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34.自覚する想い

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「カズサ、着いたで」
 車が止まり、ツネヒコはカズサを揺り起こした。
「んっ・・・・・」
 カズサが目を開け、ツネヒコにもたれかかっていたことに気がつく。
「あっ、ごめん」
 顔を赤くして身体を起こしてパッと離した。
「ええで。慣れんことして疲れとったんやろ。ゆっくりでええから、降りるで」
 カズサはうっかり熟睡してしまったことを恥ずかしく思いつつも、車から降りる。
 先に降りたツネヒコがそっと手を差し出し、カズサはそこに手を重ねて外に出る。
 そう言えば、先日タカキの車で家まで送ってもらった時、こうしてハルキにエスコートされたことを思い出した。
 そして、ハルキに電話でどう話せば良いか心が決まらず気が重くなった。

「カズサ?大丈夫か?」
「うん?大丈夫」
「プールの後って、思った以上に身体が冷えとるんや。風呂用意させるし、はよ入り」
 ツネヒコがかいがいしく世話をやく。
「うん。ありがとう」
 カズサの心はどこか上の空のままだ。
「ほな、久しぶりに一緒に入ろか」
「う、ん?って、一緒に入ったことなんてないだろ!」
 カズサはやっと我に返って叫んだ。
「ばれたか。そんだけ叫べたら、風呂でおぼれる心配も無いな」
 ツネヒコは悪戯な笑みを浮かべた。

 その後カズサはなかば本気で一緒に入ろうと画策するツネヒコを、何とか振り払って先に風呂に入って自室に戻った。
 確かに、初めてのプールの後は鉛のように身体が重い。
 井川に話して、夕食は軽食を部屋に持って来てもらうことにして今日は早く休むことにした。
 途中覗いたスマホには、ハルキから“分かった。待ってる。”とだけメッセージが来ていた。
 既読にしてから、もう何時間も経つ。
 井川が来るまでまだ時間があるため、先にイズミに電話することにした。
 数コールで、イズミに繋がった。

「もしもし、イズミ?」
『はい、姉上。プール、お疲れ様でした。ご無事で何よりです』
「うん。ありがと。あと、わざわざカフェまで行ってくれてありがとうね」
『いいえ。もう門倉先輩から連絡はありました?』
「うん。メッセージが来てた。後で連絡するって言ったままだけど・・・・・・」
『そうですか』
 二人の間に沈黙が落ちる。
「どこからどこまで話したものか、なかなか決心がつかなくて・・・・・・」
『そう、ですか』
「うん」
 また沈黙が流れる。
「きちんと話すのも、面と向かって言うほうがいいのかなって」
『それは、そうかもしれませんね』
「あと、自分のことは話しても、イズミのことは話さないから安心して」
『えっ!?』
 イズミは姉が話せば自然に自分の正体も知られると覚悟をしていた。
「だってイズミはまだ元服していないし、中学生活が残っているでしょ。大事な弟にこれ以上迷惑掛けられないよ」
『姉上・・・・・・』
 心根の優しい姉に、イズミは胸の奥が熱くなる。
『分かりました。姉上がどういう選択をされても、私は姉上の味方です』
「ありがとう」
 二人は電話越しに笑い合って、通話を切った。

 しばらくするとドアがノックされ、井川かと思いカズサは扉を開けた。
「カズサ、今日は部屋で食べるんやな。俺も一緒にええか?」
 ツネヒコは満面の笑みで、カズサの返事を待たずに部屋に入ってくる。
「えっ、ちょっと・・・・・・」
 カズサはハルキにも電話をしてしまいたかったが、井川ももうすぐ来そうなので諦めてソファに戻る。
 するとすぐに井川が二人分の食事を持って来て、食事の準備をする。
「なあ、カズサ、明日はMSJに行かへんか?もちろん、疲れとったらまた別の日でもええねんけど」
 食事の席に着きながら、ツネヒコが話し掛けてくる。
「MSJかぁ~」
 関西にしかない、ムービースタジオジャパン。映画好きのカズサとしては、是非行ってみたいところだった。
「カズサ、映画好きやろ。アトラクション以外にも、雰囲気だけでも楽しめるかなって」
「ん。ありがとう。じゃあ、行こうかな」
 ツネヒコの心遣いに、素直に感謝する。
「おう。明日も楽しみやな」
 二人は笑い合って食事を摂る。
 ツネヒコにとっては、まるで新婚夫婦にでもなったような気分で、このままこの日常が続けばいいと思った。
 食事を終えると、カズサは今日はもう早く休みたいからと、ツネヒコを部屋から追い出した。
 というのも、ツネヒコがカズサとまったり過ごそうと居座る姿勢を見せたからだ。
「何や、カズサが眠るまでそばにいたろと思ったのに。」
「別に、そんなのしなくていい!」
「ええ~、車ん中みたいに隣におるで。ほんで、今度は腕枕したるで」
「そんなのいらないからっ!」
 ここ数日、カズサの警戒が解けてきたように思ったので、ツネヒコは一歩踏み込もうとして断られたのだ。
「そんな、照れんかて」
「照れてないっ!」
 カズサは、ツネヒコの背中をドアの方へぐいぐい押す。
「はいはい。ほな、今日のところは退散するわ。明日のデートに備えなあかんしな。おやすみ」
 部屋から押し出されたにも関わらず、ツネヒコは余裕の笑顔で隣室に帰って行った。
 既に食器も片付けられ、もう誰も部屋を訪れることがないと判断すると、カズサは部屋の鍵を掛けベッドルームに移動し更にそこの扉も閉めて鍵を掛けた。
 思わずベッドに正座をして、一度深呼吸をするとハルキに電話を掛けた。

『もしもし、カズサかっ!』
 まるでスマホを握って待機していたかのような速さで、ハルキが出た。
「あっ、ハルキ。遅くなってごめん」
 カズサの緊張が増す。
『いや、それよりそっちはどうなんだ?』
「ん?その、別に変わりは無いというか。まあ、日常生活には困ってないかな」
 ハルキは焦りすぎて大雑把な質問しか投げかけられないし、カズサも何をどう答えて良いかも分からない。
 二人の間に、いつものような気の置けなさは無かった。
『そっか、まあ困って無かったらいいんだけど?』
 むしろハルキの方が困っていそうな声音だ。
 きっと二人とも言いたいことはあるのだが、言い出すタイミングを計りかねているとお互いに分かってはいた。
 この一本の電話で、二人の関係が何もかも変わってしまうかもしれない。それが、お互いに怖くて踏み出せないでいた。表情が見えないのも怖いが、ビデオ通話にしてもしこれから映されるかもしれない驚愕や嫌悪の表情をみてしまったらと思うとそれもまた怖かった。
「ねぇ、ハルキに・・・・・・言わなきゃいけないこととか、あるんだけど・・・・・・」
 受話器越しにハルキの喉が鳴る音がした気がした。
「その、出来れば会って話したいんだ」
『ああ』
「俺が帰るまで、待っててくれる?」
 カズサはおそるおそる尋ねた。
『もちろんだ!っていうか、必ず帰って来いよ!出来れば早く』
「うん。帰る手配、してもらえるように話すよ」
『なあ、まさかとは思うが閉じ込められてるとかじゃないよな!?』
 ハルキの語尾がきつくなる。
「っ・・・、それは大丈夫」
『だよな。そう、だよな』
 ハルキはまるで自分を落ち着けるためだけかのように呟く。
『ごめん、カズサが悪いわけじゃないのに・・・・・・。一人でヒートアップしちゃって』
「ううん。心配掛けて・・・ごめん」
『もしさ、帰してもらえないようなことがあったり、何か無理強いされるようなことがあったら、すぐに連絡くれよな。あと、そこの住所も。俺、絶対迎えに行くから』
「分かった。ありがと」
 別に悪者に捕まっている訳ではないが、自分を思って心配してくれるハルキに、胸の奥がキュンとなった。
 柄でもないが、ハルキがスーパーヒーローに思えた。
「ふふ。ハルキ、何か正義の味方みたい」
『ああ?笑うなよ。俺は本気だぞ!』
 そう言って、ハルキも少し笑った。二人の肩の力が抜け、いつもの雰囲気を取り戻していく。
 カズサはこの何気ない雰囲気が大好きだった。
「何か久しぶりにハルキの声聞いたら、安心しちゃった」
『!!?』
 思わず零したカズサの素の声に、ハルキの胸は高鳴った。
 つい勢いで告白してしまいそうになるのを、寸でのところで堪えた。
「明日も予定があるから数日掛かりそうだけど、また帰る日が決まったら連絡する」
『おう、待ってる。って言うか、何も無くても連絡くらいしろよ。じゃないと、ヒーローが駆けつけられないだろ』
 ハルキは冗談めかして言った。
「それもそうだな。うん、メッセージになっちゃうだろうけど、連絡するよ。超つまんないことでも」
 そう言ってカズサも笑った。
『ああ、そしたらつまんねーって返してやるよ』
「ひどっ!」
 二人はひとしきり笑い「じゃあな」と言って、電話を切った。

「ふぅ。結局、何も解決してない・・・・・・けど、話せて良かった」
 カズサはベッドに転がって呟いた。
 声を聞いてしまうと、何だか無性にハルキに会いたくなった。この想いは何なのか、ハルキの声を聞きながらやっと自覚した気がした。
 でも会ってしまったら、今度こそはきちんと向き合わないといけない。話さないといけない。
 あと少し、この気安い関係を保っていたかった。
 カズサは複雑な想いのまま、身体が疲労のピークを迎えスッと眠りに落ちていった。
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