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12章 ムーブメント

206 天才の登場

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 チケットはコンサートに限った話ではないが、スポンサー枠でいい場所が取れたりする。
 俊と月子がもらえた席は、一般的なアリーナ席。
 対して千歳が誘われたのは、スーパーアリーナ席とでも言うものだ。
「それはともかくとして、バンドメンバーの心当たりとかないかな?」
「俺が女子高生のバンド事情に詳しいわけないだろ」
 千歳に頼まれても、俊としてはそう答えるしかない。 
 二年前にはそんな、無茶苦茶上手い女子高生ギタリストが、向こうからほいほいとやってきたりしたものだが。

 それにしても俊としては、千歳よりも上手い女の子のギタリストというのが、ちょっと想像しづらかった。
 いや、音楽の世界では10歳ぐらいから、とんでもない才能を爆発させる人間が、それなりにいることはいるのだが。
「普通に軽音部で探すべきなんだろうけど、ボーカルはどうだったんだ?」
「上手かった。でもそっちはあたしの方が上だと思う」
 とは言ってもボーカルの評価というのは、舞台によって状況によって、大きくパフォーマンスが左右されるのだが。
「ボーカルとギターに、あとは打ち込みでやってもいいだろうにな」
「うん、従弟のアキちゃんって子がそういうの出来るみたい」
「作曲までか?」
「あ、それは聞いてない。でも最初はカバーからなんじゃない?」
 ほぼ100%のバンドが、最初は何かのカバーから入っていくものなのだ。
 いきなりオリジナル曲というのは、難易度が高すぎる。

 ガールズバンドをやるという。
 そんなこだわりがある時点で、俊とは価値観が噛み合わない。
 俊は性別など関係なく、バンドのメンバーを選んだのだ。
 友達同士で遊びの感覚でやる。
 技術は高いかもしれないが、その時点で俊とは覚悟が違う。

 話に聞く限り、大金持ちのお嬢様だ。
 だが自分と違うのは、家族に恵まれていること。
 才能という形に能力が花開くのには、逆境が必要であるのかもしれない。
 姉に対抗してクラシックではない音楽をやるというのは、俊にはしっくり来ない考え方だ。
 クラシックでは勝てないから?
(俺もまあ、最初のバンドではダメだったな)
 いや、案外似ている部分はあるのかもしれない。

 音楽がなくても、世界は回る。
 世界中に音楽はあるが、それでも必要不可欠のものではないと思う。
 ただ生きていくだけなら、確かに不要である。
 だがそれを大切なものだと感じ、しかもそれに生涯を捧げて生計を立てていく。
 夢はあるが期待値で言うならば、相当にギャンブルな人生設計だ。
 それでも俊は、親の資産があるからこそ、こういった道を選ぶことが出来た。

 音楽しかないと思うようになったのは、生まれと育ちによるものだ。
 だが音楽を選ばなくても、生きていくことは出来たと思う。
 その道を選んでおきながら、才能の乏しさに己を憎んだこともある。
 しかしその間も、音楽に触れ続けることは忘れなかった。

 結局才能というのは、その人間が結果を出してから、そう称されるものなのであろう。
 才能があるから成功したのではなく、成功したものを才能と言う。
 もちろんある程度の、素養というのはあるものだ。
 将棋などは分かりやすい、才能の世界である。
 また音楽も、才能なのか環境なのかは分からないが、ノイズのメンバーの女性陣は、才能を感じさせるものではある。



 席が離れているので、千歳とは途中で別れる。
 その千歳は先生と合流したが、先生は席に向かうのではなく、先にバックヤードに通じる道へと入っていった。
「いいんですか?」
「悪そうならすぐに退散するけど、今日はちょっとね」
 ステージ前に会えるほど、二人の関係は親しいらしい。
 相手は世界の歌姫だ。
 売上などを無粋に語るまでもなく、多くの実力のある賞を取ってきた。
 日本のポップスのような、レコード会社の力関係で決まるようなものではない。

 そこまでの通路を顔パスで通っていく。
 紹介してもらってなんだが、今さら自分の先生が凄い人なのだなと感じさせる。
「先生って、表の仕事はあんまりしてないんですよね?」
「人を裏稼業みたいに……。けれどそうね、裏方に回ったりレッスンをしたり」
「表舞台には立たないんですか?」
「立てないのよ。対人恐怖症で」
 え、と初めて聞く情報である。

 初対面の時から千歳とは、普通に対話が成立していた。
 ここまでも普通に、歩いてきている。
「……美人すぎてストーカーに遭ったとか?」
「そういうわけじゃないのよ」
 自分が美人であることは否定しなかったぞ。
「昔、事件に巻き込まれて、人の視線を浴びるのが怖くなったの。日本はまだいいけど、アメリカに行ったらフラッシュバックも起こすし」
 なるほど確かに、人の多いところでは、サングラスやマスクで顔を隠していた。

 ある程度の注目を浴びると、そういうことになるわけか。
 なるほど確かに、それなら人前で演奏などは出来ない。
「知り合いだけの演奏会とかなら、平気なのだけど」
 才能を表に出せない、ということなのだ。
 俊だったらどう思っただろうか。

 芸能人やスポーツ選手は、確かにそのプライベートを探られるものである。
 もっとも野球選手の中には、それで相手を訴えて、巨額の賠償と接近禁止命令などを勝ち取った選手がいたはずだ。
 歌手などは完全に人気商売であるが、スポーツ選手はその技術やパフォーマンスが重要なのだろうか。
 ただあの選手は弁護士資格を持っていたとかも聞くので、さすがに例外なのかもしれない。



 ボディーガードに守られた楽屋に、ノックをして入っていく。
 千歳もやや路線は違うとはいえ、ポップス界の頂点に近い位置に立つ存在とは、初めて会うことになる。
 フェスなどには外国人の大物アーティストもいたが、ここまで近づくことはなかった。
 ケイトリー・コートナー。世界の歌姫である。

 ブロンドの歌姫は、オーラが凄かった。
 とは言っても並んでみれば、ハイヒールを除けば身長は、千歳とそれほども変わらない。
『エミリー』
 そこからの会話は英語になって、千歳が完全に聞き取ることは出来なかった。
 単語はいくつか拾えたが、ホープとかウェイトとか言われても、どこをどうつなげていいのか分からない。
(俊さんにも来てもらうべきだった)
 千歳は洋楽を普通に歌うことは出来るが、一発で歌える日本語とはやはり違うのだ。
 流暢に会話をされていると、さらにそれは分からない。

 ノイズのメンバーで英語での日常会話が出来るのは、俊と暁だ。
 ただ暁の場合は、使う単語がある程度偏っていたりする。
 暁の場合は一応、フランス語も少しは分かるらしい。
 なぜかと言うと、実母の住んでいるカナダは、フランス語も公用語であるからだ。

 俊の場合はドイツ語の方がフランス語よりも得意だったりする。
 普通に大学では、第二外国語を学んでいたのだ。
 ただ環境もあるだろうが、俊の場合は単純に、頭の出来が違うようにも思える。
(先生も何ヶ国語も喋れるとか言ってたしなあ)
 海外進出のために、もっと英語を勉強すべきであるか。
(ローリングストーン誌の選んだグレイトフルナンバーは、確か一曲を除いて英語歌詞だったっけ?)
 ほとんどがアメリカとイギリスで、レゲエの発生したジャマイカがそれなりに多いという知識はあった。

 千歳が色々とぐるぐる考えていた間に、ケイティがその前に来ていた。
「エミリーから聞いてるわ。とても才能のあるシンガーなんでしょ?」
「いやいや、まだまだ」
 日本語で話しかけてくれたのはありがたいが、こういったニュアンスの言葉は伝わらないらしい。
『彼女は、まだまだ成長中と言っているのよ』
『ほんとに? エミリーはけっこういい加減なことを言うからなあ』
『そんなことはないと思うけど、日米の感覚の違いはあるわね。日本人は基本的にとても謙虚だし』
『それね。甘く見ている痛い目に遭う』
 こういう会話が、いまだに単語単位でしか聞き取れない。
 どんどんと英語教育も変わっているものだが、実際に使えないのだから、義務教育の敗北だと言えよう。
『後のことはお願いね』
『ええ、貴女は間違いなく、彼女を育てることに成功した』
『スーパースターになる準備は出来ているかしら?』
『元々そんなことを、気にするような性格じゃないでしょ』
『そうだけど……そのあたりちょっと、夫に似たような気がして』
 責任を感じてはいるのであった。



 大きなステージの前だというのに、緊張したところはなかった。
 アメリカ人は緊張しないと聞くが、そういうことなのだろうか。
「ステージの前に緊張しない人間なんて、そうはいないわよ。私と会って少し緊張がほぐれたとは思うけど」
 うちのギター、ステージに上がると豹変するんですけど。
「あ、でもうちのバンドメンバー、プレッシャーには強いな」
 信吾や栄二は経験が長いというのもあるが、月子も緊張はあまり見せないし、千歳自身も周囲のフォローがある。
 ノイズというバンドは、どうも他のバンドと比べても、かなりいいバンドであるらしい。
 他のバンドは内紛やギャラで揉めることが、多いが、ノイズの中で言い争いが生じるのは、せいぜい曲の方向性を語り合う時ぐらいだ。
 あとは昔の欧米バンドの評価については、色々と語り合うことがあるが。

 千歳に対して色々とオススメしてくるのはいいが、千歳も周囲にオススメをしている。
 ボカロ文化などに染まった俊は、古い洋楽からクラシック、アニソンまで一番インプットに貪欲だ。
 暁は何を聴いても、ハードロックやメタルにしてしまう。
 月子の場合は民謡のブルースが、ほぼ魂に定着しているらしいし。

 音楽の方向性にこだわりがないのは、千歳ぐらいである。
 ただ俊がひたすら、音楽の引き出しを増やそうとするので、千歳も好きなようにやっている。 
 こだわりがないのは、逆に可能性が無限であるということか。
 それでも嗜好自体はあるのだ。
 ビジュアルに流れることを、俊は拒否している。
 そのあたりQUEENも許容できない部分ではあるらしいが、あれはQUEENがおかしいのではなくフレディがおかしいだけなのだ。

 千歳にしても教えてもらっているのが、クラシックの声楽のやり方なので、変に個性を出そうとは思わない。
 正統派を極めていったら、自然と個性が出るだろうな、と思っているのだ。
 実際のところライブで歌う千歳は、俊からすれば充分に個性的だ。
 ただしレコーディングをする場合、その声の魅力は薄れる。
 いっそのことライブ録音の音源から、ミックスした方がいいのではと思うぐらいに。
 千歳は実戦派なのだ。



 ケイティは日本にやってくると、先生の屋敷を訪れることが多い。
 そこでハイスクール時代に知り合った友人と、私的な演奏会などをするそうな。
 普段はそこで会うことが多いが、今回は特別なのだという。
「本当に親日家なんですね」
「パートナーも日本人なのよ。……あれ? 結婚してたかしら」
「ジョン・レノンとオノ・ヨーコみたいな?」
「ジャンルは全然違うわ。元プロのアスリートだったし」
「そうなんですか」
 パートナーという言い方が気になるが、文化系の音楽に対して、体育会系のスポーツというのは、案外お互いに合うのかもしれない。
 千歳は中学時代など、将来のことは全く考えていなかった。

「先生もピアニストになるって決めたのは、随分と早かったんですか?」
「どうかしら……。音楽の道で生きて行くのは、物心ついた頃には普通になっていたと思うけれど」 
 そういう人間もいるのだ。
 ノイズのメンバーで言えば、俊と暁などはそうだろう。
 表舞台に立つことはなくなっても、音楽の世界に関わって生きていくことは出来る。
 千歳の場合はいつか、何かの拍子で情熱がなくなるような気もするが。

 音楽をやっている時、千歳は楽しいばかりではない。
 むしろ音楽をやっていない時に、変な感覚がやってくる。
 生きてきてステージに立った時ほど、解放感を感じたことはない。
 いや、ステージの上でこそ、解放されるのだと認識したのか。

 自分と世界の歌姫との間に、どのような差があるのか。
 歌唱力の技術などではなく、何かがあるとは思っている。
 月子と自分の間には、歌唱力の差がある。
 純粋に声を出す技術の差だ。
 感情、つまりフィーリングにおいては、極端なまでの差は感じない。
 月子は生来の声質と、幼い頃からの専門的な学習により、ああやって歌うことが出来る。
 ただ感情を乗せること自体は、また別の話だ。
 歌う曲によって、月子か千歳か、どちらがメインになるのかは変わる。
 あるいはパートによって変わったりもする。

 日本の国内にもまだまだ、ボーカルとして凄いなと思う歌手はいる。
 純粋に技術だけなら、それこそ彩などにもまだまだ及ばない。
 もっとも月子も自分も、魂で歌う分には、劣っているとは思わない。
「そろそろ時間ね」
 客席に座って、始まりを待つ。
 照明が最低限のものを残して、全て消えていった。



 ステージの一筋の灯りが、脇から現れる姿を映す。
 ケイティではない。まだ若い少女だ。
 それまで目に入っていなかった、グランドピアノに向かう少女。
(あれ?)
 彼女が弾きだしたのは、クラシックの音楽だ。
「この曲って」
「ショパンのエチュード、別れの曲」
 なんでそんなものがとは思うが、上手いのは分かる。

 およそ二分ほど、一区切りしたあたりで、旋律が違うものに変わった。
 そしてライトはステージの中心を照らし、そこにケイティの姿を照らし出す。
(うわ!)
 多くのステージを見てきたので、千歳にもある程度は分かるようになっていた。
 存在感だけで、このドーム内を掌握する。
 音楽であるのに、ドレスアップした姿だけで演出の一つと分かる。
(これが世界のトップクラス……)
 ピアノの旋律のみで、ディーヴァは歌い始めた。

 R&Bやポップスが、ケイトリー・コートナーのジャンルである。
 だが過去にはロック成分の多い曲も色々と歌っている。
 ラテンの風味のある曲もあって、自分で曲を作ることもあるが、他人からの提供も受ける。
 そのデビューからしばらくの間は、イリヤの楽曲提供を受けることが多かった。
 声は透明感があり、そしてオーディエンスの魂まで直撃する。
(ツキちゃんと似たタイプ……)
 なるほど、生で聴いてみると、俊の言っていたことがよく分かる。

 素晴らしい歌声だ。
 既に完成の域にあり、洗練されていながらも叙情的。
 しかしこれは、暁向けではないかな、とも思える。
 充分にパワフルではあるのだが、足りないものがある。
 そう、ノイズが足りない。

 人間が生きて行く上で、絶対に出てくる雑音。
 それを芸術の域にまで高めてしまえば、ほとんど消えてしまうことになるのか。
 いや、むしろその雑音こそが、人間性であるのだろう。
(これってどう受け取ればいいの?)
 単純にケイティが素晴らしいというのは分かる。
 だが今の彼女に、月子のような歌い方は出来ないであろう。

 音楽の頂点は一つではない。
 プレスリーであろうが、ビートルズであろうが、マイケル・ジャクソンであろうが誰が頂点であってもいい。
 自分たちは自分たちの音楽をやる。
 それがカバー曲のアレンジであっても、楽しければいいのか。
(あ~、あたしには俊さんほどの学がない)
 どういう考え方をすればいいのか、千歳には分からないことだ。



 素晴らしい歌唱力で、ピアノのみの伴奏の歌を三曲も続ける。
 まさに魂を揺さぶる、シンガーのための歌ではある。
「これがお前の目指す先の近くにあるものだ」
 俊はそう言ったが、月子としては充分に違いが分かる。
 この正統派のポピュラーミュージックには、自分にあるものが欠けていると思う。

 世界の頂点であろうと、別にそれを全て上回らなければいけないわけではない。
 音楽というのが、たった一つしか頂点を持たない存在であるはずもない。
 クラシックにも頂点があるし、なんならクラシックのなかでもいくらでも頂点がある。
 ビートルズからメタルに走っていって、商業ロックをニルヴァーナが否定したからといって、そこが頂点というはずもない。
 パンクは否定したがる人間が多いが、ストリートからヒップホップが生まれて、今ではそれが最大の勢力になりつつある。

 ただ、ピアノ伴奏だけの曲が続く、というのはかなり変わった構成だ、
 もちろんこれはこれで、ピアノと声だけを聴いていて、うっとりとすることも出来る。
(いや、ピアノがやたらと上手いな)
 ケイティの歌に合わせられるとうだけで、非常識なものではある。

 そのピアノは、三曲目で終わった。
 ストリングスや管など、交響曲的なイントロが始まっていく。
 他の曲への移行だと、俊は普通に思った。
 だがスポットライトに照らされていたのは、マイクスタンドが二つである。
(コーラス? 誰と?)
 その中に入ってきたのは、先ほどのピアノを弾いていた少女。
 目元を少し、ヴェールで隠している。
 まるで月子のように。

 ケイティの歌の後に、彼女のパートが始まった。
「馬鹿な……」
 この声はなんなのか。
 いや、聴いたことがある声だ。
 欧米にあるような太いアルトではなく、単純に技術に徹したソプラノでもない。

 淡く空気に溶けてしまうような、とても不思議な声。
 声質を才能と言うのならば、これは間違いなく天才の声だ。
 サリエリとして、歌唱依頼を何度かしたことがある。
 何度も何度も聴いたので、俊が間違えるはずもない。
「花音か……」
 俊が認めていた、数少ない圧倒的な才能。
 もう四年以上も前から活動はしていたが、ネットの中だけに存在していた。
 どこの誰なのか、誰も分かっていなかった。 
 ただ日本語で歌っていたので、日本人であるとは勝手に判断していたし、彼女も日本語で説明をしていた。

 なぜ、ここで出てくる?
 こんなタイミングで、こんな舞台で、こんな始まり方で。
 ケイトリー・コートナーのコンサートで、彼女の届かない部分をフォローするかのように。
「音楽の世界が変わるぞ……」
 純粋に歌唱力で、ケイティを既に上回っているような。
 怪物は突然に、そして思いもしない展開で、ついに俊の前にその姿を現したのであった。
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