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エロ本を万引きするガキを目撃してしまった男の話
しおりを挟む最初にそのガキを目にした時感じたのは、違和感と物珍しさだけだった。
場所は自分がテリトリーにしているビジネス街の隅、古臭い昭和の趣を色濃く残す雑居ビルの一階にある本屋。
昔ながらの個人経営って感じの店で、あんまり商売っ気が感じられない雑多で未整理なところとか、人気が無くて薄暗いひんやりとした空気とかが妙に落ち着くからたまにふらっと冷やかしに行っていたそこ。
決して広くはない店内、ところどころ剥げた壁から錆色のパイプが見え隠れしている中に展開している雑然とした光景。
商品の入れ替えも碌にやってなさそうで、古本屋でもないのに数十年前の週刊誌とかがそのまま置いてあったり、何時からあるのかわからないような黄ばんだ文庫本とか大分前に流行った文芸ベストセラーの色あせたハードカバーだとかが所狭しと無秩序に並び、そこに点々とまばらに散っている新刊本の肩身が狭そうな感じが面白い。
得意先で雑談していたときに聞いたところによると、店主はこの辺りの地主で完全に道楽でやっているらしい。
土地だの賃貸物件だのの不動産収入だけで悠々自適のご身分だとか。
本屋が入ってる場所も持ちビルらしかった。
満ち溢れる商売っ気の無さもまあ納得ではある。
なんにしろそんな感じの店だから、普段から客などほとんどいない。
まず見たことが無い。
大抵、自分一人か、極稀にもう一人いるかいないか程度。
これまでスーツ姿のサラリーマンが先客でいたことが一回、この本屋と同年代と思しき老人が足を引きずりながら入ってきたのを一回、それぞれ見たことがあるだけだった。
だからまあ、そんなところに中学生になったかならないかくらいの男子(ガキ)が入ってきたら嫌でも目にはつく。
白いシャツに黒いスキニーパンツとパッと見は小奇麗なナリ。
頭には紺のキャップ、そこから飛び出てる妙に長い襟足以外は別になんらおかしなところなどない、その辺にいそうなガキである。
手にデカイどこぞのショップ袋を持ってる姿もよくある光景だろう。
繁華街をうろついているヤツラは大抵こんな感じだ。
しかしそんなありきたりで珍しくも無い「量産型」みたいなガキの姿が、ことこの本屋においては完全なミスマッチだった。
ただでさえ仕事人以外の姿がまばらなビジネス街の、さらに輪をかけて人気の無いこの場所。
店内の古錆びた埃っぽい情景と相まって、後から別の背景に切り貼りしたみたいに色彩自体が浮き上がっているように見えるのも当然だろう。
生息域の異なる場所に迷い込んでしまった野生動物の観。
明度の低いツンドラの風景の中に派手な南方の生物を見つけてしまったようなちょっとした混乱、幻惑感。
本棚の隙間から覗き見るようにじっくりと観察してしまうのも、致し方ないことではある。
どうせすぐに帰るだろうというこちらの予想を裏切って、とある棚の列の前をうろうろと物色するようにしているガキ。
向こうからは完全に死角になっているらしく、見られていることに気がつく様子は微塵もない。
そうして時間にして数分程度、存在自体の不整合が齎すのとは別の違和感がすぐに湧き上がってきた。
たぶん、良くないことをしようとしているんだと直感的に思った。
十中八九、金を払うことなくモノだけ持っていってしまう気なんだろうと、立ち居振る舞いからなんとなくわかってしまった。
万引きという行為についてそう詳しく精通しているわけでは勿論ない。
やったことは勿論ないし、具体的にどうするとか盗んだ後どう処理するのかといった知識があるわけでも無い。
それが単純に悪いことでやってはいけないことであり、犯罪行為なのだという理解をしているくらいで、これまでやりたいと思ったことはないし、差し迫ってやらざるをえないようなことも無かった
強いて言うなら、昔学生だった頃にガラの悪いヤツラがやっていたと噂で聞いたりしてアイツラならさもありなんと他人事に思う程度が自分と万引きという行為との唯一の接点だったと思う。
それくらい縁が無かったはずなのに、何故かその時にははっきりと確信することができた。
目の前で徐々にある一点へと移動範囲を収束していくガキの様子に、全く疑うこともなくすんなりと「ああ、やる気なんだな」と冷静に客観的に判断をくだしていた。
声を挙げることも息を飲むこともしない。
その時点でガキを捕まえることはおろか、店主にすぐに伝えようなど意識すらしなかった。
目の前で淡々と展開している事態をだただたじっと静かに見届けることだけを忠実に誠実に行うようプログラムされた自動機械にでもなってしまったかのような。
後から思い返すたびに自分でも首を傾げざるを得ないその落ち着きというか、予定調和的なものに対する諦観とでもいう心境は、ヤツが獲物を音も無く紙袋に落とし込む瞬間にはっきりとその表紙を確認したときも、そしてその後なれた様子でさっさと店を後にしていく間も全く変わることはなかった。
数秒後、元の自分の意思で動く生物へと回帰すると間も無く、迷うことなく真っ直ぐに犯行現場へと向かっていく。
何かそうせざるを得ないような使命感だけに支配されて。
それは一昔前の、いわゆる「エロ本」だった。
偶々2冊だけ残っていたらしい。
その内の一冊をヤツが持って行って、現場にはもう一冊だけが残された。
時代を感じる表紙のケバケバしい化粧の女、馬鹿馬鹿しさといやらしさの混じった煽り文句。
恐らく写真のオンナも作った人間達も良かれと思って、扇情的で魅惑的なはずだと確信を持って作り上げたはずの、当事者達のその狙いがどれだけ達成されたのかを想像した途端、なんともいえない悲哀と憐憫の情を持たざるを得ないような。
その手のヤツの中でも明らかに出来が良いとは思えない。
いや、はっきり言って相当酷い。
売れ残っていただけあって、普段そこいらに置いてあったとしても、とても手にとって中身を見る気にはなれないような代物。
そしてコレを持っていったガキ、よりによってこんなものを法を犯してまで求めたアイツの中で展開していたものを否応も無く想像させられる。
今やインターネットやら動画やらでいくらでも何でも好きなだけ見れるだろうに、何故こんなのものをという想い。
今時のガキが悦ぶようなモノにはとても見えなかった。
ましてや、それなりに小奇麗に見えてさほどこの手のモノに困っている風でもなさそうなヤツだったのに。
アイツは盗んだそれを果たしてどうするのだろうか。
ページを開いてきちんと読むんだろうか。
嗜好品として楽しめるんだろうか。
もしかしたら万引きできればモノは何でも良かったのかもしれない。
盗むという行為自体が目的、そういう可能性も勿論あるだろう。
というより万引き犯の大半はその手の欲求でやるらしいというのを聞いたことがある。
だから元から嗜好品としての是非とか有効性などまるっきり関係なかったのかもしれない。
いや、十中八九そうなんだろう。
でもそれにしたって他にいくらでもマシなものはありそうなのにと思わざるを得ない。
どうしてよりによってコレなんだと、理解しがたい想いに囚われて抜け出せない。
万引きという行為以上に意味不明で不可解なものがあのガキと自分をはっきりと隔てているのを感じた。
ただの他人、偶々目撃した万引き犯と己という関係性など元から無に等しいのは言うに及ばず、さらにそれだけに収まらない因果の持ちえようが無い圧倒的な無限の距離感、絶対的な隔絶があるのを嫌というほど叩き付けられ打ちのめされたような気分になった。
およそ他人と自分自身というもの、「社会的生物」などと呼称される人間という生き物の本質、どこまでも孤独で一人ぼっちの存在である厳然とした事実をこれ見よがしに無慈悲に突きつけられたような心許ない不安な気持に包まれた。
一冊だけ残されたそれを静かに手にとってレジへと向かう。
柔らかそうな白髪と長い眉の下にくりっとした瞳、相変わらず品のいい穏やかな印象の店主。
「ありがとうございました」と袋に包んだエロ本を渡された瞬間、目の前の老人とあのガキの姿が頭の中で交錯する。
不労所得で悠々自適、みすぼらしさなど微塵も無く生活に困っているわけでもない、道楽でやってるだけの本屋を営む老人。
そしてその店からさほど欲しいとも思えないエロ本を万引きしていった、同じくとても金に困っているとは思えないあのガキ。
そこで起こった事態は本来明らかにされて罪を問われて罰を与えられてしかるべきことなのは間違いない。
断罪されて何がしかの形で贖われるべきことではあるのだろう。
その善悪とどうされるべきかという是非については疑いの余地はない。
ただ、何故かその時の自分は己から主体的にそうする気にはなれなかった。
ちょっとその気になればいくらでも道を誤った子供に更正の機会を与え、罪を償わせることができたであろうに。
本屋が被った被害を取り返し、不正な方法で理不尽に齎された損失を挽回する一助を、まごうことなき善行を行う滅多にない機会だったのは明らかだったのに。
何故かその時にはそうしようという意欲がまるでわかず、寧ろそうしたくないとまで思っていたかもしれない。
持って帰ったエロ本は、一度だけ開いて最初から最後まで目を通してみた。
想像通り、なんの変哲もない取るに足らない内容の出来の悪い代物だった。
自分にとってなんの価値もないものだということだけがはっきりと証明された。
それから一度も手に取ることもなく、部屋の隅に積み上げられたままずっとそこにある。
了
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