26 / 26
第四章
6
しおりを挟む
源左衛門は大村他、数人の藩士と共に赤吹城へ行った。登城の理由は源左衛門が米形に帰る前に、三河屋押し入り一味を捕らえるにあたって源左衛門の力添えがあったことに対して、藩主自ら源左衛門の顔を見たいとの要請があったからである。
源左衛門は大村に案内され、赤吹城二の丸御殿の庭に行った。そこに正座していると、程なく藩主が見えるとの合図があり、源左衛門は深く頭を下げた。
赤吹藩の藩主、永野兼成を直接見たことはなかったが、うつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれていることは聞いたことがある。しかし一国一城の主がそのような者であるわけがないし、いざとなれば自分たちが命を懸けて守らなければならないはずの藩主に対して、そのような陰口が叩かれることを源左衛門は快く思っていなかった。
数人の者たちが歩いてくる足音が近づいてきた。
源左衛門は深く頭を下げたままでいる。
男たちが源左衛門の前に座った。
その時、源左衛門はふっと妙な感覚に襲われた。
この感覚は何であろう。考えてみたがわからなかった。
「構わん、面をあげよ」
またも不思議な感覚に捕らわれながら、源左衛門は顔を上げ、部屋の中央に座る藩主の顔を見た。
立派な身なりの殿様であった。
「うん、いい顔をしている」
源左衛門の顔をつくづくと見て、殿様が言った。
「米形の上杉殿から、お前のことは何度も聞かされていた。本当は是非とも我が藩で召し抱えたかったのであるが、そうもいくまい。米形に帰ったら、十分に上杉殿に尽くすのであるぞ」
「はっ」
殿様の言葉を聞き、源左衛門は再び頭を下げた。
やがて殿様は立ち上がり、部屋を出ていった。数人の小姓が後に続く。
その間、源左衛門はずっと顔を伏せたままであった。
源左衛門の頭の中では、全てのことがパズルを組み合わせていくように繋がっていった。
今、話しかけた殿様の声は、浪人者を斬った日の夜に聞いた「お見事」の声と同じである。そして今、感じていた不思議な感覚もその時の夜と、もっと前の誰かに付けられていると感じた日のよくわからない気配とも同じであった。
人間離れした物音や気配を消した動きは、忍者と呼ばれる者だろうとは思っていた。そんな馬鹿なことはないと思うが、今、目の前にいた殿様とあの日の忍者が同一人物なのは確かである。
そうだとしたら、殿様がうつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれているのもわかる。夜中に忍者として動きまわっているから、昼間は寝ていたり、体を休めているのである。
源左衛門が初めてその不思議な気配を感じたのは、三河屋押し入り事件の次の日のことである。忍者である殿様は、三河屋事件の起きる一カ月前に赤吹にやって来た得体の知れない浪人者である源左衛門が、押し入り事件に関係しているかもしれないと調べていたのであろう。源左衛門のことは秘密裏に徹底的に調べられ、その時に源左衛門の刀や雪乃の簪のことを知ったに違いない。やがて源左衛門が参勤で江戸に上るたびに上杉から聞かされていた若者だと知り、他の藩に召し抱えられないように赤吹に留めておいて、米形の上杉に連絡を取ったのである。
なぜ殿様が忍者なのか。それは全くわからない。しかし源左衛門が考えたことは事実であろう。
だが、それを人に話すことはできない。殿様自身がうつけの殿様と陰口をたたかれようようが、黙したままでいるのであるのだから。
源左衛門は一生そのことは胸の内に秘めたままでいようと誓った。そして一介の浪人である自分に対しても、素晴らしい心遣いをしてくれた赤吹の殿様のことを、決して忘れないであろうと思った。
源左衛門は大村にうながされて立ち上がった。
故郷はもう雪景色に覆われているのであろうか。
そう思いながら、源左衛門は北の空を見上げた。
終わり
源左衛門は大村に案内され、赤吹城二の丸御殿の庭に行った。そこに正座していると、程なく藩主が見えるとの合図があり、源左衛門は深く頭を下げた。
赤吹藩の藩主、永野兼成を直接見たことはなかったが、うつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれていることは聞いたことがある。しかし一国一城の主がそのような者であるわけがないし、いざとなれば自分たちが命を懸けて守らなければならないはずの藩主に対して、そのような陰口が叩かれることを源左衛門は快く思っていなかった。
数人の者たちが歩いてくる足音が近づいてきた。
源左衛門は深く頭を下げたままでいる。
男たちが源左衛門の前に座った。
その時、源左衛門はふっと妙な感覚に襲われた。
この感覚は何であろう。考えてみたがわからなかった。
「構わん、面をあげよ」
またも不思議な感覚に捕らわれながら、源左衛門は顔を上げ、部屋の中央に座る藩主の顔を見た。
立派な身なりの殿様であった。
「うん、いい顔をしている」
源左衛門の顔をつくづくと見て、殿様が言った。
「米形の上杉殿から、お前のことは何度も聞かされていた。本当は是非とも我が藩で召し抱えたかったのであるが、そうもいくまい。米形に帰ったら、十分に上杉殿に尽くすのであるぞ」
「はっ」
殿様の言葉を聞き、源左衛門は再び頭を下げた。
やがて殿様は立ち上がり、部屋を出ていった。数人の小姓が後に続く。
その間、源左衛門はずっと顔を伏せたままであった。
源左衛門の頭の中では、全てのことがパズルを組み合わせていくように繋がっていった。
今、話しかけた殿様の声は、浪人者を斬った日の夜に聞いた「お見事」の声と同じである。そして今、感じていた不思議な感覚もその時の夜と、もっと前の誰かに付けられていると感じた日のよくわからない気配とも同じであった。
人間離れした物音や気配を消した動きは、忍者と呼ばれる者だろうとは思っていた。そんな馬鹿なことはないと思うが、今、目の前にいた殿様とあの日の忍者が同一人物なのは確かである。
そうだとしたら、殿様がうつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれているのもわかる。夜中に忍者として動きまわっているから、昼間は寝ていたり、体を休めているのである。
源左衛門が初めてその不思議な気配を感じたのは、三河屋押し入り事件の次の日のことである。忍者である殿様は、三河屋事件の起きる一カ月前に赤吹にやって来た得体の知れない浪人者である源左衛門が、押し入り事件に関係しているかもしれないと調べていたのであろう。源左衛門のことは秘密裏に徹底的に調べられ、その時に源左衛門の刀や雪乃の簪のことを知ったに違いない。やがて源左衛門が参勤で江戸に上るたびに上杉から聞かされていた若者だと知り、他の藩に召し抱えられないように赤吹に留めておいて、米形の上杉に連絡を取ったのである。
なぜ殿様が忍者なのか。それは全くわからない。しかし源左衛門が考えたことは事実であろう。
だが、それを人に話すことはできない。殿様自身がうつけの殿様と陰口をたたかれようようが、黙したままでいるのであるのだから。
源左衛門は一生そのことは胸の内に秘めたままでいようと誓った。そして一介の浪人である自分に対しても、素晴らしい心遣いをしてくれた赤吹の殿様のことを、決して忘れないであろうと思った。
源左衛門は大村にうながされて立ち上がった。
故郷はもう雪景色に覆われているのであろうか。
そう思いながら、源左衛門は北の空を見上げた。
終わり
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる