トノサマニンジャ 外伝 『剣客 原口源左衛門』

原口源太郎

文字の大きさ
19 / 26
第三章

しおりを挟む
 侍は源左衛門の姿を見て驚いたようであった。この辺りの長屋に暮らすのはほとんどが町人だからである。
「朝からすみません」
 武士の姿の源左衛門を見て、若い侍は隣の住人に話した時とは明らかに違う口調になって言った。
「何かあったのですか?」
 源左衛門が侍に尋ねた。
「昨夜、商家に押し入りがあり、金品が盗まれました。失礼ですが、部屋の中を改めさせていただきたい」
「雪乃」
 源左衛門は奥の部屋の雪乃に声をかけた。
 はい、という返事をして雪乃がふすまを開けた。
「どうぞ」
 源左衛門は侍を室内へ招き入れた。室内といっても、土間に続く一間と、ふすまで仕切られた先に小部屋があるのみである。
「失礼しました」
 小さな押入れを覗きこんだ後で、侍はそう言って頭を下げて出ていった。
「何だ何だ、朝っぱらから」
 しばらくして隣から大工の政の威勢のいい声が聞こえてきた。

 朝食を済ませた後、源左衛門が中川の道場に行くと、稽古場は閑散としていた。
「手の空いている藩士は皆、駆り出されたよ」
 道場の師範で、年老いた中川が言った。
「商家に押し入りがあったと聞きましたが」
「城下一の繁栄を誇ると言われてきた三河屋に賊が押し入り、家族全員に住み込みの奉公人合わせて九名が殺された。事件が発覚したのは明け方近くのことで、犯人はまだ一人も捕まっていない」
「それはひどい事を」
「そんな訳で、今日は誰も稽古に来ないであろうから、よかったらここで思う存分稽古をしていきなさい」
「は、ありがとうございます」
 源左衛門は中川に頭を下げると、支度をするために立ち上がった。

 その日の夕方、源左衛門が『甚八』に行くと、亭主の甚六が床に座り酒を飲んでいた。
「もう客は来まい。今日は店仕舞いにする」
 店に入った源左衛門に甚六が言った。
「はい」
「ま、ここに来て座りなされ」
 源左衛門が帰ったらいいのかと迷っていると、甚六が声をかけた。
 源左衛門は脇差を抜いて床に置き、甚六の向かいに腰を下ろした。
「藩のほうから夜の商いは控えた方がいいとのお達しがあった。どうせしばらくの間、客など来ないだろうが」
「ええ」
「そんな訳で、以前のようにお天道様があるうちに茶と菓子を出すだけにする。源左衛門さんには悪いが、また夜まで店を開けていられるようになるまで、しばらく休んでいてくだされ」
「わかりました。それでは今日はこれで」
 源左衛門は立ち上がろうとした。
「ちょっとお待ちなされ。今日の分の酒と料理を仕込んじまったので、少しやっていって下さい」
「しかし」
「何、あっしも飲みますから。少し付き合ってください」
 源左衛門は座り直した。時々、賄として出される食事に、主人の配慮で酒を付けてくれるときがあったが、源左衛門は手を付けなかった。一人源左衛門の帰りを待つ雪乃のことを思うと、酒を飲む気にはなれなかった。
 しかしその日は日頃世話になっている甚六のために付き合うことにした。

 『甚八』に来るようになって数日経つが、源左衛門は一度も仕事らしいことをしていなかった。
 酔っ払いのちょっとしたいざこざがなかったわけではない。しかし強面で、その辺り界隈ではちょっとした顔になっている甚六が顔を出すと、威勢の良かった酔っ払いたちもシュンとなり、肩をすぼめて酒を飲み始めるのであった。
 それでも源左衛門は店の奥の部屋でじっと時を過ごしているだけで、少しばかりの収入を得ていた。その収入の道がしばらく途絶えてしまうということが残念であった。

 辺りはすっかり暗くなっている。源左衛門は甚六としばらく酒を酌み交わし、話をしたあとで『甚八』を後にした。
 提灯に火を入れ、町屋の並ぶ道を歩く。
 しばらく歩いていると、ふと人の気配を感じた。それは家の中でまだ起きている人たちのものとは違う気配であった。
 少し歩きながら、その気配が何かを探った。
 よくわからない。しかし自分の後を誰かが付けいているのを感じた。
 源左衛門はいつも通う道を歩き、角を曲がったところですっと物陰に身を隠した。
 聞こえてくるわずかな物音に神経を集中させて周りの動きを知ろうとする。
 少しの間、そうやっていたが、何も起こらなかった。
 源左衛門は身を潜めていた物陰から出て、周りを見渡した。
 何かわからない者の気配はすでに消えていた。
 先ほど感じたのは確かに人間の気配であった。しかしそれがどのような人物で、どこでどのようにして自分を付けているのか、まったく掴めなかった。そんな経験は初めてのことであった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

処理中です...