上 下
166 / 207
十章 サマー

167 夏の終わりに

しおりを挟む
 九月になっても夏が終わるとは感じられないのが、近年の日本である。
 実際に暑さはまだ九月にも続いていくが、それでも八月で夏が終わると感じるのは、学生の夏休みが終わることが多いからであろう。
 俊の大学は九月も中旬まで休みが続くが、それとは関係なくノイズの活動は存在する。
 八月の末に、もう一つのフェスが開催される。
 場所は同じく千葉のあたりなのだが、規模としては比較して大きなものでもない。
 前年にも出場した、ライジング・ホープ・フェス。
 今年も参加資格があるので、しっかりと打診を受けている。
 なおステージは去年より三倍も大きい、一万人が見られるステージ。
 それでもROCK THE JAPAN FESTIVALの3rdステージに比べれば、小さなものである。

 去年はある程度、フェスの力で客を集めることが出来た。
 考えればほんの初期を除いて、ノイズがハコを満員に出来なかったのは、遠征した時とこのライジング・ホープ・フェスぐらいである。
 もっともステージ間を自由に移動できるので、満員という概念があるのかどうか。
 3000人ほどがスタンディングのスペースで、2500人ほどを集めたなら、失敗と言うほどではないだろう。

 最大では三万人が見られるステージがあるが、一万人ステージはそれに次ぐ。
 一年間で三倍以上集められるようになったと考えれば、立派なものなのであろう。
 何より宣伝に、あまり金をかけていない。
 周知されることが、音楽にとっては一番大事である。 
 そのためには当然、人々が聞くところにおいて、金をかけて流すしかない。
 阿部などはノイジーガールやツインバード、霹靂の刻などはかなりキャッチーで、サビの印象もいいヒットソングになるものだと思っている。
 実際にネットでは、MVを作った二曲に関しては、かなり回っているのだ。

 本当はもっと売れてしかるべきバンドであるし、もっと売れてくれないと困る。
 確かに宣伝に力を入れていないため、売れずに爆死というルートはなく、安定して続けてきている。
 だが音楽というのは本当に、息長く続けるということは難しい、
 長く活動しているという作曲作詞をするバンドミュージシャンは、必ず大ヒット曲を数曲は持っているものなのだ。
 それによる長年の印税で、ミュージシャンとして活動することが出来るのだから。
 


 死の境と言うか、本質的な恐怖を、俊は感じた。
 そこからすら音楽を紡ぐあたり、まさに音楽に魅了された人間だとは言えるのであろう。
 そして月子の三味線演奏にあった、人間の出す音よりももっと、硬質な音についても納得がいった。
 大自然の力を、月子の三味線は表現していたのだろう。
 だからこそ俊に、新しいインスピレーションを与えることになった。

 旅行から三日の間に、俊は三曲の新曲を作り、アレンジ待ちという状態にまで持っていった。
 あとは普段よりも、歌詞についても考えないといけない。
 出来れば八月末のフェスに演奏したかったのだが、まだ未完成で進行形なのでどうしようもない。
 二度目の出場ということもあり、精神的には少し余裕がある。
 ただほどほどには緊張感もなくてはいけない。

 パワーをもらおうということで、知り合いになったバンドを訪ねてみる。
 このあたり確かに、新たなムーブメントを感じたりもする。
 とりあえずセクシャルマシンガンズは、今年も参加している。
 また若手枠という点で、メジャーレーベルデビューを果たしたクリムゾンローズも出演していたりする。
 他にはTOKIWAの楽曲を提供されて、売り出し中の歌い手もいたりする。
 既に知っている顔や、ある程度対バンしたバンドなども、地方からやってきていたりする。
 大阪では良くも悪くも世話になった竜道なども、このフェスに参加している。

 並んでいたミュージシャンたちからは、一歩も二歩も先に行くことになっている。
 雑誌などの取材を受けることも、それなりに多くなってきた。 
 阿部はテレビの出演などについても、話が来ていることを伝えてくる。
 だがそういった話も、バラエティの一枠で使われるならば、それは必要のないものだ。
 純粋な音楽性での勝負。
 俊がそれを目指しているのを、むしろノイズの他のメンバーは不思議に思っている。

 俊はとにかく実力をつけて、地道に基礎を作ることを優先する人間だ。
 だがもう人気の土台は出来上がって、飛躍のための足場としては充分になっている。
 ただどういう方向へ、どういうタイミングへ飛び上がるのか、というのが重要だ。
 今の時代はもう、テレビに出たら有名になれる、というものではない。
 また有象無象のなかの一つとして、紹介されることも避けたい。
 月子は紅白などと言っているが、まあ彼女のために一回ぐらいは出場してもいいだろうと思っている。
 しかし最初にどういった展開をするかは、その後の方針に大きな影響を与えかねない。



 俊が出てもいいかな、と思っている音楽番組は、ミュージックスタジアムだ。
 通称Mスタとも言われるこの番組は、歴史も長く司会役からのリスペクトもしっかりとしていて、今でもそれなりに人気が高い。
 ただこれも強いては、というレベルの話であり、最優先にしているというわけでもない。
 今の一番の拡散は、タイアップである。
 もっともインディーズレーベルに所属するノイズは、そういった展開をするのが難しいのだが。

 宣伝や周知自体は、個人のSNSの拡散力が強い時代だ。
 ただしテレビへの出演や、もっと利権関係のうるさいところには、人気や知名度だけでどうにかなるものではない。
 ミュージシャンやバンドを売り出すためには、大きな金がかかっている。
 それを回収するためには、当然ながら優先して売り出していく必要がある。
 事務所やレーベル、さらにレコード会社に金を使わせないというのは、確かに損をさせないという点では優秀だ。
 だが金を使わせるからこそ、より大きく売り出さないといけない、という考えにもなるのだ。

 重要なのはインディースとメジャーの違いではない。 
 それだけ金と、人や物を使わせるかだ。
 自分たちの収入を安定させるのも、もちろん重要なことだ。
 しかし大きなムーブメントを作れば、それ以外の人間にも利益を作り出すということになるのだ。

 そのあたり俊は、見逃していたとも言える。
 だが見えたチャンスにそのまま飛び込んでいても、おそらく息は短かったであろう。
 堅実にファンを増やして、ファンクラブの人数も増えてきて、ライブハウスでの収入がある。
 これだけ安定してきてやっと、勝負に出ることが出来る。
 
 阿部にも言っていたことだが、ライブハウスでの演奏をやや減らして、コンサートホールなどのライブを増やす。
 単純にライブハウスのハコとしての限界は、おおよそ300人ぐらいであるからだ。
 もちろんクラブタイプで、数千人が入るところもある。
 だがホールは貸し出しの料金が意外と安く、そのくせ1000人からの人数を入れることが出来る。
 ただし音響や設備に、金がかかるようになるのも確かだ。
 しかしそれこそ、金や人に物を動かすということである。

 新たな段階のステージに、立つことが出来るようになった。
 より多くのファンを作るため、より多くの場所へノイズの音楽を伝える必要がある。
 結成から一年と少しと考えれば、充分に早いとも言える。
 だが俊はそれ以前からずっと、自分の音楽活動はしていたのだ。
 何年も苦しんだ末に、ようやく手に入れたチャンス。
 臆病なほどに慎重になるのは、仕方がないとも言えるだろう。



 ノイズのステージがスタートする。
 ヘッドライナーでこそないが、後半スタートというのは、かなり期待されているものだ。
 ROCK THE JAPAN FESTIVALでも俊は感じたことだが、こういう大きなステージで、千歳はオーディエンスを煽ることがかなり上手くなっている。
 おそらく不遇に遭ったものの、感性としては一番、一般人に近いからであろう。
 また若さ特有のノリで、上げていくことが出来る。
 常に理性的な俊や、色々と残念な月子、ギター弾き専門の暁には出来ないことである。

 このステージの時間は一時間。
 ROCK THE JAPAN FESTIVALよりも長いのは、それだけ期待値が高いからでもある。
 実は直前と言うほどではないがほんの数日前に、タイムテーブルが変更されて演奏が長くなったのだ。
 一万人が入る敷地であるが、明らかにそれでは足りなかった。
 ROCK THE JAPAN FESTIVALの評判などから、聴きに来ようとする人間も多かったのだろう。
 演奏する側と聴衆の側に、共に勢いがある。
 ただ勢いがありすぎて、ステージに近い客が、かなり潰されかけたりしてもいるが。

 かつて警備不足により、死人が出たライブなどというものもある。
 フェスの死亡事故も多く、そのため主催者はかなり慎重になっている。
 冷や水をかけるようであるが、さすがに圧死する人間を出すわけにはいかない。
 バンドとしてはむしろ、悪名が名声になることもあるが、近年ではこういったことは、主催や演奏側のミスとして炎上する。
 そういう理性的な時代に、俊は合った人間なのだろう。
『ごめんね、ちょっと待って。前の人が潰れちゃうから』
 一万人というスペースは足りなかったようだ。
 だがこれ以上となると、もう三万人のステージしかないのだが。

 せめてもう少し、遠くからでも見られる構造になっていれば。 
 だが少しでも前に来ようという、人間の心理が働いてしまっている。
 火に向かっていく蛾のような。
 熱狂は常に、その発生源に向かっていくのだ。

 この空気を感じながらでも、ノイズの演奏が萎縮することはない。
 ただバラードやR&Bの曲に順番を変更して、少しオーディエンスを落ち着かせるようにはする。
 ノイズの責任ではなく、主催者の責任だとしても、事故で死者などが出てしまえば、トラウマを発症してしまうようなメンバーがノイズにはいるのだ。
 ステージから上手く、オーディエンスをコントロールする。
 ただ熱狂だけを求めるのであれば、別に音楽である必要もないのだ。



 これを見ていた阿部や、メタルナックルの袴田は、ノイズの落ち着いた行動に安堵していた。
 規模こそ違うが300人程度のハコでは、それなりに将棋倒しで怪我をするオーディエンスは出ているのだ。
 だがノイズも結成して一年と少しで、既に50回以上のライブを行っている。
 おおよそ毎週一度は行っている計算で、かなりこれは頻度は多いのではないか。
 もっともそれはまだ、ライブハウスの設備をそのまま使えるからであって、大きなステージではそうはいかない。
 またノイズのメンバーだけでも、ライブハウス以外のハコでは行うことは出来ないだろう。

 やはり飛躍するべきタイミングなのだ。
 そしてこのレベルに達すると、阿部の出来ることが増えてくる。
(長く活躍する、国民的なバンドというのは難しいかな)
 阿部がそう思うのは、メンバーに女性が多いからだ。
 仕事に生きていられる男と違って、女はどうしても生活に縛られるということが多くなる。
 もっとも三人とも、全く男の影は見えないのだが。

 バンドの解散理由の中には、男がらみや女がらみというのが多い。
 ノイズの中では栄二が既婚者であるが、あとは信吾が数人女がいるぐらいで、他の四人に異性の影が見えない。
 俊の場合は異性に対する欲望を、全て音楽に捧げてしまったような感じがする。
 暁もかなり、それに近いであろう。
 月子の場合はそもそも対人関係に問題があるので、一番普通に何かが起こりそうなのは、千歳なのであろう。
 ただ千歳も、彼氏いない歴=年齢であったりする。

 音楽に全てを捧げているわけではない、という点では千歳が一番心配かもしれない。
 だがノイズはここまで大きくなっていながらも、芸能界との関わりという点では薄い。
 純粋にライブを中心に、直接ファンとの間につながりが出来ている。
 インディーズ系のバンドの中では、確かにある形だ。

 いずれ俊はノイズを必要としなくなるか、あるいは完全にプロデュースに回るのでは、と阿部は度々思ったりする。
 おそらく本人の資質としても、そちらの方に才能があるのだ。
 コンポーザーとして、エンジニアとしては優れているが、ミュージシャンとしてはあくまで補佐的。
 だがそういった点でも才能があるとするなら、俊は充分に才能を持っている。

 ノイズのステージは、バラードを二曲アンコールで歌って終わった。
 こちらもテントを楽屋にしていたのだが、客が前に来すぎて危ないとは、ずっと思っていたらしい。
 演奏曲の順番を変えたため、演出も変更の必要があり、かなり舞台としては大変だった。
「ちょっと危なかったな」
 経験豊富な栄二が言うほど、危険性はあったらしい。
「なんかテンション高かったよね」
 千歳はそう言うが、煽っていったのは彼女である。

 メンバーが今日のステージに語る中、俊は珍しくも静かだった。
 いつもだったら感想や駄目出しなど、やかましいのが彼であるのに。
 ステージで全力を使い果たし、喋る元気がないというわけでもなかろう。

 何かを考えている。
 それが何か、阿部には分からない。
「あ~、夏も終わっちゃう」
 夏休みの終わりをすぐ目の前に見て、千歳がそう洩らしていた。
しおりを挟む

処理中です...