有名レイプ事件の告発者に割り切れないものを感じる女の話

かめのこたろう

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有名レイプ事件の告発者に割り切れないものを感じる女の話

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 数年前にジャーナリスト志望の女性が業界の大物から性被害を受け、実名と顔だしで告訴を行った。
 その結審がとうとうつき、女性の言い分が認められて不同意性交として加害者の男に賠償が課せられた。


 彼女が相手の男から最初に被ったものは高級料理と洗練されたアルコールの味だったらしい。
 一方、私が頂戴したものといえば鼓膜が破れるほどの激しいビンタと突きつけられたナイフの刃だったけれど。

 彼女はさんざん酔っぱらって、タクシーで有名シティホテルに連れ込まれたらしい。
 虫だらけでじめじめと湿った、真っ暗な公園のトイレの裏とは少しだけ違うのかもしれない。

 彼女は調度もサービスも一流であることは間違いない瀟洒な一室、恐らくふかふかのベッドの中で無理矢理体の動きを封じられて犯されたらしい。
 私が押し付けられた後頭部と砂利の摩擦でうけた激しい痛みや絶望と同等のものがきっとそこにだって存在したはずだ、そう信じたい。

 彼女は翌朝、早々に部屋を後にし、メールで共に過ごした一晩についてちょっとした挨拶を送ったらしい。
 最初にスマホを破壊され、すぐに警察に連絡することすらままならなかった私には羨ましい限りである。

 それから数日して彼女は相手の男を強姦で訴えることに決めたらしい。
 産婦人科にいって、診断を受けて、改めて「あなたを強姦行為で告訴します」と。
 つい数日前に「昨晩はありがとうございました、お願いしているポストの斡旋について早々に対応ください」と送ったメールの往復で。

 朝方に失神しているところを発見され病院に運ばれて、医者に呼ばれたのであろう警察官にベッドの上からぼそぼそと事情を話した私とどれだけ同じものを共有していたのだろうか。
 自分に何が起こったのかを未だ信じられぬまま、茫然自失の体でうわごとのようにかすれた言葉をつぶやいていたあの時の私と。


 そんな風にあまりにも自分のケースと違い過ぎて、残念ながらこの事件自体の経緯や司法の判断、世論の内容など、正否や正誤、あるいは善悪などほとんどのことについて自分には判断が付きかねるというのが正直なところだった。

 まず刑事事案だった私と違いこちらは民事での争いだったし。
 彼女と男の振る舞いや至った結末は私の貧弱な想像力や知識では処理しきれない、難解で不可思議としか言いようがないものだった。
 「どうしてそうなる?」という箇所が多く、意味不明すぎてどちらの言い分が正しいとも言い切れない。
 とにかく「よくわらかなかった」のだ。

 なにがしかの判断を下すには、お互い決定力に欠けているとしか思えなかった。
 女性の言う通りに、ただの強姦事件という解釈も当然できたし。
 あるいは身体を使って仕事の斡旋を男にさせようとして失敗した女の逆上という風にも見えるし。

 もしかしたらもっと正確で客観的な資料なり証拠なりが公開されていて多くの人の間で共有されていたのかもしれないが、私がその時持ちえた情報の範囲ではそれ以上の結論は出しようがなかった。


 だから事件自体は事実関係の全容や詳細が明らかになるに任せて結末を見届けようという程度の認識でしかなかったのだけれど。
 にもかかわらず、私が不本意にも心を揺さぶられ、必要以上に注意を向けさせられざるをえなかったのはその周囲の事象。
 当事者の両名や事件とは直接に関係なく、自然発生的に起こったのだろう周縁部に現れた副次的現象にすぎなったのである。

 最初にマスコミ報道が始まった当初から、彼女の支援者を中心に顔と実名をさらしていることに対して「勇気ある告発」あるいは「社会的に意義のある行為」などという形容がいたるところでなされていた。
 それはもう食傷気味になるほど繰り返し、頻繁に、彼女に共感したり思想的に近しかったりしたのだろう人たちが口々にこれぞ正義と言わんばかりの口吻で喧伝していたのだ。

 彼ら彼女らには想像もできなかったのかもしれない。
 あまりにも「性被害を堂々と告発する被害者の絶対的善性」のようなものを共有していた人々には。

 かくいう私のような人間、顔や名前を表に出さずに自分を襲った悪夢と向き合ってきた人間は彼女と比べて「勇気がない」のだろうか。
 「社会的に意味がない行為」だったのだろうか。

 そう感じてしまう人間がこの世のどこかにいる可能性など、きっと微塵も頭をよぎらなかったのだろう。

 もしかしたら捻くれた、被害妄想だと思われてしまうかもしれない。
 難癖をつけて一人の不幸な女性を応援する声をかき消そうとする悪意そのものだと認識されるかもしれない。

 でも私にはどうしても疑問が残り、心の奥底にしつこく檻のように淀んで離れないのだ。
 果たしてもともとジャーナリストという自分の存在を表ざたにすることを志向する職業を目指していた人間が顔や名前を公表することにどれだけ前向きな自己犠牲的献身を見出すことができるのかと。
 例え理由が性被害に遭ったという精神的抵抗が高いことだとしても、マスメディアとかかわりなく生きるその他の人間と比べて葛藤やら困難やらがどれだけあるのだろうかと。
 むしろ己が事件の渦中になったことを通じてマスコミに晒されることは第三者が想像するような悲痛と絶望とは無縁なのではなかろうかと。

 単に彼女が表に出てきたこと自体を神聖視する風潮にはどうしても負の感情を抱かざるを得ないのだ。

 仮に彼女が法廷闘争で勝利すれば、世の中の性被害を受ける不幸な女性が減るのだろうか。
 夜のディナーの席を共にした男に、泥酔した女が高級ホテルに連れ込まれて強姦される確率が少しは減るのだろうか。
 その社会的意義とやらはどれだけ大きいものなのだろうか。
 あるいは私のようにいきなり夜道で凶器を突きつけられて、飲み干した空き缶を捨てるみたいに草むらに放置された女が発生する可能性が少しで低減できるのだろうか。


 彼女は法廷闘争中から本件に関する様々なルポや告発本を出してメディアに露出を続け、海外から表彰を受けるなど確たる地位を築けたらしい。
 ジャーナリストを志望して加害者たる男に仕事の斡旋を依頼していた彼女は、本件を通じて社会的立場と収入を見事に得た。
 どれだけ結果的に売名行為と同じになってしまったように見えようとも、そのこと自体は糾弾したり問題視することではない……と思う。
 己の身に突然降りかかった悲惨、不幸な逆境すら利用して運命に立ち向かい、生きていく姿は美しくすらあるかもしれない。

 ただ相変わらず彼女の露出の仕方を神聖視しほめたたえる数多の声が、周縁部に蔓延る生々しく揺蕩う善意の渦が。
 それに対して特にいさめるでも否定するでもなく自然と受け入れてるように見える彼女の姿とまなざしが。
 
 ひどく陰鬱で冒涜的なものに見えてしまうのである。


 相変わらず夜が怖い。
 男も怖い。


 さらに無邪気な人々の善意、自覚無き概念の刃もまた私は恐ろしくてたまらなくなりつつある。
 
 




 了

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