エロくて綺麗なババアがエロくて綺麗な理由を考える話

かめのこたろう

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エロくて綺麗なババアがエロくて綺麗な理由を考える話

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 そういえば彼女は一体いくつなんだろう。


 女の年齢というものは面白いもので、ある時期まではお互いにとってとても大切な重要ごとだったりするのに、それも一定の水準を超えてしまえば今度は逆にさほど気にもならない些末なものへとなっていく。

 それこそ若いみそらの女、学生だとかOLだとかをやってるような成熟とは程遠い、むしろ未熟であることにこそ価値があるような存在にとっては年齢という概念が非常に重要なのはさほど深く考えなくとも自明である。
 たいてい彼女ら自身も過剰なほどに意識しているし、求める側、男の方としても決して無視できない要素であるのは間違いない。
 どの世代と属性にどんな価値を見出して好悪の感情のどちらを抱くのかといった趣味嗜好性癖や社会的理由とか都合によって生じる差異は様々人の数だけあろうけど、少なからず「女の年齢」というものがある時期まで特別な意味と価値を持つというのは事実であろう。

 未成年なのか否か、学生であるならばどの等級過程に属しているのか、それぞれでまた別種な意味が生まれることなどさほど珍しくもないありきたりで平凡な価値観だろうと思うし。
 あるいは二十歳(はたち)を超えているとしたらどれだけいっているのか、二十三と二十八ではだいぶ印象が違う男も多いはず。
 三十という閾値をあたかも神聖なステイグマの如く、特別で絶対的な聖域、取り返しがつかない致命的な区切りのようにとらえている女も結構いるかもしれない。

 それがそれ以降になると今度はだんだん気にならなくなってくるから不思議である。
 おそらく世間一般に「熟女」とか言われる層になってくると、もはや年齢などさほど問題がなくなってくる。

 だいたい自分の感覚だと三十五を超えてきたあたりからだろうか。

 前々から付き合いがある女であろうと、あらためて出会った相手であろうと関係ない。
 見た目だの性格だの、体の相性だの、社会的位置関係だの、そのほかの要素はともかく年齢がいくつなのかなどは気にしたことがない。
 なんというか、もうそれくらいになると「イイオンナか否か」というひどく大雑把なくくりになる感じとでもいうか。

 ねっとりと、うっとりと、しっとりと、やんわりと。

 そういう柔らかく温かな粘度の高い湿気を多分に含んだ安らぎのようなものの有無でしかなくなるんだと思う。
 そんなこちらの想いが伝播するのか、はたまた彼女ら自身も自発的に大した意味を見出さなくなるのか、自分だけでなく相手もまたそんな感覚を共有しているような確信がある。
 やはり女たちの方でも、もう35なのか40なのかといったことにはあまり興味がなさそうな気がする。


 「コイツ、今いくつだっけ」などと考えることなどほとんどない。
 「私、今年でいくつになっちゃった」なんてセリフをまず聞いたことがない。  


 だからこれまでずっとそんなものだとすっかり思い込んでいた。
 ある一定年齢以上になると女の年なんてどうでもよくなって気にもならなくなるもんなんだと。
 人生の中でいくつかあるだろう真理の発見、なんとなく経験則で領解(りょうげ)して見出した法則をさほど疑うことなく自然に受け入れていた。


 それなのに。


 夕と夜の狭間を映す大きな一枚ガラスの窓の前、生まれたままの恰好で胡坐をかいてぼんやりと外を眺める彼女。
 隠そうともしていない全身に刻まれたもの。

 彼女の人生そのもの。
 積み重ねた過去。

 生まれてから少なくとも半世紀以上は経っているのは確実の。


 決して若々しくも瑞々しくもない。
 間違いなく年齢相応の肉体。
 顔にも髪にもはっきりと示された印。

 にも関わらず、疑うべくもない美しさがそこにはある。
 どんなに若くて見栄えのするかわいい女にも見出せない価値がそこにはある。

 それは善悪も美醜も超えたあらゆる経験がもたらすのかもしれない。
 この国がかつて経済力で栄華を極めた時代から、自分の持つすべてを全力で出し切って人生を謳歌してきた者でしか持ちえない何か。
 己の資産と生命を自力で守る能力を持つ生物の本能に従って、ただやりたいままに。
 良いことも悪いことも、綺麗なことも汚いことも、抑制できない激しい欲求のままに生き抜いた存在がたどり着く境地。

 あらゆる苦痛と快楽、憎悪と愛情。
 感情の爆発と物理的な衝突の繰り返しの末。
 麗しいほどに醜悪なエゴイズムを極めた先にある、静的な領域。

 なんて鼻持ちならない高慢な。
 卑屈さなどとはまるで無縁の。

 それでいて憎たらしいくらいに澄んでいて純粋ですらある。
 もはや「老人」と言われてもおかしくない女の顔に浮かんでいるのはそんなものだった。


「見て」


 唐突に言う。


「いつもより重さを感じない浮かび方」


 月のことを言っているのだとすぐにわからなかった。
 そばに行って同じように窓を覗くと、確かにそんな風に感じるものがぼっかりと浮かんでいる。
 たぶん、上に行くほど暗く蒼く、下に行くほど白く赤くなっていく空のグラデーションがそう感じさせるのかもしれない。

 あそこは重力などない空間で、重さなどないはずなのに。
 でも確かに軽いように見える。

 質量は変わらないはずなのに。
 果てしない巨大な体積と質量をもった物体がふわふわと風船のように。


 すると、やはり何の前置きもなく丸出しの局部を触られる感覚に襲われた。

 とても卑猥でいやらしい、馴れ馴れしくて爛れた動き。
 まるで童女のようなあどけない表情。

 神聖と邪悪。



 彼女の年齢が一体いくつなのか再び気になった。






 了
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