人斬人(ヒトキリビト)

原口源太郎

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 ノックの音で勇治は目を覚ました。
「時間だ。支度をして来てもらおう」
 昨夜の男の声である。
 身支度を整え、部屋の外に出ると三人の男が待っていた。スーツを着ている。
「刀を預からせてもらう」
 勇治は黙って布に包んだ刀を差し出した。
 刀を受け取り無言で歩き出した男の後に従う。
 外に出ると、来た時と同じように昨夜の車に乗り込んだ。
 空気は寒々としている。辺りは白み始めているが、太陽はまだ姿を見せていない。霧が遠くの山から沸き立っている。
 車は軽く身を震わせて動き出した。

 車は郊外へと向かって走った。人家は疎らになり、小さな畑や田圃が重なり合うように連続して並んでいる。
 山並みが迫る頃、車は細い道へと曲がり、小さな鳥居の前に止まった。
 道に面した鳥居は石でできており、うっそうと茂る森の奥へと参道が伸びている。鳥居の周りにもスーツ姿の男たちが立っていた。
 車を降りると男が勇治に刀を渡した。
「行け」
 男が鳥居の先を目で示す。
 勇治は小石の敷き詰められた参道を歩いた。車に乗ってきた男たちも後に続く。皆、刀を持っている。スーツ姿で日本刀を持ち、勇治の後をぞろぞろと歩く。
 百メートルほどの参道の先に小さく古ぼけた社殿があった。その隣に集会所のような建物が並び建っている。どちらも長年風雨にさらされて、ろくに手入れされていないように見える。天を覆うように生い茂る杉の巨木に、消えゆく朝霧がわずかに絡みついている。
 社殿前の小さな広場を囲むようにして男たちが立っていた。袴姿で左手に刀を持っている。
 勇治はちらりと見て人数を頭に入れた。六人。後ろのスーツ姿の三人を含めると九人。鳥居のところにもまだ人が残っていたがそれは含めなくていい。それだけの人数を相手にしては勝ち目がない。素人なら何とかなるかもしれない。しかしこの者たちは相当に鍛えられている。
「行け」
 広場の前で立ち止まった勇治に後ろの男が声をかけた。
 勇治は用心しながらゆっくりと進む。左手の親指を刀の鍔にかけ、いつでも抜けるようにする。
「止まれ」
 広場の中ほどまで来た時、再び後ろから声をかけられた。後ろの男は参道の付近にいるらしい。
 勇治はその場に立ったまま微動だにせず、正面の社殿を見て時の来るのを待った。
 社殿の脇から一人の男が姿を現した。小柄な女が後に続く。女は数日前の夜に勇治の持つ木刀を切り落とした者のようであった。
 現れた男の顔にも見覚えがあった。
 始めは似ていると思った。
 男が近づいてくると、似ているのではなく本人だとわかった。
「森下さん」
 思わず言葉が口を突いて出た。
「久しぶりだな、坂上」
 男が楽しそうに勇治の名を呼んだ。他の男たち同様袴姿で、左手に刀を持っている。ただ、この男には他の者にない存在感があった。
 森下。下の名は忘れてしまった。勇治の大学の剣道部の先輩である。精悍な顔にすらりと伸びた手足。高い身長に広い肩幅。役者やモデルにでもなれそうな男であった。剣道は滅法強く、当時学生のその世界では名前の知られた存在であった。
 森下はゆっくりと歩き、広場の中央で勇治と向かい合った。
「あんたとやるのか?」
 勇治が問う。
「そうだ」
「なぜ?」
「やりたいからだ。抜け」
 それまでうっすらと笑いを浮かべていた森下の表情が変わった。
「訳を言え。理由を訊かなければ抜けん」
「口の利き方も忘れたようだな」
 森下が勇治の目を睨む。
 勇治も森下の目を見据えた。
「ではこの胸の内を明かそう。・・・・お前は何人の人を斬った?」
 森下の問いに勇治は黙している。
「俺は生まれてから剣道一筋だった。大学の時に始めた剣術に心奪われ、卒業の時に竹刀は捨てた。血の滲む日々を過ごし、独立した今では何人もの弟子を持つ身になった」
 森下は勇治から目を逸らさずに話す。
「お前が人を斬ったと聞いた時、何と無様なことをしたと思った。あれほど武道に打ち込んでおきながら情けない。そう思ったよ。次は何人斬ったんだ? みんな殺したか? 殺したな。そのニュースを見た時、背筋が震えた。事件のことを知りたくて調べた。そして事件のことを知れば知るほど震えた。今と同じようにな」
 森下が動き、ゆっくりと刀を抜く。
「人を斬った感触はどうだった? どこで剣を学んだのだ? なぜ、あのように見事に人を斬り殺せたのだ?」
「知らん。斬りたくて斬ったわけじゃない」
「俺は何のために剣の修行を積んできたのか。本気で考えたことなどなかった。それがお前の事件で考えさせられた。決して人を斬ることがないのに、人を斬る技を極めようとしている。目指すものは何か。精神鍛錬という愚かなことのために俺は日々を過ごしてきたのか? ・・・・違う。やはり人を斬るしかない。剣の技を持つ者と刀を合わせて斬り合う。その時になってはじめて自分の求めているものが見つかるのだ」
「そんな考えが正しいとでも思っているのか?」
「お前は罪を犯した。斬られても文句は言えまい」
「俺を斬ればあんたも罪人になる」
「承知の上だ。お前を斬ればこの世界には居られない。剣は捨てる」
 勇治もゆっくりと刀を抜く。
 森下は派手な塗りの鞘を投げ捨てた。
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