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十章 サマー

168 消えない熱気

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 熱気が空気に多分に残っている。
 高校生たちはもう新学期が始まっているようだが、俊の大学はまだ二週間ほどが夏休みだ。
 この時期にはそんな大学生が、まだ時間を無駄にしている。
 俊のようにタイパを重視して、とにかくひたすら時間を使うことに、貪欲な人間は少ないのだ。

 ただ、さすがにどこか倦怠感に支配されてはいる。
 二度のフェスは、万単位の客に見てもらうものになった。
 ナチュラルにそう考えて、見てもらうではなく聴いてもらうではないのか、などと気になったりもした。
 ライブというのは単純な聴覚の刺激ではなく、もっと全身を使った体験だ。
 当然ながら演奏する方も、それを意識してやっている。

 燃え尽きるほどやってみた。
 だがそれほどの力を使ってみても、まだ残っているものがある。
 燃え尽きることが出来なかったし、そもそもまだまだ先はあるのだ。
 武道館やアリーナが、現実的に思えてきている。
 ただそういったことの手配に関しては、さすがに俊の手には負えない。
 今の体制のままで、果たして周囲を巻き込んでいくことが出来るのか。

 コンピレーションアルバムも発売され、かなりの好評を博した。
 またボカロPの集まりにも顔を出して、隠された嫉妬の視線を感じもしたものだ。
 かつては自分が、誰かに向けていたものであるため、それは理解出来るのだ。
 そういった怨念の暗い感情も、しっかりとアウトプット出来るかどうかが、成功するか失敗するかの鍵なのだろう。
 ここでは以前とは違い、成功のコツについて聞かれたりもした。
「そんなものはない、けれど……」
 むしろ今でも、確実に売れる方法があるなら教えてほしい。
「売れるまでやり続けること、が一つかな」
 だいたいの人間は、最初の失敗や無反応で、諦めてしまうものだ。

 諦めることは悪いことではない。
 音楽で食っていきたいなどと考える人間は、本当にごまんといるのだから。
 そしてデビューしたとしても、そこから生き残っていける確率。
 おそらくマンガ家の方が、まだしもありなのではないだろうか。
 かつてはイラストレーターというのも同じ系統化と考えたが、今はAI絵が発達しているため、こだわりがなければあれを使ってしまえばいい。
 だがマンガのストーリーと画面作りは、確かに人間の職人技など思う。

 俊はスタートの段階で、既に他者よりも前に出ていた。
 それでも成功するためには努力したし、何より諦めなかった。
 ただ世の中には自分だけではなく、他の誰かの人生まで背負っている人間というのがいるものだ。
 栄二もスタジオミュージシャンとして、音楽の世界ではあるが、裏方に近い場所で生きていく選択をした。
 今はまた、こちらの世界に戻ってきているが、それでもヘルプで叩きに行っていることは多い。

 極論、俊は自分以外の、誰にも責任を負っていなかった。
 さらに言うなら充分な教育を受け、コネクションも作った。
 コンポーザーとして、またマネジメントやプロデュースなどをしなくても、なんらかの形で音楽業界に残れたのでは、と今なら思う。
 しかしそれは全て、資産的に俊が恵まれてきたからだ。

 だから俊の成功例は、全くあてにならない。
 あれだけの教育と環境がありながら、月子と出会うまでは、大きな成果を残すきっかけすらなかったのだ。
 会社勤めをしたとしても、おそらく音楽を作り続けたであろうとは思うが。
 10年、20年とやり続けても、望む結果に至らないということはあるだろう。
 そこまでにかけた時間は、本当に無駄になってしまうのか。
 何かに集中したということは、他の何かにも活きていくとは思う。
 だが行方の見えない音楽に、全てを捧げるのはリスクが高すぎる。
 瞬の場合は家が太いので、全てを捧げることが出来た。
 その点では本当に、恵まれていたと言うしかない。



 二つのフェスの終了後、ノイズのファンクラブの会員は一気に増えた。
 SNSなども公式をフォローしてくれている人間は、相当に多くなった。
 それでもまだ、一流ミュージシャンの中では、平均にも及ばない。
 そもそもネット時代以前からやっているレジェンドは、ホームページしか使わなかったりもする。
 このご時勢にとも思うが、一度確立してしまった人気は、意外と消えないものなのだ。
 最低限のライブなどをやっていって、それで食べているというミュージシャンは意外と多い。
 このあたりは先ほどの、デビューしても続いていかないミュージシャンと比べると、大きな違いがどこかにあるのだろう。

 俊はそれを、個性というのではなかろうか、と考えている。
 ミュージシャンごとの、独自の音楽性だ。
 ノイズにはまだないものである。
 いや、ないことこそが、ノイズの音楽性なのであろうか。
 ノイズはカバーバンドである、という認識をしているファンもそれなりにいる。
 それは月子の歌ってみた、がいまだに延々と伸び続けていることでも確かだ。
 カバーしていないジャンルは、基本的に俊が好きではないジャンルである。
 ヒップホップなどはそもそも、音楽のヒップホップがヒップホップという文化の中の一部であるため、あまり深く意識しないのだ。

 ストリートから生まれた音楽であると言われる。
 そして俊はストリート文化とは無縁の人間だ。
 だいたいあのラップの、韻を踏んだ駄洒落のようなお喋りは、思わず笑ってしまうのだ。
 もっともラップにも色々あるという、それぐらいは俊も知っている。
 歌わせるなら千歳の方だろうな、と考えるだけは考えたこともある。
 だがどうしても浮かばないものは浮かばないのだ。

 インプットは多ければ多いほどいい、とは思うのだ。
 だがヒップホップやラップに比べると、まだクラシックやジャズの方が肌にしっくりくる。
 おそらく生来の環境ゆえのことであると思うし、そちらはそちらでインプットの宝庫だ。
 また日本の民謡も生活の中でわずかに聞こえるため、耳がそれに慣れているのだろうか。
 それなら耳にするヒップホップに、慣れないというのも不思議なものだ。

 深く考えてみれば、父の音楽やその後の天才の音楽が去った後に、ヒップホップが隆盛してきたからであろうか。
 父の音楽を駆逐した、あの魔女の音楽を俊は好んでいた。
 クラシックに起源を持つという、まさにヨーロッパとアメリカンの複合型とも言える楽曲。
 そのムーブメントの後に流行したからこそ、ヒップホップを好まない、という順番になるのだろう。
 好みの問題にしても、理解ぐらいはしておくべきだろう。
 そもそもラップの、相手をディスるフリースタイルバトルなどが、俊は嫌いであったりするのだが。
 ただああいった対決する形のラップというのも、一つの可能性ではあると思う。



 まだまだ暑い中で、俊は事務所を訪れる。
 高校生組の授業は始まり、栄二がヘルプを頼まれて、俊自身は新曲を一通り作り上げた後である。
 ふと意識が空白になったところに、阿部からの電話があったのだ。
 そして直接会って話したい、という呼び出しに応じたものである。
 内容としては今後の展開についてだそうで、確かにそれは画面越しだけでは、空気が伝わらないものもあるだろう。

 元はビルの中の事務所の、さらに一画をパーテーションで囲っただけの事務所であった。
 だが今は一室を完全に占拠している。
 それは人数が増えたこともあるし、対応するために必要な機材や設備も増えたからだ。
 間違いなく拡大していっているが、それでもバンドの動きに比べると、人も物も足りていないと阿部は考えている。
 金は人が少ないので、充分に回っているのだが。

 ノイズの活動で贅沢だと言えることは、とにかく宣伝に金をあまりかけないことだ。
 ただ本来ならば、ある程度の音楽雑誌などには、広告を掲載する必要があったりもする。
 専門の音楽関係が取り上げるのではなく、口コミから広がっていったという関係。
 これでノイズを取り上げないわけにはいかないのだが、メンバーがなかなか捕まらない。
 一番の広告塔になりそうな月子は、短いインタビューしか受けていないし、リーダーの俊もなかなか予定がない。
 不思議なバンドであると、若手の記者などは感じている。
 ただその上の、40代や50代となると、むしろノイズの魅力が分かる。
 復古主義的なところが大きいのだ。

 ボカロPという存在は、現在の日本の音楽のシーンの最先端にあると言ってもいい。
 何よりそのお手軽さが、音楽の垣根を大きく下げた。
 そこに立脚しながらも、ノイズの音楽は古いカバー曲をやったりもする。
 アニソンカバーのアルバムなどを出した時、本当にこれが売れるのかと、思った者は多かっただろう。 
 だが実際には売れたのだ。

 そんな多忙なスケジュール調整を行っている事務所で、阿部は俊と対面する。
「今後の展開についてなんだけど」
「進展がありましたか」
「進展と言うか……どうなのかしら。私にもちょっと予想外だったのだけど」
 阿部のこういった顔は珍しい。普段からノイズには、散々に困らされてはいるのだが。
「オリバー・ウィンフィールドって知ってる?」
「いえ……不勉強ですみません」
「私も連絡を受けるまでは知らなかったんだから、仕方ないわね」
 阿部もそう言っているが、しかしなぜここで外国人の名前が出てきたのか。

 海外展開?
 今の時点ではありえないし、それに阿部の言いようからは、戸惑いを感じているようだ。
「アメリカの大手アニメーション制作会社の有名アニメーターだったんだけど、そこを辞めて自分の会社を作った人なの」
「千歳なら知ってるかな?」
 千歳の父は、ほぼ海外アニメには興味がなかったそうなので、彼女も知らないかもしれない。
「それで、まだ全然向こうとしても本決まりではないそうなんだけど、彼はこの間のROCK THE JAPAN FESTIVALで貴方たちの演奏を聴いて、MVの方も見たらしいの」
 なんだか少し、いい方向の予感がする。
「そこで今度作るアニメーション作品の主題歌に、霹靂の刻を使えないか、と言ってきてるんだけど」
「それは……いい話なのでは?」
「どうなのかしらね」
 阿部はどうも当惑しているようである。



 アニメタイアップ。現在の日本においては、勝ち確定とも言える最高の宣伝だ。
 もちろん使われる作品にもよると言える。
 そう、日本においては、という注釈がつく。
「阿部さんがそんな顔をしてるってことは、単純にいい話ってわけでもないんですね?」
「そうなのよね。そもそも作品を作るための、スポンサーを集めている段階みたいだし」
「……こちらからも資金を出してほしいとか?」
「よく分かったわね」
「金がないと何も動かないのは、最近分かってきましたから」
 俊としても制作に宣伝、そして回収に関しては、千歳が話していたのを聞いたことがある。

 確か頭文字がFで始まるゲームのアニメーション映画は大爆死したそうな。
 某有名スタジオの後継となる会社の映画も、かなりひどかったとか。
 あとは名前を出せないアメリカの超有名会社も、どんどん赤字の作品を作り続けていることは有名である。
「しかしアニメタイアップなんて、ずっと先の話だと思ってたんですけど、まさかアメリカから……というか、スポンサーとして普通に向こうの音楽を使う方が当たり前なんじゃ?」
「なんでも日本のアニメを意識して、その曲にぴったりだと思ったらしいわね。詳しい企画なんかはまだ秘密にされてるけど」
「面白い話ではあるんでしょうけどね」
 たとえばアメリカ人は、ニンジャとサムライが大好きであるのは昔から言われている。

 日本のアニメとのタイアップは、当然ながらスポンサーの会社の中に、レコード会社が入っている。
 そこのレーベルのミュージシャンを使うのは、当たり前のことである。
 なのでインディーズ扱いのノイズがタイアップで使われるには、よほどのウルトラQを決める必要があるわけだ。
 たとえば超大物原作者が、このミュージシャンならばいい、と指定してくるとか。
 だがそんな我侭が許される原作者など、今の日本に果たしているのか。

 出版社も営利企業であるし、アニメ制作も今は制作委員会方式で資金調達をしているのではなかったか。
 そのあたり俊は、少し千歳に聞いただけである。
 また千歳も古い作品の打ち切り事情は知っていても、最近の作品は案外知らなかったりする。
 確かアニメは監督であっても、主題歌などを勝手には選べなかったはずだ。
 プロデューサーが宣伝のために、有名なミュージシャンを使うのが一般的だ。
 特にこれで失敗してはいけない、と有名なアニメスタジオで制作してもらう場合などは。

 タイアップ自体は、俊は普通に賛成である。
 それこそ別にこちらには金が入らなくても、宣伝効果だけで大きいとさえ思える。
 だがアメリカのアニメというのは、とにかく金がかかっているものだという印象がある。
 スポンサーとして、まだ新しいアニメ会社、しかも海外の会社に、金を出すのは無理筋だ。
「一応使う分だけは、よほどのことがない限りは賛成ですよ。もっとも企画書なりなんなりを見せてもらわないと、なんとも言えませんけど」
 おかしな方向に、進路が開けてきている気がする。
 だがそれはそれとして、こちらは国内で地道に活動しよう、と考えている醒めた俊であった。
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