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五章 フェスティバル

74 君には歌がある

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 胸にぽっかりと穴が空いてしまった気がする。
 そして何度も、先ほどの会話を思い出すのだ。
 解散。
 ルリがもう、アイドルとしての限界が見えたと言った。
 そして他のメンバーも、具体的な他の道を考え出している。
 月子だけが何もない。
 捨てられてしまった。
「月子」
 声をかけられて振り向けば、そこには俊がいた。
 
 何の店かも知れないが、とにかく花壇に座っている月子の隣りに、俊も座る。
(泣いてるわけじゃなかったか)
 俊にとって月子は、大きく見えるが子供な部分が多くある人間である。
 女性だと意識したことは全くない。
 もちろんどうすればより魅力的か、などということは考えることもある。
 だが俊自身が月子を異性として意識することはないのだ。

 俊自身が恋愛にかなり消極的であるということはある。
 また性欲よりも、よほど音楽に対する欲望の方が大きい。
「終わっちゃったなあ……」
 終わってしまった。
「そんなに大事だったのか?」
「だってわたしは……ずっと友達出来なかったし」
 月子はずっと、なんとか世間に付いて行けるように、と頑張ってきた。
 ただアイドルでいる間の自分は、もっと小さな頃に戻ったような、夢の中の世界の住人であった。
「なんだか、何もなくなっちゃったような感じ」
「それは、違うだろう」
 俊としては、ここからが始まりだ。
「君には歌があるじゃないか」
 それは多くの人々に求められるものになる。
 俊がそうするのだ。他の誰でもなく。

 アイドルとしての月子は終わってしまった。
 いや、自分がいたかったのは、ただアイドルというわけではない、メイプルカラーの一員であったのか。
 月子はどんどんと、生きる場所を変えてきた。
 淡路から山形、そして京都に東京へ。
 今はアイドルのステージから、バンドのライブへと。

 まるで自分は旅人のようなものだ。
 いずれはこの東京から、またどこかへ行くのだろうか。
「俊さん、わたしいつか、ニューヨークに行きたいな」
 唐突のように聞こえるかもしれないが、月子の中ではつながっている。
 また俊としても、ニューヨークは象徴的な場所だ。
「俺たちなら行ける」
 行かなければいけない。いずれではなく、少しでも早く。



 今後の月子の活動については、俊も確認しておく必要がある。
「俊さんは知ってたんだ」
「向井社長が言ってくれてたからな」
「どうして教えてくれなかったの?」
「俺は、フェスのために変に動揺してほしくなかったからだ。向井社長も同じようなことを考えてたんじゃないかな」
 他のメンバーには、先に知らせていたのである。

 俊としても、ここで告白しておかないといけなかった。
 今後の何かのきっかけで知られた場合、月子からの信頼は地に落ちる。
 だから先に言っておかないといけない。
「月子、仮面を外して歌うか?」
 正直なところあの仮面は、パフォーマンスには逆効果だと思う。
 ライブなどではステージの人間は、オーディエンスの熱狂を感じて演奏するものだ。
 仮面の一つでも、感覚が鈍くなる可能性はある。 
 つまり月子は、これまでまだノイズのライブでは、本気を出していないということなのだ。

 そう言われて月子は、少し考え込む。
「俊さんは、やっぱり素顔の方がいいと思う?」
「俺はまだ、隠しておいた方がいいと思う」
 別に完全に、覆面歌手というわけでもない。
 対バンなどで楽屋が一緒になった時、月子の素顔を見ている他のバンドのメンバーはいるのだ。

 ルックス売り、という言葉がある。
 極端な話だがアイドル歌手は、ルックスが悪いと売れない。
 逆にルックスがよければ、歌唱力が並以下でもどうにかなる。
 なので月子のルックスを活かすというのが普通の売り方で、それを隠していたのはアイドルと兼業であったからだ。
 だからもう隠す必要がないのだが。
「いや、しばらくはまだ隠していよう」
 俊なりにノイズの強みを自己分析をしている。
 その中にあるのは、ギャップやミステリアスというものである。

 スタイルやカラーが、基本的に定まっていない。
 俊はカジュアル、信吾はややモードという、男性陣は無難にまとめた衣装。
 西園はその時々の舞台に合わせる。
 Tシャツにジーンズという、まさにグランジ系のファッションをした暁は、その小さな体で大きく激しく重たい音を鳴らしてくる。
 千歳は色々な歌を、感情が変わるように歌うことが出来る。
 そして月子はドレスをメインに着ていて、顔を隠している。

 ぐちゃぐちゃに見えるファッションでありながら、それだからこそ何を弾いてもおかしくない。
 アニソンからメタルにバラードと、その演奏の幅は広い。
 元はボカロPであった俊がサリエリとして、既存のカバー曲を上手くアレンジしている。
 そして難易度の高い曲でも、演奏して歌えるメンバー。
 月子や暁などは、これまでいったいどこに隠れていたのか、という感じで突如出現しているのだ。



 そういうわけでこれからもしばらくは、今のスタイルを変更するつもりはない。
 ノイズというバンドはその名に相応しく、カオスであるべきだ。
 下手に音楽性の幅を決めてしまうと、つまらないものになってしまう。
 もちろんこれは逆に言えば、自分たちの音楽性を確立出来ていない、ということにもなるのだろうが。

 しかし極論を言えば俊の音楽性は、売れたいということが根底にある。
 現在ではもう技術的にありえないが、CDが100万枚も売れていた時代。
 ああいった形で分かりやすく、人気が順位付けられればいい。
 ただそれは音楽配信の時代と、握手券の時代の到来で、完全に消滅してしまった。
 それでも日本はまだ、CDが売れている方の国になるのだが。

 俊の言葉に、月子は頷く。
「いつかは、素顔で歌うんだよね」
「グラミー賞でも受賞したら、素顔でドレスアップしてもいいかもな」
「グラミー賞ってレコード大賞か何かと関係してるの?」
「……ググレカスと言いたいけど、説明しよう。簡単に言うとアメリカの音楽賞だ。アカデミー賞の音楽版だな」
「アメリカの賞なんて日本人が取れるの?」
「少なくとも受賞歴はそれなりにあるな。ちなみに俺たちが演奏したBeat Itも選ばれてる」
 部門がやたらと多く、日本人もそれなりに選ばれている。
「だけど主要四部門で選ばれてるのは、ジョン・レノンと共同制作した日系のオノ・ヨーコだけじゃなかったかな?」
「あ~、旦那の七光り?」
「いや、オノ・ヨーコは普通に凄い芸術家だぞ。ジョン・レノンに影響を与えたと言ったら分かりやすいかな」
 そのあたりは複雑なので、簡単には説明出来ない。

 主要四部門で受賞できないのは、単純な理由がある。
 英語で作詞しておらず、英語で歌っていないからだ。
 インスト音楽やクラシックなどでは、それなりに受賞している者はいる。
 あとはエンジニアなどの技術部門か。POPSもいないわけではない。
「英語は無理じゃない?」
「本当ならな。ただまあ、一応ルートがないわけでもない」
 それを今の段階で説明するのは、あまりにも荒唐無稽ではあるが。

 俊が考えるにアメリカが覇権を握り続けているのは、単にプラットフォームを持っているから、というわけではない。
 英語が最も世界の共通語として浸透しているからだ。これこそプラットフォームと言えるか。
 PCの言語は英語コマンドが基本にある。
 ローリングストーンが選ぶ歴代500の曲などといっても、確か英語歌詞でなかったのは一つぐらいであったろう。
 国籍別で言えばアメリカが一番多く、次がイギリス。
 つまり英語圏なのである。



 それははるか遠い目的ではある。
 そもそも日本人には不可能だ、と断言してもおかしくはない。
 日本人の場合は日本国内の音楽市場で、普通に食べていけるというのも理由の一つだ。
 欧州の音楽文化に比べても、日本の音楽のPOPS市場は大きい。
「単純に音楽だけだと、無理かもしれないけどな」
 俊には少し先の未来が見えている。

 とはいえ、今問題にしなければいけないのは、それよりもさらに直近のことである。
「住所か……」
 現在の月子が住んでいるのは、向井が持っていた物件で、そこに格安で住んでいる。
 すぐに出て行けといわれているわけではないが、半年以内には取り壊して新しくマンションになる。
 これは以前から言われていたことなのだ。

 アイドル活動をしないことで、むしろ月子の経済状態は楽になるだろう。
 しかし東京の住宅事情を考えると、とても今のままの収入ではやっていけない。
 それこそレーベルの事務所にでも所属すれば、給料に加えて住居も用意してもらえるだろう。
 だが月子は一人で音楽をするつもりはない。
 またノイズも、単純にメジャーデビューを目指しているわけではない。

 さしあたって俊の考えている計画の一つは、インディーズでないとやってる側の採算が取れないものである。
 自分自身は金に困っていないが、バンドに金がかかるのは分かっている。
 そして月子をおかしな環境に置いておくわけにはいかない。
「さしあたってうちに居候させてもいいんだが、すぐに俺が決められるわけでもないし、少し待ってほしい」
「え、居候ってそれ、同棲……」
「居候だ。同棲でもなく同居ですらない」
 冷たく言い放つ俊であるが、もちろん問題点は分かっている。

 まず母に話を通さないといけないし、あとは月子も俊と二人などは不安であるだろう。
 もう一人ぐらい女の子を同居させるなら、安心出来るであろうか。
「というわけで二階をそのまま提供して、もう一人ぐらい女の子を連れてくる」
「そんなすぐに女の子が用意できるなんて」
「なんか引っかかる言い方だな」
 俊としては月子が一緒にいるなら、色々と手間が省けるのだ。

 それでも準備に、ある程度の時間はかかる。
 向井は一ヶ月や二ヶ月は待てると言っていたので、その間にどうにかしよう。
 あとは信吾なども、拠点をこちらに持ってきてもいい。
 どうせ住所の方には、必要最低限のものしか置いていない。
 女のところを泊まり歩いて、食費や光熱費を節約しているとは聞いている。
 それなら普段は俊の家に居候し、ここからの展開の相談に乗ってほしい。
 作曲でもベースラインは、かなり重要だと考えているのだ俊である。

 ともかくこれで、アイドルのミキは消えた。
 ここからはシンガー・ルナの出番である。
 二人が同一人物であるとは、いつかは誰かが気づくかもしれないが、特に問題はない。
 そして月子がノイズメインに活動となったことで、西園との約束も果たすことになる。
 すぐに仕事を一本に絞ることなどは無理だろうが、逆にノイズが西園に合わせることも出来るのだ。
 バンドグループ、ノイズの本格的な始動。
 まだ細かい手配などは必要になっている。
 しかしこれで、大枠は決定した。
 長いプロローグが、ようやく終わったのである。



  五章 了



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 解説・初代マクロスのネタバレあり



 『君には歌がある』
 初代マクロスにおいて、主人公の輝が振った相手であるミンメイにかけた言葉。正確には「君には歌があるじゃないか」
 いや、確かにミンメイには歌ってもらわないといけないけど、お前が言うのかよ、とツッコミが入るべきではないだろうか。
 マクロスの初代は作画が非常に不安定であるが、劇場版はもはやオーパーツレベルの作画であるので、今見てもかなり凄い。
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