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生徒の葛藤(アルダタ視点)
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最初は、マリルノ様の言うことに従って、彼女の信頼を得ようと思った。
相手の気持ちを測ることができない段階で、いきなり誘惑し万が一拒否されてしまったとしたら、その後、どうやったとしても取り返せないのではないかというのが怖かった。
ペドロル様の望む結果が出せなければ、彼が私の母の治療に手を貸してくれることはないだろう。それどころか、私は職を奪われるかもしれない。
ペドロル様は自分が命令して私にやらせたのだという事実が露見するのを恐れて、私だけにマリルノ様を誘惑した罪を押しつけて、この屋敷から私を追い出すかもしれない。
誓いを立てた時には、職を失うリスクまで考えが及ばなかった。しかし後から冷静になって考えれば考えるほど、ペドロル様ならそうするに違いないと思った。
私は何としてもマリルノ様の気持ちを掴まなくてはならない。
だから慎重に、彼女の指示に従って信頼関係を築くところから始めたのだ。
私はただ熱心に、マリルノ様の教えられることに耳を傾けたのだ。
すると不思議なことが私の中に起こった。それは私が生きてきたこれまでの人生の中で、一度たりとも感じたことのない感覚だった。
もっと知りたい。もっと自分の分からないことを、理解できるようになりたい。
こんな気持ちを抱いたのは、生まれて初めてだった。
私は靴屋の父と掃除婦の母の元に生まれた。
父は靴を作ることしか出来なかったし、母は家事しかすることができなかった。
それでも私は二人が大好きだった。いつまでも二人と一緒にいられたらいい、そして大人になったら父と同じ靴職人になろうと私は考えていた。
しかし幸せな家庭は長続きしなかった。
父が突然死に、母も病気になった。
人間の体は強いものではなく、死神はいつでもその首を狙っているのだと知った。
靴の作り方を覚える前に、私は仕事を探さなければならなくなった。
そんなときに私を拾ってくれたのが、ペドロル様ののお父様、現国王であるワダロ様だった。
もちろん私のような下の人間が、ワダロ様に直接選ばれたわけではない。
ただ下働きのものとして、屋敷を管理する使用人の一人に面接され、採用されることになっただけだ。
しかし私は、感謝しなくてはならないと思った。私に働くチャンスを与えてくれたワダロ様と、そのご子息であるペドロル様に。そしてそのご恩を返すべく、そして母を養うべく、私は身を粉にして働き続けた。そんな私に、文字の読み書きや計算を習う機会はなかった。
今まで知らなかったことに触れることが、こんなにも胸が膨らむことだったなんて。自分で文字を書けて読めることが、こんなにも心揺さぶられることだったなんて。
私は全く知らなかった。
どうして今まで、知らないままの状態で、平気でいられたのだろうと思った。
確かに使用人としての仕事には何の支障もなかった。
誰も使用人である私に、文字の読み書きや数字の計算ができることを期待していなかったし、むしろ出来なくて当たり前だと思っていたからだ。
「私の代わりに手紙を書いてくれ」なんてこと、当然、頼まれるはずもなかった。
しかし今、私は文字が読めるようになった。
そして文字を書けるようにになった。
指を使えば計算だって、何とか少しはできるようになったのだ。
私は自分が、この世界において生きている意味のある人間の仲間に入れてもらえたような気がした。そしてもっと、自分が生きている価値のある人間、この世に存在する意味があるのだと胸を張れる人間になっていきたいと思った。
熱心だという風に思われればそれでいいと思ったのに、私はいつの間にか、本当に熱心な生徒になっていた。自分の知識が積み重なっていくことが、楽しくて仕方がない。
「授業を受けているのは自分の知っていることを増やすためではなく、ペドロル様の望みを叶えるためにやっているのだ」と何度自分に言い聞かせても、本心は誤魔化せなくなった。
そして決定的な問題がもう一つあった。
見て見ぬふりを続けてきたけれど、自分の中で誤魔化すことがとうとうできなくなった。
私は知識に惹かれている自分に気がついた。
そして同じくらい無視できなくなったのは、
マリルノ様に惹かれているという事実だった。
相手の気持ちを測ることができない段階で、いきなり誘惑し万が一拒否されてしまったとしたら、その後、どうやったとしても取り返せないのではないかというのが怖かった。
ペドロル様の望む結果が出せなければ、彼が私の母の治療に手を貸してくれることはないだろう。それどころか、私は職を奪われるかもしれない。
ペドロル様は自分が命令して私にやらせたのだという事実が露見するのを恐れて、私だけにマリルノ様を誘惑した罪を押しつけて、この屋敷から私を追い出すかもしれない。
誓いを立てた時には、職を失うリスクまで考えが及ばなかった。しかし後から冷静になって考えれば考えるほど、ペドロル様ならそうするに違いないと思った。
私は何としてもマリルノ様の気持ちを掴まなくてはならない。
だから慎重に、彼女の指示に従って信頼関係を築くところから始めたのだ。
私はただ熱心に、マリルノ様の教えられることに耳を傾けたのだ。
すると不思議なことが私の中に起こった。それは私が生きてきたこれまでの人生の中で、一度たりとも感じたことのない感覚だった。
もっと知りたい。もっと自分の分からないことを、理解できるようになりたい。
こんな気持ちを抱いたのは、生まれて初めてだった。
私は靴屋の父と掃除婦の母の元に生まれた。
父は靴を作ることしか出来なかったし、母は家事しかすることができなかった。
それでも私は二人が大好きだった。いつまでも二人と一緒にいられたらいい、そして大人になったら父と同じ靴職人になろうと私は考えていた。
しかし幸せな家庭は長続きしなかった。
父が突然死に、母も病気になった。
人間の体は強いものではなく、死神はいつでもその首を狙っているのだと知った。
靴の作り方を覚える前に、私は仕事を探さなければならなくなった。
そんなときに私を拾ってくれたのが、ペドロル様ののお父様、現国王であるワダロ様だった。
もちろん私のような下の人間が、ワダロ様に直接選ばれたわけではない。
ただ下働きのものとして、屋敷を管理する使用人の一人に面接され、採用されることになっただけだ。
しかし私は、感謝しなくてはならないと思った。私に働くチャンスを与えてくれたワダロ様と、そのご子息であるペドロル様に。そしてそのご恩を返すべく、そして母を養うべく、私は身を粉にして働き続けた。そんな私に、文字の読み書きや計算を習う機会はなかった。
今まで知らなかったことに触れることが、こんなにも胸が膨らむことだったなんて。自分で文字を書けて読めることが、こんなにも心揺さぶられることだったなんて。
私は全く知らなかった。
どうして今まで、知らないままの状態で、平気でいられたのだろうと思った。
確かに使用人としての仕事には何の支障もなかった。
誰も使用人である私に、文字の読み書きや数字の計算ができることを期待していなかったし、むしろ出来なくて当たり前だと思っていたからだ。
「私の代わりに手紙を書いてくれ」なんてこと、当然、頼まれるはずもなかった。
しかし今、私は文字が読めるようになった。
そして文字を書けるようにになった。
指を使えば計算だって、何とか少しはできるようになったのだ。
私は自分が、この世界において生きている意味のある人間の仲間に入れてもらえたような気がした。そしてもっと、自分が生きている価値のある人間、この世に存在する意味があるのだと胸を張れる人間になっていきたいと思った。
熱心だという風に思われればそれでいいと思ったのに、私はいつの間にか、本当に熱心な生徒になっていた。自分の知識が積み重なっていくことが、楽しくて仕方がない。
「授業を受けているのは自分の知っていることを増やすためではなく、ペドロル様の望みを叶えるためにやっているのだ」と何度自分に言い聞かせても、本心は誤魔化せなくなった。
そして決定的な問題がもう一つあった。
見て見ぬふりを続けてきたけれど、自分の中で誤魔化すことがとうとうできなくなった。
私は知識に惹かれている自分に気がついた。
そして同じくらい無視できなくなったのは、
マリルノ様に惹かれているという事実だった。
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