異世界転性 ~竜の血脈~

草野猫彦

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59 黒と銀

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 カーラ・ラパーバ・ウスランという女性を一言で言えば、完璧な人間、である。
 まず容姿の美しさ。見事な銀髪と碧眼という色合いに加えて、かすかに笑みを浮かべたその表情。たいがいの人間は彼女に初めて会ったとき、自分の目の前にいる存在が信じられずに目をこする。
 ほっそりとした首から肩、豊かではないが慎ましくもない胸。そしてやはり細い腰から、鍛えられた長い足が優美に伸びる。胸を強調した色気をかもし出すでもなく、完璧な調和の中にある存在だ。
 そして外見だけかと思ったら、中身がまたすごい。
 剣の腕前は騎士団随一。魔法に関しては大賢者アゼルフォードから「我以上なり」と言われた腕前。幅広い知識と確かな知見を備え、人格に関しても、女王を抑えられるのは彼女と息子の王子のみとさえ言われている。
 竜を倒した今は銀の聖騎士と呼ばれることが多いが、それ以前は多くの人が彼女を聖女と呼んでいた。
 なぜなら彼女は、蘇生の魔法が使えるからだ。

 この世界において蘇生魔法が使えると言われているのは、神だけであると言われている。
 実は神竜も使えるのだが、多くの人はそれを知らない。
 カーラはある程度の条件を満たしていないといけないとはいえ、その蘇生魔法が使えるのだ。
「というわけで、もしカーラと戦って死ぬとしても、次の要件を守ってね」
「待て、どうして私が負けるのが前提なんだ」
「そういうわけでもないけれど、カーラは竜殺しよ。万一のことを考えておいてくれないと」
 ニマニマ笑いながらギネヴィアが告げる。彼女は今、巨大なゴーレムの掌の上に乗っている。

 ここはマネーシャ近郊の荒野。竜殺しが、かつて竜を殺した場所。名前はそのまま『竜殺しの荒野』という。
 あちこちにクレーターが空き、ガラス化した岩が散らばっていたりする。そんな荒野に、佇む女が二人。そしてゴーレム。
 リアはいつもの黒い革鎧、カーラはミスリルを加工して作った自らの髪の色と同じ色の騎士服、そしてギネヴィアは乗馬服という格好だ。
 それにしてもそのゴーレム、水中戦が得意そうな体型ですね。
「まず、頭が半分以上欠損していないこと。具体的には脳が残っていることね」
 いろいろとギネヴィアは説明してくれるが、全ては右の耳から左の耳へだ。
「ようするに切ったり刺されたりしても大丈夫だけど、魔法で跡形もなく消し飛ばされたら駄目ってことよ!」
 それなら最初からそれだけを言えばいいのに。
「ちなみに私が間違って彼女を殺してしまった場合、誰か蘇生が使える者はいるのか?」
 逆にリアは問うてみる。
「心臓が止まってすぐなら、私が甦らせるけど」
 なるほど、たいしたものである。
 ギフトを確認した限りでは、手足の何本かを斬ってしまっても大丈夫だし、全力で戦ってもいいだろう。
「ちなみに心臓を刺したぐらいじゃカーラは死なないから、それは安心していいわ」
 すごいな、竜の血脈。
 いざ敵となってみると、圧倒的ではないか。
 しかし思い返すに、さすがに心臓を貫かれたら死ぬと思うのだが、今なら死なないのだろうか。

 ゴーレムに乗ったギネヴィアが彼方に佇むカーラの下へ至り、何事か話している。耳を澄ませば聞こえなくもないのだが、何か作戦でも立てているなら、聞かない方が面白いだろう。
 やがてゴーレムはカーラからも離れ、充分な距離を取る。その背中が開き、ギネヴィアが乗り込む。
 意外なことに、この世界には人が乗り込むタイプのゴーレムというのは存在しなかった。理由は前世で人が乗るタイプのロボットが実用化されなかったのと同じようなものである。一応パワードスーツ的な魔道甲冑は存在するが、一般的な兵器ではない。
 ギネヴィアのゴーレムは、彼女自らが企画・設計・製造までをした物だとか。忙しそうな女王なのに、結構余裕があるらしい。



「それじゃ始めるわよ~」
 拡大されたギネヴィアの声とともに、火球が上空に放たれる。それが爆発して、戦いの合図となる。
 とにかく距離を詰めようと、リアは地を蹴った。
 そしてそれはカーラも同じだった。
 地面すれすれを、彼女は飛行してきた。
 意外である。ギネヴィアから話を聞いていたなら、接近戦よりも遠距離からの魔法攻撃のほうが有利であると分かるだろうに。

 無数のフェイントから、一太刀の攻撃。剣と刀が鍔迫り合う。
 虎徹と噛み合うそれは、かつて聖剣と呼ばれた剣。今では、破竜剣エクドラと呼ばれている国宝の剣だ。
「なぜ、接近戦を?」
 気になって、リアは聞いてみた。
「確実に、殺さずにすむので」
「それは甘く見すぎだな」
 ほんのわずかの攻防で、リアは見抜いていた。
 カーラの剣術スキルレベルは8で、それだけを見ると互角だろう。能力値、ギフトを見ても、互角以上に戦えるはずなのだ。
 だが、それは各要素をそれぞれ別に見た場合だ。統合してみれば、その差は明らかとなる。

 高度なフェイントを交えた、的確で鋭い攻撃をしてくる。
 だが、それは圧倒的に軽い。
 人を斬るということが分かっていない軽さだ。
「あまり、人を斬ったことはないな?」
「それなりに対人戦闘の経験はありますが」
 どちらにも話しながら戦う余裕がある。
「殺し合いではなく、一方的な戦いじゃないのか?」
「……そうですね」
 その答えの一瞬に間があった。
 カーラにとって戦いとは、制圧することだ。唯一戦いと呼べるのは、あの竜とのものだけ。残りの戦闘経験は、全て訓練で培われたものだ。ギフトという名の才能によるものだ。
 リアにしても、その力はほとんど与えられたものだが、なにしろ前世で吐いた血反吐の量が違う。血の小便というのが本当に出ると知ったときは驚いた。
 凡人の重ねた試行錯誤の努力に、天才だけが持つ肉体能力。それが、リアの強さだ。

「白色獄炎」
 カーラが無詠唱で唱えた魔法が、リアに襲い掛かる。
 それも一つではなく、四方八方から。
 リアはそれを、あるいはかわし、あるいは刀で斬っていく。それでも幾つかは回避しきれず、直撃を受ける。
 だがダメージはない。単なる熱の攻撃なら、リアには通用しない。
 それから無数の属性の魔法攻撃を、何度もリアは防いでいくのだった。



「いやはや、すごいですね」
「ええ、本当に」
 戦場からはるか遠くの山岳地帯。
 佇むのは二つの人影。
 対戦する二人が米粒にしか見えない距離で、ハルトとフェルナは観戦をしていた。
 二人とも、砂色のマントを羽織っている。対魔法の効果がある品物で、念のために、とハルトが用意したものだ。
 遠見の魔法が使えるフェルナはともかく、ハルトはどうするのかと見てみれば、懐から双眼鏡を取り出す。
 フェルナの視線に、にっこりと笑ってハルトは応える。
「うちの商会で開発した、最新式の双眼鏡ですよ」
 魔法を使っていない、完全に技術のみの産物である。
 魔法戦を見る場合、遠見の魔法ではそれが阻害される場合が多いのだ。
 それを目に当てるのだが、すぐさま苦笑して、しまいなおしてしまった。
「動きが早すぎて見えません。フェルナさん、解説お願いします」
「はあ」
 凄まじく高度な魔法を、繰り返して起動させるカーラの動きを、フェルナは全て解説する。
 そんな的確な解説が出来ることで、自分の力の一端をさらしてしまっているのだが、彼女はまだそれに気付いていない。



 同じく観戦する、一組の男女。
 ロボゴーレムの隣に立つ、イリーナとサージである。
 サージはリアとカーラの対戦を見たいという皆の希望に応えるべく、時空魔法で映像を送っているのだが、既に心が折れかけていた。
 ルルーやサージが全力を込めて使う魔法を、平然と下級魔法のように連発するカーラ。
 それをあるいは無効化し、あるいは叩き切り、あるいは正面からねじ伏せるリア。
 超怖い。
 なにこの怪獣大決戦。
「イリーナ、本当に守ってよ。何か飛んできたら、おいら本当に死んじゃうから」
 流れ弾の一撃でも、平気で小さなクレーターが出来上がる。
 サージの展開する魔法防壁では、すぐに限界が来るだろう。
「分かってるよ~」
 きょろりん、とした目を向けてイリーナは言うが、ちゃんと真面目に働いてくれているようだ。
 オリハルコンの鎧を身に纏い、黄金の竜闘気を体から発散し、イリーナはサージを守っている。
 それにしても、と横を向いてサージは思うのだ。視線の先には、ゴーレムの顔を一方向に向けた女王様。
 ゴーレムの装甲に守られているとはいえ、よく女王様がこんな場所にいるのを、臣下は許すものだ。
 止めても無駄な人なのだとサージが真に理解するのは、まだ少し先のことである。



 カーラは迷っていた。
 リアという人物のあまりの強さに、どう対処していいか迷っていた。
 対人戦闘用の魔法は全て、彼女には通用しない。剣で斬ろうにも、接近戦の技術は彼女の方が上だ。
 ならば、全力で魔法を使うか。
 ただ一人の人間を相手に、まさか自分の全力の魔法を使うのか。
 だが、迷いはすぐに消えた。
 リアなら、自分の全てを受け止めてくれる。
 根拠もなしに、カーラはそれを信じたのだった。

 距離を取ったカーラが、上空へと飛翔する。
 リアはとりあえず地上で構えてみた。空を飛ぶ魔法が使えないわけではないが、彼女のそれはまだ拙い。
 そこに、カーラの声が響いた。



「 ―― 閉じ込められていたのだ ――」

 それはリアが初めて耳にする、カーラの詠唱だった。
 同時に、体が急激に重くなる。その場から動けない。

「 ―― 暗き地の底に 閉じ込められていたのだ ――」

 重力を操る魔法、それに、何かが重ねられている。魔力が圧縮されていくのを感じる。
 これはまずい、とリアは思った。
 おそらくカーラは、これでもリアは平気だと思っている。その信頼が今は重い。
 
 多層結界がリアを中心に張られる。
 これはリアを閉じ込めるためのものだが、それだけではあるまい。
 限定された空間に、破壊をもたらすものだ。
 これは非常にまずい、とリアは思った。

 そしてカーラの詠唱が完成する。

「―― 暗黒熱核爆裂地獄 ――」



 リアを中心とした半径数百メートルの多層結界。それは竜のブレスをも防ぐもの。
 そしてその中で、核の爆発が何重にも圧縮されて行われていた。
 通常ならば、何十人もの魔法使いが儀式をもって行使する禁呪である。
 それは竜さえをも滅ぼす、人類に残された最後の手段。
 だがカーラには、それでもまだ、リアの存在が感じられた。

 表面の溶解した巨大なクレーターが、そこに誕生していた。
 熱は上空に逃したが、まだマグマのように岩石が沸騰している。
 そのマグマの池から、リアは飛び出した。
 逃れられないと知ったとき、彼女が選択したのは、地の底への落下であった。風呂魔法で鍛えた地面を抉る魔法で、可能な限り地中深くに潜ったのだ。
 巨大な岩盤が、核爆発の威力を防いでくれた。熱量に対しては、どうにか耐性の効果があった。

「今のは……熱かった……」
 鎧にこびりついた固形物を、ぱらぱらと手で払い。片手にはしっかりと刀を握り。
「熱かったぞおおおお!!!」
 笑いながら、カーラへ向けて、リアは飛翔した。
 その背には、半透明の黒い翼。
 今、新たに解放された『飛翔』のギフトである。

 リアの斬撃を、カーラは受け止める。
 だが攻防は、一方的なものになっていた。
 全てのギフトを解放し、魔法で強化して。
 それでも接近戦ではカーラはリアに勝てない。

 そしてリアは笑っていた。
 剣を一閃するごとに、自分が強くなっていくのが分かる。
 カーラと一緒にいると、どこまででも高みに上っていけそうな気さえする。
 ああ、これを自分は求めていたのかと。

 カーラが一際鋭い一撃を加えて、リアとの距離を取る。
 そして、剣を鞘に納め、両手を天に上げた。
「え? まさか降参か?」
 先ほどの魔法を行使しても、まだカーラの魔力は残っている。
 ここから先が本番ではないのか。
「いいえ。ですが、これが最後です」
 カーラが魔力を練る。
 脳内で構成される、最強の魔法。
 それはもはや、魔法と言っていいのかすら不明な、神の力。



「―― 大地と大気の精霊よ 天命に従い その義務を果たせ ――」



「―― 天地崩壊 ――」.



 そこに、光が生まれた。



 そして光は柱となり、全てを飲み込んでいく。
 大地が崩壊し、消滅していく。
 大気が分解し、宇宙へと拡散する。
 それはまさに、天と地を崩壊させる力だった。

 光に包まれたリアは、その中で闇に包まれていた。
 暗黒の竜闘気。それは竜の力で、神の力に対抗するものだ。
「うああああああっ!」
 咆哮。神の力に抗い、リアは光の中から飛び出した。その先にはカーラがいる。
 勢いのままに衝突し、二人は大地に落下した。

 リアの腕の下に、カーラがいる。
 リアの腕に包まれるように、カーラがいる。
 その完璧な美貌が崩れている。
 髪は乱れ、頬は赤らみ、額には汗をかいている。

 天使を大地に落としてしまった。そんな背徳感がある。
「負けました」
 カーラは息を荒げて、それだけを言った。
 澄んだ瞳だ。敗北でさえ、彼女には屈辱を与えないのだろう。
「本当は、まだ奥の手があるんだろう?」
「いえ、あれで最後です。まだ戦えなくはありませんが、すると周囲への被害が大きすぎるので」
「ああ、確かにな」
 新たに誕生したこの超巨大なクレーター。もし戦場を限定しなければ、どれだけの被害が出ることか。

「勝者の権利を。あなたは、命をかけたのですから」
 そういえば、こういった対決にはそんなものもあったか。
 リアの体の下で、カーラが身じろぎした。
 柔らかい体だ。このどこに、あんな力が秘められているのか。
「では、あなたに口付けを……」
 その求めに、驚きの色も見せず、カーラは目を閉じた。
 その薄い桜色の唇を見て、リアは激しく動揺し ――。
 結局、頬に口付けるだけがせいいっぱいだった。
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