輩方…。皆さん、戦い明けでまだ疲れているのに…」
「それで後輩を見捨てる薄情な先輩はテフル魔法学園の卒業生にはいないってね」
「全快には程遠いけど、後輩の為に頑張っちゃうよー」
「魔力捻り出せ! フラットを守るぞ!!」
スファイの号令を合図に駆け付けた者達が部屋へとなだれ込む。
「何故…何故なんだ、お前達も魔法使いだろ! この女を王のままにしていたら、いつ自分達が良いように使われるか、何故分からないんだ!?」
「あいにくと俺達はフラットがそんな奴じゃないって知っているんだよ」
「て言うか、民衆を守るって一切逃げなかったアクアエを見ていて良くそう疑えるわね! 頭アホ過ぎじゃない!? …今気付いちゃったけど、アンタ達こそ戦いの間何処にいたのよ? いなかったわよね?」
「わ、我々は待機を命じられて、それで…!」
「無理に付いてこなくていい。防御塀の中にあって民衆を守るのも重要な役目だ…と言った後、親衛隊は1人しか残らなかったわね。あれも其方か?」
トリアの言葉にカログリア女王もそう言えばと思い出し自分を庇う親衛隊に尋ねると、コクリと頷きだけを返された。
どうやら親衛隊の裏切りを彼等に伝えたのは、この者のようだ。そして応援が到着するまで親衛隊の中にあって付かず離れずの位置からカログリア女王を守り続けていた。
この者には礼をしなければとカログリア女王は思う。
「ハッ! つまり逃げ出した腰抜けの集まりって事か」
「だ、黙れ! 我等は…!」
「そんなお前等に良い話を聞かせてやるよ。ゲシル」
「はいはい。中立派の最大派閥だったクライン家が正式に女王支持へ回ったそうだ。もともと支持よりではあったけどクライン家のご令嬢の婚姻が決まり、これを機に中央の勢力図は一気に塗り替わる。クライン家は商売に堅い家だし、ご令嬢の婚姻先も幅広い人脈を持つ家。君達を唆した連中がこの波に逆らう事は絶対にない。我が身可愛さに連中は我先と君達を売るだろう」
「そ、そんなっ」
「ご愁傷様ってやつだ。大人しく負けを認めたらどうだ?」
「…っ、煩い! 黙れ黙れ!」
スファイ達が齎した情報に親衛隊…いや、刺客と言い直そう。刺客達に動揺が走る中、かつて親衛隊長と呼ばれていた者が叫んだ。
元親衛隊長は顔を覆っていた布地を破り捨てる。
「我等はっ、無謀で残虐な女王から、我等自身を守る為に崇高な意思を持ってここに来たのだ! 目的は変わらない! 女王に味方する者も全て一纏めに屠ってやる!」
一応、隊長と呼ばれていただけの事はある…と言うべきか。一声で態勢を立て直した。
その内容がカログリア女王達からすれば自己保身を高らかに宣言したものに過ぎなくても、同類には効くらしい…。元隊長に倣ってか、刺客達も次々に顔を明らかにしていった。
「チッ! 往生際の悪い連中だぜ!」
「ぬぐぐ…こんな奴等、いつもなら簡単に片付けられるのにぃ!」
「魔力も命も削ったのに逃げた腰抜けに押されるなんてっ…なんて理不尽!」
「泣き言は後だ後! 魔力も気力も捻り出せ!」
「皆頑張って! 致命傷さえ負わなければ怪我は私が絶対に治すから!」
「トリア、こっちの壁も壊して! 外に出るわよ!」
加勢に現れたのは10名程だが、ただでさえ手狭な部屋に入るとなると更に窮屈になる。
もっと広い場所を確保しようとカログリア女王は先に壁を壊したであろうトリアに声を掛けた。
「逃がすか!!」
刺客の1人が叫んだ途端、カログリア女王の足元に魔法陣が現れる。
「転移魔法!? こんなところで!?」
発動されたのが何の魔法なのか理解したが、回避には間に合わない。一番側にいた親衛隊が伸ばす手を咄嗟に取る事しか出来なかった。
「アクアエ!」
走ってくるトリアの姿を見たのを最後に、視界が光に遮られ、次の瞬間には知らぬ場所に投げ出されていた。
体勢を崩したカログリア女王を親衛隊が抱き止めて支える。
「礼を言います。…ここは?」
「くそっ座標がずれたか…!」
木々がうっそうと生い茂る森の中。カログリア女王が周辺を探ると、元隊長を含めた3名の刺客に気付く。
転移魔法は通常、安全性から人に適用するのは有事以外では避けるべきとされているが…刺客にとっては今がその有事なのだろう。
探る限り、元いた場所からここへ移動したのは5人。カログリア女王と親衛隊1名、そして魔法使いの刺客3名。他は隠れ潜んでもいないようだ。
「ここは墓地に隣接した森の中。貴女に使い捨てられた哀れな同胞達が眠る場所で、貴女にも眠ってもらおうと思ったのだが…上手くいかないものですね」
「森の中で打ち捨てられると言うのもいっそお似合いだ」
「あの裏切り者は俺が片付ける。お前達は女王を」
「わたくし達を切り離すつもりのようですね。これ以上奴等の都合に付き合う必要はありません。わたくしが合わせますので、好きな距離を保つように」
コクリ。また頷き一つで返された。
親衛隊は私語を控えるものではあるが、この状況でなら少しくらい喋っても良いのに。元々無口なのだろうか…。
カログリア女王がそんな事を思っていたら、刺客が向って来た。思考を切り替え玉響を出して構える。月明かりも届かない闇の中で、玉響が帯びる僅かな光がより浮き出ていた。
ーーー強い。
敵に対しての感想ではない。そしてその感想を抱いたのは、カログリア女王だけではなかった。
「貴様っ、実力を隠してっ…何の為に!」
先程の台詞からすぐに倒せると思っていたのだろう、元隊長が忌々しげな声を上げる。
たった1人残った親衛隊は強かった。元隊長に応戦しながらカログリア女王から一定以上は離れず、カログリア女王が押されるや即座に助けに入る。合わせると言ったが、合わせてもらっているのはカログリア女王の方だ。
得意武器と思われる魔短剣を両手に持って、夜の森の中でも早さを一切落とさず駆ける姿はある人物をカログリア女王に想起させた。
ーーー…まさか。
カログリア女王が合わせると言ったのは、自分の方が森の中での戦いに慣れていると思っていたからだ。キーファー家で魔獣を狩るのは森の中であったし、テフル魔法学園に在籍中も武芸クラブでよく森で活動していた。夜も昼も関係ない。魔力不足を差し引いても、経験から合わせ役は自分の方が向いていると思った。
ところが親衛隊は合わせるどころか、カログリア女王の玉響を足場にさえしている。玉響の硬度はカログリア女王の意思一つ。足場にさせようとカログリア女王が意図して動かした物ならともかく、指示なく幾つもある玉響の中で足場に出来る物を瞬時に選び抜いている。
そんな事が出来るのはこの世に1人しかいない。
でもそんなはずはない。
彼が…こんなところにいるはずがないのだから。
戦いの最中に考えている場合ではないのは分かっているが、頭にチラついて上手く消せない。
ーーーまずは敵を一掃してから!!
考えを振り払うように、カログリア女王は玉響の数を増やして大技を放つ。
全ての玉響から一斉に照射する魔力光線砲。一本一本の光線は細くとも威力は人体を貫通する程鋭く、それを一度に全方位へ放つ事で敵の逃げ道を奪う。
味方も巻き添えを食うので1人の時にしか使わないが、何と言うか…、親衛隊なら避けられるとの確信がカログリア女王にあった。
「ぐあぁっ!」
刺客達が苦痛の声を上げながらそれぞれ倒れ伏す。
その様子に一つ息を吐いてからカログリア女王が親衛隊を探すと、丁度地面に着地するところの姿を見付けた。カログリア女王がどんな技を放つのか理解して上空の、一斉照射が届かない位置まで退避したようだ。
カログリア女王が玉響を得意武器にしている事は特に秘密ではないので、知ろうと思えば知れる。しかし、玉響の微細な動きからカログリア女王が次に何を仕掛けようとしているかを把握しきる事は、同じクラスだったラライヤ・テッスートでもついぞ不可能であった。
それが出来たのは、やはり1人だけ…。
実力を隠していたらしい親衛隊。この者がいかに天才であったとしても、急な共闘でカログリア女王と完璧に合わせられるなんて非現実的だ。
一番現実的な答えは、一つ…。
「貴方、は…」
カログリア女王が親衛隊を呼ぼうとした途端、親衛隊がカログリア女王に向かって駆けだした。何事かとカログリア女王が理解する前に親衛隊から押し退けられ、衝撃を感じたと思ったら男の怒声が響く。
「何処までも邪魔をっ!!」
先程の一斉照射の影響で木の枝が幾つも落とされたようで、真っ暗だった森の中へ月の光が届き、何が起こったかをカログリア女王の目にはっきりと見せた。
元隊長の刺客が手にする短剣が、親衛隊の腹部に刺さっている……その様を。
「ぐふっ!」
吐血したらしく親衛隊の顔を覆う布地が赤く染まる。
しかし親衛隊は怯む様子を見せず、己を刺す腕を捕らえて元隊長が何か喚くのに一切耳を貸さずに腕を掴んでいるのとは逆の手に持った魔短剣でその喉を切り裂いた。
「ひぃっ」
元隊長が倒れたのを見て残りの2人が情けない声を上げ、身体を引き摺りながらその場から離れた。
カログリア女王が反応する間もなく親衛隊は逃げた刺客を追って夜の森へ消える。
「ぎゃああ!!」
僅かな時間を置いて悲鳴が2人分。それが何を意味するかは最早説明する必要もない。
取り残されたカログリア女王が茫然と佇んでいると親衛隊が戻ってきた。
刺された腹部を抑えフラフラとした力ない足取りの親衛隊は、カログリア女王の元へ辿り着く手前で膝頭を地に付けた。
「…っ、しっかりして!」
慌ててカログリア女王が駆け寄ると、顔の布地の赤い部分が更に広がったのが見えた。その様子に息を飲むも、カログリア女王は恐る恐る手を伸ばしてその布地を剥いだ。
露わになった顔は…。
「ユージン…さ、ま」
元婚約者、ユージン・キーファーで間違いなかった。
「全員始末しました。残りの連中も駆け付けた皆が逃がす事はしないでしょう。これで大丈夫です」
「なん、で…。ここに?」
会話が噛み合っていないが、気にする余裕はカログリア女王にない。
そんなカログリア女王を見てユージンがフッと微笑んだ。
「キーファー家は? 当主に、おなりのはずじゃ…」
「それは弟ですね。私は貴女を追って中央へ」
「…は?」
「あんな連中しかいなかったのは災難でしたが、お陰で紛れ込めて貴女の側にいる事が出来ました」
ユージンに告げられる言葉がカログリア女王は理解できなかった。
どう言う事かと聞き直したかったが、そうする前にユージンがまた吐血する。
「ユージン様! すみません、話より治療が先でした!」
「あの短剣…毒が塗られていた上に魔力断ちの呪いまで施されている…。用意だけは周到だな。私自身に治療は不可能です」
「で、ではわたくしが!」
「貴女にも無理です。魔力を使い果たしているはずだ」
伸ばした手をユージンに掴まれ、カログリア女王は次に出す言葉が見付からなかった。
魔力が万全でなかった状態から魔力の消費量が多い魔力光線砲の一斉照射を行ったのだ。勝負を決める為で判断が間違っていた訳ではないが、あれで魔力を使い果たしたのは事実だった。
「ですがこのままではっ! そうだっ、急いでルシア先輩を連れてきます!」
「今からでは間に合わない。貴女じゃなくて良かった…」
「馬鹿を仰らないでください!」
カログリア女王の悲鳴にも似た悲痛な声が夜の闇に溶ける。打つ手のない最悪の状況に、まるで迷子ようにカログリア女王はあちらこちらへと視線を泳がせた。
誰でもいい、助けて…。縋る思いしかないが、縋れるものは見当たらなかった。
そんなカログリア女王の様子に、ユージンがまたフッと微笑んだ。
「陛下…いえ、ディーエクタス・アクアエ様。どうか、このままここで、私と話をしてくれませんか」
「ええ?」
「久しぶりに話がしたい。話す事がなくても貴女に、側にいてほしい。私の我が儘を聞き入れてくれませんか?」
にっこりと笑うユージンはいつものユージンで、最悪が迫っているようには見えない。
ユージンがディーエクタス・アクアエに我が儘を言う事は少なかった。学園生時代はクラブの後輩として随分と振り回されたが、婚約者である王女のディーエクタス・アクアエ個人には我が儘を言うどころか、逆に何でも聞き入れる事の方が多かった。
ユージンの笑顔と珍しい我が儘。気付けばディーエクタス・アクアエは大人しく向かい合わせで座っていた。
頭上から伸びる月光の筋が数本、2人を静かに照らす。
「ディーエクタス・アクアエ様は、私がキーファー家の当主になる事が望みだと思っていたようですが…私の望みはそこではありませんよ。まぁ、中途半端になりそうですが」
「望み?」
「私の望みは、貴女の側にあって貴女の望みを叶える事…でした」
目を逸らさず、真っ直ぐにディーエクタス・アクアエを見据えたままにユージンは答える。
「キーファー家当主夫人になりたいのならそれを叶えたかった。王を望むのなら、それを支えたかった。例え貴女の隣に立つ男が私でなくとも、貴女の近くにあった貴女を守り、貴女の望みを叶え続けたかった。出会った時から、それが私の望みでした」
「そんな……そんなの、聞いていません。知りません…」
「初めて言いましたからね」
「し、知っていたらっ…知っていたら、わ、わたくしは…」
当主の妻も王の地位も、ディーエクタス・アクアエが個人で望んだ事なんて一度もない。
一度も、なかった。
それを伝えた事も、一度も…。
「この際我が儘を重ねさせてもらえるのなら、私は来世の約束はしない。肉体が滅んで見えなくなっても、望みを叶える事は出来なくても、貴女の側にいさせてほしい…」
ユージンの心音が聞こえる。
向かい合わせの近くにいても、胸に耳を当てでもしなければ聞こえるはずがないのに。
でも、確かにディーエクタス・アクアエには聞こえていた。
ユージンの心音を聞くのが好きだった。
少し早いようにだけどその一定の音を聞いていると凄く安心できたから。
ずっと聞いていたいと思うのに、気付けばいつも心地よさに眠ってしまっていて……ずっとは聞いていられないのが少し悲しかった。
今、自分は眠くない。
寝ない。
今ならずっと聞いていられる。
気が済むまで、ずっと、ずっと…。
なのに。
ユージンの音がどんどん聞こえなくなるのは何で?
「……嫌です」
「ん?」
「近くじゃ嫌です。見えないのはもっと嫌です! 望みを叶えなくても良いからっちゃんと見える所に! 隣にいてください!」
涙が止め処なく流れる。
「願いを叶えると言うのならっ、ずっと一緒にいて下さい!」
ディーエクタス・アクアエは幼子のように嫌だ嫌だと首を左右に振る。このままユージンがいなくなるのも、それをユージンが受け入れているのも嫌だ。絶対に受け入れられない。
震える手を上げてユージンの目の前で小指だけを立てた。
「一緒じゃなきゃ嫌です」
泣きじゃくるディーエクタス・アクアエにユージンは三度、フッと微笑んで自身の小指を絡めた。
優しい…愛おしげな表情を浮かべながら。
なんて、酷い男…。
「心得ました。ずっと一緒に。ですね」
「ずっと?」
「ずっと」
「ずっと」
「ずっと」
ディーエクタス・アクアエは同じ言葉を繰り返した。
ユージンは同じ言葉を同じだけ返し続けた。
2人でいつまでも、永遠にそうしていたかったけれど……やがて。
「ずっと」
「…ずっと」
「ずっと」
「…っと」
「ずっと」
「…」
「ずっと」
「ずっと」
「…っ、ずっと」
「ずっとっ」
「ずっ…と」
「ずっと…ずっと……ずっと…ずっと…」
言葉は1人分となり、取り残された者の声は夜の闇へ消えていったーーー
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