ガレオン船と茶色い奴隷

芝原岳彦

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第三章 流転する運命

第63話 もはや若者に非ず

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「あの……」

 ヨハネは寄り添っている二つの人影に声を掛けた。それらの人影は身を震わせると、動揺どうよう息音いきおとを立てながら、大きな影は前に出て胸を張り、小さな影はその後ろに隠れた。



「誰だ!」

 その大きな影は鋭く言った。

「私だ。ヨハネだ」

「えっ。かしらですか」

 その声は間違いなくパウロだった。

「後ろにいるのはセシリアだね?」

「……はい……」



 震えた声で暗闇から返事が聞こえた。

 ヨハネは暗さの中で目が慣れてきた。パウロは警戒と威嚇いかくの入り混じった目でヨハネを見ていた。その背中に隠れてセシリアが目を恐怖で左右に揺らしていた。



 カエルたちの呼び合う声が響く中で3人はしばらく無言だった。



「あのね。あの……」

 ヨハネは言葉に詰まった。彼は今まで男同士の殴り合いや取っ組み合いの大げんかを仲裁した経験はあった。



 解決方法は至極簡単で、彼らに水をぶっ掛ければよかった。仲の悪い人足たちは簡単な作業を短い時間ともにさせた後、同じ場所で同じ食事を採らせればよかった。それでも決定的に相性の悪い人足たちは、職場を離して一切接触がないように計らった。



 しかし若い男女を扱うのは初めてだった。とにかく仕事の支障が出ないようにすればいいのだ。そして2人に奉公契約期間きかんは決して仕事を離れないように言えばいいだけだった。



 ヨハネは深呼吸をすると話し出した。

「あの、そんなに怖がらないでくれ。何でもないことな……」

「いったい何が悪いんですか」

 パウロは怒鳴った。周りのラーナたちの声が一斉に止まった。

「大好きな女の子と毎日ここで逢ってるだけです。誰にも迷惑掛けていません」

「いや、そうじゃない……」

「僕たちがここで逢おうとすると、みんな邪魔するんですよ。セシリアもやっと抜け出してきた所なんです。意地悪なあの女奉公人頭から逃れてやっとここに来たんです。やっと逢えたんです。そしたら今度はヨハネの頭ですか! なんでそっとしておいてくれないんですか!」



 そうまくしたてるとパウロはヨハネをにらみ付けた。その後ろに隠れているセシリアも目線をとどめてヨハネをじっと睨んだ。



「そうじゃない。そうじゃないんだ。取りあえず聞いてくれよ」

「僕たち、結婚するんです」

 パウロは高らかに宣言した。

「結婚だって!」

「そうです。僕は馬車を引いて人を乗せる仕事をするんです。最近そういう商売が流行ってるのは頭もご存知でしょう。セシリアは家で布を織るんです。セシリアは麻でも絹でも織れるんです。工房にあるような立派な機械でなくても造れるんです。そうやって2人で暮らすんです。どこかに部屋を借りて2人で暮らすんです。もう約束したんだ。決めたんだ。誰にも邪魔はさせない」



 ヨハネは戸惑った。パウロは完全に興奮していた。セシリアもそうだろう。だが2人ともまだ15歳だ。



「いや、あのね、ここで2人が逢うのは構わない。まったく問題ないんだよ。だけどね、2人ともまだ奉公契約の間だろ。という事はいまどこかに行っちゃうと奉公契約を破った事になるんだ。債務奴隷の身分になって返す事になるんだ。だから、結婚してどこかに住むのは無理なんだよ。パウロの奉公人契約は6年間。セシリアはいま請け負ってる量の布を織りあげるまでは好きにできないんだよ。それが分かってほしいだけなんだよ」



 ヨハネは戸惑いながらも声を落としてゆっくりと話した。パウロとセシリアは微動だにしなかったが、2人とも息を殺して肩を上下させていた。2人は、自分たちが傲慢ごうまんで無神経な男に不当に攻撃されている、と感じているに違いなかった。ヨハネにはそれが分かった。

 2人の若くてみずみずしい瞳は、針のような視線を彼の顔と胴体に放っていた。2人は石のように動かなかったが、やがてパウロは、「行こう」と小さな声でセシリアに囁くと、右肩でヨハネの肩を軽くけながら大股で林を出て行った。その後、セシリアは小走りで追いかけて行った。彼女はヨハネの隣を通る瞬間、顔の向きを変えずに瞳を横に向け、刺すような視線でヨハネの顔を見上げた。彼女はヨハネより頭一つ分背が低かった。



 ヨハネはワクワクの村の出身だ。

 さげすみの視線は何度も受けてきた。

 その視線は彼の茶色い肌に注がれた。



 だが、今夜受けた視線は別のものだった。それは自分より若い2人の男女が、自分たちを抑圧する存在にあらがう視線だった。おそらくヨハネも過去、他人に対して同じような視線を送っただろう。彼は今、それを浴びる側に回っていた。



 ヨハネは、未経験の眩暈めまいを感じた。



 あの2人はヨハネを憎むだろう。それに加えて、先日ケンカをしたペテロとの関係も壊れたままだった。
 あれ以来、1度もペテロと口をきいていない。
 合ってもいない。
 彼はエル・デルタじゅうの市場を回っているはずだった。もしかしたら自分は貴重なものを立て続けに失ったのかもしれない、そう思うと生暖かい夜の空気の中で、青白い月明かりを浴びながら、ヨハネはやりきれない思いを深くて長いため息にして吐き出した。
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