58 / 106
第二章 拡がりゆく世界
第55話 ヨハネの決意
しおりを挟む
次の日、ばらされた織機が箱詰めで届いた。その箱はヨハネと住人の男奉公人たちが運び、組み立てはメグたちが行う事になった。ヨハネは組み立てもやると主張したが、自分たちの使う道具は自分たちで組み立てた方がいいのよ、とメグは譲らなかった。
2階の寝室からはさっきの娘たちが騒いでいるのが聞こえた。メグは、みんな新しい環境に興奮してるのよ、とやんわりと弁護した。どうであれ、若い娘たちの騒ぎ声は工房を活力で満たした。
その時、馬のいななきと蹄ひずめの音が聞こえた。
全体を真っ黒に塗られた馬車が2台、工房の横の道を通り過ぎたのだ。それは商会の奴隷用馬車だった。馬車の横側には、空気を通すための縦長の隙間が幾つか切られていた。
そこからは大きく見開かれた人間の目が幾つもこちら側を睨んでいた。
そのさまは、木の隙間に住む単眼の生き物が、異界いかいからこちらを覗き込こんでいるように見えた。
その動く監獄は、周囲を威圧しながら大通りから商会横の路地に入って行った。メグは窓の外に目をやると、両腕で自分の肩を抱きかかえた。
「あれは何?」
「奴隷用の馬車だよ。奴隷たちを奴隷市から連れ帰ったんだ」
ヨハネは小さな声で言った。
「あなたも奴隷の売り買いをするの?」
メグは顔を青白くして尋ねた。
「いや、奴隷の売買をするのはカピタンだけだ」
「でも、奉公人頭なら手伝う事はあるんでしょ?」
「馬車の護衛や支払いを手伝う事はある」
ヨハネはまた小さな声で言った。
「あなたもいつか奴隷商人になるの?」
メグは両肩を両腕で抱き抱えたまま、目を細めて尋ねた。
「……そんなの分からないよ。……いや、奴隷商人にはならない」
ヨハネは低くて小さな声で、腹に力を入れて言った。
「でも、あなたは奴隷売買をしてる商会で働いてるのよ。しかも奉公人の頭でしょ。このままこの商会に居続けるなら、いずれ奴隷の売り買いや品定めをする立場になるわよ」
「……ああ、そうなるかもしれない、いや、でも」
ヨハネは3年前を思い出した。唇が震え、目に涙が滲んだ。カラタチの白い花、柊モクセイの葉に滲んだ赤い血、青い月の光。
「私は絶対に奴隷商人にはならない」
ヨハネは低く強い声で囁くと、唇を結んだ。そしてメグの瞳を正面から真っ直ぐに見つめた。メグはヨハネの様子から何かを察して、視線を左右に揺らした。
「ごめんなさい。あなたを追い詰めるつもりはなかったの。でもその言葉、わたしは嬉しいわ」
そう言うとメグは階段を駆け上がって、2階に行ってしまった。上からは娘たちがメグを迎えて歓声を上げていた。メグは本当に彼女たちに好かれているようだった。
ヨハネの心臓は痛いほど拍動していた。何か彼の人生を決める大きな決断がいま起こったのだろう、彼はそう感じた。彼は自分の心臓が収まるのを待ちながら、窓の外を見た。
その先の生垣には真っ白なカラタチの花が咲いていた。
2階の寝室からはさっきの娘たちが騒いでいるのが聞こえた。メグは、みんな新しい環境に興奮してるのよ、とやんわりと弁護した。どうであれ、若い娘たちの騒ぎ声は工房を活力で満たした。
その時、馬のいななきと蹄ひずめの音が聞こえた。
全体を真っ黒に塗られた馬車が2台、工房の横の道を通り過ぎたのだ。それは商会の奴隷用馬車だった。馬車の横側には、空気を通すための縦長の隙間が幾つか切られていた。
そこからは大きく見開かれた人間の目が幾つもこちら側を睨んでいた。
そのさまは、木の隙間に住む単眼の生き物が、異界いかいからこちらを覗き込こんでいるように見えた。
その動く監獄は、周囲を威圧しながら大通りから商会横の路地に入って行った。メグは窓の外に目をやると、両腕で自分の肩を抱きかかえた。
「あれは何?」
「奴隷用の馬車だよ。奴隷たちを奴隷市から連れ帰ったんだ」
ヨハネは小さな声で言った。
「あなたも奴隷の売り買いをするの?」
メグは顔を青白くして尋ねた。
「いや、奴隷の売買をするのはカピタンだけだ」
「でも、奉公人頭なら手伝う事はあるんでしょ?」
「馬車の護衛や支払いを手伝う事はある」
ヨハネはまた小さな声で言った。
「あなたもいつか奴隷商人になるの?」
メグは両肩を両腕で抱き抱えたまま、目を細めて尋ねた。
「……そんなの分からないよ。……いや、奴隷商人にはならない」
ヨハネは低くて小さな声で、腹に力を入れて言った。
「でも、あなたは奴隷売買をしてる商会で働いてるのよ。しかも奉公人の頭でしょ。このままこの商会に居続けるなら、いずれ奴隷の売り買いや品定めをする立場になるわよ」
「……ああ、そうなるかもしれない、いや、でも」
ヨハネは3年前を思い出した。唇が震え、目に涙が滲んだ。カラタチの白い花、柊モクセイの葉に滲んだ赤い血、青い月の光。
「私は絶対に奴隷商人にはならない」
ヨハネは低く強い声で囁くと、唇を結んだ。そしてメグの瞳を正面から真っ直ぐに見つめた。メグはヨハネの様子から何かを察して、視線を左右に揺らした。
「ごめんなさい。あなたを追い詰めるつもりはなかったの。でもその言葉、わたしは嬉しいわ」
そう言うとメグは階段を駆け上がって、2階に行ってしまった。上からは娘たちがメグを迎えて歓声を上げていた。メグは本当に彼女たちに好かれているようだった。
ヨハネの心臓は痛いほど拍動していた。何か彼の人生を決める大きな決断がいま起こったのだろう、彼はそう感じた。彼は自分の心臓が収まるのを待ちながら、窓の外を見た。
その先の生垣には真っ白なカラタチの花が咲いていた。
0
あなたにおすすめの小説
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる