人斬人(ヒトキリビト)

原口源太郎

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 気が付くと組事務所であった。
「兄ちゃん、気が付いたか。軽い脳震盪だってよ」
 勇治の頬を叩いていたのは、若い組員であった。
「頭八針縫ったで。後、精密検査受けろって、医者が言うとったわ」
 勇治は起き上がると頭に手を触れてみた。包帯がぐるぐる巻きつけてある。
「すみません」
「ちょっと来な。面白い見世物があるで」
 事務所の奥の部屋に行くと、組長を始め組の幹部たちが顔を揃えていた。強面の男たちに囲まれて一人の若者が床にうずくまるようにしてうなだれている。殴られたらしく、顔中にあざを作っている。
 男は川口であった。
「よう、いい所に来たな」
 組の幹部の一人、鈴木が言った。でっぷりとした体に剃り上げた頭。眉毛まで剃り落とし、金のアクセサリーを幾つも身に付け、一見してヤクザだとわかる男である。その隣に立つもう一人の組幹部、太田は短い髪の毛を七三に分け、高級だが地味な背広姿でサラリーマンと言われても通用するような出で立ちであった。
「こいつ、組の金持って逃げたんや。おまけに店、滅茶苦茶にしてもうた。今から落とし前付けさすところよ」
 川口をじろりと見て、鈴木が聞き取りにくい声で早口にまくしたてた。
 数人の男が川口を押さえ付ける。
 川口は泣きながらもがいた。
 勇治は川口が哀れになった。組の金を持ち逃げした少年。女の子にちやほやされる店をはしごして得意になっている少年。遠くへ逃げることも知らずにこの街で小さくなって怯えることしかできない少年。
 川口が悲鳴を上げた。
 勇治はこんなしきたりが未だに行われていることが信じられなかった。
 小さな小指が床にことりと落ちた。
 川口が血の流れる指を押さえて床を転げまわる。
「もう一本やれ」
 冷たい声が川口の泣き声に重なった。無表情に川口を見ている太田が発した言葉であった。
 先ほどまで威勢の良かった組員たちが、萎れたように返事をして再び川口を押さえつける。
「もう嫌だ、やだ、やだ、やめてー」
 泣きながら川口が子供のように懇願する。押さえつける男たちから必死になって逃れようとする顔を、若い組員が平手で打ち据える。
「命取られんだけましと思え」
 ツルツル頭のタコ坊主が言った。
 勇治は心臓がどきどきし、頭が酸欠になったようにくらくらした。
「許してやってください」
 そんなつもりはなかったのに思わず口走っていた。
「何じゃ、ワレ。誰に物言っとんじゃ。組の店、滅茶苦茶にされたんや。貴様も本来なら指詰めさすとこや!」
 鈴木が凄んでまくしたてた。
「早うやれ」
 もう一度鈴木が言った。
 男たちが蠢く。
 川口の悲鳴が勇治の頭の中で渦巻いた。
 そして切れた。音もなく勇治の中で何かが爆発した。
 勇治は跳んだ。危険を察知した野良猫が飛び出すように。
 壁に掛けられた煌びやかな日本刀が本物だと以前に聞いたことがあった。それに飛びつく。
 ずしりとした手応えがあった。鞘を止めていた紐を引き千切るようにして刀を抜く。
 きれいに磨かれた刃がきらりと光った。
 男たちの怒鳴り声が幾つも重なる。
 勇治の頭の中は真っ白だった。日本刀を手にして誰を斬ろうとか、何をしようとか、そんなことは一切考えていなかった。
 目の前に現れた男に剣道で面を打つようにして刀を振り下ろした。
 その後ろの怯えた顔の男には胴を払った。
 太田が懐から拳銃を取り出すのが見えた。
 勇治は夢中で刀を振り上げる。
 そこから先のことは何も覚えていない。
 気が付くと血のこびり付いた日本刀を握りしめたまま、夜明けに近い街をひたひたと歩いていた。
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