トノサマニンジャ 外伝 『剣客 原口源左衛門』

原口源太郎

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第四章

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 三河屋押し入りから二カ月余りが経った。
 『甚八』から夜の商いを再開すると連絡があった。
 金は藩から支給されるようになったので当面の生活には困らなくなったが、辛い時期に世話になった恩がある。
 源左衛門は雪乃と相談し、仕官が決まるか源左衛門の代わりの者が見つかるまでの間、『甚八』へ通うことにした。

 源左衛門が再び『甚八』へ通うようになって一カ月ほどが過ぎた。季節は冬になろうとしている。
 源左衛門が酔っ払い客の仲裁に入ることは未だになかった。甚六は「源左衛門様がいて下さるだけで、あっしは安心して商売ができます。それだけで十分です」と言うばかりであった。
 道場のほうから源左衛門の剣の腕が本物だと、漏れ聞こえてきたらしい。元々武骨だが、真面目で遠慮深い源左衛門のことを気に入っていた甚六だが、本当に剣術の達人だと知り、話し方まで改まっていた。
 源左衛門は赤吹での仕官の道が決まったら、この仕事には来られなくなるということと、いつまでもこの仕事を続けていられないので自分の代わりの者を探してほしいということは伝えてあった。しかし、源左衛門の事を気に入っている甚六は源左衛門の代わりを本気で捜す気はないようであった。
 三河屋事件の後、夜の客足は以前のようには戻らなかったが、それでもぽつぽつと常に客がいるような状態であった。しかし日に日に寒さが増していくごとに、遅くまで残っている客は減っていき、源左衛門の帰宅時間も早くなっていった。
 そして久しぶりに源左衛門は甚六と酒を飲んだ。積もることはなかったが、この冬初めての雪が舞い、客は早くから引けていた。
「もし源さんが藩士になったとしても、たまには客としてこの店に来てくださいよ。お代は要らねえから」
 すっかり酔いが回り、甚六は源左衛門のことを『源左衛門様』から『源さん』に呼び方を変えている。源左衛門も甚六とこうして飲むことが楽しかったので、また来たいと思った。しかし藩の禄を得ることになれば、このような店に来ることなどないと知っていた。

 長らく甚六と語り明かしたあと、源左衛門は火の入った提灯を持ち、わずかにふらつく足で家へと歩いた。今にも雪が降り出しそうな空は黒い雲に覆われ、暗い夜であった。
 遠くで人の叫ぶ声や怒鳴り声が聞こえた。
 源左衛門は足を止め、声のした方を見る。
 やがてばたばたと走る音が近づいてきた。
 源左衛門は提灯を持ったまま、町屋の軒下に身を寄せる。
「待て!」
 そんな怒鳴り声が聞こえた。
 足音は源左衛門が歩いている通りを近づいてくる。
 やがて暗がりの中に、走ってくる男たちの姿が微かに浮かび上がった。抜き身の刀や短刀らしきものを持った男もいる。
 数人の男たちの少し後ろを、提灯を持った男たちが駆けてくる。待てと声を出したのはその男たちらしかった。
 源左衛門は右手に提灯を持ったまま、左手で脇差の鯉口を切った。その時腰に挿しているのは脇差一本であった。
「待て」
 源左衛門は道の中央に出て、走ってくる男たちに声をかけた。
 男たちが驚いたように一瞬足を止める。その中の刀を持った男が一人、源左衛門の前に進み出た。他の男たちは再び先へと走り出す。
 刀を持った男は無言で刀を振りかぶって源左衛門に向かってきた。
 源左衛門は素早く提灯を地面に置くと、脇差を抜きながら後ろに下がった。
 男の振り下ろした刀をかわし、源一郎は胴を払った。
「うっ」
 男は声を上げてよろめく。
「どけ!」
 しんがりを走っていた武士の姿をした男が刀を抜いて源左衛門の前に立った。
 源左衛門はその男に見覚えがあった。いつか夜中にすれ違った異様な殺気を放つ浪人者であった。
 浪人が正眼に構え、源左衛門も同じように構えて正対した。
 提灯を持った侍たちがばらばらと駆け寄り、先に行った男たちを追ってさらに走っていった。数名の者たちが源左衛門と浪人者を囲むようにして残った。
 浪人者が踏み込みながら刀を振り下した。
 源左衛門はその素早い一刀を危うく身を避けてかわした。
 少しの酔いがある。体はいつもより動きが鈍い。
 源左衛門は目の前の男に集中した。
 ふたたび男が刀を振り下ろす。
 源左衛門は脇差で男の打ち込みをかわし、反撃しようとした。しかし男の刀のほうが早かった。男の一撃をぎりぎりでかわして源左衛門は後ろに下がる。
 この浪人者の男は相当場慣れしている。男の刀は、きっと何人もの人間の血を吸っているのであろう。
 源左衛門はまだ人を斬ったことがなかった。
 さらなる一撃を源左衛門は間一髪でかわした。しかしこの男に斬られるのは時間の問題であった。打刀と脇差の違いもある。酒のせいでいつもように体も機敏に動かせない。


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